ホラージャンルということで劇場公開時は鑑賞を見送っていたが、アカデミー賞最多ノミネートという評価を受け、改めて本作を観た。
なるほど、これは確かに単なるホラー映画ではない。
ホラー表現自体は控えめで、いわゆるホラーが苦手な人でも十分に鑑賞できる作品だと感じた。
本作が際立っているのは、直接的な言葉を用いずに、吸血鬼という存在、ブルース、そしてギターというモチーフを通して、白人社会やアメリカ史への告発を描いている点だ。
同時にそれは、成功してしまった黒人クリエイターである監督自身の、極めて個人的な自己告白にもなっている。
本作は、差別されてきた黒人を単純な「被害者」として描くのではなく「なぜこの構造が生まれ、誰が罪人だったのか」を問い続ける。
本当に罪深いのは、“構造を作った誰か一人”ではない。
それを作り、利用し、黙認し、引き継いできた無数の人間たちだ。
生き延びるために、大切な人を守るために、家に招き入れざるを得なかった。
たとえ朝まで待ったとしても、世界は変わらない。
では、誰がそんな状況を作ったのか。
差別的な法律を作った政治家。
それに従った警察。
黙って利益を得た企業。
見て見ぬふりをした市民。
そして、生き残るために同じ仕組みを使わざるを得なかった被害者側の人間。
罪の重さに違いはあれど、ひとりひとりが少しずつ関与してきた、その事実が本作から強く伝わってくる。
だからこそ、この作品は誰かをヒーローにすることも、わかりやすいハッピーエンドを用意することもしなかったのだろう。
今の自分の行動が、バタフライエフェクトのように、遠い未来で誰かを苦しめるかもしれない。
監督自身もまた、この構造の中で生きてきた一人だからこそ「一緒に考えてほしい」という静かな、しかし強いメッセージを投げかけているように感じた。