ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女のレビュー・感想・評価
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自分の人生の為に
時は第二次大戦。ゲシュタポに捕まったユダヤ人女性が同胞を売る密告者となったことで生き延びるが、戦後裁判にかけられ…といった物語。
ジャズバンドで楽しく過ごすも、徐々にナチスの不穏な空気が町を包み…。自身にも危険が迫る中、偽造パスポート職人のロルフとの出逢い。
出逢って5秒で合tt…って、イケメンなら何でもアリかよ!!…という冗談はさておき、うまくいっていたかに見えた偽造パスポート生活にも暗雲が。。
彼女は加害者か被害者か…。
何とも回答に困る問いですね。確かに許せない気持ちもあるが、同じ立場なら皆さん彼女と同じようにしてしまうのでは無いでしょうか?
仲間を売るくらいなら死んだほうがマシだ!!…なんて軽々しく言えるのは平和ボケの環境に身を包まれているからであって…。勿論ワタクシも。
あとは、美形の彼女は図らずも女であることで生き延びられ…。ソ連に10年云々…あの時の視線もやはり"買収"が行われていたのかな?なんて思ってしまう。
こんなご時世でなければ、それだけで大分お得な人生を送れていただろうに。
とにもかくにも「生きたい」と思うのは皆同じなわけで、幾つもの偶然が重なったこの行動の結果に対する答えは難しいと感じると共に、どうか今この時代からも戦争がなくなり平和が守られる世界になってほしいと改めて思わされた作品だった。
ステラはゲシュタポに逆らって死ねばよかったのだ、と誰が言えるのだろう。
先日NHKでウクライナの女性兵士の特集があった。
5メートル先に敵兵がいて、目が合ってしまったら、もう銃の引き金を引けなくなるという発言があった。
たとえ自分自身や家族が殺されるかもしれない状況においてさえ、たやすく人を殺すことなど出来ないという描写だった。
しかし、ユダヤ人というだけで、殺すことの容赦のなさはいったいどこから来るのか?
(人は特定の個人を簡単には殺せない。しかし、憎しみの対象である人の属性を滅ぼすことには喜びさえ感じるのかもしれない。)
ステラも最初から躊躇なく、同胞を売ることを受け入れたわけではない。
一つ裏切り、二つ裏切り、そのうちに数百人をナチスに密告してしまうさまは、自分だったら逆らえただろうかと見るものに問いを突き付けてくる。
この映画のクライマックスは実は裁判の場面だと思う。
ステラに密告された側のユダヤ人たちは到底彼女を許すことなどできない。
その誹謗の中で、彼女は自己を弁明し、懲役を免れた時点で心底、安心するのだ。
裁判の時点で、彼女が罪を自覚し、懺悔の様子を開示していたら、ユダヤ人たち、そして観客の私たちは彼女を許すことが出来ていただろうか?
殺したドイツ人も殺されたユダヤ人たちも、そしてステラも、個人の信念で何かを動かすことが出来たのだろうか?
彼女の自己弁明は、個人に責任を帰すことの単純さと愚かさを私たちに突き付けてくる。
同胞を売るたびに、ステラの生活レベルは向上していく。
欲に目がくらんで、人としての正義を失っていく過程と捉えることは簡単だが、自分自身を納得させていく、あるいは自分自身を組み伏せていく過程と考えると、単純に軽蔑できない。
その末の裁判でのステラの態度だ。
彼女は史実の通り、最後に自殺する。
裁判のあとの自殺に至る数十年は一切描かれない。
ステラが自分のなしたことを清算するのに要した時間の長さと、それを強いた傍観者の残酷さを思うと胸が痛い。
ステラはゲシュタポに目を付けられ利用された。
逆らって死ねばよかったのだ、と誰が言えるのだろう。
ステラは最後に化粧し、身支度を整えて死ぬ。
衝動的に死ぬのではない、自分の尊厳を守ろうとしているのだ。
哀れな。
私たちは裏切り者としてのステラの属性を憎むことができる。
しかし、彼女の存在そのものを否定できるだろうか?
戦争と個人、公と私の問題として深い。
追記
ステラの暴力を受けるシーンのすさまじさは歴史に残りそうだ。
彼女は悪くない 戦争が悪いのだ。(゙ `-´)/
何度も繰り返される、ナチス独が 歴史上最悪 プロパガンダ映画
連合国側の戦争犯罪は 未だに 隠ぺいされたまま。
原爆も東京大空襲も、民間人を一瞬で10万単位で 焼き殺した。
なのに、語られるのは 誇張された、アウシュビッツ。
ありもしない南京大虐殺。
中国やソ連では 革命で もっと ひどい 虐殺が行われたのに相変わらず、人類史上最悪の 犯罪は アウシュビッツだと 洗脳。
あなたならどうする…?
