リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシングのレビュー・感想・評価
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天才ミュージシャンの伝記であり、搾取の歴史のドキュメンタリー
リトル・リチャードといえば、大昔に見たグラミー賞授賞式にプレゼンターとして登場し、「受賞者は……アタシだって!」というボケをしつこいほどやっていて、でもまあなんだか楽しくなるような陽性キャラなおかげもあって印象が悪かったりはしなかったのだが、このドキュメンタリーを観ると、ロックンロールのオリジネーターでありながら正当な評価を得られていない不遇感を長年抱えていたと知り、あのボケがかなり本気だったことに驚いた(その場面の一部はこのドキュメンタリーでも見ることができる)。
さらにチャック・ベリーのコンサートドキュメンタリー『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』ではチャック・ベリーとボ・ディドリーと3人で座談会をしていて、ここでも黒人ミュージシャンの搾取について、冗談を交えながらもかなり熱く語っていた記憶がある。
パフォーマーとしてもシンガーとしてもピアノ奏者としても、また作曲家としても素晴らしい才能の持ち主であることくらいはわかっていたつもりだが、正直、リトル・リチャードのことを今までなにも知らなかった。これは伝記ドキュメンタリーであると同時に、音楽業界の搾取の歴史のドキュメンタリーでもある。非常に学ぶところの多い、見ごたえのある作品であり、ロックに興味があるなら観ておいて損はないです、と、ありきたりな表現ですが、ウソ偽りなくオススメします。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で「トゥッティ・フルッティ」を
数十年前のこと。初期のビートルズの曲の中でもお気に入りの「のっぽのサリー」が、ビートルズの自作曲ではなくカバーなのだと知った時には驚いたなぁ。それを作曲し、歌い、世に知らしめ、ロックの創始者として知られたのがリトル・リチャードです。本作はその足跡を辿るドキュメンタリーです。
僕が、ビートルズの曲だと思っていた事こそが、彼が終生訴え続けた事だったのでしょう。黒人で、ゲイでジャンキーである事を公言していては、白人の様に稼ぐ事はできなかったのです。しかし、彼は「抵抗せる聖人」であった訳ではなく、かなり遣りたい放題の人生だった事が窺えます。
信仰の道を熱く語り、「神のお陰でドラッグをやめた」と語りながらも恐らく薬物依存で、「ゲイから離れた」と言って同性愛の支持者を裏切り、大口を叩き、乱交と聖書が同居する日々を送ったのです。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)のダンスパーティー・シーンで主人公のマーティーが演奏するのが、チャック・ベリーの「ジョニーBグッド」ではなくリトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」だったら彼はさぞや喜び誇りに思っただろうな・・などと考えてしまうのでした。
「オレは過小評価されている!」という叫び
1950年代にロックンロールという音楽のジャンルが確立され、多くのミュージシャンが現れ、ヒット曲を飛ばした。エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、バディ・ホリー、エディ・コクラン、ビル・へイリー、…そしてリトル・リチャード。中でもエルヴィス・プレスリーは60年代、70年代に渡ってヒット曲を飛ばし"キング・オブ・ロックンロール"と呼ばれている。しかし、他のミュージシャンへの影響力を考えるとリトル・リチャードの存在は抜きん出ている。ステージの先進性、他のアーティストによるカバー曲の多さ。
