劇場公開日 2024年12月20日

「「学び」の豊かさの映画」型破りな教室 sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0「学び」の豊かさの映画

2025年1月12日
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鑑賞方法:映画館

<1月12日 修正しました>
(注)このレビューは、「個性の芽を摘む日本の小学校」等の文脈で、この映画を他人に勧める方々に対して、否定的な立場であることをお断りしておきます。

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冒頭でお断りした通り、「個性の芽を摘む」とか、「画一的」とか、この映画を引き合いに出して日本の学校現場を語ろうとされる方々は、どんなリアルを見てそうおっしゃっているのかと残念に思った。
また、この作品を「一人の型破りな教師が、型破りな方法を用いて実績を上げたことを描いた映画」ととらえ、「翻って日本では…」と思われたのだとしたら、少しお聞きいただきたいことがある。

本作は、「型破りな教室」というタイトルだが、決して日本においては、フアレスのような教室運営は型破りではない。もっというと、子どもの探究を中心に据えた授業は、明治後期や大正期から存在し、脈々と受け継がれてきていた。そして今、VUCAの時代と言われ、文科省の学習指導要領自体が、「教えから学びへ」と学校教育のシフトチェンジを進めている中で、ご自身が受けた経験(中にはそれで大変傷つかれた方もいらっしゃるかもしれないが)をもとに、批判されているのだとしたら、ぜひ、今現在の身近な学校現場のリアルを知っていただければと思う。

確かに、未だにチョーク&トークの教室も無いとは言わないし、高圧的な価値観が中々改められない者もいる。だが、多くの日本の教師たちは、いかに子どもたちの意欲を引き出すか、いかに現実と学問的内容とを結びつけて実感させるか、真摯に毎日毎時間その問題に向き合いながら、実物や実感を大切にし、子どもの問いを引き出す工夫を考え、目の前の多様な子どもたちと向き合っている。

私が目にした、この映画を使って日本の教育を否定的に語りたい様子の方は、現場の教師は上から(教育委員会や無理解な親など)の圧力で苦しんでるといったニュアンスを漂わせて、教師批判を避けようとされている節も感じられた。しかし、申し訳ないが、それでは逆に無能呼ばわりされている思いがしてしまう。教師は、もっと自律的な立場にあり、授業の進め方も扱う教材も個々に委ねられている専門職であることを知っていただきたい。だから、授業の進め方は一人一人の教師によって全く違うし、子どもたちが違えば、同じ教師でも全く違う進め方をするものだ。決して、誰かに言われたことを言われた通りにこなす訳ではない。

それを踏まえて強調したいのは、この映画の素晴らしさは、特別な教師や特別な才能を発揮した子どもにあるのではないということだ。
パロマが、全国トップにならなかったとしても、全体の10%の子がトップクラスの成績を取らなかったとしても、この映画の描いているものの素晴らしさが色褪せるとは思えない。
テストの点は、ある種の観点から測ろうと試みる知識や理解などの限られた能力の評価に過ぎないからだ。それに対して、いわゆる「非認知能力(やる気、忍耐力、協調性、自制心など、人の心や社会性に関係する力)」は、点数では簡単には測れない。

この映画の素晴らしさは、そうした非認知能力の高まりも含めて、「学び」そのものを描いていることにある。
金八先生やGTOなど、教師に視点を当てたドラマはこれまでもいくつかあったが、それらは、どちらかというと「勉強よりも大切なものがある」というのが、一つのメッセージになっていた。それに対して、この映画は、NHKドラマでしばらく前に放送されていた「宙わたる教室」と同様に、「学ぶ」ということがいかに素晴らしく、いかに豊かで、そこには人の尊厳に関わった、優劣を超えた意味があるのだということを、全編に渡って描き切っているところが素晴らしいのだと私は思う。
そして、その「学びの素晴らしさ」の事実は、皆さんが住まれている町の、公立小学校の日々の授業の中でも、絶えず生まれ続けていることを知って欲しい。

