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◯作品全体
いろいろな人種の登場人物が現れ、それぞれの間に起きる「クラッシュ」を点描しているから「あぁ、この作品は人種差別を題材にした作品なんだな」と決めつけて作品を見ていたけれど、個人的には人種差別云々よりも、人と人の「わかりあえなさ」と「分かち合いたい感情」の揺さぶりが心に響く作品だった。
登場人物の弱さの描き方が巧い。親の介護や貧困、言語が通じないことや人種の偏見…どれも生活の中にあるありきたりな弱さだが、特別なものではないからこそ、その弱さに説得力がある。そしてその弱さが「社会からの疎外感」とつながっているところに「人種差別の作品」と簡単に言えない奥行きがある。
父の介護で眠れない白人警官・ライアンは職場でも差別主義者だと揶揄されている人物だが、父の介護を一人で行い、社会の手助けもうまく受けられない疎外感を持つ。白人の警察官というコミュニティにいながら、自分の生活の根幹部分の辛さはだれともわかりあえていないのだ。商店を営むファハドも言葉を交わせるのは家族だけで、店舗を経営するうえでわかりあえる人物はいない。
他の登場人物もそうだが、わかりあえず、わかり合おうとせずに自分の弱さを「クラッシュ」するときは誰も幸せになっていない。前半はそんな「クラッシュ」ばかりなのだが、相手をわかろうと、分かち合おうとする「クラッシュ」では少し風向きが変わってくる。
単に「ヒスパニック」「白人」「黒人」というようなレッテルではなく、その奥にある個々人の人生に触れれば分かち合えるという可能性を示すようで、それは人種だけでなく、パートナー同士の軋轢にも同様だと物語が語っていた。
一番心に刺さったのはテレビディレクターのキャメロン。職場でも波風を立てず、妻がライアンからのセクハラを受けていても冷静に対処していたように感じた。でもそれはやり過ごしているだけで、誰ともわかり合おうとせず、拒絶しているのと同じだ。自分の本心すらもわかり合おうとしないキャメロンの姿には自分自身と似ている部分もあって、終盤でキャメロンが警察官や妻に自分の気持ちをまっすぐぶつける姿にグッときた。
伝えたいことは人種差別だけではなくて、「顔しか見たことがない、なんとなくいけ好かない隣人」や「電車で隣りに座った横柄そうな人」とか、上っ面しか知らない人とわかり合おうとすること。それが人と人同士の幸せな「クラッシュ」につながるんだ…そんなメッセージを本作からは受け取った。
◯カメラワークとか
・玉ボケの演出。ファーストカットが車のライトの玉ボケから始まって、ラストはその玉ボケにピントが合って個々の車や街の灯りを見せる。
人種とか、そういう上っ面だけみたら玉ボケのように同じものとしてしか認識できないけれど、中身を見ていけば一人ひとり違う色や形、速度をしている…そういう演出として受け取った。
◯その他
・でも黒人刑事のグラハムはかわいそうだった。弟を探さなかったから死んだんだってのはグラハム自身が図星だと思ったとしても、母への気遣いさえ無下にされてしまっている。本作では唯一の報われない「分かち合う」だった気がする。自身の保身が代償として扱われているのだとしたら、かなり厳しいジャッジをする脚本だな…なんて思ってしまった。
・若手警官・トムもかわいそうだった。自分の考えをぶつけたのに、それでも勘違いして撃ってしまう役回り。「分かち合える」物を出そうとしているのに…それを見ることさえできれば行く末は全く違ったのに…そういう「あと僅か」の演出が凄かったな。
・階段から落ちて家政婦に助けられるジーンはちょっと腹立つ登場人物だったなあ。これを機に変わっていくのだろうけれど、一方的に「親友よ」とか言ってるあたり、今までの態度とかは帳消しみたいなスタンスなんだろうなコイツ…みたいに思っちゃったなあ。