劇場公開日 2024年2月9日

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瞳をとじてのレビュー・感想・評価

全121件中、81~100件目を表示

3.0エリセ監督の復讐?

2024年2月15日
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鑑賞方法:映画館

寝られる

前情報なく鑑賞したもので、オープニングからの流れは「映画館間違えたのかな?」と確認してしまいました。
本作は約3時間と冗長で、無駄な情報も多く、前半あそこまで長回し使って後半そんなに端折るか?など疑問符もつく出来栄えです。でも、それは人生も同じ。無駄なことや、間違いがあって味わい深くなるものです。映画を愛するものとして、どんな映画にも寄り添っていきたい。ポジティブに観たいと思っています。
前半の薄暗いイメージから後半のスペインの海沿いの風景が目が眩むようで良かったです。トマトを紡ぎながら、魚を採り、犬と暮らし、音楽とともに眠る主人公は羨ましい。演じている方も、相応のお歳ながらセクシーな演技でした!
エンディング、ちゃんと語らないのはエルスール未完になってしまった監督の世間への復讐かな?と思ったり思わなかったり。
長い映画でしたが、味わい深い人生のようで、観て良かったです。

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濁河さかな

3.0映画への思慕

2024年2月14日
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鑑賞方法:映画館

難しい

ビクトル・エリセにはフリオのモデルとなる同士がいたのでしょうか。それともフリオはあの埃をかぶったフィルム映画そのもの?監督が過去に対して何かしらの懺悔とお別れをしている様にも感じました。また、アナログ映画の想いも詰まっていました。冗長なので好みが分かれる作品です。

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ミカ

3.0欧州映画らしい

2024年2月14日
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鑑賞方法:映画館

寝られる

作品紹介を読んで、男の失踪を追うミステリー要素のありそうな展開に興味を引かれて観賞。

でもちょっと違った・・・

【物語】
舞台は1900年代のスペイン。
マドリードのあるTV局の“未解決事件”を取り上げる番組で、22年前に映画撮影中に主演俳優が突然姿を消した事件を取り上げる。

その映画の監督であり、いなくなった人気俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)とは戦友の関係でもあるミゲル(マノロ・ソロ)が番組制作者に呼ばれる。ミゲルは取材に協力し、番組に出演し、フリオと過ごした青春時代と自らの半生を振り返る。

番組の終了後、「フリオによく似た男が老人施設にいる」という情報が寄せられ、ミゲルはすぐに駆け付ける。

【感想】
全体を通じて言えるのは、欧州映画らしい、情緒感溢れる作品であること。
ただ前半は、(これも欧州映画に良くあるパターンだが)延々と登場人物2人が同じ場所で話し続ける会話劇。これが、どうも俺は苦手で段々息苦しくなってしまうし、今回はこちらのコンディションが良くなかったこともあって、ウトウト・・・

後半、フリオの噂を聞いたミゲルが施設に駆け付けるところから急に物語が動き出して、やっとスクリーンに入り込むことができた。

作品紹介などを読んでミステリー作品的な展開? と思ってしまったが、 そういう作品ではなかった。本作はスペイン映画だけど、フランス映画とか好きな方にはスンナリ入って行ける作品だと思う。

逆にハリウッド映画のような刺激強めの作品をお好みの方には向かないかな。

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泣き虫オヤジ

5.0期待度◎鑑賞後の満足度◎ これは『映画』『記憶』『人生』「生きてきたこと」「老いること」「忘れること」を綴った豊穣な映画。

2024年2月14日
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鑑賞方法:映画館

※2024.04.01. 2回目の鑑賞。【ユナイテッド・シネマ橿原】
やっぱり1回目の鑑賞の時はこの映画を充分に理解していませんでしたね(今は理解出来ていると言い切れる自信は勿論ありませんけれども)。
だから下記のようなよう分からんレビューを書いてる…

