一月の声に歓びを刻めのレビュー・感想・評価
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どうしてこの形式なの?
三島有起子監督自身の経験に基づいて構成されたとされる、洞爺湖・八丈島・大阪堂島を舞台とする物語です。映像から発せられる切迫感は受け取れるのですが、スクリーンとの間を薄い膜で隔てられている様に感じ戸惑いました。僕が男性だからでしょうか、僕のアンテナが鈍いせいでしょうか。 どうしてこの形式なの? なぜこのエピソードを? って。 そして、長回しの際の不安定にぶれるカメラが気に成って仕方なく、そこで興冷めしてしまいました。
出演俳優の演技は見事だが?
配信(Unext)で視聴。 出演俳優の前田敦子、カルーセル麻紀の演技が素晴らしかった。 前田敦子はもう元AKBの面影はなく完全な女優としての顔。演技からも 伺えた。カルーセル麻紀の演技にはびっくりした。こんなにうまかったとは? ただ、この作品はこの二人の演技を観るだけで十分。 ストーリーは重すぎる。辛い。この一言だ。
辛い過去はなるべく早く忘れる努力をした方がいいと思いました。
やはりテーマ(幼い子供への性被害)が重い。
3話のオムニバスに、
コーダ1(1話のカルーセル麻紀さん)、
エンディング(3話の前田敦子の歌?)を付けた構成です。
1話のカルーセル麻紀が圧巻で、人生80年の歴史と苦難を
この映画に体当たりで注ぎ込んでいる。
その存在にはなんのクレームも付けようがないです。
☆47年前に亡くした娘レイコを今も悼んでいる
父親から母親に性転換した人。
レイコも性被害から殺された・・・ここまで悼む気持ちが大きいと、
残された次女は、疎外感を持つよね。
2話
正直言って、何が描きたかったかほぼ分からない。
哀川翔と原田龍二のユルーイ感じは、なんなんだったの?
八丈島ロケの意味も見出せないし、全然要らない。
3話の前田敦子は20年以上前の性被害を引きずる女性。
そのせいで結婚生活も上手くいかず、元夫はコロナで死んだらしい。
実母の“とよた真帆“なんか必要?
レンタル彼氏!?
この映画の大きな欠点はカルーセル麻紀以外のキャストが
まったく魅力的に見えないこと。
レンタル彼氏とか、その彼氏がイタリア行った話とか、
「息子の部屋」のナンノ・モレッティ・・・とか、言われても
脈絡もなくて、もう少し生っぽくない推敲を重ねた脚本を書いて、
説得力ある普遍性ある映画を見せて頂きたかったです。
カルーセル麻紀の家があまりに文化的かつ機能的かつお洒落で、
ちょっとどん引きでしたし、3話をモノクロにした意図も不明だし、
効果があったとも思えなかった。
という訳であまりいい作品とは思えませんでした。
悲惨だが救いはある
「性暴力と心の傷」をテーマにした3つのオムニバス・ドラマ。
1話と3話でキーパースンとなる女性の名はいずれも「れいこ」。幼い頃性被害に遭っている点も共通している。実は監督自身も同様の経験をしているらしい。そういう意味では3話が最も自己を投影しているのかもしれない。断りもなくれいこをスケッチするトト(男の身勝手な欲望のメタファーだろう)に対して怒りをぶつけ、キンギョソウを千切りながら号泣するれいこの姿は、被害者としての怖れ、声を発せられなかったことへの後悔がない交ぜになった悲痛な叫びそのものである。だからこそ、このパートのみモノクロにして差別化を図ったのではないだろうか。
一方、1話は直接の被害者ではなく遺された者の悲哀を描く。ある意味、当事者が命を失った場合と生き永らえた場合のパラレルワールドのようなつくりにも見える。視覚的にも雪に覆われた大地、真っ白な家の壁と、黒が貴重だった3話とは対照的だ。感心したのは冒頭のおせちの俯瞰シーン。一緒に重箱に盛られているのではなく、最初から会席弁当のように各自にあつらえられた料理。人間所詮ひとりなんだというマキの諦観が表れたようなカットである。そして、それに続く長回しのひとり芝居。悔恨の念を吐露するカルーセル麻紀の迫力ある演技に、観る者は圧倒されるに違いない。
それらに比べて少しインパクトが弱い印象の第2話。しかし不要なエピソードかというと、そんなことはない。ある登場人物が口にする「人間、みんな罪人だ」というセリフ。娘を死に追いやった男性器自体に罪の意識を感じたマキ。「何であたしが罪を感じなきゃいけないんだよ」と嘆くれいこ。“罪”というキーワードを提示することによって、1話と3話を結ぶ役割を果たしている。しかも、来る者を待つという明るいエンディングのエピソードを挟むことにより、話全体に救いを与えている。
