大きな家のレビュー・感想・評価
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今年一本目がこの作品で良かった。
「14歳の栞」からの「大きい家」です。
子供達大人達の複雑な心境をリアルに感じられて素晴らしい作品でした。このような施設がある事も素晴らしいですが、この施設に入らなきゃならない事を子供達がしっかり受け止めて生きてる事が良かったです。この先もしっかり育って自分の人生を生きてほしいと願うばかりです。
「人生のヒントがたくさん」
「普通」であることの幸せ
日々の日常を淡々と綴った静かな映画です。それは、製作者の意図に沿った演出でもあり、そのことにまず志の高さを感じます。
日々は淡々と過ぎていくものであり、それが「普通」なことなのですが、児童養護施設で「普通」であると言う事は、なんと尊い営みであろうと思います。
それぞれの事情、それぞれの思い〜複雑
色々評判になっていたので鑑賞。
様々な事情で親と暮らせない子供たちが集まって
職員さんにサポートされながら暮らす養護施設を取材したドキュメンタリー。
賑やかに誕生日を祝うシーンや、施設で行われる様々な行事など
子供たちの遊ぶ姿や軽く喧嘩する姿も織り込んで、
幼稚園に通う年齢の少女から、18歳で施設から退所して
施設の近くで一人で暮らす大学生まで、数人の子供たちに密着して
日頃の暮らしへの感想と施設の仲間や職員に対する本音を
インタビューしている。
この映画は撮影に協力してくれた子供たちのプライバシーに配慮し
ビデオ化や配信はされないので、興味のある方はぜひ劇場で!
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
私の頭の中が養護施設と言うと「タイガーマスク」に出てくる
ちびっこハウスからアップデートされてなくて(何十年経ってんだ!)
今時の施設の充実度にまず、驚いた!
それぞれ個室になってて、食事も担当の職員さんが作ってくれる。
洗濯物や身の周りの物も、年齢の低い子供たちには、
本当の親がするように職員さんが片付けて準備したりしてくれる。
本当の親子ではないけれど、一般家庭に少しでも近づけるように
色々工夫されているんですね。
一緒に暮らす仲間と職員さんたちを子供たちはどんな風に思っているのか?
例え一緒に暮らしていなくても、親との関係がそれなりに良好な子供たちは
「血が繋がっていないので家族とは言えない。」と答える。
親との関係が破綻しかけていて、薄々それに気付いている子供は
「家族みたいなものかも〜」と曖昧ながらそっちの方向で答える。
それぞれの実の家族との関係性によって、施設生活のポジションが違う。
それぞれに複雑な感情〜〜
子供によって、施設の仲間を「家族」として認めてしまうと
自分が本当の家族と暮らせていない寂しさと現実を
丸ごと、受け止めないといけなくなる。
あくまでも施設の暮らしや仲間は「仮の存在」としておく事で
「本当の自分」を保とうとする様な健気な姿がほの見える。
兎に角、
みんな元気で!
みんな自由に生きられる様に!