ユダヤ人迫害がテーマの作品はかなり見込んでいて、これもその中のひとつとして、金髪美女がナチス将校を色気でたぶらかすような筋立て(2024年夏公開「フィリップ」の女版)かな、とあまり期待しないで鑑賞したが、期待以上・予想以上に惹き込まれた
18歳のステラ、アメリカでジャズ歌手になるのが夢で仲間とバンド活動中。ナチズムが台頭している中、両親は伝手を頼りビザ申請しても駄目と嘆いている…でもユダヤ人であるだけで迫害されるなんて他人事とばかりに笑いさざめく日々…
シーンはあっという間に3年後、この手の映画にお馴染みのユダヤ人の地味な服を纏って、つらい工場の立ち仕事するステラ。バンド仲間と結婚しているが、夫婦仲はしっくりしていない。夜な夜なアパート内の誰かが強制連行される音に怯える日々。ある日親しくしている工場のチーフの、席を外せ!という目配せを見逃さず、母親と隠れようとした所に、突撃隊が「全員外に出ろ!」と踏み込んできて…
よくあるユダヤ人迫害の作劇「アンネの日記」「戦場のピアニスト」、「シンドラーのリスト」も、隠れ家に潜んだりした末に収容所に送られた人々のものなのだが、「ステラ」はユダヤ人なのにもかかわらず、ナチス政権下の街中で生き延びた人間なのである
飢えや虐待の末に殺害され、モノのように処理されることは、言葉にならないほどの悲劇であるが、悲惨な中でもユダヤの仲間同士の交流や支え合う姿に人間性の温かみがあるが、ステラはその輪の中には入れない
工場での逮捕から逃げて両親と共に潜伏した後、身分証明書の偽造を生業とする、ユダヤ人男性(ロルフ)と生き延びる道を選ぶのである
彼は魅力的で有能ではあるが、生き延びる知恵を金に換えて、仲間であるユダヤ人に高値で売るのである。市中に潜む仲間の為の身分証明書偽造や、隠れ場所の斡旋、ユダヤ人に親身に接するドイツ人の情報を操る彼の傍らで、半ば刹那的に生きていく美貌のステラ…
中盤ゲシュタポに捕まり「アウシュヴィッツに送られたくないなら、隠れ住んでいるユダヤ人の情報を寄越せ」と壮絶な拷問を受ける。この映画はR指定なのだが、これはこの暴行シーンが凄まじいからと思えるほどに真に迫る。ここまで痛めつけられ、情報提供か収容所送りかの道を選べと言われたら、自分ならどうする…?と自問自答する。急極の選択かもしれない
収容所を生き延びる話も生死を分ける瞬間の連続だが、ナチスの手先として生きていく道を選ばざるをえなかったステラはシン・レッド・ラインを辿るギリギリの道を進むより生き延びる手段はなく、その意味で彼女は加害者であり被害者でもある訳で
ステラを演じたパウラ・ベーアの、文字通り身体を張った演技が凄まじい。この話は大戦後行なわれた戦争裁判をモチーフに創られたそうだが、「シンドラー」のような感動の涙すら許さないストーリーで、2時間を全く飽きさせることない。「戦場のピアニスト」のような大掛かりな戦闘シーンは無いが、どのシーンも緊張感に満ちていた
人間であれ
主人公が…
前日に「リアルペイン」を鑑賞し、上映時間との兼ね合いから、奇しくも同じ系統(?)の作品を連続で鑑賞することになりました。しかし、こちらは自己中、身勝手、軽薄な主人公のステラに全く感情移入できず、彼女の周辺の人々、その時代のユダヤの人たちを取り囲む社会情勢や日常生活に思いを巡らせることに終始していました。
なので、ステラが密告者になる前にナチスから拷問を受けているシーンでも、本来なら「ステラが可哀想」「女の人に容赦なく暴力を振るうナチスはやっぱり酷い」などという哀れみと憤りが入り混じるような感情になるところだったと思うのですが、全くそんなことはなく、むしろ彼女の行状に対する報いだろう、と冷めた目で見てしまっていました。
こんなふうに思う自分て酷い人間なのかな?とか思ったり。
しかし、拷問を受けた後、ナチスに加担することにした更に加速した彼女の悪行(?)の数々を観ていると、もちろん生き抜くために仕方がない選択だったとはいえ、やはり彼女には一切思いを馳せることはできないな、と確信しました。
ラストで自ら命を断とうとしましたが「なに?今さら?」と更に冷めて、冷酷になっている自分がいました。
悪女なの?
