「衝撃的な面白さ。再び地獄に向かう世界を想う。」聖なるイチジクの種 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
衝撃的な面白さ。再び地獄に向かう世界を想う。
イランの政体は単純な宗教的強権国家ではない。憲法はもちろんあるし直接選挙も実施されている。一応、三権分立も形作られている。ただ最高指導者(現在はハメネイ師)が君臨し、監督者評議会とか公益判別会議とかイスラム法に基づくジャッジメントを執行する機関が三権に常に介入する。
しかしながら世俗勢力と宗教勢力が常に妥協を図りつつ、わずかづつでも世俗化が進んでいくのがイランらしい現実主義ともいうべきものであってアフガニスタンのタリバン政権やサウジアラビアの王権主義とは異なる。
この映画も最近のヒジャブ闘争を下敷きにして(実際の映像もかなり使われている)イラン社会の分断を描く。ヒジャブ闘争では何人もの若い女性が命を落としておりマサ・アミニさんの名前は実際に映画でも取り上げられている。なお、イマンが隣の車線に停まった車中の欧米風身なりの若い女性をじっと眺めるシーンがあるが彼女はやはりヒジャブ闘争で命を落としたニカ・シャカラミさんによく似ている。監督からのメッセージというべきものだろう。
さて、イマンは検事局に勤めていて調査官に昇格した。「判事に昇格する」との翻訳は恐らく間違いであって予審制度があるのだから予審判事を目指しているということなのだろう。公開の裁判を経ることなく死刑まで宣告できる訳で(上訴は一応できるようだが)恨みを買ってもおかしくはない。一方でSNSが爆発的に拡散し、仮想敵を勝手に設定して何の権限もないのに私的制裁を加えようとする動きが世界的にものすごい勢いで増えてきている。(黒沢清の「クラウド」を連想した)
イマンはその対策として役所から銃を持たされるのだがこの銃が家の中で見当たらなくなることによってのっぴきならない立場に追い込まれる。
二重三重の板挟みとなった彼は家族を疑い目的も明確ではない支離滅裂の行動に出る。といったところで後半30分ほどは社会の分断が家族にまで及びまさしく地獄絵図が繰り広げられる。
我々はやはり地獄に向かっている。もはや逃げ道はないのかもしれない。民主主義国家ではこんなことは起こらない、と楽観的に考える愚を改めて考えさせられた。