クラッシュ(2005)のレビュー・感想・評価
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描いているのは人種差別だけじゃない。
◯作品全体
いろいろな人種の登場人物が現れ、それぞれの間に起きる「クラッシュ」を点描しているから「あぁ、この作品は人種差別を題材にした作品なんだな」と決めつけて作品を見ていたけれど、個人的には人種差別云々よりも、人と人の「わかりあえなさ」と「分かち合いたい感情」の揺さぶりが心に響く作品だった。
登場人物の弱さの描き方が巧い。親の介護や貧困、言語が通じないことや人種の偏見…どれも生活の中にあるありきたりな弱さだが、特別なものではないからこそ、その弱さに説得力がある。そしてその弱さが「社会からの疎外感」とつながっているところに「人種差別の作品」と簡単に言えない奥行きがある。
父の介護で眠れない白人警官・ライアンは職場でも差別主義者だと揶揄されている人物だが、父の介護を一人で行い、社会の手助けもうまく受けられない疎外感を持つ。白人の警察官というコミュニティにいながら、自分の生活の根幹部分の辛さはだれともわかりあえていないのだ。商店を営むファハドも言葉を交わせるのは家族だけで、店舗を経営するうえでわかりあえる人物はいない。
他の登場人物もそうだが、わかりあえず、わかり合おうとせずに自分の弱さを「クラッシュ」するときは誰も幸せになっていない。前半はそんな「クラッシュ」ばかりなのだが、相手をわかろうと、分かち合おうとする「クラッシュ」では少し風向きが変わってくる。
単に「ヒスパニック」「白人」「黒人」というようなレッテルではなく、その奥にある個々人の人生に触れれば分かち合えるという可能性を示すようで、それは人種だけでなく、パートナー同士の軋轢にも同様だと物語が語っていた。
一番心に刺さったのはテレビディレクターのキャメロン。職場でも波風を立てず、妻がライアンからのセクハラを受けていても冷静に対処していたように感じた。でもそれはやり過ごしているだけで、誰ともわかり合おうとせず、拒絶しているのと同じだ。自分の本心すらもわかり合おうとしないキャメロンの姿には自分自身と似ている部分もあって、終盤でキャメロンが警察官や妻に自分の気持ちをまっすぐぶつける姿にグッときた。
伝えたいことは人種差別だけではなくて、「顔しか見たことがない、なんとなくいけ好かない隣人」や「電車で隣りに座った横柄そうな人」とか、上っ面しか知らない人とわかり合おうとすること。それが人と人同士の幸せな「クラッシュ」につながるんだ…そんなメッセージを本作からは受け取った。
◯カメラワークとか
・玉ボケの演出。ファーストカットが車のライトの玉ボケから始まって、ラストはその玉ボケにピントが合って個々の車や街の灯りを見せる。
人種とか、そういう上っ面だけみたら玉ボケのように同じものとしてしか認識できないけれど、中身を見ていけば一人ひとり違う色や形、速度をしている…そういう演出として受け取った。
◯その他
・でも黒人刑事のグラハムはかわいそうだった。弟を探さなかったから死んだんだってのはグラハム自身が図星だと思ったとしても、母への気遣いさえ無下にされてしまっている。本作では唯一の報われない「分かち合う」だった気がする。自身の保身が代償として扱われているのだとしたら、かなり厳しいジャッジをする脚本だな…なんて思ってしまった。
・若手警官・トムもかわいそうだった。自分の考えをぶつけたのに、それでも勘違いして撃ってしまう役回り。「分かち合える」物を出そうとしているのに…それを見ることさえできれば行く末は全く違ったのに…そういう「あと僅か」の演出が凄かったな。
・階段から落ちて家政婦に助けられるジーンはちょっと腹立つ登場人物だったなあ。これを機に変わっていくのだろうけれど、一方的に「親友よ」とか言ってるあたり、今までの態度とかは帳消しみたいなスタンスなんだろうなコイツ…みたいに思っちゃったなあ。
【今作は、様々な人種同士の”衝突”が複雑に連関していく様を、数々のシーンで描き出した見事なるシニカルorヒューマン群像劇であり、登場人物同士の相関図を書きたくなる、脚本が抜群に上手い逸品でもある。】
<Caution!内容に触れています。>
ー この作品は、様々な人種間の”衝突”シーンが見事に連関する様を、凄いハイクオリティなる脚本で描き出している。驚きである。ー
■その凄い脚本設定の一部を記載する