《「記憶」と「映画」。『ドライヤーが死んだ後は映画で奇跡は起こらない』というマックスの台詞…そしてラストシーンのその先…
①【ヤヌス像】
冒頭から映し出されるのがこの像。ギリシャ神話の時間の神で、前後を向く二面像。一つの顔は過去を向き、もう一つの顔は未来に向いており、物事の始まりと終わりを見据えている。

②個人的には、本作においてはストーリーを追うという映画の見方は余り意味がないと思う。冒頭は何がどうなっているのか少し混乱するし(ラストに至って意味が分かるけれども)、映画中映画も余り面白い話ではなさそう。

③『映画』というものを描いた映画だろう。
また、記憶を繋ぐものとしての映画…”現代“の映画も突然現代になって今の形になったものではなく、過去の「映画」の記憶を繋いでいく延長線上にある…これからの映画も恐らく…

ラストシーンはあれ以外には考えられないな…

“「映画」は観るもの”…なのに『瞳を閉じる』
という意味深な原題に込められた想い…
★★★★》

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もーさん

3.0私には合いませんでした

2024年2月14日
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何か月も前から楽しみにしていた今作でしたが、私には残念ながら合いませんでした。
老いや過去、記憶の喪失に対する考え方に違和感がありました。
大変良かったとおっしゃる方が多く、うらやましいような、悲しいような…まぁ仕方ありません。

設定も、若人あきらさん→我修院達也さんのように、人気俳優なら顔も知られているし、生きていればすぐに見つかると思うのです。その辺りが許容できませんでした。

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ほりもぐ

4.5役者の顔にズームしていかず、ショットの切り替えでアップにしていく技...

2024年2月14日
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鑑賞方法:映画館

役者の顔にズームしていかず、ショットの切り替えでアップにしていく技法に引き込まれる。
同じ映画でも自宅で観るより映画館で観る方が評価が上がると感じる人は多いのではないだろうか? 私は顕著にそれがある。そしてこの映画は特にそれに当てはまる。冒頭から引き込まれっぱなしだ。
出来るだけ映画館で観たいと思う個人的3つの理由が
1.一時停止も巻き戻しも出来ない状況に体調を整えて着座し 映画に向き合う事で作品価値が上がった様に感じる事
2.自宅では不可能な大画面、大音響で観れる迫力と臨場感が得られる事
3.待ってられない
と3つあるが、今作はやはり1番目である。
ビクトル・エリセの前の作品達とある要素が凄く似ていて、全く違うストーリー展開である。知っとくべきは監督の名前とアナ・トレントが出演する事だけでチラシに記載のストーリーすら事前に調べずに鑑賞したかった。だから内容は語りません。
エリセ監督作を2本観れたお得な気分。

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ナイン・わんわん

4.0人生における喪失を抱え追い求める

2024年2月14日
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鑑賞方法:映画館

始めは映画のテンポに馴染めなかったが、丁寧な描写こそ良いと感じてから、ゆったりとした時の流れに身を委ねる
解決を示さない結末も余韻が納得いく
大人になったアナに会ってしまっていいのかという戸惑いと、自身の老いに震えた

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すぅ

4.5失われた二人の人生と記憶が紡いだものとは

2024年2月13日
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鑑賞方法:映画館

失踪した人気俳優を巡るミステリー!ではない
 完成間近だった映画撮影中に突然失踪したフリン。それがきっかけで監督を辞めて作家や翻訳家としてその後の22年間を生きてきたミゲルに舞い込んだ未解決事件を扱うテレビ番組の収録。ミゲルの中で止まっていた時間が動き出す。それでも事件にかくされた陰謀を明かすかのような素振りを見せるのはほんのしばらくで、誰も死んでいないし、誰も殴られない。

3時間の長編映画
 長い映画だ。そして見た直後にははっきりしない結末にストレスが残る。でもなぜか後からわかってくる。映画が展開するテンポはゆっくりだ。それがために目に焼き付けられた登場人物が見せた様々な表情が甦り、この映画の伝えたかったものをじわりじわりと伝えてくれた。

