劇場公開日 2025年10月31日

ひとつの机、ふたつの制服 : 映画評論・批評

2025年10月28日更新

2025年10月31日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほかにてロードショー

地震による破壊と再生が人間関係の崩壊と修復を対比させる

高校内での<スクール・カースト>と呼ばれるヒエラルキーを描くことは、「ブレックファスト・クラブ」(1985)や「ミーン・ガールズ」(2004)など、ハリウッド製青春映画の十八番。「ひとつの机、ふたつの制服」(2024)は1997年の台湾が舞台だが、<制服>が校内の格差を可視化させながら、物語を転がしてゆく機能をも担わせているのがポイント。冒頭の入学式場面では、学生番号を記した制服の識別証の色が、全日制の生徒は “太陽”をイメージした黄色、夜間部の生徒は“月”をイメージした白と異なっていることを視覚的にも観客へ伝達させている。校長は戸惑う生徒たちを前に「全日制だろうと夜間部だろうと、同じ第一女子校の生徒」と語るが、それは建前なのだ。実際には「夜間部はまがいもの、ニセの第一女子だ」と、全日制の生徒から蔑まれているからだ。

興味深いのは、全日制と夜間部の生徒が同じ机を共有することから、同じ机・椅子に着席する生徒同士を<机友>と呼んでいる点。夜間部の小愛(チェン・イェンフェイ)は全日制の敏敏(シャン・ジエルー)と顔を合わせた際、彼女から「桜木花道か流川楓なら?」と問われ、「流川楓」と答えたことから、ふたりは<机友>として親睦を深めるきっかけを得るのだ。今作は1990年代の高校生を描いているという点で、「あの頃、君を追いかけた」(2011)や「私の少女時代 Our Times」(2015)などの台湾製青春映画との共通点を見出せるが、劇中で井上雄彦の漫画「SLAM DUNK」が引用されているという共通点もあり、小愛と敏敏のやり取りからも当時の台湾でどれほどの人気があったのかを推し量れる。

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もうひとつ、この時代の台湾で重要なのは1999年9月21日に起こった921大地震。同時代を描いた「ひとつの机、ふたつの制服」でも物語の転機となる出来事として登場するが、「あの頃、君を追いかけた」や、男女5人が大学生から30代の大人になるまでを描いた台湾のテレビドラマ「16個夏天」(2014)でも、人々にとって“共通の記憶”である921大地震が人生の転機として描かれていた。これらの作品内で地震がもたらす破壊と再生は、人間関係における崩壊と修復との対比になっているのだ。一方で、「あの頃、君を追いかけた」や「私の少女時代」、「16個夏天」といった作品では、成人した登場人物たちの視点から青春時代を追憶することによって、時代の対比を導くという物語構成になっていたが、今作の場合は小愛の1997年から4年間の成長に特化して描くことで、“共通の記憶”を考察してみせているという違いがある。

ひとつの机、ふたつの制服」の物語は、小愛と敏敏が同じ男子生徒・路克(チウ・イータイ)に好意を寄せるという王道の展開によって、学内のヒエラルキーが再び顔を覗かせはじめる。戒厳令下を経て、民主化のプロセスにあった1990年代の台湾。自由を謳歌できるようになりつつあった時代であるからこそ生じる軋轢が、政治に対してではなく、今や己の間に生まれているという皮肉が描かれているのだ。小愛の母親は、戒厳令下に青春時代過ごした世代。1980年代の青春群像を描いた<台湾ニューシネマ>と呼ばれる作品群よりも、今作が未来の展望の方に重きを置いているのも、その物語構成ゆえだと解せる。映画の終盤では、小愛が敏敏と、或いは小愛と路克とが邂逅するシークエンスで、階段の高低差を利用しながらお互いのヒエラルキーに対する推移・変化を可視化させているという何気ない演出が見事だったりする。原題の「夜校女生」や英題の「The Uniform」と比べて、物語を端的に表現した日本版タイトルの美麗な言葉のリズムと響きが素晴らしいのも一興だ。

松崎健夫

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