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今年のアカデミー賞を総なめするんじゃないかと言われてる、ブルースホラー映画。
自分の夢を叶えるためには何かを犠牲にしなくてはいけないという神話の時代からの物語を否定的にとらえ、自分らしく生きることこそが美しいと力強く描く傑作。
映画公式サイトがジュークジョイントのこと、全く文化的センスなく、ダンスホールって訳してて、字幕大丈夫かなとドキドキしてみてましたが、サラッと酒場って訳しててまずはホッとしました。
前半ヒューマンドラマ、後半ホラーときいてましたが、そういう先入観持たない方が楽しめるんじゃないですかね。映画的な仕掛け、伏線からの回収などがしっかり地続きで、単純にエロくてカッコいい、デートムービー向けホラーでした。
まあ、ホラー映画ですよと言われると、ホラー初心者向けって感じで物足りないのもわかります。心霊とかじゃないからあんまり怖くないし。まあセックスしたら死亡フラグみたいな懐かしさはあるので、昔のホラー映画ぽい感覚ですね。ホラー苦手な方もまあ大丈夫なレベルかと思います。
劇中、ブルース音楽が好きな方にはおなじみの黒人特有の文化的なキーワード(キャットフィッシュ、モジョなど)や差別的なスラングは日本語訳でやわらかい表現になってるため、少しわかりづらいのかも知れませんが、ボクが観た回は、初日ということもあり場内外国人のお客さんが多くて、言葉わかるからかめちゃくちゃウケてました。1番うけてたの、ち○こ映るとこだけどな。
とにかく音楽と編集がすごいので気軽に楽しんでいただき、ブルースってカッコいいなーくらい思ってもらえたら、いちブルースファンとしてこんなにうれしいことはありません🙇
※ちなみにボク自身は70年代の日本のブルースブームはあとで知った世代で、80年代後半くらいから、リスナー、プレイヤーとして、ライブ活動やブルースセッションでの交流など、わりかしどっぷりブルースにハマってきたタイプの人間です。とは言え、誤りがありましたらコメント欄でご指摘いただけましたらうれしいです。
まず、バンパイヤを呼び寄せるきっかけになった中盤のあのシーンについて。ここで、ブラックパンサーから継続したアフロフューチャーリズムが早くも登場します。
※アフロフューチャーリズムというのは、テクノロジー、未来、宇宙と黒人文化が結びついた、アフリカ系のアーティストが表現するユートピア思想のこと。例えば黒人によって作られたエジプト文明が滅ばずに今も最先端のテクノロジーとして発展する世界線、みたいなことです。
頭のショットで突拍子もない衣装で黒人がギター弾いてますが、あの衣装は明らかパーラメントとかEW&Fといったグループのコンセプトだったアフロフューチャーリズムを表現してるものです。ライアン監督の好きなヒップホップだとアフリカ・バンバータとかも初期は同様のアプローチでしたね。
ここ、なんでジミヘンじゃないか?というところがポイントなんですよね。特定のミュージシャンじゃないのは、明確にアフロフューチャーリズムの普遍性を表現したかったんでしょう。ご丁寧に頭とおしりで2回も彼が登場します。
ブラックミュージックの継続性も表現してますが、関連のない京劇もいれてるのは、監督が、やっぱりアフロフューチャーリズムが大好きなだけなんじゃないかと思ってしまいますね。せや、ここに入れとこ!みたいな😆
音楽的な表現としては、最後に全部持っていくのが、年老いたサミーを演じる、レジェンドブルースマンのバディガイなのが痛快なのですが、これは後ほど。
ブルースは、個人の孤独や失恋を歌ってるイメージがあるかと思いますが、実は元々はえげつない下ネタソングも多いし、つまりは欲望、願望をストレートに歌ってるわけです。そこがゴスペル側からみたら悪魔の音楽ってことなんですよね。
この映画では劇中のブルース曲はシリアスなテーマに振ってるので、性的な欲望は、セリフやお芝居で表現してるんですね。
ここのところは、悪魔と契約してブルースを手に入れたというクロスロード伝説とは、少し距離を置いて考える必要があるように思いました。
この映画はクロスロード伝説をちらつかせつつ、かなり周到に、クロスロード伝説の主人公のロバートジョンソンのように安易に魂(自己)を差し出して、才能や富や名声を得るという誘惑にのるということを否定しているように受けとめました。
その証拠に劇中でもロバートジョンソンじゃなくてチャーリーパットンの名前出してますし、おまけ映像で冒頭のゴスペルの曲をブルースにアレンジして演奏して、サミーの音楽の根っこがゴスペルにあると示し、ゴスペルとブルースの関連性なども伝えてるのかと思います。
むしろ、映画ラストの年老いたサミーが、バンパイヤになれば永遠の命が手に入るという提案をされますが拒否し、人間として死ぬことを選ぶこと。ここをクロスロードと逆の構図にして、人間らしく生きることの大切さを伝えているのかと思います。
