ボレロ 永遠の旋律

劇場公開日:

解説

フランスの作曲家ラベルによる不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画。

1928年、パリ。スランプに苦しむモーリス・ラベルは、ダンサーのイダ・ルビンシュタインからバレエの音楽を依頼される。彼は失ったひらめきを追い求めるかのように自身の過去に思いを馳せながら、試行錯誤の日々を経てついに傑作「ボレロ」を完成させる。しかし自身のすべてを注ぎ込んで作り上げたこの曲に、彼の人生は侵食されていく。

「黒いスーツを着た男」のラファエル・ペルソナがラベル役で主演を務め、ラベルの生涯にわたるミューズとなったミシアを「ベル・エポックでもう一度」のドリア・ティリエ、ダンサーのイダを「バルバラ セーヌの黒いバラ」のジャンヌ・バリバールが演じた。監督は「ココ・アヴァン・シャネル」「夜明けの祈り」のアンヌ・フォンテーヌ。ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による「ボレロ」に加え、ヨーロッパを代表するピアニストの1人であるアレクサンドル・タローがラベルの名曲の数々を演奏した。

2024年製作/121分/G/フランス
原題または英題:Bolero
配給:ギャガ
劇場公開日:2024年8月9日

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(C) 2023 CINE-@ - CINEFRANCE STUDIOS - F COMME FILM - SND - FRANCE 2 CINEMA - ARTEMIS PRODUCTIONS

映画レビュー

3.5ラヴェルと5人の女たち。ハンサムなのにちょっと残念な奥手男の「ボレロ」作曲奮闘記。

2024年12月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

マルグリット、マルグリットって、ずっと妹かなんかだと思って観てたら、途中でピアノ協奏曲ト長調の2楽章のソロを流暢に弾いてるシーンが出てきて、ああ、これあの曲の初演者で、サンソン・フランソワの師匠だった超大物ピアニストのマルグリット・ロン女史だったのか!!と今更ながら気づいた(笑)。
ごめん! この菅義偉かゲルギエフみたいな顔のおばちゃん(あき竹城っぽくもある)、なんでしょっちゅう訪ねてくるんだろうとかいぶかってて。たぶん登場したあたりの紹介シーンでうとうとしててきき逃したんでしょう……。

ラヴェルの後半生を描きつつ、名曲「ボレロ」の誕生秘話を紹介する音楽映画。
ずっと観よう観ようとは思いながら、観るタイミングを逸していたが、下北沢で再映していることに気づき、N響の第九を聴きに行く前に朝から鑑賞した。

ラヴェルが主人公と聞いて、また最近の映画によくある、やれ隠れゲイだったんじゃないかとか、児童性愛者だったんじゃないかとか、性的不能者だったんじゃないかとか、マザコンだったんじゃないかとか、そういう「生臭い」要素が多かったらホントに嫌だなあと思っていたのだが、そこまでラヴェルの性癖には立ち入らずにきれいにまとめてて、本当に良かった。一応、監督の解釈としてはヘテロだけど無性愛者(アセクシュアル)って設定なのかな?

とはいえ、ラヴェル本人が、あなたの伝記映画つくりましたよって本作のプレミアに呼ばれて、娼館で手袋の衣擦れの音を聴きながら白目剥いてふんふんトリップしてる自分の様子を見せられたら、それこそ「ボレロ」のバレエ初演の百倍くらい激昂したんじゃないかとは思うけどね(笑)。
もう死んじゃってるから、なんでもありですね。

超奥手で、潔癖症で、機械オタクで、鳥好きで、音フェチで、不器用だけど、特定の才能にあふれているタイプとか、今の日本でなら秋葉原界隈や鉄オタやバーダーあたりにいても一向におかしくない手合いだと思うし、こういうハンサムで優秀なのにチー牛くさいインテリは個人的に大好き。

― ― ― ―

中学、高校のころから、ラヴェルはお気に入りの作曲家だった。
大学のときやっていた学生マジックのステージショーで、前述したラヴェルのピアノ協奏曲ト長調の第二楽章をBGMに使ったくらいに愛聴していた。
いまはもっぱら、マーラーとかブルックナーばかりを好んで聴くような暑苦しい初老のクラオタだが、高校生のころは本当にラヴェルが好きだった。
当時はお小遣いが月2000円だったので、月1枚CDを買って、残りの金額で100円の本格ミステリを古本屋のゾッキ本で買いあさるのが一番の娯楽だった。
ラヴェルについては、当時定番だった、エンジェル(EMI)のアンドレ・クリュイタンス指揮の管弦楽曲集と、サンソン・フランソワのピアノ曲集&協奏曲集、あとはBMGのシャルル・ミュンシュ指揮盤が愛聴盤だった。