1.差別主義者の白人警官(マット・ディロン)とそんな彼を嫌う若き同僚が、黒人TVディレクターとその妻が乗る車を停めて、TVディレクターの妻の身体を”完全にセクハラ行為”で調べるシーンからの、その白人警官が命懸けで事故に遭った黒人TVディレクターの妻を助ける姿。
2.妻が”セクハラ行為””をされたのに、何も抗議出来なくて、妻に詰られフラストレーションが溜まった黒人TVディレクターが自暴自棄になって、自分の車を停めた白人警察官達に怒鳴り込むも、差別主義者の白人警官を彼を嫌う若き警官に止められるシーン。
3.黒人の若者2人が、レストランでナカナカ食事が来なかった事に腹を立て、偶然見た白人検事(ブレンダン・フレイザー)と妻(サンドラ・ブロック)のSUVを銃で奪って逃げるシーンからの、白人検事の妻が日ごろから抱いている黒人蔑視思想が爆発するシーン。妻が怒りが収まらずに、ドアを直してくれているメキシコ系の錠前屋(マイケル・ペーニャ)の事を、ギャングと思い”全てのドアの鍵を変えてくれ!”と夫にヒステリックに叫ぶシーン。
だが、最後半、彼女が自宅の階段から転げ落ちた時に助けに来たのは、彼女が普段から軽視していた黒人メイドだったシーン。
4.その黒人の一人がヒッチハイクをした車の運転手が、差別主義者の白人警官を嫌う若き警官の車に乗せられるも、誤解から白人警官に車内で撃ち殺されるシーン。
5.もう一人の人種差別思想を持つ黒人青年が、白人検事夫婦から奪ったSUVでアジア人を車で轢いてしまった時の対応と、その車を売ろうとしたときに売買先の男から与えられたボロイバンに多数乗っていた密航して来たアジア人を、密かに自由の身にするシーン。
6.ペルシャ系の商店主が、ドアを直して貰うつもりだったメキシコ系の錠前屋の仕事が雑で、店内を荒らされた事に対し激昂して彼の家を訪れた際に、父を庇おうとした娘に発砲してしまうが、その前に購入した銃弾が空砲だった事から、娘の事を天使と呼ぶ姿・・。
<等々、書いて行くときりがないが、良くぞこれだけ入り組んだシニカルorヒューマン群像劇を書いたモノだと感服する作品である。
今作で数々登場する人たちに、真なる悪人は居ない。
今作は、ちょっとしたボタンの掛け違いで、差別主義者が善人になり、善人が悪意無き罪人になる様を、人種の壁を意識しつつ描き出した逸品なのである。>
いろいろなものがズシリときました
登場人物がとにかく豪華キャストで贅沢な作品でした
冒頭から人種差別がすごくて少し驚くほど
差別による暴力はないけど、あらかさまに差別発言をする警官、その警官だけじゃなくてそれぞれの人が違う人種の人への考え方がひどい
アジア系はみんな中国人、ペルシャ人でもイスラム系は一括り、そういう事自体が差別なのかもしれません
白人もアフリカ系もヒスパニック系も全員が全てハッピーな人じゃなくて、なにかしら悩み事や重いものを抱えている人達ばかり
誰かに焦点を当てたストーリーじゃなくて、それぞれの人が繋がっていくストーリー展開で新鮮でした
良い繋がりも悲しい繋がりもあり、それが後半一気に繋がっていきます
それで明るい未来が見える人もいれば、救われた気持ちになれる人、ただ悲しくなる人に傷付けられた人、いろいろです
一番傷付けられたと思えたのは刑事のグラハム
一番悲しくなったのは警察官のトム
特にトムは人種差別に嫌悪感を感じながら無意識に根底ではそういうものがあったように思えて、それがあの悲劇に繋がったように思います
登場人物全員にいろんな想いが湧いてきて、深い余韻が残る作品でした
感情と理性の葛藤
天使
袖すりあうも他生の縁…がまさかの展開
同じ街に暮らしながらも、それぞれ生きる場が違う人々。単にすれ違っただけの人もいれば、偶然の玉突きのような出会い・連鎖が、その人の人生を大きく変える。人生を立て直す人、取り戻す人、堕ちていく人…。
たくさんの糸が見事によりあわされて。
時に手に汗握り、時に癒され心が温かくなり、時に唖然とする。
個人的には天使のマントが好きだな。オチはやっぱりと言う感もあるけど、とても心に残る。
ラストのキャメロン・クリスティン夫妻、アンソニーがいい顔してますねぇ。
(テレンス氏&タンディさん、クリス氏)
グラハム。心が張り裂けそう。
(ドン氏の表情がいい)
ハンセン。ちょっとしたタイミングが違ったら結末は変わっていたと思うと、悔やみきれない。けど、その後の行動が…。あるよな人間には、こういうの。