60年代以降に現れ、ロックのスーパースターと言われる多くのミュージシャン達もリトル・リチャードに影響を受けている。また、その事を公言しリスペクトを明らかにしている者も多い。ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、オーティス・レディング(Lucilleのカバーは最高)、ジェームズ・ブラウン、デヴィッド・ボウイ、プリンス…。影響を受けていないロックやR&Bのミュージシャンはいないと言っても過言ではない。同年代に現れたエルヴィス・プレスリーもリトル・リチャードに影響を受けたことを認め、Long Tall Sally などをカバーしている(本当かどうか怪しいけど映画″エルヴィス″の中でリトル・リチャードとのやりとりが出て来る)。
たくさんのミュージシャンがリトル・リチャードの影響を受けヒット曲を飛ばし大金を稼ぎ賞を受賞する。そしてリトル・リチャードは叫ぶ、何度も何度も何度も何度も…。「オレは過小評価されている」。その気持ち、痛いほどわかる。
1997年、デビューから40年以上経って、"アメリカン・ミュージック・アワード"の功労賞を授賞し、彼はステージで涙を流す。多くのミュージシャンが笑顔で彼を祝福する。ミック・ジャガーがキース・リチャーズが…。やっと報われたんだなと。でも本当はみんなわかっていた。彼の功績を。
この映画でリトル・リチャードのたくさんの楽曲を耳にし、派手なライブパフォーマンスを目にした。その時の心の解放感、そして幸福感はどう表現したらいいのだろうか。ロックって素晴らしい。
リトル・リチャードを知れた
1955年、デビュー曲が大ヒットした黒人のリトル・リチャードは、反権力志向の若者たちの心をつかみ、その後もヒット曲を連発していた。しかし、突然引退を宣言し神学校に行き、ゴスペルを歌っていたが、5年後ロックの世界に復帰した。その後、イギリスツアーでビートルズやローリング・ストーンズに大きな影響を与えた。当時は、黒人への人種差別が激しく、またゲイを公言する性的マイノリティーだったので、なかなか評価をされなかった、という彼の人生を紹介した作品。
この作品を観るまでリトル・リチャードを知らなかったのだが、彼の曲に魅了され、派手なピアノパフォーマンスなど、素晴らしかった。ミック・ジャガーやポール・マッカートニーへの影響を与えたようで、なるほど、と思った。
時期的にはエルビス・プレスリーと被るのかな?
おねえ風のトークも面白かった。
感謝の意 形で示そう いますぐに
膨大な映像資料や多数の関係者へのインタビューを織り込みつつ、その一生と遺したレガシーを101分にギュッと纏めた良作。
ロックスターには珍しく?身内、友人や関係者からの評判が非常に良いのが印象的。
I am everythingの言葉通り、音楽史における創造者で建築家で破壊者で革命家で解放者・・と称号に事欠かない。アップダウン激しく人生そのものがジェットコースターのような人物。
神を深く信じ、一方で破天荒な面もあり、他人にはとても優しいが自分自身はなかなか満たされず心を晒せない。クイアーだが(内心はさておき)女性と結婚して良き夫として尽くした。黒人アーティストはまだ不遇の時代、作り出した音楽は白人にある種踏み台として扱われることも多かった。不平等な契約のために困窮し、神の愛を説く生活からまたショービジネスに舞い戻った。
沢山のアーティストに多大な影響を与えたが、自分自身は65歳まで賞を貰えなかった。ようやく表彰されて彼が大粒の涙を流した場面にはこちらも号泣。感謝の気持ちがあるのなら、存命中になるべく早く形にして示すべし。〇んでからでは遅すぎる。
音楽ドキュメンタリーとして十分見ごたえあるが、彼と関係者の言葉が非常に示唆に富んでおり、中身の濃い講義を受けたような知的充足感を覚えた。
観るべし!
素晴らしいドキュメンタリーです😭
私15歳の時、マービン、サム・クックで入門し、オーティス・レディングからの〜 ジェームズ・ブラウン教入信のブラック🐦⬛ミュージック三昧、カーティスを神と崇めます
しかし何故、リトル・リチャードによくもカスらずにそうなったのか?
その不思議 よーく分かりましたデ
クィア迫害と、またしても黒人音楽の搾取どころか奪取されていたのね
アメリカどころか世界中の音楽界の恥ずべき黒歴史
これは1人の偉大なるロックンロールの創始者、🎸天才クリエイターの挫折と魂の復活劇
これほどドラマチックなストーリーには2度とお目にかかれまい❤️🔥
ロックの神様!