今でも、アレクサンドル・タローのラヴェル・アルバムはよく聴くし、彼が来日したらなるべく演奏会にも足を運ぶようにしているが、サントラのリスト見てたら、今回のピアノの手の吹き替えってやっぱりタローちゃんだったのね!! しかも、何かとラヴェルに食って掛かる若い音楽批評家のラロの役まで演じていたといわれてびっくり。全く気付かなかった!!
口ひげとかまで付けて、めっちゃ演技してるじゃん! タローちゃんふつーにうまいし。
選曲とかにもかかわってるのかしらん?
あと、サントラには前述したフランソワとかクリュイタンスあたりのEMI音源をそのまんま使ってて、映画のなかで流れてた演奏の大半が、自分の持ってるCDから採ったものばっかりだったことを後から知る。まるで気づかない自分の耳の悪さにがっかり(笑)。
でも、演奏シーンの8割がたでは、ラヴェルを演じたラファエル・ペルソナ本人が5か月くらい特訓して実際に弾いているらしい。それはそれですごいな。

― ― ― ―

「ボレロ」の曲自体には実はほとんど思い入れがないが(正直、ラヴェルなら他の曲のほうが好き)、作曲の経緯などはよく知らなかったので、とても興味深く観ることができた。
ああいう奥手の天才にとっては、イダ・ルビンシュタインみたいなド厚かましいクライアントが押せ押せで攻め寄せてきて、「無理やり書かせてくれる」シチュエーションが、作曲には必要だったんだろうなあ。
終盤に、自分は「何を書いてほしい」の繰り返しで曲を書いてきたけど、独自のものなんてない、自分は空っぽだ、みたいなセリフがあって、どきっとした。たしかに依頼や強制といった外圧がないと、なかなか仕事ってやる気にならないからね。結局、人に評価されるほどに「周りの期待に応える」形での仕事が増えてゆくことになる。
イダ役のジャンヌ・バリバールが『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンみたいなクセの強い演技付けでやっていて、実に楽しそうだった。
あのダンスシーンは、リアルな当時の舞踏を再現しようという意識が高いのかな? 今の感覚からすると動きとかかなりダサいというか、古めかしい感じもしたけど。

「ボレロ」の楽曲の発想源として、工場の機械の規則正しい機動音や、お手伝いさんの歌う流行歌の「バレンシア」が挙げられていたり、そもそも17回の反復というアイディア自体が、編曲用に当てにしていた他人の楽曲の著作権が押さえられていてダメになり、切羽詰まってひねり出した苦し紛れの案だったことなど、いろいろ初めて知る話が多くて面白かった。
ラヴェルの周囲で鳴っているいろんな自然音や人工音、旅先で聴いたジャズやパリの街のシャンソン、それらすべてが「ボレロ」の作曲に悩む作曲家のなかにしみ込んで、「素材」となっていることを示す「音の演出」も巧みだった。

楽曲の使い方は、本当によく考えられていると思った。
たとえば、ふつうなら伸縮自在のテンポで煽り気味に演奏する指揮者の多い「ラ・ヴァルス」の自作自演で、オケにイン・テンポ(一定のテンポ)を維持して最後まで押し切るよう明快に指示していて、へえと思った。そのほうが官能的だみたいなこと言ってなかったっけ?
これは、中盤の「ボレロ」の話で、同じ旋律を同じテンポで17回繰り返す試みの、明らかな前振りになっている。
あと、「マ・メール・ロア」のピアノ連弾版(10歳くらいの子供たちのために作った曲なので簡単なつくりになっている)の「眠れる森の美女」を最初のほうのパーティーでミシアと連弾させて(ミシアの旦那にめちゃくちゃディスられるあのシーンの曲)、そのあと管弦楽編曲版の「マ・メール・ロア」を全体のテーマ曲のように使うやり方もうまい。

