大きな家のレビュー・感想・評価
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成長物語
ドキュメンタリーではありますが、10歳くらいから19歳の青年まで、年の順にインタビューされていたので、成長物語として見られました。またそういうエピソードが選択されていました。
・最後の方で声だけの参加だった子も知れませんが、
「あと20年位生きられればいいよ。これまで生きるのもたいへんだったから」
というのが気になりました。
・その前の方のエピソードで、男の子数人で年中行事の百名山を登るというのがありました。登山も登りのほとんどの時間は大変です。でも頂上に着けば、その苦労は忘れます。
人生には、小さな達成感が必要なのです。
さきほどの子は、まだ登山の途中なのかもしれません。
・最後のエピソードは、陸上をやっている青年の「自己ベスト更新しました。」
で終わっています。人生には、小さな達成感が必要なのです。
児童養護施設に入っている人は約4万人だそうですが、小中学生の不登校は約29万人。
15歳から64歳までの引きこもりは146万人だそうです、各世代の2%に当たります。
施設だろうがなかろうが、みな生きるのは大変なのです。
でも小さな達成感を積み重ねて乗り越えていくのです。私もそうして生きてきました。
簡単に
可哀想とは言いたくないし、言えない部分がある。今だに“大きな”家が必要だという所は何か・・。学校とかでは差別等無いようにと切に願う。
斎藤工が資金集めに力を発揮したのは良かった。総じて画がきれい。最近の子たちは台詞が立つね。
親ってなんなんだろう?
近所に保育園があって、そこの様子と比較して見ていました。保育園に送迎している親たちは、子どもと楽しそうにしている人もいますが、余裕がなくてイライラしている感じだったり、何か仕事で緊急対応があるのか、子どもが道路でチョロチョロしていても、スマホの画面と必死ににらめっこしていたり。
映画に登場する児童養護施設の職員たちは、仕事として子どもと接しているとは言え、ビジネスライクではなく、子どもたちの成長をする手助けをしていて、親ではないけど見守っている立場。親でないということの距離感が、却っていいのかも知れません。保育園の保育士も同じような感じでしょう。
子どもたちは、死別等で親がいない訳ではなく、何かの事情で一緒に暮らせないことの場合が多いみたい。保育園の親もこの施設の子どもの親も、専門の人に任せることで、自分のしたいことや、都合を優先できているんでしょうね。
小学校高学年ぐらいになれば、自分の洗濯や配膳は子どもたちが行い、似たような年代の子と暮らすことで人間関係を築く力を養えたり、年下の子の世話をする機会があるのであれば、全ての世話を親がやる一人っ子の家庭より、人間として成長できるようにも思えました。
親と一緒ということが絶対なのかどうか、考えさせられました。
家ではない
ナレーションを入れず、生活している様子や子供たちへのインタビューを基本にしたドキュメンタリーで、感動を煽るようなところはあまりなく、好感を持ちました。出ている子供たちのほとんどが、ここは施設であって自分の家ではない、一緒に暮らしている人たちも家族ではない、と語っていたのが印象に残りました。
知らなかった
児童養護施設は地元にもあると聞いていたが、どんなところか、どんな人がいるのか、どんな人が働いているのか、全く知らなかった。勝手にストーリーを想像していったら、想定とは違っていた。淡々と現実を観た。ただ嫌な気分になることはもちろんなく、自分の足元の社会について、考えるきっかけになった。
血のつながり
家族
ネパール
進学
親
くわさん
一人暮らし
就職
優しく柔らかな視点 A gentle and tender perspective
映画の中、多くのカメラの視点の高さは、
登場する子供達よりも低い。
子供達はとてもリラックスしている印象で
知り合いや親戚の子供を見ているような
感覚になる。
確かに子供達を映しているけれど、
画角と構図が適度に彼らを【外していて】
それが、直に子供達と接している錯覚になる。
親戚や知り合いの子供達と
私たちが実際に会う時、
常に見ているわけではなく、
視線を外す時間があるけれど
その間
子供達の声は、走り回る音は、
笑い声は聴こえている。
この映画は
全編そんな感じだと思った。
だから、そのままの
子供達を見ることができる。
故に、
私達は
児童養護施設を
この映画を通して
観ることが出来る。
記録映画の新しい形だと思いました。
たくさんの人に
映画館で観てほしい映画です。
上映後に監督の舞台挨拶があり
たくさんのエピソードを
興味深く聴きました。
In this film, many of the camera angles are shot from a level lower than the children featured in the story.