私の神様のひとりであるリトル・リチャードのドキュメンタリー映画「リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング」を見てきました。
私はある意味小学校の5年生の時に、ビートルズやローリングストーンズから始まった訳ではなく、リトル・リチャード「Lucille」のあの切れまくったシャウトにシビレて、チャック・ベリー 、バディ・ホリー 、サム・クックなどからロックに入ったくちなので、リトル・リチャードの映画が出来た事に、本当に心底喜んでいます。
しかし、ここでも、人種差別の問題は避けられないんだね・・・・・本当に、人種差別だけは、何時みても胸糞悪い思いをするな・・・・
映画の中で、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーやキース・リチャードが、60年代に、イギリスで、リトル・リチャードの前座で演奏して、その後のツアーでは、エンターテインメントやロックのステージとは何かを勉強になったと言われていましたが、そう、今考えても、色々のアーティストのステージ表現とは、リトル・リチャードから来ているんだなと、改めて思ったよ、それに、途中、トル・リチャードがゴスペルを唄っていた訳も分かったし、本作品を見ると、リトル・リチャードと言う人に会いたかった、ライブがみてみたかったなどと思えてしまうな・・・生涯、リトル・リチャードの生のステージが見れなかった事は残念で仕方がない・・・・
もしかして、リトル・リチャードって、パンクの先駆者でも有ったのかな・・・・正直でストレートな表現、その内に秘めたモノを誰よりも体全体で表現するスタイル・・・・
やっぱ、ロックの神様は、リトル・リチャードでいいんだよ!
「エルビスは、唄うだけ、作曲は出来ないけど、俺は作曲も出来るんだよ」
エルビスも、ビートルズも、ストーンズもリトル・リチャードがいなかったら、あのようなスタイルではなかったかもしれないし、存在していなかったかもしれないね。
ロックの神様と出会えて本当に良かったよ。
次回は、リトル・リチャードの伝記映画を誰か作ってよ・・・・
自宅に帰って直ぐに「Long Tall Sally」「Lucille」「Rip It Up」「TUTTI FRUTTI」「Good Golly, Miss Molly」をフルボリュームで聞いて、ロックしたぜ!
ロックンロール キング降臨!
ロックンロールとは何かと言うことがよく分からなたったが、
このリトル・リチャードを見てよく分かった。
彼はキングではなくゴッドなのだ。
そして、イギリスでロックンロールであんなにもスターが産まれたのか不思議だったのだが、
リトル・リチャードが無名の彼等を直伝したのだった。
テレビのソウルトレーンで時々見かけたが、
あれがクィア(Queer)なのだったのだ。
エルビス達が堂々とパクリしていたとは、情け無い。
観て良かった映画だった。
(^◇^)
リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング
ロックンロールの創始者のひとり、
リトル・リチャードの知られざる真実と素顔に迫ったドキュメンタリー。
1955年、デビュー曲「トゥッティ・フルッティ」の大ヒットで彗星のように音楽シーンに現れた黒人アーティスト、リトル・リチャード。
反権力志向の若者たちの心をつかんでヒット曲を連発するも突然引退を宣言し、
5年間にわたる“教会への回帰”を経て、復帰後はイギリスツアーを通じて無名時代のビートルズやローリング・ストーンズに決定的な影響を与えていく。
当時のアメリカでは南部を中心に人種差別が激しく、さらに彼はゲイを公言する性的マイノリティーでもあり、
陽気なキャラクターを演じつつも壊れやすい繊細な魂をもつ人物だった。
差別と偏見、時代と流行、信仰と音楽活動など、さまざまな狭間の中で苦悩し闘い抜いた彼の魂の軌跡を、本人および親族・関係者、識者の証言や豊富なアーカイブ映像、
さらにミック・ジャガー、ポール・マッカートニーら著名ミュージシャンの証言映像を通してひも解いていく。
リトル・リチャード
アイ・アム・エヴリシング