そう、実は逆説的にこの物語は救いの物語でもある。そうでなければタイトルに“歓び”の文字を付けるはずがない。そしてそれは、3話に登場する橋から飛び降りようとする女性の「死ぬからな」という声が届いて、自殺未遂に終わることにも顕著である。悲惨な過去と向き合って「何にも知らなくても幸せになれるかな」と歌うれいこの姿に希望を感じるのである。
二人のれいこと島の娘と三島有紀子
二人のれいこが登場する。二人とも幼き頃に性被害に遭っていることで共通している。その姿は自身が幼き頃に性被害体験をした三島有紀子監督の姿にも重なり合う。
最初のれいこは47年前に自ら命を絶っており、その姿は画面にこそ登場しないが、独り残され老いた父親マキ(カルーセル麻紀)による一人芝居により露わに叙述されていく。雪に閉ざされた洞爺湖畔の家で、年始に訪れた長女家族が去った後、孤独と悔恨の念とを炸裂するかの如く、れいこが自死に至るまでの経緯を一人芝居で述懐するマキの姿をロングショットで描いたこのシーンのインパクトは強烈である。
二人目のれいこ(前田敦子)は正に監督の分身である。監督自身が被害に遭った忌まわしい現場で、れいこが監督に成り代って被害の体験を吐露する姿がロングショットで映し出されていく。最初は正面かられいこを映していたカメラは、やがて歩みながら述懐するれいこの勢いに屈して追い抜かされ、なおも背後かられいこを追い続けていく。このワンショットがれいこの激情をスクリーン一杯に漲らせていく。
映画のラストで二人のれいこは再び登場する。最初のれいこは、再びマキにより雪積もる湖畔を想いの丈を叫びながら鬼気迫る様で進んでいく姿を介して、残された遺族の孤独感と罪悪感により浮き彫りされる。一方で、もう一人のれいこは、表情晴れやかに、吹っ切れたかのように前向きになった姿が、短いショットでさりげなく描かれている。
この2つのシーンが連続することで、死ぬまでをも覚悟した恥辱の想いの果てに、強く生き抜くことを決意した一人の女性の姿が描かれていることわかる。その強く前向きな思いは、二人のれいこのエピソードの合間に挿入された荒く波立つ海を背景に身重な体で島に帰省した娘が愛に賭けて飛び出していくエピソードによりさらに強調されている。
つまり、二人のれいこと島の娘は、三人とも三島有紀子監督自身だったのである。
こんなん出ました
監督の思いがつまった、自主上映の映画 ただ御本人しかわからない、各パートのつながりが私にはわからなかった 1パートはカルーセルさん、まるでLGBTp版リア王といった風情? 2パートは伊豆の島が舞台で、ここが一番分からなかった。(娘と父の関係性~未来への志向?) 3パートが大阪北新地 カメラワークには感心したし、象徴性のある小物が効いていた 良くも悪くも独善で良かったも言えるし、時間を返せとも言いたくなる 監督が満足してるなら、それでもいいのかな・・・
カルーセル麻紀さん、ただものでない
NHKの番組内で「罪の意識に焦点を当てた作品」と紹介されているのを見て興味をそそられ、特に作品の公式サイトを覗くことなく観に行ってみてなるほど。 監督する方の物事の捉え方も改めて認識。 数日経ち(レビュー投稿時点では1ヶ月以上になったけど)、思い出そうとするとカルーセル麻紀さんの演技の記憶が一番濃いです。引き込まれ度合いが半端ない。心臓をグッと掴まれたかのような興奮状態にもっていかれます。 やはりあの方ただものでない。無論、良い意味で。
作品全体の輪郭がみえにくかったかな
3つの物語のオムニバス。 監督自身の経験がベースの物語がメインに 配置されている作品(なのかな?) 正直、3話のオムニバスではなく、前田さんの話を 深堀する物語にしてほしかったかなぁ・・って 思ってます。 なぜなら3つの話を通して語りたいポイントを 理解することができなかったのと、前田さんの 物語の熱量がすごかったからです。 (哀川さんの話は必要だったのかなぁ・・・?) 当事者の叫びそのもの、それ以上でもそれ以下でも ない・・・が、画面から訴えてきました。 明確な闇も光も見えるわけじゃない。 自身を奮い立たせるのは、覚悟を決めた自分であり、 自分のために歌声を響かせる。 残酷で不条理な皆罪人の人間の社会で生き抜くために。 前田さんの凛とした歌声が胸に残ります。。
