「木乃伊取りが木乃伊になる」映画検閲 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
木乃伊取りが木乃伊になる
イギリス保守党のサッチャー政権下の80年代は英国病を克服するために新自由主義的経済政策に舵を切られた時期でもあり、またVHSビデオが普及した時期でもあった。
ビデオ録画された作品は当時の法規制を逃れてその多くが流通したために過激な残額描写のビデオ作品を改めて規制する必要が生じた。
サッチャリズムにおいて貧富の格差が広がったことにより人々の不満がたまったことがこのような過激なビデオの普及に繋がったのかもしれない。過激な暴力シーンを含んだ作品がストレス解消に選ばれた事情もあったのだろう。
本作はいわゆるサスペンスの王道とも言える展開。残虐なホラー映画が人間に悪影響を与えるのではないかということから、それを規制するために映像をチェックする検閲官の主人公自身が残酷映像を見続けるうちに悪影響を受けて犯罪を犯してしまうという物語。
犯人を追う捜査官の主人公が捜査にのめりこみすぎたために犯人の心理と同化して同じ犯罪を犯してしまうという作品は過去にもよく作られてきた。
新自由主義的経済政策を推し進めたサッチャリズム下のイギリス、規制緩和による市場開放と共に反対勢力への抑え込みも強行されそれに伴う表現の自由への締め付けの一環として行われた映画検閲。暴力描写や残虐描写などの映像が人間に与える悪影響などというものは科学的に因果関係が証明もなされていない中で行なわれていた。
検閲官として働くイーニッドは幼い頃妹が失踪していまだ行方不明のままであり、ある時両親から妹の失踪宣告を申請すると告げられる。
法律上死亡したものとする失踪宣告。両親は次女の行方を探し続けることに疲れ果てこれ以上待ち続けることにも耐えられなくなり、けじめをつけるためにイーニッドに納得するよう説得するが当時の記憶がトラウマとなっている彼女はそれを受け入れようしない。
トラウマを覆い隠すように仕事に没頭する日々を送る彼女はいまだに街中で妹の面影を探し求め、事あるごとに仕事で見た映画の出演女優を妹だと言い張る。両親はそんな彼女を妹の呪縛から解き放つためにも失踪宣告を促す。
そんな時イーニッドは仕事で見た作品のシチュエーションが妹が失踪した時の状況に酷似しておりその出演女優が妹に似ているとして作品の監督が犯人ではないかと疑いを抱く。
監督は自分の作品は創造ではなく実体験によると言い放ったためさらにその確信を強めていく。彼女はもはや女優が妹であると確信し彼女を助け出すために映画の中で妹を誘拐した役者の男や監督を殺して妹を両親のもとに連れ戻そうとする。
しかし女優は彼女の妹でもなんでもなかった。その現実を受け入れられない彼女の手にはビデオのリモコンが握られていた。再生ボタンを押すと目の前には妹の姿が現れあたりはたちまち明るい光に包まれる。
妹を連れて両親の下へ向かう車のカーステからは残酷ビデオが撲滅され国内の犯罪率がゼロになったというニュースが流れていた。
虹のかかる家の前で両親が自分と妹を笑顔で迎えいれてくれる。やっと妹を両親の下へ帰すことができた。長年罪悪感に縛られてきたイーニッドは編集された自身の心の中で幸せをかみしめるのだった。
現実は血だらけの白いドレスを身にまとった彼女に恐れおののく両親と女優の姿があり、それはホラー映画でしかなかったが彼女の心の中ではすべて編集により家族の美しい再会を描いたハッピーエンドの映画となっていた。
80年代ホラー作品へのオマージュを捧げた本作。当時のホラー映画独特のざらついた映像がその当時の雰囲気をうまく醸し出していた。
因果関係も明らかでない映画作品への政府による厳しい検閲はともすれば表現の自由への不当な干渉につながる。日本でもかつては大島渚による作品がわいせつか否か裁判にもなったり、また連続殺人事件の犯人が残虐なビデオ作品を見ていたということで一時期そういう作品がやり玉にあげられたりもしたが、そもそもそういう作品を見たことで同じ犯行をするなどとあまりに論理の飛躍が激しい。むしろそのような素養が元からあり、そういう作品がきっかけにはなるかもしれないというのが大方の一致した見解だろう。本編でもビデオを模倣した犯行と言われていた犯人が実は映画を見ていなかったという場面が描かれていて根拠のない言説に翻弄される当時の社会を風刺していた。
レビュー前半で残虐ビデオを見続けた主人公がその影響を受けて皮肉にも残虐行為を行ってしまうという書き方をしたが、実は作品を検閲し続けて作品を編集してきたことによって彼女の中で現実までも自分の都合のいいように編集してしまうことになるという別の意味での皮肉を込めた作品。