ディパーテッドのレビュー・感想・評価
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飲みやすい毒
リメイク版なので見方が難しい作品かと思います。オリジナルを知らない方が楽しめるかもしれません。オリジナルと比べて酷評する方もいますが、オリジナルと同じベクトルの感動をこの映画にも求めるのはナンセンスかとも思います。
他のスコセッシ作品に比べてどうかと言う点で言えば、少し毒が抜けて見やすいかなとも思いますが、そこもリメイクという解毒薬があるからかもしれません。
ストーリーでいえば、二人のスパイという、上手い設定に頼った一辺倒な作品ですが、設定の妙、どちらかに視聴者が肩入れしてしまう心理で長い上演時間でも気になりませんでした。
緊張感を出すのはやはり独特で上手いですし、ポルノ映画館から追い詰めるシーンは、鳥肌が立ちました。一番好きなシーンかもしれません。
ヒロインが二人の精神的な繋ぎ役として、二人の主人公の人間味を引き立てるうまい役割になっていますね。
誰も勝者になれないラストということですが、私はやりすぎかなとも思います。ここは好みでしょう。
豪華さも、楽しめる作品ですね。
意見は分かれるかと思いますが、私は好きです。
巨匠スコセッシによる香港ノワール金字塔のリメイク
犯罪者が多い家系から決別するため警察に入ったビリー。しかし彼はマフィアへの潜入を命じられる。一方コリンは、育ててもらったマフィアのボス、コステロの内通者(ネズミ)として警察官になる。
香港映画のインファナルアフェアをリメイクした今作。別の作品として楽しむことができたけど、やはり元祖と比べちゃう。
主演2人に関しては元祖版の方が良かった。
ディカプリオよりトニーレオンの見せる悲しい表情の方が印象的。マットデイモンよりアンディラウの方がうざく感じた笑。だけどマフィアのボスは今作の方が良かった。ジャックニコルソンの狂気、暴力性は凄かった。
それとスコセッシ得意?のバイオレンスシーン。マフィアの残虐さが伝わってくる。こんな環境にいたら精神が不安定になるのも当たり前だなと思った。
ラストでコリンがディグナムにあっさり殺されたのが意外だった。
そもそもなぜディグナムにばれたのか?
ビリーがマドリンに渡した封筒、あれがコリンの正体を証明する物。それをメディアに流したから。
それか、
封筒の中身を警察に出し捜査が始まったが、コリンがネズミと証明できず、グレーのままだった。
どっちにせよ、だから近所の人に嫌がられてたのかな?けど躊躇いもなく殺したのは疑問が残った。
ネズミ探しをするコリンが嫌いだったこと、尊敬する上司クイーナンを殺された恨みからかなぁ。
個人的には生かして無間地獄に落として欲しかった。
ハラハラドキドキ
本当にハラハラドキドキした
レオの演技が上手すぎて自分もおとり捜査しているみたい
署長かわいそう、、
最後はみんな死にすぎ
レオが封筒を見つけた時黙っていて警察に任せればよかったのに!
最後出てきたもう1人のネズミが出てこなければハッピーエンドだったのに!
ディカプリオと途中辞職したおとり捜査のリーダーのディグナムが報われ無さすぎてかわいそう。
最後ディグナムが自分の手でマット・デイモン殺したのは良かった
解説を読んで、、
コリンに身分を消されたビリーが後に警察官として扱われていたこと、コリンがマンションに戻った時に住民から避けられたこと、部屋に殺す気満々のディグナムがいたこと、これらはマドリンがメディアにコリンとビリーの正体を暴いた(たぶん生前のビリーから預かった封筒)ことを示唆しているシーンであると考えられる。気付かなかった!