カルーセル麻紀さんの熱演に感動
レビューが賛否が分かれていてポイントも低かったがNHKがテレビで紹介していたので観に。 3人のエピソードによる3部構成、どれも身内を失った失望感やら後悔、助けてやれなかった自分を責め続けると言った苦悩を抱えて生き続ける辛さに向き合う話。 幼児への性的暴行被害の本人を描いた前田敦子のエピソードは白黒で撮られた意味が観ていてじんわりとわかりなぜだか涙が頬を伝いました。泣けたというのでなく涙しました。 哀川翔が父親役のエピソードでは同じ娘を持つ男親として理解できます。 可愛い娘を暴行されて加害者と同じ男という生き物である自分が許せず性転換した父親役のカルーセル麻紀さん、久し振りに拝見したが若いときと変わらず妖艶さと男勝りな迫力ある存在感と迫真の演技に感動しました。 どれも愛するものを失い、愛するが故に起こるエピソード、そんな自分を愛することさえも失いそうになるギリギリの気持ちを描いた行間を読み解く映画で、観るものに考えさせたかった監督の想いが伝わる映画でした。
Wish you were here
法による裁きは、加害者を罰することはできても被害者の心を救済することはできない。時を経て記憶の片隅に追いやることはできても、ふとした拍子に瘡蓋に触れると血は止めどなく溢れる。自分も気づかないうちに罪人になっているかもしれない。自分では出口を見つけられなくなったときに、誰かがここにいて欲しいと思う。
映画の花束
最初にカルーセル麻紀と哀川翔、それに前田敦子が主演と聞き、いったいどんな映画になるんだろう、と思っていたのですが、実際に映画が始まると、まずは洞爺湖畔の静かで美しい光景に心を奪われました。 最初はカルーセル麻紀が主演のパートで、なぜ彼が男性であることをやめたのか、という背景が、映画の進行と共に明らかになっていきます。 映画的な文法に則って、粛々とストーリーは進んでいきます。 その中でも、それぞれのパートの主演俳優たちの演技が光っていました(特にカルーセル麻紀!)。 哀川翔の娘に対する一途な愛、前田敦子の鬼気迫る演技もすばらしかったです。 三島有紀子監督の個人的な性被害の体験がベースになっているとのことですが、そのことはあまり意識せずに、ただ映像の美しさと、それぞれのストーリーの展開を追っていくだけで、静かな感動と、生きていくことに対する全肯定的な姿勢が自然と伝わってきて、映画館を出ると、清々しい気持ちになっていました。 「映画に救われた」という三島有紀子監督が、映画を愛する俳優やスタッフたちと力を合わせて作り上げた、映画ファンに贈る、ステキな映画の花束だと思います!
繊細な感情の叫びが胸を打ち、センスの良さが光る。
三島有紀子監督の10本目の長編かつオムニバス作品。6歳の時に三島監督が体験した性暴力という事件。幼いながら「死にたいと思った」が、映画と出会い、生きることを選んだという。 監督の選ぶ言葉やシーンは、センスがとてもいいなと思う。 全てが素敵でそして悲しくて。 ぜひ観て、流されて、世界観に浸かってみてほしい。
一月の声に歓びを刻め、ひたすらに美しい
人が語るはずの言葉を託されたモノや音がとても雄弁で、まずはそれらに魅入られてしまった。 それは雪を踏みしめる音から始まり、形の違う三つの窓の一日のうつろい、自然、料理だったり……風や、太鼓、雑踏の音だったり。 それを最も効果的な画角で、時には真上から、時には手元から撮られ、それだけで時間の経過や、人の心情が伝わってくる。 音も然り。 なんと丁寧な仕事だろう。 と、前作『RED』の感想にも書いた記憶がある。今回はそれが卓越した領域に至った感じがした。 ことごとのディテールの織り重ねがとてもとても美しい。それらが観たくて、もう一度映画館に足を運んだ。 そしてこの作品は三島監督の過去の経験をベースに作られている。その過去になんと丁寧に向き合ったのだろうと思う。 人物の痛みや喪失が、観ている自分の奥にある痛みに進入し触れそうな時、思わずたじろいでしまうほどの、率直で大きな痛みだった。だからこそ最終章に救われる。生きていこうとする選択の力を感じた。 自分をベースにした作品ながら、物語としてとてもよく練り上げられている。差し挟まれるエピソードによって、予想を裏切って物語が運ばれていく。うねる波のようなダイナミックなリズムだった。傑作だ。 この作品、世界のどこまでも飛んでいってほしい。
「言葉を発する」ことの演出と演技に拍手!