もちろんフアレスは素晴らしい教師だし、共感する点や学ぶべき点もたくさんある。
・教えることよりも、子どもたちが自分で学びとることに絶対的な価値を置いているところ。
・子どもの意欲に火をつけたと思ったら、勇気を持って子どもたちの学びを信じるところ。
・けれど迷って、教室に戻りかけるが、やっぱり信じることを決断したところ。
・子どもたちが質量という概念にたどり着き、思わずうれしくなって公式を教えてしまうというところ。
・そうした自分の取り組みに自信満々というのではなく、悩みながら実践を重ねているところ。
…等々
フアレスは、子どもたちに「君たちから多くのことを学んだ」と素直に言える立ち位置に自分を置いているからこそ、子どもたちはフアレスに励まされ、自らの手で学びの世界を広げていったのだろう。同時に、そうした彼の関わり方が、彼ら彼女らの生活環境という側面において、正しかったと言えるのかと自問するところにとても共感した。
(実際の日本の小学校教師たちも、このフアレスのように、子どもたちが見せる自ら獲得した学びの喜びの姿に元気をもらいながら、様々な理由で課題を抱える子どもたちや家庭と、悩みながら向き合い続けている)

学び続けた結果の子どもたちの描き方も、素晴らしかった。
あの教育長に傷つけられたニコを救う、クラスメイトの連帯感は、真の意味で共に学び合っている仲間だからこそ生まれてくるものだ。
あのシーンだけで、あの教室は、個々の違いを大切にした対話的な学びの授業を、日々積み重ねてきたことが読み取れる。
それにフアレスは、遅刻に厳しい点も含めて、一人一人を伸ばすだけでなく、学級集団としての社会的な指導も疎かにしていた訳ではないことが、忘れずに描かれているところもよかった。

という訳で、私にとってのこの映画は、観た人と「学ぶことの素晴らしさ」や、「人が持つ可能性」について語り合いたい映画だ。そして、残念ながら、そうした「学び」の場に身を置けない子どもたちが少なからずいる現実に対して、どういうアクションをとっていけばいいのか、とって行かれることは何か考え合いたい映画でもある。
その文脈の上に立って「すべての教育関係者や親」に観て欲しいと私は思っている。

sow_miya
sow_miyaさんのコメント
2025年1月16日

タマモクロスさん、コメントありがとうございます。コンテンツベースから脱却できにくい理由は様々だと思うのですが、私は教師自身が意識している「評価」の考え方の問題が大きいと思っています。非認知能力は数値化しにくく、育ちを見抜く眼差しも、教師自身が意図的に持ち、常に磨いていかないと身に付きません。結果、単元の途中でどんなによい取組があっても、最後の評価は「不安なく数値が出る、業者から購入した単元テストで…」ということになると、意図しなくても、子ども自身が自然と暗記型の学習方法を身につけていってしまう恐れもあります。
本作では、フアレスは子どもたちに「全員に10をつける」と言って評価から自由にしつつも、自分の取組は本当にこれでよいのかと悩んでいるところがリアルで、好感が持てました。
求められている知識技能に関わる資質能力も、「生きて働く」という言葉がついている訳で、コンテンツベースの授業であっても、その過程では子どもたちの探求意欲が鍵になりますし、総合などのコンピテンシーベースの授業では、いうまでもありません。そこを悩みながらも、全国の小学校教師たちは、日々工夫を重ねている最中だと思うのです。
評価の問題からは逃げられませんが、私は、教師たちがこの映画を観て、自分たちの目の前の子どもが日々起こしている「学び」の価値に、自信を持っていってほしいと思っています。

sow_miya
タマモクロスさんのコメント
2025年1月15日

コンテンツからコンピテンシーへの大変換が学習指導要領で示されたが、現場の様子を見ると、それが浸透していないのが現状ですね。非認知能力を育てる学校教育が広がって欲しい。多くの先生方に見て欲しい素晴らしい映画ですね。

タマモクロス
2025年1月13日

教育の現場の方から共感頂けて嬉しいです。この映画を見て拙速に日本の教育と比較するのは浅はかですね。「すべての教育関係者〜」って誰の言葉か存じませんが、映画評論家の書いていることが的外れなことってあるあるです。表現の自由はありますけど、自分の理解の拙さを曝け出してしまうこともあるので諸刃の剣ってところでしょうか。そんなレビューに頷く人たちも怖いですけど😱

ブログ「地政学への知性」
コビトカバさんのコメント
2025年1月12日

別に教育委員会を悪くいうつもりはなかったのですが、自分の甥や姪の事で思うところがあったので。
レビューは削除します。
大変申し訳ありませんでした。

コビトカバ
Mさんのコメント
2025年1月12日

「小学校」とあわせて見て、いろいろ考えることがありました。
どちらも素晴らしい映画でした。

M