選挙と鬱

劇場公開日:2025年6月28日

解説・あらすじ

2022年の参議院議員選挙に立候補した水道橋博士の選挙活動に密着し、奇跡的な当選からうつ病による議員辞任とその後を追ったドキュメンタリー。

2022年6月、お笑いタレントの水道橋博士は、参議院議員選挙にれいわ新選組から急きょ立候補することになった。弟子や元マネージャー、仲間の芸人たちで構成された素人チームは、手探りでドタバタな選挙活動に奔走。モハメド・アリの名言「Me We(私はあなたたちだ。あなたたちは私だ)」から民主主義の根幹としての政策を打ち出した水道橋博士は、比例代表候補として全国を飛び回り、奇跡的に当選を勝ち取る。しかし国会初登院からわずか3カ月後、水道橋博士はうつ病を発症し、休職と辞任を余儀なくされる。

監督は「東京自転車節」「フジヤマコットントン」の青柳拓。持ち前の人懐こい性格を生かして選挙活動チームの一員となった青柳監督が、内側から選挙活動のディテールを映し出すとともに、うつ病による辞任とその後まで追い続けることで、個人視点から社会を浮かびあがらせていく。

2025年製作/124分/日本
配給:ノンデライコ
劇場公開日:2025年6月28日

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映画レビュー

4.0選挙と、自転車(東京自転車節、その後)

2025年7月20日
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鑑賞方法:映画館

 選挙を題材にしたドキュメンタリーを知ると、なぜか素通りできない。多少の無理をしてでも、駆けつたくなる。それは多分、ふたつの理由がある。まずは、自分の一票がどのように政治に繋がっていくのか、知りたいから。そして、何かと大変そうな選挙にあえて立候補し、まず褒めらない、むしろ貶されるばかりの政治家になろうとする人の気持ちを、少しでも知りたいと思うからだ。(深夜の郵便局で必死に切手貼りをする姿(「選挙2」)や、供託金300万円没収覚悟で選挙に挑む姿(「立候補」)が、今も忘れられない。)今回もまた、少々半端な上映時間に、無事滑り込めて安堵した。
 本作の監督は、「東京自転車節」の青柳拓監督。前作は、コロナ禍で需要が増したウーバーイーツで働き始めた監督のセルフドキュメンタリーだ。肩の力が抜けた語り口で、笑いを誘うエピソードを織り交ぜながらも、奨学金の重い負担や、コロナ禍の出口が見えない閉塞感が全編を覆う。笑ってしまうが故に、暗い気持ちにもなった。あれから4年。あの青柳監督が、新作を撮った!ということが、素直にうれしかった。
 思いがけない誘いを受け、新たな世界に踏み入れた立候補者・水道橋博士と、ドキュメンタリー担当者・青柳監督。手探りの中で、一ヶ月余の選挙戦に挑む。ドラクエっぽい、電子音の音楽と、ぎざぎざフォントの字幕による描写が小気味よい。奮闘する2人のユーモアと、ふと見せる孤独が、どこか共鳴していて、観る者を惹きつける。選挙アドバイザーの敏腕ぶりや、地元での反応の薄さ、ニコ動での匿名の言葉の暴力等、もやもやする引っ掛かりを、素直に表出できるのは、青柳監督の強みかもしれないと感じた。
 政治的信条はさておき、ドキュメンタリーであっても、主役には活躍してほしいし、成長と成功を期待したくなる。強大な後ろ盾はなくても、アイデアを出し合い、手応えを積み重ねていく博士チーム。空振りや失敗にひやひやしても、笑いと挑戦は忘れない。そして、彼らがいよいよ迎えた運命の日…。
 予告からもタイトルからも、晴れやかな初登院がゴールではないことは、分かっていた。けれども、一ヶ月の頑張りを目の当たりにしてきたからこそ、「ここで終わってもいい、このまま席を立ってしまいたい」という気持ちにもなった。そんな気の迷いを起こさせるには十分過ぎる「中締め」。ためらっているうち、避けようのない第2部が始まった。
 主役が不在となってしまう都合上、情報も尺も限りがある。「と」で繋いでいるけれど、2部というよりエピローグなのでは、と初めこそ感じた。ところが、どうしてどうして。長い空白期間を経て、ようやく姿を現した博士が、自転車に乗り始めたとたん、一気に画面が色付いたのだ。
 つくづく、自転車は不思議な乗り物だと思う。爽快で小回りが効くけれど、雨が降ればずぶ濡れになるし、階段では引いて歩くしかない。けれども、ウーバーイーツに勤しむ2人は、生き生きとしていた。そしてたどり着く、至福のラスト。この数分間こそが、本作の真髄だとしみじみ感じた。誰かと一緒に走らせれば苦労が半減する、それも自転車の魅力なのかもしれない。本作は、選挙映画であり、燦然と輝く自転車映画でもある。

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cma

3.0なんやかんや、多くの人に観てもらいたいのは間違いないっ!