願わずにはいられない。
出演された施設の皆さんの映画
タイトルとおり大きな家
2日連続で鑑賞。
居場所。
児童養護施設。その昔、履修科目中の一部として学び、触れたことはあった。しかし、実際にこの目で目にしたことはないし、同施設で暮らしていたという人物とも出会うことのない人生を歩んできた。
鑑賞後、パンフレットを購入し読んだ上で。24時間・365日、施設の職員として働く方々の懐の深さを思う。もちろん、様々な事情で施設に入所している子どもたちが、それぞれの日常をちゃんと生きている、その姿にもグッとくるものはあったのだが。
その子どもたちの生活の基盤を維持し、より良いものへと日々奮闘する職員の方々。職員が子どもの成長に涙する姿をみて、私自身は他者に対して、これほど想いをもって関わっているのだろうか、と自問自答した。そして本当のところ、そんなに想いをもって他者と関わってはいない自身に気づいてしまう。私は薄っぺらい人間なのだな、と。
施設を出て、彼ら彼女らがどんな人生を歩んでいくのか。願わくば、未来にわたって自身で選択できる人生を歩んで欲しい。
観る者の思い込みを排す
【大きな家】
東京の或る養護施設で暮らし旅立って行く子供らを見つめたドキュメンタリーです。ここには、何らかの事情で親と暮らせない子供らが預けられ、18歳になると退所して行きます。と聞くだけで、「周囲とぶつかり合いながらも職員の人々の愛情に支えられ成長して・・」という感動物語が思い浮かんでしまいます。しかし、本作はそうした思い込みを排する所から始まっています。
子供の一人は、同じ施設の仲間を「家族でなく一緒に暮らしている他人」とクールに語ります。児童養護施設を「暖かな家」、共に暮らす仲間を「家族」と見ず、早いカット割りの映像は観る者の安易な共感を拒絶している様にすら映りました。かと言って勿論ここは冷たい施設である訳ではなく、職員の人々が子供を観る眼差しは暖かく感じます。
それでも、子供らはやはり「本当の」父母の許に帰りたいのだろうか、施設に預けた親を恨む事はないのだろうか、そんな問いへの答えは全て観る者に委ねられるのでした。
一方、本作で描かれるネパールの擁護施設の子は「みんなが家族」と言います。その差は何なのでしょう。文化の違いなのでしょうか。日本の子が悪ぶっているだけなのか、ネパールの子が言わされているだけなのかな。その答えも観る者に預けられます。
表情、景色が眩しすぎて
戦災孤児院から委託養護施設への変遷
90名の入所者に対して112人の職員で24時間年中無休。なかなか手厚い。
素晴らしい職員の人たち。ご苦労さま。ありがとう。ワタシも厨房のおじさんには胃袋つかまれた。
塾にも行けるし、リトルリーグにも入れてくれる。
お年頃になると広い個室も与えられる。
うちの子供部屋の3倍は広い。
申し訳なくてうちの子供には見せられない😅
両親の離婚で片親になった親が預け、また再婚し、ますます引き取りにくくなったケースが多いように感じた。
帰れる実家があると思っている子供の現実にも様々な違いがありそうだ。
学校の同級生から根掘り葉掘り聞かれる前に自分からここがオイラの家だ。大きいだろうと言うんだと言っていた少年のなんとけなげで、いじらしいことか。あの少年は本当に吹っ切れていたのかな?でもそれは誰にもわからない。
国と都から援助があって運営しているそうだが、お金を払える親からは養育費を貰っているのだろう。いずれにしてもおとなのエゴが撒いた種。なんだかな〜って気持ちになった。
オイラの税金が役にたって欲しい。ふるさと納税みたいに使い道を指定できればなあ。
寮長先生が施設を出てから世間に胸張って言えるようになるケースは5割に満たないと言っていたから、この映画に顔を出している子供たちや職員はさしずめエリートたちなのだろうと思う。
ネパールの児童養護施設研修旅行は映画スタッフが企画したのか???ネパールの子供たちは(人身売買や臓器売買の危険から逃れて暮らせて)幸せだと胸張って言っていたが、それが羨ましいんだと言っていた彼女。俯いてスマホしか見ないで、人の目を見ない日本人社会は彼女が感じる不安や孤立感を増幅させるのだろう。遊園地に就職していった彼女が俳優志望のシャイな弟分に連絡しろよ〜って引っ越しトラックから叫ぶシーンは泣けた。
職員の女性と目がそっくりで依存関係にある高校生の女の子が心配だなぁ。歌舞伎町で悪い男に引っかかるなよ。
**「美しい映像と心揺さぶる物語――今観るべき映画『大きな家』
家族ではない
変えられない過去より、変えられる未来志向で