(ライアン氏はこういう役やらせるとハマる)
他のレビュアーの方が言うように、ここまであからさまな差別や犯罪は日本には無いのかもしれない。
でも、教育格差等で、アンソニーらのように犯罪の周辺でしか生きられないと思い込んでいる子どもたちは日本でもすでに存在している。
グラハムとその母の関係は日本でもよく見かけ、胸が引き裂かれそうだ。
それに、
もし、あの時、私なら…決して他人事ではないエピソードの数々。常にイライラしている私。周りに気を使っていないように見せて気を使って日々を過ごしている私。ああ、ここに登場している人々のある部分は私だ。
どうせ縁を結ぶなら他生になるようにしたいと日々反省はしているけど…。
ラストは決してハッピーエンドばかりではないのだけれど、優しい音楽に包まれて「良い夢を」と本を閉じたくなるような終わり方。
ロスアンゼルスに生きる、ある人々の2日間を切り取った映画です。
最初は苦いけど、上質な酔いを堪能できます。
秀逸です。ぜひご覧ください。
変態じゃない方のクラッシュ。
バラードじゃない方のクラッシュ。ここ間違えると大変。
構成的には大好物のど真ん中なので、劇場公開時には観られなかったのが残念。
事故だけじゃなくてクラッシュしてる、みんな。現実ではこういう夥しい数の連鎖が起こっているのだろうか。でもそれを憎しみにするかどうかは、個人の選択なんだろうね。
救い
キャスト、物語共に文句なし
星3.8ぐらいの作品かな
久しぶりに観直したんだけど良かった
メルティングポットであるアメリカで暮らす様々な人々と
それらの人々の持つ差別、偏見、憎悪が色んな出来事を起こしていく
それぞれのエピソードも、考えてしまうような救いのなさがあり
とても深い情感を巻き起こす
現代アメリカを描いているように思えるなかなかの良作です
重いテーマ
人種差別を扱ったかなり重いテーマの物語で、2006年アカデミー賞作品賞を受賞した映画。アカデミー賞受賞作品は人種差別を扱った作品が多い気がする。
21世紀になっても、まだまだアメリカでは人種差別が多いんだなと痛感した。たとえ有名人でも高い地位の人でも、一旦何か少しでも隙があれば、陰湿な人種差別、イジメが起こってしまう。
同じ「クラッシュ」でも、クローネンバーグの「クラッシュ」もお勧めです(一部の人には)。間違って先にそっちを見てしまった(笑)。
二度見前提?
オスカー取った以外は予備知識ゼロでいま観終わりました。
いくつかのエピソードが同時進行したり交錯したり時間が戻ったりして、どれとどれが繋がっているのか、なぜこんなことが起きるのか、あの人とこの人関係あるんだっけとか???が山ほどあって、よほど勘がいいか、メモ取りながらじゃないとわからないことだらけです。
一貫してるのは人種差別らしいので主題はそこなんでしょうが、最後に全部がつながるわけでもなく支離滅裂のそしりは免れません。
なのに、脚本がいいのか、シーンのつなぎ方がいいのか、次はどうなるんだろうか、気になってあっという間に終わってしまって、こんなにわからないのにとても面白い魔法みたいな映画です。
では、解説読みに言ってきます。
解説や感想読んできました。やはり人種差別らしいです。話が繋がらないことはあまり気にしない人が多いようです。でも筋がわからんという人もかなりいるので、裏返せば私の疑問も正しようです。私は面白かったけど、ストレス溜まる人も多いでしょうね。
最後に、あのアラブ人の店壊したの誰だったんでしょう?これだけは全然わからない。
多民族国家アメリカ
公開当時、映画館観ていたが、ふとこの映画の事を思い出しました。しかし内容が詳しく思い出せず、再鑑賞。魂を揺さぶられる映画、脚本、俳優、演技…素晴らしい映画だと思います。
これが多民族国家アメリカの現実なんでしょう。そして良くも悪くも前大統領のトランプのお陰で人種の壁が表面化し、アメリカの分断が顕著になったんじゃないでしょうか。
この映画を観て、自分にも思い当たるが、人は時として善人(偽善者?)であるが、時として残酷な悪人にもなるという事を再認識しました。
いや、待てよ…観た直後は、『これがアメリカの現実』なんじゃないかと思っていましたが、よく考えると映画の中では全体的に人種差別がマイルドに表現されていたのではないでしょうか?リアルな人種差別はもっと残酷であろう。差別主義者の警官が、黒人を命をかけて助けるだろうか?差別主義者の女性が、怪我をして少し助けられただけで友人になるだろうか?