The children appear incredibly relaxed, giving the impression of watching familiar or related children, like those of friends or relatives.
Although the film focuses on the children, the framing and composition intentionally “miss” them to some extent. This creates the illusion of directly interacting with the children.
When we actually meet the children of friends or relatives, we’re not always looking at them directly. There are moments when our gaze shifts away, but during those times, we can still hear their voices, the sounds of their running around, and their laughter.
This entire film feels like that.
It allows us to see the children just as they are.
As a result, through this film, we are able to observe the lives within a children’s care facility.
I thought this was a new form of documentary filmmaking.
It’s a movie I hope many people will watch in theaters.
After the screening, there was a stage greeting by the director, and I listened with great interest to many fascinating stories.
あくまでドキュメンタリー
とてもデリケートな作品で、配信はしない
パンフに色々と注意書きがある。
そういう中で何を映画に込めるのか?
と言ったらこういう形になるのではないだろうか。
「子供達の本音を聞き出す」
映画としては特に楽しくも無く、感動的な盛り上がりも無く
淡々と終わっていきます。
あとは受け手の想像力なのかな?
実は、施設の子に関わっています。
ボランティアです。月一外出サポートです。
小学校1年生から8年間、動物園にいったり、果物狩りしたり
うちに来てテレビゲームやったり、ご飯作って食べたり。
18歳になったら自活しないといけない。
そのあとはどうかかわれるのか?心配は尽きません。
映画の中では、家庭の事情で施設に入っている子が
多かったですが、身寄りのない子も当然います。
今サポートしている子の事情も知っています。
月1回だけの付き合いです。当然家族にはなれませんし
「家族と思ってね」なんて言ったことは一度もありません。
ただ、両手を繋いで歩いた記憶だけを与えてあげたかった。
以下秘密事項
施設はここ数年来の改修&新築工事でかなりきれいになっています。
一日密着取材されたのに、1秒も使われてなかった(笑)
自分と違うものを垣間見るけど何も─
そこに来る理由は人それぞれ何でしょうけど、ルールとか設備や生活ぶりを見るのはかなり新鮮でした。だから人というより全体像を細かく小刻みに見せてくれた前半かなり見入りましたが、徐々に個人に焦点が当てられ出してくると、急につまらなくなった気が・・・あくまで個人的な感想です。
というのも、なんか普通・・・まぁそうなるよなぁという事柄ばかりで、成長過程やこれからの予想などが追って描かれているような気がしましたが、特別なことはありません。別に衝撃的なものを求めていたわけではありませんが、どうでもいいなぁなんて・・・酷い話なんですが、別に悪意とかではなく、むしろ変わり映えしないその人生にむしろ安堵感を覚えたといったところでしょうか。
そうは言っても後半の密着感のなさは結構なものだと思うのですが・・・
いろいろ難しいところが多々あったと、想像すらできないくらいで、文句なんてあり得ず、本当に誠実な作品だったと感じます。
お守りになるような作品
児童養護施設の日常と子供達のありのまま
の姿の映画。
子供達の純粋で繊細、ストレートな言葉遣いなど
正直な気持ちは美しい。
切ないが思いやりがあり優しい世界。
何が凄いって、家庭の事情を言及せず
発する言葉を拾いモザイクもかけてない
所。色々な方向性からの気持ちや意見も
取り入れてるはず。
子供達の視点から見ている社会や家族の
ありかたが鋭くて切ない。
特に普通とは違うと言う言葉が。
同じ児童養護施設のネパール
