劇場公開日 2025年1月31日

「ナレーションは英語だった。」映画を愛する君へ 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ナレーションは英語だった。

2025年2月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

この映画は、「アメリカは(エジソンにより)最初の映像(キネトスコープ)を発明したが、フランスは(リュミエール兄弟により)映画(シネマトグラフ)を見出した」という言葉で始まる。この「映画の歴史」の部分で、英語のナレーションを務めるのは、フランスの俳優で監督をすることもあるマチュー・アマルレック。

50を超える映画のドキュメンタリー・タッチの紹介に、アルノー・デプレシャン監督の「個人史」が入れ子のように挟み込まれる、彼の分身であるポール・デダリュスが(4人の子役や俳優たちによって)6歳の子供の頃から、いかに映画と親しみ、学校、大学を経て、映画評論家となるが、やがて映画監督に転身してゆくかが、フランス語のドラマ(フィクション)の形で描かれる。

ポイントは、二つあるように思われた。
一つは、パリ第3大学の講義で、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの引き写しと思われる「演劇では、観客の座る位置によって見えるものが異なるが、映画では、監督の(ただ一つの)視点に委ねられる」という言葉が、ドラマの一部として出てくる。講義のすぐ後、
「映画の歴史」の一部として「ノッチングヒルの恋人」でのヒュー・グラントとジュリア・ロバーツの一場面に繋がってゆく。

「映画の歴史」と「個人史」が交錯する最大の場面が、クロード・ランズマンの「ショア」。ポールに最大の衝撃を与えた映画として、ホロコーストを取り扱った9時間半に及ぶ映画が紹介された後、この映画の代表的な論客であるユダヤ人女性学者ショシャナ・フェルマンへの(テルアヴィブでの)インタヴューが出てくる。映画は、もう誰も見ることができない(あるいは隠している)情景を切り取って見せることができる、これが最大のメッセージか。映画作家には、重い責任があるわけだ。

一見すると、フランス映画らしく晦渋で、何を言いたいのか、さっぱりわからない、ということになるだろう。しかし、英語のナレーションとフランス語のドラマに代表されるように、アルノー監督は多面的で、映画を劇場で見ることだけでなく、テレビやストリーミングで観ることも許容しているのだ。彼の「個人史」が、それを示しているように。この映画の原題にそれが現れているSpectateurs(観客たち)。

詠み人知らず