終末の神を説き続けたロックンロール創始者
「黒人のアーティストたちがロックンロールの礎を築いた。俺はロックの設計者。…創始者。…解放者だ」と自らを語ったリトル・リチャード(本名:リチャード・ウェイン・ペニマン、1932年12月5日~2020年5月9日)のロックアーティストとしての成功と影響力の大きさ、信仰の回心以後の歩みなど彼の実像に迫るドキュメンタリー。
クイアを公言しジェンダーや人種の垣根
からの解放を意識したロックアーティスト
米国ジュージア州メイコンの田舎町で12人兄弟の3番目に生まれた。父親は、教会の奉仕に携わりながらも生業のほかにクラブも運営し密造酒を造り生計を立てていた。それでも一家の生活は貧しく、豆だけの食事と藁を敷いた寝床で暮らしていた。町にはブルースがあふれていたが、様々な教派の教会が建っている町。リチャードは幼少期から母親とゴスペルを叫ぶように歌うバプテスト教会に通いながら、父親のメソジスト教会では聖歌隊で歌っていた。だが、クイアと呼ばれる常識から外れた言動と性的マイノリティであることを隠さなかったため、父親にはたいそう嫌われ勘当された。仕方なくゲイの客層も来る酒場に住み込みゴスペルやブルースを歌って、その音楽センスが認められていく。
黒人向けラジオから火が付いたデビュー曲「トゥッティ・フルッティ」「のっぽのサリー」など立て続けにヒットし、ディスクジョッキが叫ぶ“ロックンロール”の呼称が浸透し、白人の若者たちにも性的な解放感も受け入れられ広がっていく。だがレコードの売り上げは、メジャーなエルヴィス・プレスリーやパット・ブーンがカヴァーした白人アーティストの方がはるかに多かった。
世の終わりが近いと確信して信仰へ回心
ゴスペル伝道者からロック回帰した苦悩
数多くのヒット曲を出し絶頂期を迎えるが、シドニーツアーの途中に世の終わりが近いことを掲示されるような自己体験から「悪魔の音楽を歌い続けてはいけない」と回心し’57に突如引退宣言して神学を学ぶため大学に入学し、伝道者として福音とゴスペルシンガーの道へ進む。しかし、契約のこじれから作った楽曲の印税が入らなくなり、5年後にはやむなくロックとゴスペルの二律施反なステージへと波乱な展開。一方で英国ツアーなどで無名時代のビートルズやローリングストーンズなどが前座やサポートアーティストを務めるなど彼のロックアーティストとしての存在は深まる…。
十代の時から同性愛者だと公言し、ロックンロールの楽曲、歌唱、パフォーマンスの道程を拓き、’59に終末信仰に回心してからは終わりの日が近い神との和解を説き続けた。傍(はた)から見れば多くの矛盾点を挙げられるような言動に波乱万丈な人生。だが、同時代の仲間やビートルズなど彼をリスペクトするロックアーティストたちを丁寧に取材し繊細なタッチで描かれていく。
本作には挿入されていないが、ゴスペルシンガー時代の’61年にシンガーソングライターのウィリアム・ピットの歌詩にリトル・リチャードが作曲・歌唱した“He’s not just a soldier”が耳の奥に聴こえてきた。「彼はただの兵士ではない、誰かの息子。誰かの恋人。多くの人たちに祈られている人…」と語り掛け、「彼はただの兵士ではない、彼は神の子の一人だ」と、神に召し出されている存在者であることを指し示す。神に愛されている自分をさらけ出し、「神の子の一人」として近づく世の終わりに「神との和解を!」と叫び続けたロックンローラーがここにいた。
監督:リサ・コルテス 2023年/101分/アメリカ/カラー&モノクローム/原題:Little Richard: I Am Everything 配給:キングレコード (3月1日より公開)
ロックンロールとは
まさにこの人なんだ。
と言うこと理解できた。
デビッドボウイもストーンズもビートルズも
リチャードから影響を上手に消化しそれっぽくやっただけ。
以降のロックンロールは、それすらも無視し
タダ乗りしてた。
と言うことなんだな。
と言うことが理解できた。
良くも悪くも20世紀は搾取と盗人が勝ち上がってきた時代だった。と言うことなんだ。と言えそうだ🤣
これから本格化を迎えるであろう新世紀の世界は
この20世紀の過ちを悔い改めるところから始まる◎