「逝ける王女のためのパヴァーヌ」「道化師の朝の歌」(いずれもピアノ版)、「グロテスクなセレナード」、「夜のガスパール」の「絞首台」、ピアノ協奏曲ト長調(両手で弾くほう)、ヴァイオリン・ソナタ、ピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲、「ラ・ヴァルス」などをちりばめつつ、有名な「スペイン狂詩曲」や「ダフニスとクロエ」あたりは使用しないという、こだわりのきいた楽曲採用になっているのも気になるところ。
とくに、オペラ「子供と魔法」と「左手のためのピアノ協奏曲」は、作中でわざわざラヴェルの口から楽曲について言及があるのに、なぜかなかでは流れない。
このへん、どういう意図で誰の意向が働いた選曲なのか、若干興味がある。

― ― ― ―

全体としては、落ち着いたフランス映画らしいつくり。
とにかくモーリス・ラヴェル役のラファエル・ペルソナを「綺麗に」撮っていて、それだけで作品は成功している気がする。カメラワークは流麗で、とくに海辺の別荘に作曲のためにおこもりに行くシーンで、建物の前を走る坂を下から仰ぎ見るショットにつなげて、背後の海側を鳥瞰で撮るショットには、たいへん感心した。

一方、淡々としたつくりなので、多少眠たくなる部分もある。
話の時系列がかなりわかりにくいのも、好き嫌いの分かれるところだろう。わざと回想シーンをあちこちシームレスに挟みこんで、単調な展開にならないよう調子をつけているのだが、そのせいで、漫然と観ていると結局いつラヴェルが戦地に行って、その後母親が亡くなったのかがよくわからなくなる。Wikiによれば、

1915年 兵役に就く
1917年 母親逝去、スランプに
1920年 「ラ・ヴァルス」作曲
1928年 アメリカ演奏旅行大成功、同年「ボレロ」作曲
1930年 左手のためのピアノ協奏曲作曲
1931年 ピアノ協奏曲ト長調作曲
1932年 失語症悪化、引退
1937年 脳手術後、予後悪く逝去

ということなので、かなり話の順番がシャッフルされている。

あと、マルグリットがマルグリット・ロンだとわかりにくいのと同様、ラヴェルのミューズとして全編にわたって登場するミシア・セールの扱いも、ちょっとわかりにくい気がする。
なんで人妻でありながら、四六時中ラヴェルの家を訪れてはイチャコラしてるのか根拠がよくわからないのだが、ミシアはそもそもガブリエル・フォーレの弟子で、リストもほめたたえたバリバリの技量をもつ「ピアニスト」としてラヴェルと交流し、さらには、ラヴェルを常に支援しつづけたシパの「実の姉」という立場でラヴェルと付き合っていたのである。
このあたり、もう少しドラマのなかでわかりやすく整理してくれてもいいのにな、とは思った。
なお、ミシアは文学者・画家・音楽家のパトロンとして、パリの芸術サロンの中核にいた超有名人であり、ルノワールやロートレック、ボナールあたりもこぞって絵にしているような「みんなの女神」だった。映画に出てくる嫌味な旦那さんは、彼女の三人目の夫で、スペイン人の画家である。この旦那の愛人とも性的関係を結び、三人で生活していたこともあるというエピソードがWikiに載っていた。ココ・シャネルが唯一心をひらいた親友でもあるという。なかなかに興味深い人物だ。

なんにせよ、ミシアとラヴェルのプラトニックな関係は、観ていて興味深い。
むしろ、ミシアのほうが積極的にラヴェルを誘惑するのだが、ラヴェルが乗ってこないとあえて深追いはしない。結局つかず離れず、長い年月にわたって、ふたりには友人以上恋人未満の関係が持続していたように、作中では描かれている。
ふたりのやりとりは、つねにほのめかしと機知にとんだもので、聞いていていかにもフランス知識人階級の香りがして楽しい。