過去に起きた事件を描くのに、回想やフラッシュバックではなく主人公たちの言葉で…いや、主人公たちが言葉を発することで描いていくという監督の挑戦に恐れ入った。往々にして俳優にその力量を求めて陳腐な表現を見せられることが多かった。 しかし、この作品のカルーセル麻紀さんと前田敦子さんが心情を言葉に発する場面は、鳥肌ものだった。彼女たちの内面の痛みを目の当たりにしてスクリーンに釘付けになり、こちらも今にも手や胸がワナワナと震えそうになった。二人とも本当に素晴らしかった!後世に残る場面だと思う。 その言葉で一つだけ気になったのは、八丈島の章。主人公の父がその重要な言葉の中に、何年か前に一時期だけ世間を風靡したお笑い芸人のフレーズを口ずさむのであるが…人の普遍的な心情を丁寧に描いた作品の中にあってそこだけどうにも違和感だけが残った。 あれは脚本の中にあるのか…それとも俳優さんのアドリブなのか。 いずれにせよ、監督は割愛しなかったという事ではあるけど。 勿論それによってこの作品の価値がいささかも損なわれるものではないけれど。
「一月の声に歓びを刻め」観てきました❗️
「一月の声に歓びを刻め」2回目観てきました❗️ 2回目観れて良かったです 1回目、色んなレビューを読んでいたので、それをなぞるような確認するような感じで観てしまっていたかなぁと。。 やっぱり実体験がベースというインパクトも強いから、どうしてもそこに感情が揺さぶられてしまうけど、 2回目は、もっと映画を素直に観れた感じでした。 映像も本当に綺麗で素晴らしいなと思うと同時に、 更に印象的だったのは、「音」でした。 マキさんが、れいこを助けられなかった想いに、一人もがき苦しんでいる時の、詩を「書く」というより「刻みつける」ような万年筆の音がすごく印象深く。 雪を踏み締めながら歩く音も。 太鼓の響きがあんなに悲しみを訴えているように聞こえるなんて すごいです。 日常に溢れる色んな罪、 意図せずに傷つけてしまったり、傷ついたり、 許しがたい罪、優しさ故の物、 それでもやっぱり日々は過ぎていくし、 生かされている、生きている、 大切に思う想いが苦しみにもなる でも、全て否定するのではなく、 受け入れて浄化させる マキが最終章で冷たい湖に向かって叫ぶのも、怒りや憎しみというより、傷ついた娘を守ってやれなかった、抱きしめて辛さを共有してやれなかった、親の子供を愛おしむが故の苦しい想いが痛いほど伝わってきました 映画には もがきながらも前に進もうとしていることも特別じゃなくて日常で、そんな日常を苦しくても愛おしいものなんだと、そこに寄りそいたいと思う監督の、作成された皆様の愛情が溢れてました。 観れて良かったです。 心に響く映画をありがとうございました
食後に映画館に入ると眠くなります
全体に画面が暗くてよく見えないのは、私が年をとって目が悪くなったためだと思いました。 全体に台詞が聞き取りにくいのは、私が年をとって耳が遠くなったためだと思いました。 食後に映画館に入ると眠くなります。何回か、気を失いかけました。 映像が美しいのが救いです。洞爺湖と八丈島がカラーで、大阪がモノクロですが、これは大阪をカラーで撮ると美しくないからでしょう。
心の奥に静かに響く映画
レビューの評価が大きく割れているが、観る人がどんな人生を生きてきて、どんな傷を負い、誰を傷つけ、何を感じてきたかによって、この映画の受けとめ方は大きく変わると思う。 監督自身の体験をモチーフにした作品で、よくぞ撮ったものだと思うが、私小説的ではなく、人が誰でも抱え込む心の傷とか罪の意識とかを普遍的に掘り下げて描いている。自分は映画を見ながら、これまで出会った異性や、自分の子どもなど、いろんな人との間の記憶が心の奥に浮かび、なんとも言えない感情が湧き起こった。そんな風に感じる映画には、なかなか出会えるものではない。そして、ネガティブなテーマでありながら、前向きに生きていこうと思わせてくれる不思議な作品だ。 特筆すべきは映像の美しさ、音の設計の巧みさ、俳優の演技の素晴らしさだ。ぜひ映画館で見ることをおすすめしたい。