そんなメッセージと現実を突きつけてくれた🎵
リトルリチャードに感謝。
そして、この機会にをくれたキングレコードに敬意
であるの
リトル・リチャードの人生を描いた最高の作品
ロックンロール、その始まりの一人の物語。
聡明期というとリトル・リチャード、チャック・ベリー 、ボー・ディドリー、ファッツ・ドミノなどが思い浮かびますが、中でも一番好きなのはリトル・リチャードです。
どうしたって頭ひとつ抜けて見えるんですよね。
その波瀾万丈な生き様からして魅力的なんです。
人種差別と同性愛者に対する差別が激しい時代に(そもそもそれが理由で養子に出されてる)自らゲイとカミングアウト。
ショウビズにデビューして魅せた、圧倒的な歌唱と奇抜なステージパフォーマンス。
ゲイにドラッグ、その対極にあるクリスチャンでもあるんですね。
そしてキャリア全盛期に突如の引退、その後牧師の道へ。
再びステージに戻ってからはジミヘン・ストーンズ・ビートルズなどとステージをともにするなど、次の世代のロックンロールの芽を育ててもいました。
しかし天才でありながらも黒人であることで、ずっと静かに不遇の人生だった彼。
後年やっとその功績が認められた時の彼の涙は、私もつられました。
作品は多くが本人のインタビューで作られ、その古き映像が残っていた事にも驚きです。
リトル・リチャードだけでなく、インタビュー等この作品に関わった皆の熱量がとても感じられました。
彼のデビューアルバム「ヒアズ・リトル・リチャード」は今なおロックの歴史に燦然と輝く名盤でしょう。
ロックンロールの創造者であり解放者、そのリトル・リチャードの人生を描いた最高の作品でした。
認めてもらおうとするエネルギーが、実際社会を変えたということ。
音楽性や天才的な歌唱や演奏技術の凄さについては感心したのはもちろんのこと、
割とあっさり進めていたけれど、彼が社会的にきつかったであろうこととか、その社会に対しての彼の功績(黒人の音楽を白人が聞きに来るとかのあたり等の)について、この映画で認識した。
彼の時代にそうなったのか、と。今では当たり前だが。
奮闘時代については、重苦しくなりすぎないようにまとめた感じで、
それよりも、自分を認めさせようということに躍起になっていたところに凄く重点置いてると感じた。
なりふり構わずレベルに、自分を認めさせようとし、どうにもならないことからか、信仰の道に向かってみたりしても、救われ切れず、
そこまでして、社会に認めて欲しかったのだなと。
そこまでしないと認めてもらったと思えないほど、認めてもらうことに飢えていたのは、
父親から認められなかったことや、ふつうのひとたち以上が基本的に認めてもらえている以上に、認めてもらえてないからこそなんだろうか。
同じように存在を認めてもらえず苦労したひとは更に共感するのだろうし
そういう仲間のためにも、彼は社会に訴えるという使命に突き動かされていたのかなと思った。
ただの、音楽的偉人のドキュメンタリーではなく、同時にいまだに解決しきれていない人権の問題について訴えている作品と感じた。
帝王の真実。
全くもって事前に情報入れてなかったがために、得られたショック。
映画の冒頭に振りはあった。そして、その時は「なるほどねー。だからなのね。」という、いわゆる伝記的知られざる的なやつかと思ったぐらい。
ただ、これがメインテーマだと過去映像をうまく繋いで、とあるメッセージを形作られていく。ロックンロールの帝王は、あの時代のあの環境の中で、ことあるごとに発する真実の言葉は、オーディエンスの笑いとともに消えていく。その笑いにかぶせるようにシャットアップのツッコミ。一連のマジな表情さえもテレビショーの文脈で消費される。
ただ、オリジネーターとしての凄みを持って歌い続ける彼の姿に撃たれた。
予想を裏切る作品
この時代の映像が、よく残ってたな〜と感心しきり。
それにしても、アーティストの伝記的な映画で、涙出そうになるとは思いもしなかった。
曲は、ほとんど知ってる!
あ〜カバーで知ってるのもあるのかもしれないけど、そんな経緯があったなんて、初知りだし。
そのどれもが、驚き。
そしてアパルトヘイトが横行していたこの時代に、クイアを公言する勇気。
ホントに凄い!