被害者か加害者か
ポスターに書かれたタイトルの言葉が心に突き刺さる映画でした。
オープニングはまだ平和だった頃のベルリン。
美貌に恵まれて、野望を持ち、少々自分勝手で他人への思いやりに欠けるように見える主人公ステラ。
やがてユダヤ人への迫害が激化する中、ユダヤ人であるばかりに理不尽な運命に翻弄されて、いくつもの選択を経てステラがたどり着いたところは…
中盤まではステラの保身と自己憐憫、身勝手さにイラッとするシーンが多々ありましたが、ユダヤ人迫害が益々激しさを増すうちに、彼女だけを責められないという思いが胸裏に満ちてきました。
自分が彼女と同じ境遇に陥ったら、彼女と同じ行動をとらないとは断言できないと。
ステラの内面の醜さと哀れさがミルフィーユのように重ねられた映像の構成は見事でした。
ステラに同情したとたんに、彼女を殴り倒したくなるようなシーンが挟まれて、やがてまた彼女なりの苦しみが観客の胸に迫る。
重ねられたシーンから人間が内面に持つ複雑さを重厚に描き出す手法は見事としか言えません。
仕方がなかった、こうするしかなかった。説明はいくらでもできるけれど、自分を欺くことだけはできなかった。
ホロコーストという重いテーマに乗せて極限状況下の人間性を鋭く描き出した作品でした。
性悪すぎる主人公
良心の呵責を覚えるような描写があるものの、断罪されると激昂して言い返す点や、裁判で自由を手に入れながらも晩年自殺するなど、主人公は精神的に不安定で自己中心的な人物として描かれている。
終盤、「主人公は被害者であると同時に加害者である」との字幕が表示されるが、ソビエトの収容所に捕らわれていた10年間を描写せず、裁判中のセリフのみで説明するなど、本作は視聴者が主人公に対してより嫌悪感を抱きやすいように作られているように感じる。
空爆シーンなど背景CGの質が悪いために違和感を覚える箇所や、画面が暗すぎて何が起きているのか分かりづらい箇所があるなど、映像面はいまひとつだと思う。
一方、主人公が保身ために多くの同胞を死に追いやりながらも、自身は綺麗に化粧をして自殺するシーンには強い苛立ちを覚えた。視聴者の感情を揺さぶることには成功した作品だと思う。
晩年はエクスキューズにはならないので、いっそのこと「悪魔」で終わらせた方が良かったのではないだろうか
2025.2.13 字幕 アップリンク京都
2023年のドイツ&オーストリア&スイス&イギリス合作の映画(121分、PG12)
実在の人物であるステラ・ゴルトシュラークを描いた伝記映画
監督はキリアン・リートホープ
脚本はマルク・ブルーバウム&キリアン・リートホーク
原題は『Stella. Ein Leben.』、英題は『Stella. A Life.』で、「ステラ、その生涯」という意味
物語の舞台は、1940年のドイツ・ベルリン
アメリカのブロードウェイに行くことを夢見ているジャズシンガーのステラ・ゴルトシュラーク(パウラ・ベーア、老齢期:Irene Rindje)は、バンドリーダーでギターのアーロン(べキム・ラティフィ)、恋人のトランペット奏者フレート(ダミアン・ハルトン)、ドラムのジョニー(ジョエル・バズマン)、トランペット奏者のテオ(コンスタンティン・グリエス)たちと一緒にショーを行っていた
バックコーラスには友人のリロ(ナディア・サベルスキー)、インゲ(メイブ・メテルカ)も加わり、コントラバス奏者フリッツ(Alexander Martschewski)らも名を連ねていた
時はナチスによるホロコースト初期で、じんわりと排斥運動が動き始めていたが、まだ身に危険が及ぶほどではなかった
それから3年後、ステラたちの夢は叶わないまま第二次世界大戦に突入し、彼女たちは鉄工所で働くことを余儀なくされていた
ステラの父ゲルト(ルーカス・ミコ)はこれまでに祖国に尽くしてきたことを誇りに思っていて、ユダヤ人とは言え、自国民を酷い目に遭わせるとは思っていなかった
母トニ(カーチャ・リーマン)は娘の奔放さに呆れていたが、家族を支えるために奮闘していた
ある日のこと、工場内のユダヤ人が外に呼び出されてしまう
