旅の終わりのたからもの

劇場公開日:2026年1月16日

旅の終わりのたからもの

解説・あらすじ

1990年代初頭のポーランドを舞台に、ホロコーストを生き抜いた父とニューヨークで生まれ育った娘が家族の歴史をたどる旅路を、ユーモラスかつ温かいまなざしでつづったロードムービー。「そして明日は全世界に」で知られるドイツのユリア・フォン・ハインツ監督が、オーストラリアの作家リリー・ブレットが実体験をもとに執筆した小説「Too Many Men」を映画化した。

1991年、ニューヨーク生まれのルーシーは父エデクとともに、両親の故郷であるポーランドのワルシャワにやって来る。ルーシーがこの地を訪れるのは初めてだが、ホロコーストを生き抜いた父にとっては約50年ぶりの帰郷となる。この旅でルーシーは自身のルーツを探りたいと考えていたが、奔放な父に次々と計画を潰され、不満を募らせていく。アウシュビッツ=ビルナケウ強制収容所を訪れ、初めて父の口から恐ろしい記憶を聞かされるも、2人の心の溝は埋まらない。ついに父と別れニューヨークへ帰ると決めたルーシーを、父は思いがけない場所へと連れていく。

ドラマ「GIRLS ガールズ」で製作・脚本・監督・主演を兼任したレナ・ダナムが娘ルーシー、「ホビット」シリーズのスティーブン・フライが父エデクを演じた。

2024年製作/112分/G/ドイツ・フランス合作
原題または英題:Treasure
配給:キノフィルムズ
劇場公開日:2026年1月16日

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(C)2024 SEVEN ELEPHANTS, KINGS&QUEENS FILMPRODUKTION, HAÏKU FILMS

映画レビュー

3.5 【忘却という名の防衛、沈黙という名の遺産。1991年ポーランド、錆びた標識の裏側に宿る真実】

2026年1月9日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

1991年という歴史の停滞期を、これほどまでに映画的な「沈黙」と「質感」で捉えた作品は稀有である。

本作『旅の終わりのたからもの』が提示するのは、ホロコーストという巨大な「不在」を巡る、痛烈なまでの肉体的な対話である。1991年のポーランド。鉄のカーテンが崩壊し、資本主義の濁流が歴史を上書きしようとする不安定な時空。この「過去がまだ生々しく腐敗している時代」の空気を、ユリア・フォン・ハインツ監督は彩度を削ぎ落とした寂れたトーンで完璧に醸成した。

特筆すべきは、言語的説明を排し、画(フレーム)そのものに物語を独白させる映画的演出の強度だ。アウシュヴィッツの引きのショット。等間隔に並ぶ焼却炉の残骸は、そこにかつて漂ったであろう醜悪な臭いすら消去された「無菌状態の地獄」として、その設計思想の異常性を網膜に焼き付ける。エデク(スティーヴン・フライ)が、現在の観光地化した「博物館」という呼称を拒絶し、「収容所」と言い直す瞬間の断絶。それは、歴史を安全な記号として去勢しようとする現代社会への痛烈な告発だ。

父娘の断絶は、そのまま「生存のための忘却」と「自己確立のための記録」の衝突である。娘ルーシー(レナ・ダナム)がホテルのレストランで頑なに「鳥のエサ」のような食事を摂り続ける姿。それは、父が経験した「欠落」を自らの肉体に刻もうとする、未体験世代の悲痛なコンプレックスの表出だ。中盤、彼女がバスタブに浸かり、自らに課した「禁欲」を破ってチョコを貪るショット。バスタブを浸食するスライムのように膨張した彼女の肉体は、精神論では解決し得ないトラウマの重力を象徴し、本作でもっとも官能的かつ残酷な映画的瞬間を形成している。

劇中で父から手渡される『失った腕のアリバイ』。それは、失われたものへの「幻肢痛」を抱えて生きる者たちの物語だ。エデクが娘に投げかける「パンプキン」という愛称。その滑稽な響きの裏に、彼が一生をかけて封印しようとした「最も愛し、最も傷ついた記憶の残影」が重なる瞬間、観客はこれまでの父娘の不毛な攻防のすべてが、痛切な鎮魂歌であったことを知る。

ラスト、空港へ向かう黄色いタクシーが遠ざかる中、画面中央に屹立する「錆びた標識の裏側」。何も描かれず、ただ風化していくその鉄板の質感こそが、エデクが抱え続けた沈黙であり、アウシュヴィッツの虚無であり、そして私たちが受け継ぐべき「答えのない歴史」そのものである。サバイバー特権でゴーカートに興じるという、滑稽でいて救いようのない現実の皮肉すらも、エンディングの旋律とともに「逃れられぬ影」として我々の足元に縫い付けられる。本作を観ることは、歴史を学ぶことではない。歴史という名の「錆びた鉄板」に、自らの指先を触れさせる儀式である。

X:物語の臨界を穿つ者|映画観測官(@kinemalover)

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物語の臨界を穿つ者|映画観測官

5.0 Pumpkin

2026年1月9日
iPhoneアプリから投稿
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ブレミンガー

2.5 過去と向き合う

Kさん
2026年1月9日
iPhoneアプリから投稿

《試写会にて鑑賞》

満たされない気持ちを抱える娘と
残酷な記憶を封印した父。

正反対で不器用なふたりの旅路に後半、感動しました。
ユーモラスで温かい物語。

収容所に到着してからさらに引き込まれました。
収容所全体を画面いっぱいに映してくれたことに感謝。
改めて歴史を学べました。

ただ、娘との旅の途中でそういうことをしてしまうのは
いただけない苦笑😅

本日はありがとうございました。

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K

5.0 虐げられるということは

2026年1月8日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

癒される

前トークショー付きの試写会で観させていただきました。ネタバレ回避しながらも“為になる”内容はとても有り難かったです。より映画を愉しめたのは間違いありません。

父エデクの自由奔放な行動にクスッとなりつつも垣間見る思慮深い表情やはぐらかすような言葉…フックになるポイントが、物語後半のルーシーの感情の揺れ動きにリンクして「あの時の表情は…そういうことかも」と腑に落ちる。何箇所か自然に散りばめられていてこの構成の感じ良いな好きだなと思いました。
この父娘の虐げられた体験は歴史的背景をみても私の想像力ではこと足りないとは思いますが、昨年観た「リアル•ペイン 心の旅」を観たあとにも生まれた虚無感や喪失感との付き合い方(向き合い方?)は再度、自分の中で課題となった。ルーシーのようにルーツを辿ることで心のパーツは埋まってゆくのだろうか。
身内が他界した時、戸籍謄本を読みながら自分が今ここにいる不思議に思いを馳せたことも思い出した。

帰りにポスターを見て「たからもの」の5文字が棒線でつながれているデザインなのを眺めながら旅の道筋を諦めずに繋いで行ったからこそみつけたもの(人との出逢い、ルーツの品々や家族の想い)色々がたからものだったなと優しい気持ちになれました。

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ききみみずきん