「からかいが上手な高木さんの話」映画 からかい上手の高木さん SSYMさんの映画レビュー(感想・評価)
からかいが上手な高木さんの話
ドラマ未視聴、原作も未読。今泉力哉だから仕方なく観にいってやるかぁ~くらいのモチベーションで観に行きました。もっと言えば今泉力哉の才能が少年漫画原作なんかに消費されるなんて日本映画界の損失ではないかとまで、不遜ながら思っていました。
あと最初に愚痴っておくと、ロケ地の風景の評価が高いけど、そこは別に。綺麗なロケーションで撮ったら、そりゃ綺麗な画になるでしょうとしか思いません。綺麗なもんは綺麗ですけど、感動「させられた」感が嫌です。
正直なところ、序盤のノリはキツかった。高木さんは教育実習で西片の中学に来るのにそのことを担当である西片には内緒にするように事前に根回していた。いや、ダメだろ、それ。教育実習って事前に赴任先の先生に挨拶や打ち合わせとか結構あるからな、と教育実習経験者は思うのです。
いきなりロッカーからバーンと出てくるのも、うざ……と思った。25歳でやることかよ。
そして高木さんが赴任してきた当日の同窓会の帰りの西片とのやりとり。なんだこれ。25歳のいい大人のやる恋愛(?)じゃねえだろ。
この時点で共感性羞恥みたいなものがムラムラと発生し、観に来たのを若干後悔していました。
あとなんか高木さんがコワイ。西片と恋人イヤフォンするためにコード付きイヤフォンを仕込み、10年前の再現をしたり、教育実習や同窓会の参加を西片にだけ秘密にしたり、外堀をどんどん埋めていく感じがめちゃくちゃコワかった。だいたい中学の頃に好きだった男子を10年経って追いかけてくるとか重くね?怖くね?そこまで好きなのに「からかい」以外の別のアプローチをしかけないのはなんで?
前半は完全にホラーとして観ていました。
西片という男も、なんだこのドーテー男は、25だろ?イケメンのくせにいちいちキョドってカマトトぶってんじゃねえぞ、となんだかなあと思いながら見ていました。
高木さんのあからさまな好意と自分の中の高木さんへの好意に気づいてないのも、昔の深夜アニメの主人公みたいでイライラしました。
潮目が変わったのは、高木さんと不登校の町田くんが出会ってから。それまでは教育実習を利用して10年前に片思いしていた男を追いかけてきた軽くサイコな女としか思えなかった高木さんが、はじめて血の通った人間に見えました。
町田くんが不登校になった理由に意外性があるとともに、共感できました。意識してない人間からの予期せぬ好意って、ぶっちゃけコワいよね。そして面倒。なんで俺がこんなことに煩わせられなきゃいけないんだ?俺悪くなくね?町田くんの言は正論です。
そういう町田くんに高木さんはその場で反論するわけでもなく、やんわりと肯定します。このやんわりとした肯定がいいなと思いました。ここでやっとこの映画における高木さんという存在が現実味を帯びてきた。
それからはもうずっとよかった。変に泣かせたり盛り上げたり「エモさ」を押し付けてこなくてよかった。前半のマイナスも全部チャラです。
「クラスのかわいい子がなんか知らんけど俺に構ってくれる」ってネタは昨今の受け身になってしまった軟弱な男(特にオタク)どもの妄想を具現化した商業的なキッチュ(フォカヌポウ)だとばかり思い込んでいたが、それだけではないというアウフフーベンがこの『映画 からかい上手の高木さん』なのです。
好き→告白となるようなストレートな恋愛もあれば、超絶ニブチン男をからかい続ける恋愛もあろう。
25にもなって、とか。イケメンのくせに童貞しぐさかよ、とか。10年越しとか重い、とか。そんなことを思うほうが思慮が浅はかで想像力が欠如してるんですよ!
普段「多様性の尊重」とか「恋愛は人それぞれ」とか言っときながら、こういうフィクションになると「これはおかしい」とか言うのがおかしいんですよ。
もちろん作品内で整合性が取れてない「これはおかしい」はあってもいい。が、この作品においては西片は鈍い男として一貫してるし、高木さんは片想いを10年維持し続ける熱量を持ちながら「からかい」戦略一本に賭けている女として一貫している。
そんな男女はいない?これはフ ィ ク シ ョ ンですよ?
フィクションを通して観客は現実を知るのです。僕は今日、恋愛の自由を知りました。これは、観た人の恋愛観の幅を広げてくれる映画です。
あとタイトルが『映画 からかい上手な高木さん』というのが秀逸ですね。まあ、まんま原作のタイトルなんですけど。からかい「上手な」というのが良い。そう、からかいは上手にやらなきゃいけない。
観る前は全く期待してなかったが、予想外にめちゃくちゃよかった。舐めてかかってドラマを見てないことを後悔した。もしかしたらドラマを全部観てからもう一回映画を観に行くかも。