知り合いのイリヤ(ヴィンセント・コッホ)の計らいで難を逃れたステラの家族たちは、安全な場所を求めて潜伏生活に入ることになった
だが、ステラは身分証を手に入れたいと考えていて、ジョニーの知り合いであるロルフ(ヤニス・ニーヴーナー)とコンタクトを取るために頻繁に危険な外出を繰り返していく
その後、ロルフとともに身分証を売り回る日々が募ったものの、友人のインゲの密告によって捕まってしまう
ステラは治療の隙に逃げ出すことに成功したが、いまだに家族の身分証まで手に入れるところまで至らず、そこで偽造請負としているツィオマ(Joshua Seelenbider)とミッキー(Max Schimmelpfenning)とコンタクトを取ること
そして、彼らとともに将校を誘惑したり襲ったりして、白紙の身分証を手に入れる生活を始めるのである
映画は、ステラのほぼ一生を描いていて、最後までしぶとく生き残る様子が描かれていく
彼女はゲシュタポのドッベルケ(Gerdy Zint)に引き取られ、そこでユダヤ人の潜伏先を吐かされるのだが、当初は命欲しさだったものが、徐々に自身の行為を正当化していく様子が描かれていた
自分自身を被害者だと思い込んで告発をしていく様子は狂気じみていて、金髪の悪魔などと呼ばれるようになっていく
そして、自身は終戦まで生き延びることができるものの、家族はアウシュヴィッツで殺され、子どもからも突き放された人生を送ることになってしまったのである
映画では、最初の夫フレート、2番目の強制婚まで描かれるものの、3番目の夫と子どもに関してはほとんど語られない
それでも、晩年の自殺未遂は描き、最後の死は字幕表記という微妙な構成になっていて、これならば自殺未遂のシーンから字幕で説明するか、最後の不審死まできちんと描いた方が良かったのではないだろうか
いずれにせよ、ステラが生き延びるために闇落ちをしていくという過程は良かったと思うので、終戦と同時に映画を終わらせても良かったと思う
最終的に川で溺死という奇妙な死に方をしているのだが、それはスルーで投身自殺だけをサラッと描くのは意味がわからない
晩年の彼女もどのように生きて来たのかとか、その苦悩というものはほとんど描かれないので、唐突な飛び降りも意味がわからない
終戦から30年もの間をスルーしているのは尺の都合だと思うのだが、この構成ならば「ステラは悪魔だった」で終わらせた方がスッキリしたのではないだろうか
生き残ってしまった女の悲哀
また今年もナチス、アウシュヴィッツ絡みの映画を見たわけだが、今度は密告者、実にあらゆる角度から回顧されるのがドイツ。日本の加害を描く映画はまだまだ少ない。すでにステラは色々な作品に描かれているらしく、日本の李香蘭のようにミュージカルにもなっているとパンフレットの解説で知った。自分の友だちまで売るのはさすがに引くが、拷問や死の恐怖に逢った人を平和な時代の我々から責められないことは言うまでもなく、それにしても極限まで追い込まれる人間を見るのは辛い。戦後の裁判でも怯まずに生きようとする姿勢は、実在の本人が戦後に何回か結婚を繰り返している(パンフレットの解説)ことからも分かる。酷い罪を犯した人だが、最後には見ているこちらが「それでも生きてくれ」と半分応援したくなるのも不思議。人間の運命を考えさせる良い映画。
悲しいですね。
私だったらステラと一緒と言うしかない
戦後80年、相変わらずハリウッドはもちろん、ドイツ本国においても反ナチズムの映画の多い事。それは至極当然でかつ必要なことですが、この80年間公開の数多の作品においても、ひとつのジャンルと言っても構わない程。もうすぐ公開のアカデミー賞有力な「ブルータリスト」、「リアル・ペイン~心の旅~」だってアウシュビッツがポイントで、昨年末には「ホワイトバード はじまりのワンダー」があったばかり。ナチに協力する密告者のお話も多数登場ですが、ユダヤでありながら密告する女の主人公ってのは、なかなか少ない。