掘り返される過去がミゲルに与えるもの
 腑に落ちない過去に思い掛け無い形で向き合うことになったミゲルは、フリンの消息を掴もうと過去の人間関係に再び向き合う。そうして出会う人々もまたそれぞれがフリンに対する想いがある。それは語られる言葉だけでなく行動や表情という形で表現される。浮世離れしたような生活をしていたミゲルも、ミゲルに接する人々も淡々としているようでどこか優しい。それぞれが22年もの長い時間のなかでフリンのいない人生を築いてきた。いろんな関わり方でフリンと関係した人々に再会するミゲルは淡々としているようで何か心地良さを感じているかにも見える。

心の中の人生の記録とは
 誰もが人生の記録を心に刻む。それを思い出と言ったり記憶と表現したりする。思い出は美化されると言う人もいるが、そのなかには決して美化されない誰もが忘れたい、閉じ込めたいものを持つ。それでもその記憶の中でも関わった人たちがいて今もどこかで生きていている。何も思い出を雄弁に語る必要なんかない。寄り添い合って生きていくだけで価値がある、そんなメッセージが届いた気がした。

全文はブログ「地政学への知性」で

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ブログ「地政学への知性」

4.5映画の奇跡

2024年2月13日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

難しい

幸せ

原題:Cerrar los ojos(仏語)には、思わず目を瞑る、見て見ぬふりをするといった意味合いがあり、邦題である「瞳をとじて」は〈とじてください〉の指示語ではなく、〈とじてしまう〉と解釈するのが正しいと思う。このタイトル、エンドロールの直前まで何が何だか。だがそのシーンを見た途端、普遍的なテーマでありながら監督が31年振りに長編のメガホンを取ったことが瞬時に理解できるほど、とんでもなく綺麗で、その反動から涙が出てしまった。ビクトル・エリセ作品初挑戦だったから身構えていたけど、これはやられた...。

169分とかなりの長尺だけど、退屈ゼロ。こんなシンプルな人生ロードムービーなのに、巨匠の凄腕に永遠と入り込んじゃう。主人公・ミゲルの監督映画と本編の両方でじっくりと描かれる、喪失と再会。たった数日の物語。それでも、ミゲルにとっては一生分の物語。彼のような経験をすることは中々無いだろうけど、ふと自分が生きていることに価値を見出すことって、誰しもあると思う。後半からのミゲルの表情はまるで少年のようで、自分にしか出来ないと行動する姿はカッコよすぎてハッとさせられた。

何万とあるコマのどのコマも、部屋に飾りたくなるほど魅惑的。タバコを吸うシーンや、スープをスプーンで少しずつ飲むシーンだって。流石としか言えない。新作なのに往年の名作を見ているよう。劇中でも昨今の映画事情について、フィルムについて言及される場面があるように、監督自身31年間、カメラを持たなかった間に映画について思うところが沢山あったのだろう。本作のノスタルジックな雰囲気には、古臭さは感じず、フィルム時代の良さを継承したまま、現代の映画にも影響を与えるような目新しさがあった。だから、惹かれちゃうんだろうな...。

語りたいところは山ほどあるんだけど、中でも好きなのは、いくつかあるミゲルらが歌を口ずさむシーン。ギターと共に海辺で、古屋の外のベンチで、そして映画の中で。自分の映画史に残り続けるだろう、かつてない名シーンたち。ここまで食らってしまうとは思ってもみなかった。映画ってなんていいものなんだ。映画は奇跡を起こす。彼らにその奇跡が降りかかったように、私にもまた映画という魔法にかかった。ありがとう、また撮ってくれて。

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サプライズ

5.0もう二度と観られない巨匠作を是非に

2024年2月13日
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鑑賞方法:映画館

興奮

知的

萌える

 ほとんど神格化された「ミツバチのささやき」1973年、日本公開1985年の作品自体そして監督ビクトル・エリセご自身も。果たして映画監督と呼んでいいものか悩ましい程の寡作家。もとより本当の寡なのか、撮りたくても撮れない状態もあれば、本当に31年ぶりに新作をここ数年で作ったのか、30年間費やして作ったのか? 真実が見えないから余計に神がかってきた。