東京にある児童養護施設で、死別・病気・虐待・経済的問題などの事情で親と一緒に暮らせない子どもたちが、職員や他の子どもたちと生活していた。そんな彼らは、両親への思いや、職員との関係、学校の友だち、施設を出たあとの暮らしなど、さまざまな葛藤を抱えながら暮らしていて、養護施設は18歳で出ていかないといけない。そんな話。
おねがいのパンフレットを貰った。
この映画に登場する子どもたちや職員に対するプライバシーの侵害や誹謗中傷をご遠慮くださいとの事。
全国に42,000人も居るらしい。親がいるのに一緒に暮らせない、って悲しいなぁ、と思ったし、親は無責任じゃない?とも思った。
卒業して5割はうまくいっていないという話があったが、5割は頑張ってるんだとそっちに感心した。
何を感じれば良いのかわからないが、過去のことは変えられないから、今からのことを考えて未来を変えていこう、という話をしていたのが印象に残った。
それと、ネパールへボランティアに行った子、向こうで同級生で児童養護施設の子がインタビューに英語で答えてたことにどう感じたのか、興味深かった。
見たままを見る
激しい感情のぶつかり合いや暴力的な状況があるのかと思ったが、ほとんどなく、それは先入観だった。自分の誕生日に親に会うのを楽しみにしていた子供だが親の都合でキャンセルになり、、見てる方が辛くなって叫びそうになった。
知ることからはじめたい。見てよかった。
自分の境遇に対する向き合い方が多様
年末の休日にいつもの映画館で
木曜日で終わるので駆込み
結構入っていた
スクリーン鑑賞は
前回の室井後編以来だ
なんとなくテーマはダブるが
こちらはドキュメント
フジテレビの日曜14時くらいにやりそうな内容だが
テレビと異なり情報は少ない
こちらは様々なことを想像しつつ観る
別に知らなくてもいい
今日入口で配られたチラシには
> 子どもたちの持つ家庭事情などには具体的に言及せず、
> ただ今を生きる子どもたちの発する声や
> 心の動きに焦点を当てています。
とあった 共感する
出てきた子はいい子ばかりで
応援する気になったし もらい泣きもした
自分の境遇に対する向き合い方が多様で
ひたすらポジティブなタイプがいたり
学校で施設の子に会うと微妙なんてことも
卓球部のオリンピック話は結構笑った
冒頭のシーンで語られていたように
道を踏み外す子も少なくないと
それが現実だし人間の奥行きだろう
あ ネパールも出てきたな
かの国では施設で一緒の子は当然に家族とか兄弟
一方日本では違うというのが 興味深い
文化の進み具合のような気もする
どちらがいいということでもないと
20年くらい前だったら
施設の子は家族・兄弟ですと
言わねばならない空気だったかも
百名山山登りもよかった
日本という国がちゃんとしたいい国だと
再確認できた気がした
皮肉でなくて本当に
長かったが
この人数を描こうとしたら必要かなと
今年の最後としては上々の良作だった
「家」にこだわらなくても良いのではないか
本作を紹介するニュース番組に、プロデューサーを務める斎藤工氏が、訪問した施設で出会った子どもの表情に感じた後ろめたさのあったことを話していた。これまで観た児童養護施設を舞台とした作品として、『隣る人』というのがあり、当時放映されたドラマ"Mother"における施設の描き方への反証という位置づけもなされ、様々な困難を抱える子どもたちに親身に寄り添う姿勢のある職員たちの姿を丁寧に取り上げていた印象がある。本作でも、同様の職員たちは描かれている。にもかかわらず、取り上げられる子どもたちは口々に、施設は家ではない、家族ではない、と言う。題名とは齟齬があるのではないかいう思いが募った。最後に取り上げられた、卒園した19歳の人が、自分の可能性を追いながら、時々施設を実家のように思って訪問する姿であった。そこでようやく題名が回収されていた。近年放映されたドラマ『ファイトソング』では、施設長の年齢が卒園した主人公たちと近いせいか、「家」ではないけれども親しみ易い場所や人という位置づけだったように感じた。
血のつながりがなくても家族だ、という言い方がよくなされるけれども、子どもたちには必ずしも理解するのは容易ではないのだろう。家族ではなくても、共同体としての故郷という位置づけでも良い気がする。もちろん、長い時期を過ごしても、故郷と感じられず、戻りたくないと思う人がいて当然であろう。施設も、家ではなく、「故郷」で良いのではないだろうか。斎藤氏が伝えたかった意図を上手く受け止められたとはあまり思えないけれど、児童養護施設には、様々な思いを抱いた子どもが生活し、社会に出て行っているということは確かなことなのだろう。
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