一見気づきにくいが、映画のつくりとしては、超奥手男のモーリス・ラヴェルと、それを取り巻く5人の女たち――イダ・ルビンシュタイン、ミシア・セール、マルグリット・ロン、お手伝いさん、娼館のお気に入り――のやりとりを描く、ちょっとラノベかギャルゲーみたいな構造になっている(あとは死んだお母さんも)。モテモテなんだけど、絶対手は出さないよ! みたいな(笑)。
通例こういう映画では、カサノヴァみたいな男が何股もかけて罰を受ける『黒い十人の女』とか『女の都』みたいな展開になりがちなのだが、本作の場合は逆に、徹底的に受け身で「手を出さない」安心君が、何かとかいがいしく世話を焼いてくれる女性たちに助けられてなんとかがんばれるという、謎のハーレム状態が維持されている。
似ても似つかない話ではあるが、ちょっと『ダンまち』のベル・クラネルを彷彿させる設定。
女性監督がこれを撮っていることを考えると、こういう性的には無味無臭だけど気障なセリフはいえて、でも母性本能をくすぐるような繊細さを併せ持つ細面の美男子こそが、一番主人公としてはモテるんですよって女性目線でいわれているようで、妙な感じがします(笑)。

ちなみに世間ではラファエル・ペルソナは「アラン・ドロンの再来」と呼ばれているらしい。たしかにクールな美貌の持ち主で、アメリカにはいないタイプ。ぜひ今後とも活躍してほしいところだ。

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じゃい

5.0ラヴェルの鼓動

2024年10月28日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

遠い日の僕の思い出。
あれは冬の夜だったけれど、
ポケットに手を入れて、
夜ふけの、道路工事を傍らで立って見ていたら
あの「アスファルトを砕く削岩機の音」の中からひとつの音楽が聴こえてきたので・・
僕はあの「リズム」につられて 誘われるままに ふらりと西国行きのブルトレに乗ったのでした。
すべてが嫌になり、生きることの限界に耐えられず、学生寮を出て夜道をさまよっていた時です。

機械の発する無機質、かつどこまでも単調な騒音から新しい拍動が。
そう、誰も知らなかったリズムとメロディーが生まれる瞬間。
若き日の家出少年?の思い出です。

・・・・・・・・・・・・

モーリス・ラヴェルの「ボレロ」の本領は
「ステージ上の演奏はあくまでも冷静なのに」
「客席はアクメのパニックになる」という=作曲者も意図しなかった反応。二律背反の現象です。

《リズムの反復が生むこのトランス状態》は
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のセルマや
「モダンタイムス」のチャップリンも、発端は同じでした。

そのアイデア斬新にして、奔放な、この世紀の傑作「ボレロ」が、
①実は頑なにメトロノームを見つめ、ひとつのリズムマシーンの“タガ"に自らを終始縛り付けた代物だったのであり、
②遊びや脱線を恐れる自らへの防御作品でもあり、
③時計と規則大好き、
という四角四面な構造であること。
その事が、
モーリス・ラヴェル自身のガードの固い精神とクソ神経質な生き様を、実はよく表している。

⇔ かたや観衆の側に沸き起こる熱狂とアドレナリンの爆発は
作曲者の預かり知らぬところだ ー
という この主客の「ズレ」がたいへんに面白いのです。

長すぎず、短すぎることもなく、
1分間の主題フレーズを17回。
聴衆は結末を当然知っていつつも、何度でもこの管弦楽の渦を、我が身に求めたくなる。興奮の昂まりに身を委ねて、もみくちゃにされたくなる。
結果を知っていても“中毒”のように惹き込まれてしまう。これは古典落語のオチに酔いしれる「名演」と同じですね。

太鼓の拍動や手拍子は、人間の原始の記憶の想起。
あるいは原生動物時代のクラゲやクリオネに始まる赤い心臓の点滅。
野生に戻り、自分の鼓動を感じること。

・・・・・・・・・・・・・

作曲家の伝記物語として、その中でも「ボレロ」という一曲に集中して作られたコアな作品でした。
モーリス・ラヴェルが、スランプに苦しみながらも委嘱に応えなければならない、締め切り前の七転八倒の姿です。

機械工場、
無機質な繰り返し、
5回も繰り返して落選したコンクール、
半音を撤廃し四つの音を基本に、
20分では長いから15分にしようかとおもったが 間を取って17分、
アメリカで聴いたJAZZのテナー・サックスのあの気だるいフレーズ、
気分転換に歩く浜辺の、波の寄せ引き、
家政婦が愛唱するスペインの歌謡曲「ヴァレンシア」の、独特のダンスリズム、
娼館での赤いサテンの手袋のフェティシズム、
ラヴェル自身は一貫して女の前でも服を脱ぐこと、裸になることから逃げている。
しかし、
最後は火山の噴火で終息に。