「ミツバチのささやき」をいったいどれだけの日本人が鑑賞したのでしょう? 念のため調べたら一部の有料配信で観られる現況、アマプラでは2500円支払っての購入しか選択肢がない。そして正直に言いましょう、クレイジーな程の映画鑑賞ですが、私は(まだ)観ておりません。岩波ホールを頂点としてごく一部の単館系での公開だったはずですから、チャンスがなかったと言い訳しておきます。

 よって人生初体験のビクトル・エリセ監督作品を映画館のスクリーンで鑑賞したわけです。重厚かつ静逸な雰囲気を覚悟したもので、失踪した俳優フリオを求めての意外やミステリー仕立ての口当たりの良さに驚いた次第。フリオを探す映画監督ミゲルが本作の主役ですが、明らかにエリセご自身を重ね合わせているでしょう。失踪により映画制作が中断したまま20数年、物書きとして湖口を凌ぐ設定。全編を覆うのは映画への愛おしい程の情景が匂い立つ。デジタルとかの映画を取り巻く環境激変への軋轢から、カール・ドライヤーの名まで出しての映像への追憶、そして「ニュー・シネマ・パラダイス」1989年よろしくフィルム映写室を登場させ映画を慈しむ。

 撮影途中で主演男優が失踪で、カギとなるのが撮影済みのラッシュ・フィルムとなり、編集者マックスが保管していたフィルムが本作後半の主役となる。そもそもラッシュなのに、クライマックスでの上映では編集も音入れもなされているのはちと不思議ですが。なにより本作冒頭で始まるのはフランス郊外の古城の所有者である老人の依頼を受けた中年男の登場である。正面からフィックスで撮ったような舞台様式で始まる静寂のドラマは、緊張感を維持しミステリアスに包まれ、やがてバストショットの切り替えしとなり、肝心の人探しの要件が明かされる。怪しげな中国人の執事と言い、中国人とのハーフとなる美少女を上海まで探しに行け! と展開されれば「インディ・ジョーンズ」かと期待が膨らんでしまった。示された少女の写真の妖艶なこと! 時1947年の設定ですから無べなるかな。依頼を受けた男が館から出てくるショットで、画面は止まる。「この撮影の後主演役者は失踪した」とモノローグが入り、映画の二重構造が明かされる。

 戦後の混乱期の上海での探偵ごっこはお預けとなった代わりに、テレビ局からの「未解決失踪事件」への出演依頼に繋がり興味は途切れない仕掛け。もとより、冒頭の「悲しみの王」は果たして本作の入れ子構造のための映像なのか? ひょっとするとエリセが以前に撮りだした別作品のラッシュだったかも知れない。これを活かして本作を構築した可能性もあるわけで。いよいよもってミゲルがエリセと重なる構造。

 ミゲルが動き出し、映画としてのベクトルも明確となり、関係者への聞き込みが続く。切り返しの連続が続き単調に陥ったきらいはあるものの、マックスとの会話シーンでは流石の描写を紡ぎ出す。ソファに座ったマックスと立っているミゲルとの視線が合わないカットバックが続く、まるで噛み合わない会話のように。実はマックスの座ったソファのすぐ後ろにミゲルは立っていた訳で。劇中映画が起承転結の「起」となり、マドリッドでの調査が「承」となり、ミゲルの現在の住まいに移動しての海沿いのミニ・コミュニティが「転」となるが、ここのシーンが実に心地よい。多分スペイン南部の地中海の大海原が望める景勝地での平和な暮らし、ここで遂に「フリオ」の消息情報がもたらされ、一挙にクライマックスの「結」に突入する。ボルテージ爆上がりです。

 しかし、そんな簡単に明かされない「結」です。そもそも本作のタイトルからして、ラッシュ・フィルムを見せられた失踪者本人であるフリオは静かに瞳を閉じて映画は終わるのですから。いじわるかも知れませんが、この余韻も佳きものです。果たして映画により記憶喪失の復活と言う奇跡は起きたのでしょうか? ご丁寧にエリセはヒントまで観客に用意していました。冒頭の劇中映画の館の庭に据えられた「ヤヌスの像」は、エンドタイトルでも延々と全体像とアップを繰り返される。ローマ神話の出入り口と扉の守護神で、前と後ろに反対向きの2つの顔を持つのが特徴の双面神。だからどうなの? なんて聞かないで下さい、各自の解釈で十分で、決めつけられない多様性の社会なのですから。