一気に大ファン。
正直に生きるって、こういうこと。
最高に気持ちよかった!
ロックンロールの歴史の勉強になった。
リトル・リチャードを私は殆ど知らない。私が映画鑑賞の目安とする週刊文春の評価が高かったので鑑賞してみた。
「のっぽのサリー」が彼のヒット曲だったのを初めて知った。この曲はビートルズがカバーしているので覚えていた。本人の顔は初めて見た。とにかく型破りの人で、常識レベルでは測れない。時代を先取りした歌手で、その後のビートルズやストーンズ、エルトン・ジョン、デビット・ボウイらに影響を与えたことがよく分かる。
ただ、彼の人格が余りにも特異なので、共感は出来なかった。口は悪いが根は良い人だとはわかる。何度も「クエリー」と出てくるが、正直に何のことかわからなかった。黒人で同性愛者のこと?
変人過ぎているが、ロックンロールの始祖・革命者には相応しい性格だ。
「ボヘミアン・ラプソディ」以後、2匹目の泥鰌を狙って、昔のスーパースターを題材にした映画がいっぱい作られている。が、優れた作品は数少ない。その中でこの作品は良い方だ。洋楽が好きな人に勧めたい。
お黙り!
近田春夫をご存知だろうか⁉
何年か前まで、週刊文春で「考えるヒット」という音楽コラムを連載していた音楽家で「爽健美茶←ソ~ケンビチャ♪」や「チョコボール←クエッ!クエッ!クエ~♪」 のCM曲が一般的には有名だろうか!?
その近田氏が、YouTubeでこの作品を紹介していたので、悪天候のなか横浜のムービルまでレッツ!GO💨(ムービルは只今会員価格毎日¥1300ポッキリ)
近田春夫を初めて認識したのは小学3年生のとき、ベストテンで見たジューシー・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」のプロデューサーとして
1980年当時でテクノ歌謡(Perfumeの元祖!)というメチャクチ斬新な曲で、9歳の自分は「オモシロイケド変な歌ダナ~」くらいの認識(翌年の矢野顕子の春咲小紅とあまり区別がついていなかったかも⁉)
当然自分の親世代は全くこの曲を理解できていなかった! ナンダ!コノウタ!?
で、漫才ブームが吹き荒れる渦中、ザ・ぼんち「恋のぼんちシート」である
この曲、当時異常にヒットして、全国の小学生が「A地点から~B地点まで~♪」と登下校時口ずさんでイタノデスヨ(この曲が近田氏の一番のヒットに)
他には、自分が高校生のときの、小泉今日子のハウスミュージック「フェイドアウト」
当時の自分はメタルしか聞いてないボンクラ学生で、この曲を「今度のKyon²の新曲、地味ダナ~」くらいの感想← ザンネンナヤツ!(今聞くとカッコイイ🎵)
と、当時タレント活動もしていた(浅草橋ヤング洋品店にも出ていたくらいのタレント性)近田春夫はリトル・リチャードに自分を重ねたらしい
他人に提供した曲が売れ、自分より他人が評価される葛藤
後年、グラミー賞やミュージックアワードでの言葉の端々に「もっとオレを評価してくれよ!!ビートルズもストーンズもボウイも全員オレの影響を受けているんだぜ!」という叫びが涙を誘う
近田春夫もそこに共感したんだろうなー
近田さんだから「世間の皆様、もうチョイ評価シテ💓」くらいだと思うけど…オワリ!
リトル・リチャード〜革命を起こした人😃
公民権運動以前、人種差別が激しいアメリカ南部に、ゲイを公言する黒人が彗星のように現れ、その圧倒的パフォーマンスで若者達を魅了し、音楽の概念を変えた人❣️
彼を見るため、多くの白人が黒人専用の劇場へ足を運ぶことになったなんて、意図せず人種差別撤廃に貢献っ🎶❓
リトル・リチャード素晴らしいっ、やっぱり革命を起こした人なんですね🥳
映画的には、中盤若干中弛みして、疲れてたせいか一瞬落ちたけど、彼の功績がよ〜く分かる作品でした👍
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