あと銃撃戦で死んだコステロ側の人が沼地に埋められたのにすぐ発見されて、しかも潜入捜査官だったって報道されたのは、ビリーの作戦かもしれないとも考えられる。
2020/6/28 2回目 DVD
1回目見た時はレオしか興味なかったが、マット・デイモンとマーク・ウォールバーグに激ハマリしたためDVDを買って2回目を見た。
1回目の時は最後のシーン以外のディグナム好きになれなかったが、めっちゃかっこよく思えた。
やっぱりラストの犬とその飼い主に避けられたことと、ドアの前で少し屈んだシーンの意味がわからない。部屋に誰かいると感じ取ったならあんな勢いよくドア開けないだろうし、ディグナムがいた事に驚いてたし、、。
詰め込み感はあるが楽しめる
WOWOWにて視聴。
「インファナル・アフェア」のリメイク版で、アカデミー賞受賞という作品。オリジナルの「インファナル・アフェア」は未視聴ながら、日本でも西島秀俊さんと香川照之さんでリメイクされた「ダブル・フェイス」は視聴済み。
ストーリーを知っていながらも、役者さんの演技や演出の違いなど観るべきところは多く、楽しめる部分も多数。
ジャック・ニコルソンの存在感や、逆に存在について悩み苦しむ2人の潜入者には緊迫感と焦燥感など、人々の感情が巧みにかつ次第に交錯していき、物語のスリリングさに引き込まれていく。
オリジナルだと3作、日本版でも2作ある分量を一つの作品にまとめているため、年月の重みや徐々に存在が希薄になっていく焦りなどは若干物足りなく感じた。
また、FBIの存在などストーリーとして気になる部分が残ってしまい、少し消化不良気味。
とはいえ、各役者さんは素晴らしい演技をされており、サスペンスとして成り立ち、魅せているのはさすが。
たまに観返したいと思います。
【”ネズミの国に棲む人々”が”人を裏切り、誰も信じられなくなっていく姿”を、マーティン・スコセッシ監督がアイロニックに描き出した作品。】
今作の舞台は”サウシー”である。そう、アイルランド系移民が多く暮らすサウス・ボストン。
多くのマフィア映画の舞台にもなっているし、実在したアイリッシュ・マフィアの首領”ジェームズ・”ホワイティ”・バルジャー”が且つて牛耳っていた土地である。
そして、かの有名なFBI捜査官ジョン・コノリーとの癒着が今作の下地になっているのは、巷間でも有名であろう。
[2016年公開の”ブラック・スキャンダル”で詳細が描かれている・・]
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マサチューセッツ州警察から
”フランク・コステロ”(ジャック・ニコルソン:相変わらず、怖いなあ・・。狂気を帯びた演技の迫力が凄すぎる。)率いるマフィア組織に潜入捜査官として潜り込んだ、警察学校を優秀な成績で卒業した
”ビリー・コステガン”(レオナルド・ディカプリオ:今作での演技は、現在の凄みある演技に通じる程凄いと思う)と
”コリン・サリバン”(マット・デイモン:冷静なふりをしながら、フランクと繋がる役をコレマタ好演。)は"幼い頃からフランクに恩義"があり、警察学校卒業後、警察に配属された際の任務が、”フランク逮捕のために特別に設置された組織:特別捜査課”だった・・。
そして、特別捜査課には、
1.クイーナン警部(マーティン・シーン:渋くなったなあ・・)
”ビリー・コステガン”を潜入捜査官として送り込む。
2.ディグナム巡査部長(マーク・ウォールバーグ:この頃から”熱い役”だったなあ・・)
3.エーラビー警部(アレックス・ボールドウィン)
達が、陣取り
更に、”コリン・サリバン”の恋人であり、神経衰弱ギリギリの任務に就くビリー・コステガン”の精神科医(から、良い仲に・・・)の”マドリン”を演じるのがヴェラ・ファーミガである。
ーそれにしても、”コリン・サリバン”と”ビリー・コステガン”って、見事な相似形だなあ。-
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もう、この陣容だけで、お腹一杯である。更に彼らが持ち味を思いっきり発揮する、秀逸な脚本にも今更ながら驚く。
-今作は、香港映画のリメイクだそうだが、マーティン・スコセッシ監督は舞台を上記のサウシーに変え、アイリッシュマフィアの攻防を描いた、見事に換骨奪胎した作品である。-
<初見時には、レオナルド・ディカプリオとジャック・ニコルソンとマット・デイモンの演技にほぼ魅入られていたが、久方ぶりに鑑賞すると、他の役者の演技やプロットの秀逸さ、醸し出される緊迫感に圧倒された。
改めて凄い映画である。堪能した。>
ーあの、”ラスト・シーン”をどう観るか、も醍醐味の一つと考えたい。-
<2007年2月 劇場にて鑑賞>
<2020年5月 別媒体にて再鑑賞>
なぜ観てなかった私!