 それにしても「ミツバチのささやき」に当時5歳で主演にした純真無垢な少女アナ役を演じたアナ・トレントが、同じ役名でフリオの娘として本作に登場の事実に驚愕しても、本作にとって何の意味も持たないわけです。これを以って妙な解析は馬鹿馬鹿しい限りと思います。

 多分、次作は望めないわけですから、是非ご鑑賞をお薦めします。

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クニオ

2.5雰囲気は良かった でも全然入れなくて、 3時間は結構苦痛でした、ご...

2024年2月13日
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雰囲気は良かった

でも全然入れなくて、

3時間は結構苦痛でした、ごめんなさい

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jung

4.5二度目の囁き

2024年2月13日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

難しい

寡作にもほどがある。
本作は実に三十一年ぶりの新作。

監督の『ビクトル・エリセ』は
1967年から五十六年間の活動歴で撮った長編は僅かに四本。

そのうち一本は{ドキュメンタリー}なのを勘案すれば
もう呆れるほかはない。

もっとも、先の二本
〔ミツバチのささやき〕〔エル・スール (1982年)〕は
何れも佳作なのだが。

本作は映画〔別れのまなざし〕の撮影場面から始まる。
監督の『ミゲル(マノロ・ソロ)』にとっては二本目の長編。

しかし旧友であり主演俳優の『フリオ(ホセ・コロナド)』が突然に失踪したことから頓挫、
作品は未完に。

それから二十有余年、『ミゲル』が未解決事件を取り上げるテレビ番組に出演したことから
物語りは動き出す。

『フリオ』らしい男が海辺の施設に居るとの情報が寄せられ
『ミゲル』は現地に向かう。

三時間に近い長尺も、刈り込めば二時間程度に収めることは可能だったろう。
しかし先の劇中映画の撮影場面も含め『ビクトル・エリセ』は多くの要素を盛り込む。

とりわけ狂言回しとなる『ミゲル』の過去の記憶については
執拗との表現があたるほどに。

とは言え、それらは何れも直接的ではなく、
あくまでも婉曲に。

二人と関係のあった女性とのエピソード、
『ミゲル』の家族が壊れてしまった理由やイマイマの彼の生活、
或いは互いが知り合うことになった経緯について。

潤沢にとられた時間の中で
主人公たちの今と昔に仔細にふれることで
あたかも彼らが実存するようにすら感じてしまう。

ここで存在感を発揮する登場人物がもう一人。

『フリオ』の娘『アナ(アナ・トレント)』は
長い間行方不明だった実の父が見つかったとの報に
最初は半信半疑ながら施設に赴く。

しかし『フリオ』は過去の記憶を喪失してしまっており、
旧知の『ミゲル』をも認識できない。

では『アナ』と会うことで記憶は蘇えるのか、が
新たに提示されるサスペンス。

そして、もう一つの謎、
なぜ彼は失踪したのか?の疑問も
解き明かされるのだろうか。

ここで昔からの映画ファンは
〔ミツバチのささやき〕のあの科白が
おそらく発せられるだろうと予感し期待する。

そのために役名を『アナ』として統一したのだろうと。

劇中劇の〔別れのまなざし〕は
生き別れとなった娘を父親が捜すとの真逆の構成。

完成版はないものの、数巻のラッシュは残っており、
それもストーリーに強く関係させるのは
やはり監督の映画愛なのだろう。

1972年の制作の〔ミツバチのささやき〕が日本で公開されたのは
1985年のこと。

スクリーンでは五歳の姿も
1966年生まれの『アナ・トレント』は既に十九歳だったわけで。

それから幾年月、再び本作で姿を見せた彼女は
いかにも年相応の外見。

過ぎた年月の永さを想わずにはいられない。

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ジュン一

3.5ミツバチの遺言

2024年2月12日
