マイノリティ・リポート : 映画評論・批評
2002年12月2日更新
2002年12月7日より日劇1ほか全国東宝洋画系にてロードショー
映像の現在における困難を巡る自己言及的な作品
自宅で無愛想な男たちに何の前触れもなく取り囲まれ、あなたは逮捕される。犯罪予防局から来た連中の説明によれば、お前は数時間後に殺人を犯すから、その前に身柄を拘束する……という。納得できる? 実際に殺人を計画していない限り、無理だろう。計画していても、何割かの人たちは犯行前に良心に目覚めたり、アクシデントに襲われたりして、殺人は未遂に終わるはず。なのに想像上の殺人も罪になるのか? スピルバーグはいかにも映画監督らしく、P・K・ディックが提示した哲学的問題を映像の次元に置き換える。
スピルバーグらが70年代半ば以降のアメリカ映画で達成したのは、テクノロジーの進展を背景にした可視性の拡大だ。E.T.、A.I.、恐竜……対象はどれでもいいけど、ともかく全てをリアルに見えるようにすること……。予知した未来を映像に置き換える能力を備えたミュータントの存在があってこそ犯罪予防局は成立する。超能力者は未来を巡る可視性を拡大し、未来を僕たちの眼に見えるようにする。だけどその一方で、映像はいつも嘘を生む可能性は孕み、映像の可能性の拡大は映像の改ざん可能性の拡大でもある。これはスピルバーグ自身が開拓した“映像の現在”における困難を巡る自己言及的な作品だ。
(北小路隆志)