戦争裁判の真実の記録からまとめあげた実話に基づく作品で、同胞を売る悪魔の所業に手を染めた女の悲劇を描く。自分の最も大切な人の命を人質にとられ、同胞を密告する事が出来るか否かが本作の要、無論、絶望的な極限状態において。この地獄に耐えかね自ら死を選んだら、当然に大切な人の命も無論ない。ならば歯を食いしばって抵抗を貫いても、自身も大切な人も確実に結局殺される。残る選択肢は一つだけ、泣く泣く密告を強要され、自身も大切な人の命も辛うじて保たれる。これをもって悪魔に魂を売ったと言えるだろうか? 圧倒的支配下において、何故か選ばれた捕虜が他の捕虜を殺すよう命じられるシチュエーションの映画作品も邦画・洋画問わず多く描かれてますよね。そんな場合は殆ど発狂状態で同胞を殺すように描写されます。だから悪魔は強要する側のみであることを、うっかり見落としがちなのです。そうするしかなかった。私だってそうするしかないと思う、悪魔にはならないけれど人間を捨てて。
強要されるのも人間なら強要しているのもまた人間。昨年の「関心領域」にも描かれたと同様に、本作に登場のナチスの高官とて、あそこまで狂暴になるしかなかった、でなければ確実に自身が処罰を受けるから。それが集団ヒステリーであり、戦争の本質なのですから。
ステラは密告の日常において、意外と派手で毛皮のマフラーなんぞ巻いて、反感買うような様相ですが、そうやって密告ネタを捕まえる必要があったから。まさに生きるか死ぬかの挙句なんですね。演ずる女優がちょいとハスッパに見えると言って、コトの本質を見誤らないで下さい。
結果、ソビエトの収容所に10年も入れられた後の裁判では、実質無罪の開放となる。けれど密告された側からすれば、その恨みは解消されることはない。そしてラストシーンは美しく着飾ったステラは飛び降り自殺を実行する。正にそれしか選択肢がなかったわけです。人間を捨てた段階でその先行きは必然でしかなかった。
ひとたび戦争となったら、悪魔の連鎖は避けようがない。だから絶対に戦争を起こしてはならないのです。そのためにはプーチンを引きずり降ろさなくてはなりません。独裁を許容してはなりません。ひしひしとそれがストレートに伝わる作品でした。
蛇足ですが、洋画の邦題にサブタイトルが近年確実にプラスされます。本作もまさにそうですが、全くもって馬鹿げた邦題と思います。が、これだけ洋画に客が入らない昨今、少しでも内容を伝えようと腐心する苦労の結果と思えば、理解するしかありませんね。
美しさゆえの複雑な人生
少し長く感じましたが普通に楽しめました
占領下の非道な状態で、毎日自分が生きることと密告を秤にかけたら、、
考えさせられるテーマでした
作品はカメラワークや場面の切替がすごくスピーディーで音も鮮明に迫力あって臨場感たっぷりでした。
近いテーマの「ブラックブック」や「戦場のピアニスト」などと比べてしまうのはいけないのですが、その分重厚感やストーリーのメリハリは少し弱い?と感じましたが、これはこれで普通なのかもしれません
主演の女優さんがすごく聡明で綺麗だったので見入ってしまうのですが、ユダヤ人でブロンドの青い瞳の人はいるのか?とか、話す相手と言語の使い分け、ナチス占領下の人々の暮らしなど、もう少し知識を得てからまた見たいと思いました
憎しみの連鎖は断ち切りましょう!
生きた時代と場所が違ったら
アーリア人の特徴である金髪碧眼を持つ美しいステラは、様々な辛い体験を経て生きるために同胞を裏切りナチスに売り、戦後、裁判では昔の仲間や恩人から責められるが、正当化し切り抜ける。その後も美しさを保ったまま歳を重ねるが、最後は自分が追い詰めたユダヤ人妻に目の前でされたように窓から投身自殺をする。
違う時代、例えば現代のドイツやここ日本だったら、歌手の夢を実現させていたか、そうでなくても仲間を裏切ることはなかっただろう。
そう思った時、もし私が彼女の立場だったら、あの時代のドイツにユダヤ人として生きていて、更に許されない行為をすることで生き残ることが可能とわかっていても、彼女と同じことは絶対しないと言い切れるか。
戦後の裁判で反省の色を見せなかったが、戦後、もし悪かった、やむを得なかった、許してほしい、と言っていたら、あそこまで辛い人生とならずに済んだかどうか。
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