きっとこの世の中は、もっと残酷であろう…
人種のサラダボウル
観ていて気持ちの良い映画ではない。 むしろ胸糞悪い。 アメリカの黒...
観ていて気持ちの良い映画ではない。
むしろ胸糞悪い。
アメリカの黒人差別やその他の問題によって起こる負の連鎖の群像劇。
なのになんだこのパッケージは。
どこに感動があってどこで涙するのか。
最後だけそれっぽくしてるけど唐突すぎて意味不明。
確かに人には二面性があるけどそれにしても唐突。
観ていて不快な映画だった。
オスカー授賞式が発表されてから観ると、最後の「中国人め!」という台詞をアン・リーがどう感じたのか興味あるところです
それにしても、これはストーリーを追うのが大変。人間関係を書きとめるのも困難。誰がどの人種で・・・なんて把握するのは不可能に近い。と、自分の記憶力の弱さを露呈してしまうかのような映画でした。何が原因でどう連鎖してしまっているのかなんてどうでもいいことなのかもしれませんが、黒人2人組が車を盗むところから事件が始まりました。
人種も雑多なLAでは誰もが偏見を持っている。黒人・白人の対立だけではなく、プエルトリコ系、中国系、アラブ系等々、冒頭から中盤まではこの差別発言が飛び交って重くなる一方でしたが、やがて逆恨み・復讐、交通事故、等々些細なことから徐々に大きな繋がりを持つようになっていきます。唯一人種偏見の無さそうなライアン・フィリップでさえとんでもないことをやってしまいます。そうした重苦しい雰囲気の中でも、「透明マント」の話を信じた錠前屋の娘が一時の清涼剤となって心温かくなり、マット・ディロンだって警官の職務を全うするといった本来あるべき人間の姿を見せてくれて、ストーリー全体を引き締めてくれました。
結局、人種差別などの偏見を持った表面的には醜い人間であっても、本質的にはみな繋がりたい!人間らしさがあることを訴えたかったのでしょう。しかし、皮肉にもライアン・フィリップのような逆のパターンもあるので注意しなければなりません。なんだか考えさせられます。
そんな温かな人たちが多いのに、サンドラ・ブロックとブレンダン・フレイザーだけは浮いていました。ひょっとすると、この夫婦のように人間らしさを取り戻せないでいるアメリカ人が一般的なのかもしれませんけど、早く人の痛みをわかってもらいたいと思っていたら、階段から滑り落ちちゃいました。ブレンダン・フレイザーはトレジャーハンターだったり、その昔は原始人をやってましたから、この映画の役はちょっとピンときませんでした。
【2006年5月映画館にて】
行き詰まりのアメリカ社会の断層
人種差別と銃社会の問題を抱えたロサンゼルスを舞台に、様々な階層の人々の意識と行動を見つめ、アメリカ社会の歪みをクローズアップした意欲作。最後まで興味深く観たが、最も差別意識が低い警察官が勘違いとは言え黒人少年を射殺することや、黒人差別排除の為に失職した父に同情して、取り調べ中の黒人の婦人にセクハラする事と、偶然にも交通事故に遭ったその婦人を命からがら救助する脚本の創作が、あざとい。それも事実に基づいた現実の再現である作者の意気込みは充分理解するが、群像劇のドラマとしてよりドキュメンタリーで表現したほうが説得力を持つのではないか。登場人物のほとんどが神経症的表情で救いがなく、未来への希望を持てない暗いイメージが固定化されている。俳優の演技を楽しみ味わう題材ではない。
これは自国のアメリカ人の為に作られた問題提起のメッセージ映画であり、日本に安住するものには限界がある。
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