香港オリジナルは見てないけど、日本リメイクは見たし。
150分って尺が長いなあ、と思ってずっと棚上げしてました。
スコセッシ監督が撮るとこうなるのか。
◎よかった点◎
・警察のネズミ、マフィアのネズミ。その正体がいつ・どうバレるのか。
出てくる切り札をどう使うか?など、ハラハラ感万歳。
終盤「ああ。そういえば」という、振り返って「!」な箇所も興味深し。
・二人の共通する女性の役割が、一歩間違うとドロドロしそうなのが。
いい感じで役割=仕事をしていてすっきり。
・クライマックスの場面。「そういうことだな」と予測した内容と全然違ったのにびっくり。
いやー、そうもってくるかこの結末。ヤーメーテー(意外性に富んでた)。
△いまいちな点△
・香港版を見ている方では意見が結構分かれている様子。
どっちを先に見るかは、運次第。
・ラストの『!!」も、びっくりしすぎて言葉も出ない。
時間のある時に見ても、損はしません。ただPG15の血飛沫いっぱいだけ注意。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「信用できる奴なんて、いるか?」
普通の映画。
スコセッシ映画としてはイマイチ。
キャスティングも主要キャストは良かったが肝心のヒロインがイマイチ。
緊迫感も悲壮感も主人公への想い入れもイマイチ無かった。
結局インファナル・アフェアと比べてしまうせいか、ほんとイマイチ。
良くこれでアカデミー賞とったと思う。スコセッシ映画ならもっと良いのがあると思うけど…。
良かった探しをするとディカプリオがシュッとしてかっこ良かったのと、本家のインファナル・アフェアがやっぱり凄いと再認識できた事かな。
二匹のネズミ
犯罪組織に潜入したネズミ、ディカプリオと警察に潜入したマット・デイモンが対比で描かれている本作。監督はマフィア映画御用達のマーティン・スコセッシで、彼の得意な音楽を使った演出が今作でも光っており興奮させられた。脚本も出来が良くハラハラドキドキの展開が見れる。しかし、本作はリメイクということもあるので評価には値しないだろう。俳優陣も豪華で演技も良い。総評としてはスコセッシが受賞した唯一のアカデミー作品賞だが、本作も面白いがスコセッシ映画の中での存在感はイマイチな印象だった。
いつバレてしまうかハラハラ!
キャストが決まった頃からずっと楽しみにしていました! とても面白かったです! この映画がきっかけでヴェラ・ファーミガのファンになりました(笑)
24時間続くパニック発作的な
レオナルド・ディカプリオが自身の役を、「24時間続くパニック発作」と称した通り、映画全体が常に騙し・騙され合いの緊張感と疑念に満ちている。
シナリオに無駄がないので最後まで目が離せないし、各キャラクターに個性がありすぎて(役者もだけど…!)総じて面白い。
と、思ったらアカデミー賞受賞作品だったんですね…、納得。
インファナル・アフェアに比べると。。
作品の背景として、どうしてもインファナル・アフェアとの比較になると思いますが、それと比べると全体的にちょっと見劣りしました。インファナル・アフェアにあったヒリヒリするような潜入の緊張感がうまく表現できていなかったかな。あと、ディグナムが生きてることで、元の生活に戻れないかもしれないというビリーの絶望感があまりない。。ディグナムとコンタクトしてうまいことやれば、なんとかなるんじゃない?なんて思ってしまった。潜入捜査員のデータ削除の重みが全然違う・・。
あと、マドリンの存在もいらないなぁー。意味ありげに三角関係っぽく展開してたけど、ストーリーに対してなんの意味もなかった。「なんだこの軽い女は!」ぐらいの印象しか残らなかった。
結末がインファナル・アフェアとは違ってたのが印象的だったけど、それを超えるものではなかったですね。
160307『ディパーテッド』感想
『ディパーテッド』は、多様性社会の左翼的理想の欺瞞への皮肉と、過去の遺物と捨て去られたキリスト教的精神文化やこのダイナミズムへの喚起をテーマに込めた、合衆国版真正保守主義の傑作映画なんだろうなぁ。
「この国(合衆国)はねずみの国だ」。
