「上手く出来た映画」ダンサー・イン・ザ・ダーク ルビーさんの映画レビュー(感想・評価)
上手く出来た映画
この映画を見た最初の感想は「なんだよこのクソ映画!」でした。全部悪い方向に進んでいく…といえば聞こえはいいもの、ビルに金を取られてから殺すまでのくだり以外全部自業自得じゃねーか!というか諸悪の根源は見栄のためにリンダに本当の事言わなかったビルじゃねーか!って怒りが止まりませんでした。
でも、客観的に物語としてこの話を見てみると彼女に降りかかる不幸にはセルマのジーンへの愛を際立たせる役割があるんじゃないかと気が付きました。信仰のために殉教する聖人の伝説とかと同じで、自分がいかな不遇、苦痛に遭おうとも息子の為に健気にその境遇に甘んじ死ぬ母の美談というのがこの映画の本筋だと私は感じました。ただこの映画のミソはその重要な本筋である「母であるセルマ」が全体を通して霞みやすいところにあるのではと思います。セルマとジーンが直接会話するシーンって冒頭に集中してる上にかなり少ないんです。しかも大体の場面でセルマはジーンを叱ったり注意したりしている。息子への愛あればこそ厳しく接するのでしょうが、セルマが息子を愛していると周囲に話すシーンは結構あるのに実際に息子と話すシーンでは愛情表現をする描写が殆ど無い。ゆえに見ている我々にはいまいちセルマのジーンへの愛に実感が持てない。その上描写が序盤に偏ってるので、セルマが絞首台に向かう頃にはジーンの顔を思い出せないぐらい印象が薄まってくる。親子愛の美談なのに肝心のセルマのジーンへの愛情を感じられないのは致命的です。だからセルマの献身的な愛よりも社会的弱者が踏みにじられている状況が心に強く残り結末に救いを見いだせなくなる。これがこの映画を見た時の胸糞悪さの原因だと思いました。で、この親子愛の描写の少なさ、恐らくですが意図的に作られたものだと思います。だって終盤明らかにジーンの登場が減るじゃないですか?キャシーが面会に連れてくるとか絞首台にキャシーが来るシーンでワンシーンだけ外にいるジーンを映すとかで観客側にジーンの事を意識させる事はできるわけですよ。それをしなかったのは見た人の大半には単なる美談だと腑に落ちないで欲しかったからじゃないかと思うんです。単に美談で終わらせるなら別に主人公はチェコからの移民じゃなくていいし盲目じゃなくていいし、なんならシングルマザーじゃなくてもいい訳です。移民だからと裁判では冷ややかな目で裁かれ、目が見えないと働き口が見つからないから盲目であることを隠している。セルマは無実だが死刑執行後誰一人真実を知ることは出来ず、親に先立たれたジーンはこれから1人で生きていかなければならない。セルマが社会的弱者だからこそ、救いの無い結末を見終えた観客に移民差別や障害者雇用、死刑制度での冤罪といった問題を意識させることが出来る。この作品は、子への愛の美談を大筋に据えながらあえてその要素を薄くする事で社会問題について我々に問い掛けている、というのが私の見解です。
作品の狙いについて一通り考察したのでミュージカル要素についても軽く触れますが、ミュージカル映画では珍しくミュージカルパートが主人公の想像な訳ですが、この空想によるミュージカルパートが「頼れる親に類もおらず辛い境遇にありながらも息子の為だけに働いている」という想像、共感しにくい存在なセルマと私達観客を繋いでくれています。工場でのミュージカルの時点ではミュージカル好きなセルマの空想、といった感じでしたがビル殺害後からは現状が耐え難いセルマの現実逃避としての側面が強まり、明るく楽しいミュージカルとは裏腹に無情にも好転せず悪くなっていくばかりの現実に絶望するセルマの感情が私達観客にひしひしと伝わってくるいい表現だと感じました。
総評すると、上手く作られていて一枚岩とはいかないよく出来た作品なのですがやっぱりもう二度と見たくないです。特にビルからお金を盗まれるシーンは被害者なのに盗人のように扱われ泣き出すセルマが本当に痛ましいし自己保身しか考えないビルもビルの言う事しか聞かないリンダも腹立たしくて見てられないです。思い出しても嫌な気分になります。でも嫌な気分になるからこそ沢山考えさせられる作品だと思います。