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ビクトル・エリセも今年で84歳、おそらく本作が遺作となることだろう。本人もその点は十分承知の助で、この『瞳を閉じて』を通して映画人生の集大成をやろうとしている。が、困った点が一つだけ。なにせ半世紀以上のキャリアの中で本当の意味で完成にこぎつけた長編作品は『ミツバチのささやき』の1本だけなのだ。次作『エル・スール』はプロデューサーに後半1/3をカットされ、本作におけるエリセの分身であるミゲル同様、本人の中では未完成作品のままなのではないか。エリセと同じく反フランコの立場をとり佳作を連発し続けているアルモドバルとは正反対なのだ。

『エル・スール』後は短編制作やドキュメンタリー作品にも手をつけてはいるが、それ以降31年間の長きにわたって沈黙を守り続けていた映画監督なのである。実をいうと私はビクトル・エリセの過去作を観たことがない。本作がビクトル・エリセの初体験で、かつおそらくは最後となることだろう。この映画、何十年もメガホンを握らなかった監督の言い訳にもなっているわけで、“静謐の魔術師”の異名をとるエリセにしては、かなり饒舌な作品に仕上がっている。

『ミツバチ』撮影中実在のフランケンシュタインを相手にしているとすっかり信じこんでしまったアナ・トレントが、失踪した映画俳優の娘役で登場している。記憶を失った父親に向かって「私はアナよ」と囁くシーンは『ミツバチ』のオマージュだそうだ。が、セルフオマージュ作品として本作を成立させるためには絶対数が足りなさすぎる。そこで苦肉の策として盛り込んだのが、ニコラス・レイの『夜の人々』やハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』等のマイ・フェイバリットだったのだろう。

日本の映画監督溝口健二についての論考を書いたことでも知られるエリセだけに、(劇中あまり効果は発揮していないものの)溝口お得意の水平移動カメラを随所に発見できる。要するに、自らの映画人生を映画で語る時、他人のふんどしで相撲をとらざるを得ない、それほど寡作の人なのである、エリセは。映画全体の構成(&辿った経緯)がテオ・アンゲロプロスの壮大な失敗作『ユリシーズの瞳』とクリソツなのも気になるところ。

映画内映画『悲しみの王』のラスト・シーンで、中国人ハーフ少女の無垢な眼差しをカメラ目線で映し出すエリセ。批評家連中の心ない突っ込みを拒絶するズルい演出をして見せている。その無垢な眼差しで見つめられた我々観客は、記憶を失ったフリオ同様にやはり瞳を閉じて(心を無にして)、エリセの数少ない過去作品に思いを馳せるのだろうか。ていうか実際、瞳を閉じたら映画を観ることができないんですけどね。

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かなり悪いオヤジ

4.5失踪への一時的な憧れ

2024年2月12日
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2023年。ビクトル・エリセ監督。20年前の映画撮影中に主演俳優が失踪した。監督は撮影を中止し、その後はいくつか小説を書いて話題にもなったものの、現在は海辺の村で静かに暮らしている。そんななか、失踪者を扱うテレビ番組に出演したところ、放送後に失踪した俳優が記憶を喪失した状態で見つかった、と連絡があり、、、という話。
主人公にとって、俳優は兵役を共にした親友でもあり、テレビ番組を機会にその関係者に会うことは、自らの過去を振り返り、老いと直面することでもあるが、その過程で、若いうちに姿を消した俳優について、この世の外へと羽ばたいたように感じられている。老いを前にしてこの世界から抜けだした俳優への憧れのようなものを否定できないのだ。それでも、生きる喜びを感じないらしい現在の俳優の姿はやはり求めるべきものではなく、この世界で、記憶とともに、生きるための「奇跡」(カール・ドライヤー)へと挑戦していく。一時的ではあるものの失踪への憧れ、それでもこの世界を捨ててはいけないという倫理。この展開が切ない。それが映画と記憶に関わる倫理なのだ。
映画を監督する、映画を保存する、映画に出演する、映画を鑑賞する、さまざまな人々の映画への関わり方が丁寧に描かれている。