での体験と経験。
考え方と文化の違いが印象深い。
今後の生きていく上で必要な糧になるのかも
しれない。
家族でもない、他人でもない。
帰る場所、帰れる場所の大切さ。
知見が恥ずかしながら広がりました。
守るという幸せも込めて
沢山の方々に観て欲しい。
70~75点ぐらい。主題歌「トンネル」
ある児童養護施設の子供たちに密着したドキュメンタリー作品です。
説教臭くならず自然体で子供たちを記録しています。
いろんな子供たちがいて、みんな明るく生きている。
この作品を観た著名人の方のコメントに、
会ったこともないのに大切な人が増えてしまったような感じ。
ってコメントがあったけど、本当に、そんな感じ(笑)
出ている子たちの人生が気になってしまう(笑)
最後たたみかけるように良くて、感動が押し寄せた。
最後に流れる主題歌「トンネル」は歌詞が聞き取れて何を歌ってるか分かったんですが、この映画の為に作られたような歌。
心に刺さった。
個人的に観てほしい1作。
どう観たらいいのか・・・
冒頭の施設スタッフさんのインタビューで、施設を出たあとしっかり貯金をして自立している子もいれば、生活が破綻してしまったり犯罪を犯してしまったりみたいな子もいて、きちんと自立できている子は半数くらいかな?みたいな語りがあったので、ずっとそれに引っ張られすぎてしまったかもしれない。
実際に登場した子どもたちは皆、それぞれ心に闇の部分を抱えつつも、施設に適応した生活を送っているように見えたが、これらの子どもたちも施設を出たあとの自立は容易ではないのか、半分は破綻してしまうのか・・・といえば、決してそういうことではないように思える。とはいえ、ではこの施設にはここに登場した以外にもっと破綻しそうな危なっかしい子どもたちもいるのか、といえば、それもちょっと違う気がする。
実際に登場した子どもたちがどのような境遇でこの施設にたどり着いたのか、詳細は語られず(それは当然仕方のないことではあるが)、施設のスタッフや園長先生の気持ちも語られないなかで、淡々と子どもたちの生活場面が流されていく。もちろん、こういう子たちが居るんだなと感じることは大事だと思うが、それをどういうふうに受け止めたらよいのか、結局最後までもやもやしたままだった。
ただ少なくとも、ここの施設の子どもたちは、施設スタッフのあふれる愛情の下で暮すことができ、経済的不自由も少なそうで、かなり恵まれているんだろうなと。こういった施設の多くでは、もっとギスギスした、過酷な環境に置かれているのではないかと、そこは容易に想像できるところであり、そこに思いを馳せるとどうにも暗い気持ちになる。
みんな少しずつ大きくなっていく
子供達の日常に懐かしさを覚える部分もあれば、周りとは違うとふと突き放してくるタイミングもある。その近いようで遠い差異が彼ら彼女らへの理解を深める。
年齢や家庭環境によって変わる施設や関係性の捉え方に、吐き出せない本音が垣間見える。
娯楽かというと微妙な点はあるが、映画館で放映される意義も不親切な点も同時に存在する
今年430本目(合計1,521本目/今月(2024年12月度)9本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
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※ 通常、映画を見終わったら感想を書きましょうというのが公式サイトの在り方ですが、本映画は児童養護施設という特殊な事情を扱う映画のため、「特定個人を非難したりあり方そのものを否定するようなことは控えてください」(X、旧ツイッター)という扱いです。
これも憲法が保障する表現の自由(言論の自由)の例外に当たる要請にあたり(もちろん、評価サイトに名を借りた、虚偽の事実を述べたり、度をこした人格攻撃が許されるものではないのは至極当然な理論として、そうではなく、とにかく「否定的なことは書かないで」ということになっている)、それにどこまで拘束されるかという憲法論もありますが(よって、憲法論的な論点がそもそも論として公式サイト(ツイッターアカウント)に内在的に存在する)、かかる趣旨自体は当然理解するものであり、できるだけポジティブに、かつ、指摘すべき点はするという立場でいきます。
なお、当方は行政書士の資格持ちレベルです(よって、ある程度のことはわかる)。
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児童養護施設の当事者は現在では45,000~50,000人という統計であり、決して少なくもなく多くもないという無視できない存在です。そしてその施設の存在意義は、少年刑務所や少年院等と違い、死別や大病、あるいはアルコール依存症等、「育てられない」という理由が客観的に認められる場合の受け入れ先ということになります(依存症についても程度問題ですが、現在では「病気」として認知されるようになってきたので、多少飲んで暴れる程度なら「やめましょうよ」と行政(や警察)が入りますが、手に負えないケースではもう病院に任せるしかないことになります。だから専門の外来もあれば、ダルク(当事者の会)もある)。