2025年7月25日
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鑑賞方法:映画館

知的

驚く

ずっと観たかった映画だったが、今日上映されていることに気づき、急遽鑑賞した。

前半では、まったくの素人集団で選挙に挑むれいわ新選組の姿に、ある程度予想はしていたとはいえ、やはり驚かされた。

終演後のトークイベントには、監督や水道橋博士とともに、今回の参議院選挙で当選したゲスト・ラサール石井氏も登壇。彼は「社民党には、しっかりした選挙の専門家がいる」と明言した。自民党の新人候補を追ったドキュメンタリー映画『選挙』でも、手厚くサポートするプロの姿が描かれていたことを思い出す。

なんと69歳のラサール氏は、「選挙カーにいればマイクを握って手を振り続け、降りれば演説の連続。休む暇もなく、しかもサウナのような暑さで本当に過酷だった」と振り返り、それに博士も大きく頷いていた。

ラサール氏も博士も、そして山本太郎氏も、それぞれの本業をキャンセルしてまで、バッシングを受けやすい「タレント議員」という立場になるのは、相当な覚悟と志が必要だったに違いない。

つまり、「桃鉄でいうところのキングボンビーが25年間つきまとっていたのを、もう追い払わざるを得ない」という強い気持ちが、彼らを突き動かしたのだろう。

れいわや社民党の政策に共感できない人でも、その覚悟と姿勢には敬意を払ってほしいと思った。

山本太郎氏の男気には驚かされたし、博士の一本気なところも素晴らしく思えた。

また、他の人も書いていたように、「大人の青春映画」であり、「見事な伏線回収」がある作品でもあった。

ただ、なぜかは自分でもよくわからないが、私はこの映画にあまり「感情を揺さぶられ、熱くなる」ことはできなかった。

もう少し、鬱(正確には双極性障害、いわゆる躁うつ病)の苦しみに踏み込んでほしかった。その点が、少しもどかしくもある。

なお、登壇はしなかったものの、会場には東国原英夫氏の姿もあった。なんだか“得した回”だった気がする。

そして──本当にどうでもいい余談だが、もし相方が出馬したら、立候補名はどうなるのだろう? NHK方式でいくと、「知恵袋賢太郎」か?(笑)

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スー(ジェーンじゃない方)

4.0前半の選挙戦を追いかけるパートも見応えあるが、後半の博士の鬱からの...

2025年7月19日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

前半の選挙戦を追いかけるパートも見応えあるが、後半の博士の鬱からの復活、ある映画の名台詞がバッチリ決まるラストシーンは感動的ですね。

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teraox

4.53本の映画が絡みあって出来上がった不思議な縁

2025年7月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

奇しくも参議院選挙最終日に、「浅草キッド」のロケ地の上田映劇で、水道橋博士と青柳監督の舞台挨拶付きで鑑賞。
映画は、ある意味、これ以上ない見事な伏線回収で終わるが、普通に観るだけではわからなかった製作背景まで伺う事ができて、更に世界が広がった。

<ここから内容に触れた感想>

○青柳監督は、「東京自転車節」に感動した町山智浩さんからのオファーで、水道橋博士の22年7月の参議院選挙を追いかけることになった。水道橋博士は見事に当選するものの、鬱病が発症し、3ヶ月で療養休暇入り。そして、翌年1月には議員辞職。
青柳監督はしばらく距離を置いていたが、8月におよそ一年ぶりに博士と再開。その時に、青柳監督が「東京自転車節」でも描いた「Uber eats」を、「身体を動かすことが鬱病にもよいから」と指南する。
自転車とくれば、博士の敬愛する師匠の北野武が撮った「キッズリターン」。あの名台詞が、どういうシチュエーションで飛び出てくるのかはここでは語らないが、とにかくお見事だった。

○更にそこに加わっていたのが、実は「福田村事件」だったというのが、今回の大収穫。
参議院議員として活動する博士は、以前から受けていた「福田村事件」の撮影のため、東京と京都を行き来する生活の中で、日頃のリベラルな活動と真反対の軍国主義者の役を演じて、心身共に疲労していた事が、鬱病発症の引き金になった可能性もあったとのこと。かの作品での、博士のやや硬い演技が蘇った。
でもそうやって、3本の映画が絡みあって出来上がったのが本作という、映画がつなぐ不思議な縁を感じる。

○鬱病に関して。
どうして、精神疾患と言われる病気は、「原因」ということが問題にされるのだろう。(もちろん、発症の引き金はあると思うが)
例えば感染症は、新型コロナの時は別だったが、「原因」は、ことさら問題にはされないと思うし、手術が必要な病気も「原因」ではなく、どうやって治すのかが関心事。
自分が昨年突然発症したいわゆる膠原病の一つである指定難病も、「原因」は一切わからないので誰でも発症する可能性があるし、完治がないから、いかに安定した状態で症状固定(寛解と言われる)させていかれるかが大切だ。
鬱病も、同じように誰でもなる可能性があるし、完治というより寛解を目指す病気ではないかと思う。それなのに、「原因」が問題にされてしまうのは、それさえ解決すれば、元通りになるという素朴な考えなのか、「病は気から」ということで、気の持ちようでなんとかなると思われているのか…。

○お金があることは、偉いこと?
本作の中でも出てくる、持てる者と持たざる者の歪な上下関係。金があれば居丈高な振る舞いが許されると思っている感覚は、「本心」のリアルアバターのシーンや、「ニューヨークオールドアパートメント」の配達途中の事故シーンでも、持てる者達から感じたのだが…。なんか気持ちが貧しいなぁ。
アフタートークで、そのハラスメントを受けた博士が、咄嗟に「このシーンは美味しくなるぞと思った」というエピソード紹介があったが、その軽やかさは、とても素敵だなと思った。

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sow_miya