本作品のアイリッシュアメリカンマフィアは、決して合衆国の人種差別問題が白人vs黒人による一方的で単純なものなどではなく、イタリア系、ヒスパニック系、アジア系…、他様々な移民人種への過剰な寛容を煽ってきた合衆国民主主義の政治経済思想の欺瞞の成れの果てとしてのカオスに対する、世界の映画市場向けの分かり易い嘆きの切り口といった風な位置付けの題材なのだと思う。これはスコセッシ監督による『ギャング・オブ・ニューヨーク』の「ファイブ・ポインツ」のくだりでも語られていた。合衆国の多民族多文化共生の実態は、相互差別的な民族感情衝突の入り乱れであり、これを人種の坩堝とか理想的な共生社会とか如何様に言い換えるのは勝手だが、少なくとも私はそんな欺瞞に対して無批判であることは無理だ。ブキャナンのような合衆国の保守論客の言説によれば、オバマ大統領の「我々はキリスト教国だとは思っていない」に象徴されるように、合衆国連邦政府の党派を超えた、新規票田欲しさに目が眩んだが故の軽薄な移民受け入れや所得移転政策(バイリンガル教育援助、フードスタンプなど)により、最早合衆国は伝統的キリスト教精神での社会統合はなせず、代わりに、自由、平等、博愛だとか、多民族多文化共生を標榜する多様性(Diversity)の理想こそをこのナショナリズムやアイデンティティの拠り所に求める他なくなったそうだ。省み、依って立つべき伝統をその政治経済思想的な腐敗によって放棄した理想主義国家は、フランス革命以来のリベラルな理想(自由、平等、博愛)だけに偏重した挙句、理性のみに依拠した脆弱なナショナリズムの底の浅い限界に慢性的に苦しめられ、感情や情念といった根本から公共や歴史に貢献したいと衝動を掻き立たせるような、塩梅のいいナショナリズムを喪失し、ただ自由競争市場への放任のみを尊重し、レバレッジ資本主義に無抵抗であらざるを得ない没規範の統治理念に身を持ち崩し続けている。移民は所得移転政策で保証される恩恵を欲しいままに要求集団としての性質を肥大させ、一方的に要望を適えてくれる福祉機構としてだけの意義を合衆国に見出す。多様な要求集団としてのマイノリティに、連邦政府議員が党派を超えて迎合するので、最早自己本位的という意味合いの強すぎる「多様性」に富んだ合衆国ナショナリズムの乱立は、収拾がつかない。こんなものはナショナリズムではないし、ハミルトンの『ザ・フェデラリスト』の合衆国建国精神とも断絶している。伝統を失った理想に未来は無い。マフィアであろうと州警察であろうと関係なく、組織のまとまりを脅かすスパイ合戦の疑心暗鬼の重圧に終始振り回され続ける物語展開や登場人物らの辛苦が、アイリッシュアメリカンマフィアの存在感と相まって、現代の合衆国の理想にのぼせ過ぎたナショナリズムの欺瞞を象徴しているようにしかとれない映画である。合衆国はねずみで溢れかえっていると。
私は、人類が死を普遍的宿命とする限り、死後への不安に対応する習俗としての本質の定義に適った、いわゆる「宗教」という概念もまた人類普遍の尊厳だと考えている。ただし概念としての「宗教」が人類普遍だというだけで、この実態としての、多様な気候風土に根付いて必然と多様に展開せざるを得ない宗教の多元性、或いはこれを否定する一神教的な普遍宗教、これに対する嫌悪感も又、私の宗教観における一貫した持論である。で、私のおおざっぱな内観哲学によると、人は情念と理性とによって衝動を抱き、これを源に生活し、ともするとこれらによって幸福如何を計ったりもする存在だが、先述の死を含めた、生、性、死の普遍的宿命と、これによって帰結される文明、愛、宗教といった普遍的習俗(の概念)と、更に彼らの生存拠点たる地球惑星の気候風土の多様性などが前提に併せられたところから導き出される、人類にとっての至上の尊厳とは、人類の集団化を促す、この媒介の要としての「信頼」とか「愛」とかいったものであり、しかしこれは関係性当事者に限定された主観を本質とした衝動であるため、第三者による阻害やこれに対応する排他性をも想定させざるを得ない尊厳でもあり、従って人類は、集団化した経済(利害)圏における主体を個人(家計や私的自治や投資家や労働者など)や企業(公益的経営理念とかギルドとか)ばかりでなく政府統治機構にも見出すべきとする当為の集結(社会契約)が、これもまた人類普遍的に迫られざるを得ない存在であり、これは現に歴史学、考古学、文化人類学の成果が立証するところである。ところでここから先、社会統合における社会統制(法制度)の誕生が先か、それとも土着的慣習や宗教的な規範の誕生が先かの疑問については、私はとりたてるほどの見識も興味もないが、しかし少なくとも、そういった様々なレベルの規範の中でも宗教的規範が示す存在感や影響力は看過できないことは確かだと思うのであり、これは繰り返すが、人類の死の不安払拭の目的を本質とした「宗教」から生まれる当為の体系や伝統や精神が、どれだけ人々の暮らしに切実に寄り添った知恵の蓄積であろうかと推論、というか想像をめぐらすだけで一定の納得に及ぶには十分である。何が言いたいか。