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文字読み

3.5現実と映画の中の現実、そして劇中映画のシンクロが面白い

2024年2月12日
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鑑賞方法:映画館

”スペインの巨匠”ビクトル・エリセ監督の31年ぶりの長編映画ということで、評論家の評判が頗る高かった本作を、ニワカの私も観に行ってみました。スペインを舞台にした映画と言えば、先月「サン・セバスチャンへ、ようこそ」を観ましたが、本作とは実に対照的でした。「サン・セバスチャンへ、ようこそ」は陽気なコメディ作品であり、当方の勝手なスペインのイメージに合致する作品でしたが、本作はかなり暗く、静かで、低いトーンで物語が進んで行く作品で、同じスペインの映画でも、こうも違いものかと意外に思ったところです(まあいろんな映画があるのは当たり前と言えば当たり前の話ですが)。

お話としては、映画監督である主役のミゲルが、20年前に映画の撮影中に失踪した当該映画の主人公であるフリオを探すというミステリー仕立ての作品でした。しかし人探しそのものに重心を置いた作品ではなく、ビクトル・エリセ監督の長編デビュー作である「ミツバチのささやき」(1973年)で子役として主演を務めたアナ・トレントが、本作でもフリオの娘のアナとして登場したり、劇中映画と本作の登場人物の置かれた父娘の離別と再会という状況や心理との関わり、そして何よりも20年間映画を撮っていないミゲルと、31年ぶりに長編映画を創ったビクトル・エリセ監督が重なるなど、非常に重層的に創りこまれた作品でした。しかしながら基礎知識のないニワカな私としては、物語中盤辺りまで正直消化不良に陥ってしまいました。

しかも3時間近い長編とあって、何度か寝落ちの危機が訪れましたが、記憶喪失になってしまいガルデルと名付けられて老人ホームで働くフリオの所在が明らかになり、ミゲルがそこを訪れる辺りから、俄然面白くなって来ました。そしてフリオと娘のアナの再会、さらには20年前にフリオの失踪で撮影中断を余儀なくされた映画を、最近閉館された映画館に集めて上映するというドラマチックな展開に至り、ビクトル・エリセ監督の神髄を垣間見たような気がしました。

特に感心したのは、先にも触れた劇中映画と映画の中の現実がシンクロしたところ。父娘の再会はハッピーエンドとなるのか?劇中映画では、再会を果たした直後に父親が亡くなりましたが、果たしてフリオは記憶を取り戻すのか?そんな観客の期待と不安が集中する中で迎えるエンディングは、まさに映画らしい映画だったと思います。