帰り道 なんとなく浮いてるような感覚になりました
人や心理的なものが好きで、 色々と深く深く考えてみることが好きで、 最終やっぱり 人や思考って興味深いと改めて思いました。 最近は 映画によっては観た後に 自分を客観的に見たり分析することが出来て、それもまたおもしろいです。 映画を観たあとの夜の帰り道に、 にぎやかな街の中を歩きながら 聴こえてくる音が なんとなく いつもと違う風に感じました。 普段ならすぐに好きな音楽を聴きますが、 自然な音を 聴いていたい気分でした。 れいこと同じように、鞄を前に抱えて歩きながら、 なんとなくそんな自分を俯瞰的に見てるような感覚になりました。 偶然にもその帰り道 見知らぬ人に こんばんは と話しかけられましたが、 トト・モレッティではなかったです。 自分の気持ちや感情を言語化することが得意ではないので上手く書けませんが、 自分には、大きく深い傷はなくても、小さい傷はたくさんあって、受け止め方も人それぞれで、 深い苦しみの人だけじゃなくて、ただ普通に生きてきた自分も。 三島監督の映画をみて、これからもちゃんと生きていこうと思わせてもらいました。 なにが正解で間違いでもないけど、私はこの気持ちでした。 すごく素敵な映画でした。ありがとうございました。
女性目線なのかな
洞爺湖の空が風景が美しい。
カルセールまきの全身白のウエアー雪景色に合う。
雪の中の一発撮り良かったけど、残念なのがカメラで雪の中ので揺れていて。
悲しい物語が3つで静かな風景も良いが、それぞれに中島みゆきの音楽をぶつけるのも面白かった?
美しく、逞しく、清々しい物語。
監督の幼少期の性被害の体験がモチーフだ、と枕詞のように映画が紹介されるのだが、
ある意味、それはどうでもいい。
いや、むしろ、「性被害者を描いた映画」だと、強いイメージがつくことはマイナスではないのか。
(それは事実だし、逃れられないことではあるけれど)
この映画が描いているものは、もっと普遍的なものだと思う。
洞爺湖で47年前に幼い娘が性被害にあり、自死したという経験がある父。
その父は、男性性を厭い、恨み、性転換手術を受けている。
その心には、ずっと後悔がある。
なぜ、あのとき娘を黙って抱きしめてやらなかったのか。
お前は汚れていないと伝えてあげられなかったのか。
その後悔の念は、残された家族にも深い疵を遺している。
八丈島で、妻をなくした男がいる。
一人娘は島を出て、結婚もしていないのに妊娠して帰ってきた。
この二人には罪の意識がある。
交通事故で脳死状態になった妻の生命維持を止める決断をしているのだ。
男、誠の独白でその経緯が明らかになる。
娘が「もういいよ」と声を出しているのだ。
そんな言葉を娘に発させた罪悪感。
その言葉を発した娘も、父との間に溝ができている。
このパートのラスト、娘の言葉には胸の真ん中を突かれる思いがした。
そして大阪・堂島。
元彼の葬儀で久しぶりに帰阪したレイコ。
母との微妙な距離。
そして、レイコは、ひょんなことからであった「レンタル彼氏」のトトに
幼少期の「事件」について話し出す。
ともすれば、「性被害を描いた、重苦しい作品」になってしまう。
ところが、この洞爺湖、八丈島、大阪と舞台が切り替わることで、
全く違う視点が見えてくる。
罪の意識。
疵。
誰しも、生きていれば疵の一つや二つ、体にも心にも残っている。
それはいつか癒えるものもあれば、死ぬまで消えないものもある。
その疵に蓋をすることもできる。
でもきっと、その蓋はひょいと開いてしまう。
そうだ。
ならば、疵とともに、生きていく。
それは、美しく、逞しく、清々しいことなのだ。
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