そのような仮定で、近代以降の国民国家体勢においても、この集団組織を成立させる当為の集結としてのナショナリズムや倫理観、道徳観、そしてこれに併せて勿論のこと、自由、平等、博愛などリベラルな理想論に懸ける情熱における節度も含め、これら全てが宗教的規範の尊厳を抜きに、まともに成立したり効果を発揮できたりする道理は極めて考え難いということだ。日本の場合は神道や八百万信仰が、そして合衆国の場合はキリスト教が、これ抜きにしてナショナリズムのまともな維持は考えられないほどの位置付けの尊厳となる。更に言えば、その厳格過ぎた過去のプロテスタンティズムへの回帰は、ややもするとフランクフルト学派を系譜の祖とする左翼思想、精神文化破壊工作への反動、親和性、大成功を招いたともとれる意味での文化的脆弱性が露呈した合衆国の歴史への反省の欠如にあたるのではないかという危惧から私には、合衆国固有の歴史に刻まれたより大らかなキリスト教精神潮流たる超越主義文学精神に依拠した合衆国ナショナリズム再建の可能性を期待するお節介な持論があったりもする。正直なところ私は、他でもない『ディパーテッド』のディカプリオの台詞から、馬鹿の一つ覚えでホーソンを知ったくちである。真正保守の立場からグローバル資本主義の矛盾を批判するだけで、その実真正の左翼から逆に左翼のレッテルを貼られるような社会風潮は、戦後日本だけでなく合衆国でも同様に存在するようで、私はそんな被害者の一人たるマーティン・スコセッシから極上の保守主義的な教養を頂けた恩義を噛み締めている。
『ディパーテッド』終幕間際で、この惨劇に一矢報いたのは、最早法の規範を超えて、個人的倫理観、或いは義憤の情念に従って犯罪者に身を落とすことも辞さなかった覆面捜査チームの上司だった。社会腐敗の自浄作用は、法の限界を補う、又別の規範の働きに突き動かされる人間の偉大さやこれを育成する良識の土壌としての国民国家のダイナミズムがあってこそ、より豊かに、強靭に保障されるものなのだろう。合衆国の場合、その補われるべき規範の礎こそが、ざっくり言ってキリスト教的精神文化なのだということは、『ディパーテッド』最終シークエンスの、窓際から望むややモスクっぽい形をした教会(現行の多様性への配慮?)の景観と、これを嘲笑し穢すかのようにして横切るドブネズミとの構図画面へのトラックアップによって、強調されているかのようで、少なくともこういった感想を誘発させてくれたりもする。人の法を欺けても、天の神様はちゃんとお見通しだ。これは天誅だ、喰らえ!ついでに合衆国よ、この精神に覚醒せよ!そんなメッセージ性のカタルシスが最後の最後に用意されてるから、この映画は悲劇だけど後味はそんなに悪くないってのが、今のところの私の感想です。グローバル金融資本主義を皮肉りまくる『ウルフ・オブ・ウォールストリート』も大好きです。
ネズミは誰だ?
こんにちは、LEOです。
本日「ディパーテッド」観ました。
最初なんの考えもなく映画を漁っていたらデカプリオ出演の映画で面白そうなのを見つけたので、観てみました。
まず一言、「デカプリオ、カッコいい!!、マジでこの作品最高」
いや本当にこの作品は視点が2点ありまず飽きが来ない。そして正義なのに悪、悪なのに正義という矛盾で展開していくため、ストーリーも最高でした。
お時間がある方は本当にみて欲しい作品です。
不良の聖書
また観ちゃった。初めて観たときは、あまりにも突然に人がぶっ殺され、血がブシュブシュ飛び散るので、心底ビビったもんですが、最近は全然平気になった。なんかやばい耐性ができている気がする・・・。
ストーリーはインファナル・アフェアとほぼ同じですが、監督が違うと映画のテイストも全く違ってくるものです。
下品なギャグがガンガン入ってきたり、狂犬のような男が登場したり(本作のマーク・ウォールバーグは、脇役のくせに存在感がとてつもない笑)が登場したり、この辺もスコセッシテイスト。
映画に使われている曲がカッコイイのもお約束。
改めて観ると、とてつもなくドライな映画だ。湿っぽい面倒臭いことは一切なし。女ヤッて、暴力振るって、酒飲んで、ヤクをキメるのが男なんだよ!みたいな・・・まるで不良のための聖書。
スコセッシが、不良に対する憧れ、そして、コンプレックスを持っていることがよく分かる。
スコセッシは、少年時代、チビで身体が弱く、意思も弱く(神父の道を挫折したり)、にも関わらずヤクザだらけの街で育ち、ビビりながら少年期を過ごしたという背景がある。
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