そんな訳で、面白い作品ではあったものの、私にとってはちょっと時間が長かったのが残念と言うところでした。そんな本作の評価は★3.5とします。

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鶏

4.5すさまじい余韻に浸りながら涙した

2024年2月12日
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鑑賞方法:映画館

ビクトル・エリセ、31年ぶりの長編映画とのこと。期せずして「ミツバチのささやき」、「エル・スール」、そして今作を一週間で観ることに。

TV番組の出演依頼がきっかけで、元映画監督ミゲルは自作の撮影中に失踪した主演俳優フリオの記憶をたどった。それはミゲル自身の半生を追想することでもあった。

まさに過去を補完するが如き169分。豊穣な時が流れた。エリセにとって初めて思うように撮れた作品ではなかろうか。

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エロくそチキン2

3.0エリセ考

2024年2月12日
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鑑賞方法:映画館

ビクトル・エリセ 31年ぶり新作
31年もの間エリセは何してたんだろうか?
何故今更新作なんだろうか?
この映画のポイントはそこかなと思いつつ鑑賞。
主人公はリタイヤした映画監督、ふむふむ、この時点でもう、エリセはリタイヤしてたんだな、でも何かがあってカムバックしたんだなと考えた。だが肝心の話は遅々として進まない、スローにもほどがある。ミステリー要素はあるがミステリーではなく、どちらかというと主人公がひとり悶々として、その悶々とした主人公の分身が疾走役者なのかな、二人あわせてエリセなのかな、じゃエリセはこの映画で何が言いたいか、またさらに考えた。やっぱり判然としない、疾走役者親父がスクリーンを羨望?懐疑的?な眼差しで見つめるとこで話は終わる。結局、事件が解決しようがしまいがどうでもよく、エリセの映画に対する思いの丈をフィルムに描き起こしただけなのかなと思ってしまった。あれこれ詰め込んでたら3時間になっちゃったのかな?他人の人生観を淡々と見せつけられても途中であきちゃいますよ、本音で言えば。フェリーニの8 1/2もそうだけど映画監督の私映画はなかなか理解に苦しみます。自分のために映画作るなよ。ちなみに映画館で瞳を閉じたら、寝ちゃいますよ 笑

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ちゆう

3.0私には敷居の高い上級者向け作品

2024年2月12日
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鑑賞方法:映画館

難しい

寝られる

普段あまり観ることのないスペイン映画で、しかもヒューマンミステリーということで、ちょっと興味を惹かれて鑑賞してきました。でも、自分にはちょっと難しい作品でした。

ストーリーは、撮影中に主演俳優フリオ・アレナスに失踪された映画監督ミゲルのもとに、失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が届いことをきっかけに、ミゲルが昔の仕事仲間のマックス、フリオの娘のアナ、かつての恋人のロラを訪ね歩き、フリオの行方をたどる中、彼に似た人物が海辺の高齢者施設にいるとの情報を受け、そこで久しぶりの再会を果たすというもの。

冒頭から重厚さが漂う作品であり、その雰囲気は全編で貫かれ、長い年月を経たミゲルとフリオの邂逅をじっくりと描いていると感じます。しかし、そこに再会を喜び合う二人の姿はなく、この行方探しの旅路はどのような結末を迎えるのかと、クライマックスに向けてフリオの動向から目が離せなくなります。

ただ、最後まで明確な結末が描かれることはないので、自分なりに想像して余韻に浸るのか、訳がわからずモヤモヤしたまま終わるのか、観る者によって受け取り方はさまざまになろうかと思います。私はもちろん後者で、本作から何をどう感じればいいのか、なかなか理解できませんでした。

いったいミゲルは何がしたかったのでしょうか。自分の中に引っかかっていた思いをなくしたかったのでしょうか。そのために、未完のままお蔵入りした映画を決着させたかったのでしょうか。それとも、長年行方不明で記憶も失った親友との大切な思い出を取り戻したかったのでしょうか。すれ違いから失った親子の時間を取り戻させようとしていたのでしょうか。そもそもフリオはなぜ失踪し、どうして記憶をなくしてしまったのでしょう。さまざまな思惑が錯綜しているように見え、しかもその結末がどうなったかもわからず、モヤモヤしてしまいます。もしかすると、どんな結果を招こうと、今やるべきことをやりきったという、その思いこそが大切だったのかもしれません。

というわけで、観る者を選ぶ上級者向けの作品という感じで、自分のような若輩者には敷居の高い作品でございました。この日4本目の鑑賞でやや疲れもあり、タイトルに誘われたわけではないですが何度も瞳をとじてしまい、いろいろ大切なセリフを聞き落としたせいで理解が不足していたのならご容赦ください。それにしても、ゆったりしたテンポで延々と続く、聞き慣れない名前と地名が目白押しの会話劇は、なかなかつらい時間でありました。

主演はマノロ・ソロ、脇を固めるのはホセ・コロナド、アナ・トレント、マリオ・パルド、エレナ・ミケルらで、一人も存じ上げませんが、落ち着いた演技が本作の雰囲気によくマッチしています。

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おじゃる

4.5今は過去から続き、未来は今から始まる。

2024年2月12日
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鑑賞方法:映画館
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hum

3.5チャオスィー

2024年2月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

が可愛い

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michi