さて、そのような事情で集まった当事者たちを描く本映画ですが、この手の映画ではプライバシーの配慮という考え方があるため、「なぜここにきたのか」ということについては一部を除いてすべて意図的に触れられない形になります。また、逆にこの手の映画にありがちな「過剰なプライバシー保護」による極端なモザイク、ピーピー音で「まるで何が何だかわからない」点も存在しません。ほぼできる限り当事者の声、現状をあるべきに描いた作品であろうということになります。
逆に言えばもともとがそのような作品であるため映画館に何らかの「娯楽性」を求めていくのであればおすすめはできませんし、ドキュメンタリー映画の中でもずっとそれら施設の日常(5~6人だったが、入所して巣立っていくまでをそれぞれに描く形)を描く「退屈な」ドキュメンタリーであり、見るみないは分かれると思います。それも2週間早くtohoシネマズ梅田という一等地にある映画館で見ることができるのは珍しいし、このようなややもすると「退屈な」映画を見る方というのは当然何らかの意識をもってチョイスしているわけであり、その点とても観客のマナーも(他の映画に比べて格段)良かったのは評価できるところです。
作品についても、この手の映画ではどうしても「加害者側」すなわち、遺棄したといいうる親側の責任を問うような展開になったり、あるいは現状起こりうる「負の連鎖」(こうした施設で育った子が成人して子を産んだ時、また虐待を繰り返すといったことはしばしばニュースで見られます)は取り上げられず、とにかくポジティブに動きます。それが良いか悪いか(ある程度良い点を見せつつ、実際日常のニュースで流れるそうした「暗い点」についても触れるべきか)は分かれると思いますが、後者を思い切ってばっさり切ったのは評価できるところです。
映画の内容的に「ここが良かった」というような評価が難しい(特定個人(仮名?)を出すことになるので「特定個人を評価しないで」という趣旨を没却する)のですが、どの子も生き生きと描かれていて、また、深くは取り上げられないものの現在の日本とこれら施設とのかかわりについても間接的にふれられている(この点後述)という等、良かったところです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
なお、上記にも書いてあるように公式より「個人を批判する内容、個人を詮索する内容、地域住民に関することも書かないで(←場所が特定されるからか)」ということであり、それがどこまで私人間効力があるかといった憲法論的な解釈も(それとは別に)可能ですが、その点はとりあえず「飲んで」、それら「個人」についての部分は避けることとします。
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(減点0.1/高校大学の進学についての問題提起があってよかった)
今では準義務教育といいううる高校の進学率は全国で99.9%を超え(高専やろう学校ほかの「高等部」など実質的に高校と言えるものも含む)、事実上の「準義務教育」から「実質的な義務教育」となった高校も、これら施設の出身者では95%ほどに落ちます。また、大学に関しては35%ほど(2022年データ。出典によって値は異なるが、一般に60%程度とする平均の5割~6割の35~40とされることが多い)とされます。
特に後者については、塾に通うことに経済的な制限も多く、また一方でこれら施設の特殊性ゆえに無償のボランティアも断っている事情があり(これら施設は各地にありますが、学習ボランティアはこないで、という扱い)、事実上「定員割れは全員合格扱い」とする都道府県が一般的である今日では高校までは何とかなっても、大学になるといわゆるスポーツ推薦など何らかにたけているなど特殊な事情がないと進学率が極端に下がります。そしてそのことが生涯年収にはじまり「社会人の入り口」でまずハンディを負っている状況は存在します。
この点に関しては「暗い面」でもありますが、取り上げて欲しかった部分でもあります(作品内でも大学に行く行かないという話をするシーンがあります)。
(減点0.1/これら施設と公金の支出のありかた(国、東京都の補助金)に関する説明不足)
日本国憲法の89条は以下のように規定します。
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公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
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実はこのような規定は帝国憲法(旧憲法)にはなく、日本国憲法でこの規定ができた理由は今でも議論の的にもなっています。一つの有力な説として、慈善活動といった「誰でも納得できる事業」に税金をどんどん投入するとお金がすぐなくなってしまうので、それを抑制する趣旨でおかれた条文ではないか、と言われます(この論法を「公費濫用防止説」といいます)。