こういう劇中に去来し 交わされる「キーワード」の積み重ねが、鑑賞する我々にも、波のように繰り返し繰り返し 提示されていて
「我々の知るあのボレロ」の完成に向けての「プロセス」を共に感じることが出来るのです。
そこがこの映画を退屈させない実に上手い作りですね。
つまり、誰もが答えを知っている有名な楽曲であるからこそ、観ている側がそのヒントを拾いながら壮絶なコーダを迎えられるように出来ている。
(逆に言えば「ボレロ」を知らない人間はこの映画の作りの面白さが分からずに全然乗ってこれないということになりますね) 。

それにしても、
無から有を呼び起こす作曲家たちこの産みの苦しみの、なんと辛いことよ!

曲の完成を待ちわびる何人もの女たち=
モーリスの母親、
ロシア人舞踏家のイダ、
モーリスを愛するサポーターのミシャ、
いつも靴の忘れ物を届けてくれる陽気な家政婦のルヴロさん、
そして影にひなたにモーリスの面倒をみたマルグリード。
・・この全員が、ボレロの完成を諦めずに待った訳です。
モーリスの弱さと脆さが、女性たちの母性本能と愛玩行動を引きだすのかも知れません。みんな年上タイプ。
監督も女性=アンヌ・フォンテーヌでした。
こうしてたくさんの女性が登場しますが、全員が独特の風貌と身長と性格でキャスティングされているため、混乱は皆無です。お見事。

絶体絶命で、口からでまかせで、半ば破れかぶれで生まれた「名曲の誕生秘話」。
ひょうたんから駒でした。

・・・・・・・・・・・・

ラストは
本人の指揮風景で終わります。
若年性認知症なのでしょうか?
燃え尽き症候群なのでしょうか?
脳腫瘍の手術あとにも見えます。
頭真っ白の状態になっての、ハレーショ゙ンのモノクロ映像です。

娼館での性行為を思わせる熱情のリズムは、まんまベッドシーン。
イダが評した通りの、ラヴェルの音楽の「官能」「陶酔」「エロチシズム」の極致でした。

誰にも気付かれずに微かな小太鼓で「抑制的」に「理知的」に開始され、繰り返す拍動。
重ねられ、徐々にクレッシェンドされ、昂まる緊張と興奮。
そしてつまりラストは頭真っ白で、怒涛のオルガスムス。
まさしく!フランス人はラテン民族だったのでした。

・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

【 おまけ情報 ①②】
①5人のダンサーによる「ボレロ」の見比べ動画と解説
[ バレエ「ボレロ」はダンサーによって全く違う作品に!?|NOAバレエスクール ]

◆シルヴィ・ギエム、
◆上野水香、
◆マヤ・プリセツカヤ、
◆首藤康之、
◆ジョルジュ・ドン

②「ボレロ」の演奏会形式録音の変り種としては
楽団員たちが、練習演奏で、フィナーレで叫んだ録音ですね。指揮者をびっくりさせて。
結局面白いからと、そのままでCD発売に相なったというお遊びの一枚でもあります。
⇒クラウディオ・アバドのボレロで動画検索して下さい。

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きりん

5.0今年一番

2024年10月25日
PCから投稿

私的には
最近見た映画の中で
というより
今年見た映画の中で
一番でした
(なんでだろ?)

ボレロは知ってる程度で
特に好きというわけではないのですが
冒頭の
ボレロのいろいろバージョンの演奏から
心を掴まれてしまいました

工場で
楽譜を渡すシーンから
ボレロの
あの耳に残るリズムも
近代への賛歌だったのだと
腑におちて
ボレロに妙に親近感を感じました

ラヴェルは
嫌な人ではないけれど
繊細で
常人ではないところのある人だなと思いました。

ラヴェルがどんな人で
どのようにしてボレロを作ったか
ボレロが現代でも
いかに人々に愛される曲なのか
ボレロ賛歌を
描きたかった作品かなと思います

私的には
イダの官能的な踊りよりも
エンドの男性の
躍動感あふれる踊りの方が
ボレロに
しっくりきて
そうこれこれ
と思って終われました

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アツコ

3.0ラヴェルの美しさは堪能

2024年10月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ネタバレ! クリックして本文を読む
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流離いのオオハシ