「「家」にこだわらなくても良いのではないか」大きな家 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
「家」にこだわらなくても良いのではないか
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本作を紹介するニュース番組に、プロデューサーを務める斎藤工氏が、訪問した施設で出会った子どもの表情に感じた後ろめたさのあったことを話していた。これまで観た児童養護施設を舞台とした作品として、『隣る人』というのがあり、当時放映されたドラマ"Mother"における施設の描き方への反証という位置づけもなされ、様々な困難を抱える子どもたちに親身に寄り添う姿勢のある職員たちの姿を丁寧に取り上げていた印象がある。本作でも、同様の職員たちは描かれている。にもかかわらず、取り上げられる子どもたちは口々に、施設は家ではない、家族ではない、と言う。題名とは齟齬があるのではないかいう思いが募った。最後に取り上げられた、卒園した19歳の人が、自分の可能性を追いながら、時々施設を実家のように思って訪問する姿であった。そこでようやく題名が回収されていた。近年放映されたドラマ『ファイトソング』では、施設長の年齢が卒園した主人公たちと近いせいか、「家」ではないけれども親しみ易い場所や人という位置づけだったように感じた。
血のつながりがなくても家族だ、という言い方がよくなされるけれども、子どもたちには必ずしも理解するのは容易ではないのだろう。家族ではなくても、共同体としての故郷という位置づけでも良い気がする。もちろん、長い時期を過ごしても、故郷と感じられず、戻りたくないと思う人がいて当然であろう。施設も、家ではなく、「故郷」で良いのではないだろうか。斎藤氏が伝えたかった意図を上手く受け止められたとはあまり思えないけれど、児童養護施設には、様々な思いを抱いた子どもが生活し、社会に出て行っているということは確かなことなのだろう。
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