しかし、現在では私立学校においても補助金が支出されているように上記の規定は緩く解釈されています。つまり、この規定は「お金を補助金で出しっぱなしにしたまま、使い道もわからないのは困る」と解して「お金は支出するけど、年度末に何に使ったか決算書など提出してね」というように広く解釈すれば、それはそれで国をはじめとする公共団体がすべてできない事業のうち民間が行っているものについても同様に補助金を出す合理的な理由になります。現在の日本はこの解釈が前提で物事が動いています(このあたり、憲法と行政法のお話)。
このことはちょっとでもよいので触れておいてほしかったところです(この手の作品はどうしても、例えばフェミニズム思想を肯定的に描く映画しかり、身障者の社会進出しかり、「その手の作品」に異様に攻撃的にうるさい方が「がーがーうるさい」ような事情が存在しますので、その根拠となるべき部分については、念のため示すべきだったのではと思えます。もっともその手の「好戦的な方」が2,000円出して見に行くのかという点はあろうと思いますが)。
(減点なし?/「VODにする予定はない」について)
チラシに「VODにする予定はなく、映画館にぜひお越しください」とあります。一見すればこの手のそうした書き方は、「VODではなくぜひ映画館で(正規のお値段で)見てね」という「ランキング狙い」の趣旨だろうとも一見思えますが、実際にはプライバシーに配慮した映画でもありますので、無制限なVODとすることが難しい事情があったのではなかろうかと思えます(よって、実際にアマゾンプライムなりネットフリックス等でも見ることが想定しづらいタイプ)。
「一方で」ここからが重要ですが、都道府県の大半は未成年の中でも子供、特にこの映画に出てくる大半の子がそうですが…に対して条例において「保護者を伴わない一定時間帯以降の入場制限」をかけているのが普通です(特に厳しいのが大阪、高知。他は一般的。大阪と高知で異様に厳しい理由も不明)。
しかし作品はそれらを扱う一方で当然、この作品の趣旨的に将来、そうした子を救いたいと弁護士や行政書士、あるいは福祉の専門家他を目指すような子が見に来ることも想定できますが、そうした子とて親の同意がなければ(学校をずる休みしない限り)普通は見にいけません。もちろん、この映画の趣旨である(この施設以外の)当事者の子(つまり、他の施設のそれらの子)も同様です(保護者、という概念を観念しづらい)。
「そうであるからこそ」、確かにVODにするには適さない映画であることは理解はしても、「映画の趣旨を最大限鑑みて」何らかの配慮は欲しかったです(VODとしても、たとえば3日間限定です、みたいに日を予告してごく短期間だけで行えば、当事者も見ることはできるでしょうし、そのように日をごく短く設定すればプライバシーの問題も最低限に抑えられるでしょう)。
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敢えて日常から表現される施設
児童養護施設の子どもを被写体に、7歳、11歳、そして施設を出ていく年齢の18歳、卒園後の19歳と、少しずつ成長した子どもにカメラを向けていく。同じ子を追いかけていくわけではないが、施設を巣立つ若者の成長を見届け、祝福するような構成といえる。
小学生の女の子はクラスになじめず、やっと友達ができた様子を涙もろい施設のスタッフが親のように見守る。思春期の男の子たちは、初めて美容院で髪を切り、互いに彼女がいるか気にするなど、ちょっと色気づいた様子。施設を出ていく女の子は名残惜しいのか引っ越しの荷造りが進まない。卒園後の男の子も言い訳を用意して施設に戻ってくる。
このように、大人ぶって施設に頼りたくない時期、頼るべき時期、頼りすぎてしまう時期もあるだろうから、バランスよく子どもの気持ちを満たすのが難しいだろうと思った。
どの子も施設は「実家」でなく、あくまで「施設」。スタッフはお母さんではなくて「おばさん」。「血のつながっていない人を家族とは思えない」。「友達は一緒に住んでいる他人」。そんなドライな言葉を残す。それが子どもの過酷な環境をさりげなく伝えているのか、ちょうどいい言葉がないだけなのか。
子どもとスタッフとの関わりは、言葉ではなくふとした場面に描かれており、スタッフのような料理を作れる仕事に就きたい、初任給が出たらジュースをシスターにおごりたいといった関係に心和む。
監督の舞台挨拶つきで鑑賞した際、一人ひとりにビデオレターを贈るような気持ちで制作されたとお聞きした。確かに卒業式で上映される思い出ビデオを見ている感覚に似ている。個人的にはアクティブな雰囲気を過剰に演出するような音楽や、それぞれの子にコメントを取りにいくような作り方にやや居心地の悪さを覚えた(もちろんそれが見やすさにもつながっているのだが)。
冒頭に出てくるようなスタッフ側からの視点から締めくくるなど、映像集にとどまらず、施設という場所をトータルに考えさせるメッセージがもう少しあればと思った。
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