映画では描かれないサミーの生き様を想像させるような感動のラストシークエンスだと思いました。
2020年代にスクリーンの大画面でバティガイのギター弾き語りの一発撮り!録音マイクから周りのピーンと張り詰めた空気伝わりました。監督、ありがとうございます。あんた、最高だよ。
バディガイは、あのブルースブラザース に対してのオリジナルブルースブラザース と呼ばれたコンビの片割れです。ボクは60年代くらいシカゴブルースで活躍してた頃のバディガイが一番好きです。
90年代にはジェフベックらゲストミュージシャン入りのアルバムでグラミーもとりましたが、その頃の日本でのライブは、観客に媚びすぎで、ライブに一緒に行った友人達と今の言葉でいうとオワコン認定するほどでした。まあ、ファンに感謝してファンが喜ぶことを優先させちゃう、人の良さ、それがバディガイというブルースマンの魅力であり、欠点といいますか。
そんな風にキャリアがめちゃくちゃ長い、バディガイ。セリフでも、あんたのアルバム全部持ってるけど、生ギターのやつが最高だぜ、の流れから弾き語りになりますが、実際のバディガイもアコースティックギターの音源はたしかアルバム1枚しかないし、(ジュニアウェルズと共同のものも1枚しかないかも)、キャリア的にはエレキギターメインのブルースマンなのです。
映画内の残された時間はわずか、というところでバディの実年齢が90歳に近いとこで、リアリティがありすぎてどうしても泣いてしまいます。このシーン、ヘイリーが自分のおじいちゃんを見てるみたいな切ない、いい顔するんですよね。
ちなみに弾き語り前のライブシーンのエレキギター弾くところの実際の音源は、バディガイの横でギター弾いてるキングフィッシュか、エリックゲイル(ズ)じゃないかというのが、ボクの見立てです。バディ以外のミュージシャンが画面に登場しないけど、ここはバディの謙虚さでキングフィッシュの登場となったんじゃないかなと予想。バディとしては有望な後輩にここから先のブルースシーンを託してる意味もあるんだと思います。
気になってたもうひとりのブルースマン、ボビーラッシュは、ハーモニカの吹き替えだけで、出演はなかったように思いました。吹き替えてる役者さんが微妙にボビーラッシュに似てて、まさかねーとは思わされましたが。
この映画、大ヒットした音楽映画「はじまりのうた」に対するアンサームービーの意図もあるような気がしました。
「はじまりのうた」はブラックミュージックをけなしてる構図になってます。
中盤のあのシーンで未来といいつつ、今のブラックミュージック見せたりもそのためだし、「はじまりのうた」のプロデューサーの娘を演じたヘイリーを本作のすごく重要な役で登場させてるのはそうことじゃないですかね。しかもクレオール(雑にいうと黒人と白人のクォーター)って設定が憎い。
音楽的にもアイルランド勢が活躍してるとこはケルト、黒人勢の見せ場はブルース、とシームレスに繋ぐという、ものすごいことやってました。このあたりもアカデミー賞でも評価されるんじゃないですかね。
検証してないので話半分で聞いてもらいたいのですが、サムの歌のハミングのところの音階が、冒頭のアニメのアフリカ呪術の音と一致。この音階がブルース最大の発見であるブルーノートスケールをなぞってるんじゃないかなと。
音楽評論家の方のnoteでサミーがやってる「Travelin'」とバディガイのは、コードが違うという話からの、サミーのはカントリーとのミクスチュアを意味してるという内容を読みました。
たしかに若いサミーの時代は、年老いたサミーが弾いたコード(いわゆるブルース進行)のものが実は少ないということもわかりますし、ブルース進行は、50年代以降のシカゴブルースから一般化したのですよね。
若いサミーの時代はブルースが実際にはブルースとカントリーは影響しあったことももちろんわかりますが、ここはゴスペルとブルースのミックスを示してると考えてた方がこの映画的にはしっくりくる気がしましたね。
具体的には先日亡くなったスライの名曲、スタンドをサウンドオブブラックネスがカバーしたあたりから、ゴスペルのアルバムにソウルやロックのミュージシャンが参加したりと、リアルではゴスペル自体もミクスチュアが進行しているように受けとめております。
と考えていくと、黒人が迫害された歴史や音楽が白人に盗用されたメタファーとして、白人のパンバイヤが襲ってくるという受け止め方は、どうもそこじゃないんだよな、という気がしてます。そんな差別、迫害メインでここまでアメリカでヒットするわけないしなと。
音楽好きの方なら、いやいや黒人も白人もミュージシャン同志は、お互いリスペクトして影響しあってきたやんということもご存知のはず。はい、なのでホラーパートは、はっきり言うとゴスペル、ブルース、カントリー(劇中ではアイルランド民謡)が、影響しあうミクスチュアを刺激的に表現してるというのが結論です。