「おかっぱよりも風圧を選択するトム」ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
おかっぱよりも風圧を選択するトム
映画版1作目で、
あろうことかフェルプスを亡き者にして、
新キャラ、イーサン・ハントでのスタートは、
さまざまな話題を呼んだシリーズの、
その根底に流れるDNAを呼び起こす。
そして、その流れを未来に繋ぐかのような、
まさに究極のエンターテイメント作品となっている。
本作でラストなのかどうかはわからないが、
「ファイナル」というタイトルを冠する意味を、
観客は肌で感じることになるだろう。
〈このテープは自動的に消滅する〉
という導入から始まる、
VHSでもベータでもない、
謎のテープ、
不思議なメディア、ガジェットが、
イーサン・ハントの前に提示されるその瞬間から、
「ミッション:インポッシブル」【スパイ大作戦】が、
辿ってきた壮大な旅路へと引き込まれるように、
細かなカットの連続に見入ってしまう。
ミッションを受けるまでのプロセスが、
時にレコードやオープンリールのテープ、
電話ボックスといった、
アナログメディアを駆使し、
バラエティに富んだ演出を見せていた、
テレビシリーズのシーズン1を思い出す。
メディアが自動的に消滅せず、
ブリックス自ら処分する(シーズン2以降はフェルプス)回もあった、
オリジナルシリーズの遊び心と緊張感、
そして細部へのこだわりが、
本作を単なるアクション映画の枠を超えた、
特別な存在に押し上げている。
本作の根底には、
シリーズの生みの親、
冒頭のクレジットにもあるブルース・ゲラーが築き上げた、
おもしろすぎるアイデアの数々が脈々と息づいている。
全編にわたって耳にするラロ・シフリンの象徴的なアレンジの多用は、
長年のファンにとっては何物にも代えがたいだろう。
それは単なるBGMではなく、
作品の血肉となって観客の心に高揚と郷愁を呼び起こす。
さらに、驚いたのはフェルプスの息子まで登場し、
イーサンと握手を交わす。
これは、
やはりファイナルなのかという驚きと感動を与えてくれる。
単なるファンサービスではなく、
過去と現在、
そして未来へと続いてほしいシリーズの壮大な物語性を感じさせる瞬間だ。
おかっぱのトムはかっこよくない、
編集でカットする事もできただろう、
だが、
かっこわるいよりも、
風圧のものすごさを魅せる、
作品のクオリティを上げる選択をする、
トムがかっこいい。
「イーサンならやってくれる、世界の危機から救ってくれる」
そして、
〈トムならやってくれる、映画の危機から救ってくれる〉
そんな過去への深いオマージュと、未来に向けた力強い意志が、
世界を背負ったイーサンには漲っていて、
やっぱりトムなら次もやってくれそう・・
「僕を信じてほしい」という背中に哀愁を感じた。
【蛇足】
「映画はオワコン」という共通認識が囁かれる現代において、
トム・クルーズとクリストファー・マッカリーは、
『ローグ・ネイション』以降、
作品の軸足を「チームワーク」から「イーサン・ハント個人の超絶技巧」へと大胆に変革させてきたことは、
製作費200億円、
興収2000億円の、
観客動員こそが、
最重要ミッションとされる、
まさに現代エンターテインメント界における、
生存戦略の最前線を示すものだ。
もはや映画は単なる〈クリエイティブ〉な表現の場に留まらない。
そこには、観客への〈ホスピタリティ〉、
すなわち「いかに圧倒的な体験を提供できるか」
という興行師としてのセンスと哲学が色濃く反映されている。
これは、他ジャンルに例えるなら、
サーカスの空中ブランコ芸人が、
華麗な技術を磨くこと以上に、
「セーフティネットを外す」ことで観客の度肝を抜く、
という行為に近い。
あるいは、
プロレスラーが鍛え抜かれた技を披露するだけでなく、
「金網デスマッチ」や「電流爆破」といった危険な装置を導入して、
観客の原始的な興奮を煽ることに似ている。
危険であればあるほど、観客は熱狂する。
この原則は、古代ローマ帝国の剣闘士の時代から、
バスター・キートン、ジャッキー・チェンといったアクションスターに至るまで、脈々と受け継がれてきたエンターテインメントの普遍的な真理だ。
そして、その極致が今、『ファイナル・レコニング』で繰り広げられる。
トム・クルーズが「役者が死ぬかもしれない」と思わせるほどのスタントに挑む姿は、もはや演技の範疇を超え、命を懸けた「見世物」としての本質を露わにする。
映画界のライバルは、
もはや他の映画作品ではない。
MLBであり、サッカーであり、格闘技なのだ。
これらのスポーツが持つ、
「何が起こるかわからないライブ感」や
「身体能力の限界への挑戦」といった要素が、
観客を熱狂させる現代において、
映画もまた、同等のスリルと興奮を提供しなければ生き残れない。
『ファイナル・レコニング』は、
映画が「オワコン」どころか、
むしろ「危険と隣り合わせの興行」として、
その命脈を繋ごうとする、
まさに「映画の最後の希望」とも呼べる作品だ。
この首の皮一枚の綱渡りを成功させるためには、
大谷翔平のような、規格外の才能と求心力を持つ「ヒーロー」が映画界に現れ、
そして、彼らが活躍できる場が作られるかどうかにかかっている。
トム・クルーズは今、その「ヒーロー」として、
自らの肉体を張って映画の未来を切り拓こうとしている。
彼の「命懸けの興行」が、我々に、そして映画界に何をもたらすのか。
あらためて、
メインビジュアルの「僕を信じてほしい」というポスターをじっと見つめる。
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