一月の声に歓びを刻めのレビュー・感想・評価
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オヤジ達の苦悩と気持ち。
次女を亡くしてるオヤジ(カルーセル麻紀)と妻を交通事故で亡くし男手ひとりで娘を育てたオヤジ(哀川翔)…二家族の話。
次女を亡くしてるマキ(父)の元に正月に帰ってくる娘夫婦と孫、もう一つの家族、誠(父)の元に5年ぶりに帰ってくる娘の海、それぞれ抱える問題とオヤジ達の心情と気持ち…。
~第1、2、3、最終章~
ごめんなさい。
第1章で何これ!?で、途中退席しようかと思ってしまった(笑)カルーセル麻紀の一人芝居が観ててかなりキツかった。(作品には触れない)
第2章から何となく観れて哀川翔さんと原田龍二のコンビはなかなかレアな感じだった!Vシネぶり?(作品には触れない)
第3章のれいこ(前田敦子)はマキの娘でOKよね!?(笑)(作品には触れない)
最終章、海で泣き叫ぶマキ、で、れいこは何で死んだの!?(作品には触れない)
全体的にどういう世界観!?れいこがちぎった花をトトが集め、自分で書いた絵は何で一緒に燃やした?リセット的な!?
カルーセル他ザ・芸能人の異物感が貢献。
ザ芸能人な主役3人の異物感が作品の異様に貢献。
中でも今やアップで爺ィ然となるカルーセル(田中泯でないのが味噌)が頭一つ出た。
喪失、鎮魂、悔恨にただ向き合って生きる、か。
哀川の娘、鉄パイプを担いでの台詞が沁みた。
忘れ得ぬ台詞。
支持。
地味だが。
「煙草投げて」は北海道弁やんか
チラシに「あなたは傷を元手に映画を撮る。」というコメントがあり、脚本・監督の三島有紀子が幼少期に受けた性暴力と心の傷をテーマに撮った命がけのというか人生を懸けた作品である。「自主映画」という枠組みでスタートしたとのことでタイトルに込めたその心意気の名残りが恰好良く本編にも(自主映画というジャンルがあるわけないのだが)いかにもというカメラワークに起因するテイストを感じる。「島」「船」を接点に洞爺湖の中島・八丈島・大阪の堂島を舞台とした3つの物語をオムニバスでくくるのだが、どう考えても2話目(八丈島の哀川翔:希望)と3話目(堂島の前田敦子:メインテーマである過去の傷)をテレコに配するべきではないのか?(堂島パートを白黒で描いていることからもなおさら)と思えてならない。監督はNHKでドキュメンタリーを作ってきただけにそのテイストを生かそうとするあざとさ(小賢しさ)が見えちょっと萎える。ワンショット長回しの持つ力は良くわかるがそれに拘り(頼り)過ぎているのではないか。特にエンディング洞爺湖でのカルーセル麻紀の長いカットはさすがにカメラアイを意識してしまい最後に寄ってピンが外れて戻ることで一気に興ざめる。
自らの裡に響く声とは…
静寂に包まれた湖畔の雪原を息絶えだえに歩む足音。荒れ海を渡り吹きつける風を弾き破り響く太鼓の音。街の雑踏にかき消されない足音。航海の始まりと終着。三つのモチーフが三つの小さな物語を「生きること」「罪」とは…と云う大いなる物語を綴る映画と感じました。
洞爺湖畔に独り暮らす子を亡くした親の掬えなかったことへの罪。母の延命措置を止める決断をすることで死をもたらした父と娘への罪。幼い頃に性的被害を受けてしまいトラウマを抱え続けることへの罪。そうした罪がまるで『虐殺器官』の主人公の語り様に開かれたフィクションへ変奏し昇華されてゆく物語とも感じます。
私は三島由紀子監督というと文芸を得手とする職人監督だったのですけれど、自主制作の本作では作り手としての文学に触れた感覚に。劇場で映画を観ることの愉しみを増大させる光と音の演出は勿論、ロケーションと俳優の身体が奏でる奇跡的一瞬…謂わばドキュメントを総てに見せながら映画によって救われた後に創る者となったことのメタ語りも著している作品だった様にも感じられたからです。そういった作品が私の好みだからかもわかりませんけどねっ(笑)
さて『一月の声に歓びを刻め』のタイトル通りに、年を越し再び始まりを迎える一年に人生を重ねその再生と云う意が個人が胸の裡に閉じ込めてしまった無数の罪を開くことで自らを再生してゆく姿こそが「美しさ」へと変奏されて永遠なる掬いとなり、生きてゆくことへのエールとなって欲しい…との願いや祈りとも言える何かになり結末に前田敦子さん演じるレイコの歌となって響くのでした。
さて…あなたはどの様に感じたのでしょうか。
私はあなたが生きて私たちにあなたの物語を届けてくれて、ありがとう。と感謝の気持ちでいっぱいです。
あまりにも浅い
やっぱり言葉でつらつらと言われると浅い感じしかしない。太鼓とかああ言うのが余計にチープさを醸し出す。
映像も叙情的に見せたいんだろうけど、直ぐにセリフ回しが始まって没入できない。
説明セリフの雨霰のなか、どうにか希望を持てたのが長回しくらいか…
多分古い日本映画が好きなんだろうなあとしか思えないし、自分の実体験をやりました!って言うのが余計に観客としてノイズになってしまった。
昆布、黒豆、数の子、りんご
三つの島、船に向かう・待つ・向かうで構成された物語。独特のリズムとテンポ、独特の画角とカメラワークに乗れるかどうか…残念ながら半々💧
余韻の残るキレイな画、アングル、カメラワークなどは面白いなと思った反面、性犯罪に苦しむ一篇と三篇の間に「全ての人間は罪人」という二篇を挟んでいるのにしっくりこなかった…しかし哀川翔と鉄パイプはめちゃしっくりきた(๑˃̵ᴗ˂̵)
演者の本気を感じました!
全く前知識なしでの鑑賞。
正直なかなか感想を答えずらいテーマに感じた。
特に男性は。
3部作でエンディングという構成で
画像はとても美しい映像美だった。
どの話も主演の方達の演技が素晴らしく
演者の本気を感じました。
演者が本気だからカメラも本気!
その緊張感が本作品を包み込んでいました。
ただ、観ている時は全てに緊張感が漂っていたので
正直もっと緩急がほしかったという気持ちにもなりましたが、
後で監督の幼少期に経験した性暴力だったと聞き
この迫力に納得しました。
万人受けするとは思わないですが、
全ての大人に観てほしい映画でした。
過去と生きる3つの心
家族だからこそ
他人だからこそ
胸にしまうものを吐き出すことが
楽な場合も
その逆の場合もある
本当の部分まで晴らせることなど
きっとないのを
美しい景色だけが知っていて
黙ってそこにいてくれる
そして
晴らせることなど
ないけれど
あなたのように
苦しみと生きている私がいるよ
と
もしかしたら
そんな声がきこえてくる
タイトル修正済み
追記済み
島しま縞
カルーセル麻紀(最初はそうと気づかなかったのだが)が一人で暮らす姿を丁寧に描く美しいシークエンスに、傑作の予感。しかし宇野祥平と片岡礼子の手慣れた演技に「むむむ?」。
苦手な前田敦子だがモノクロできれいに撮られていて期待させるが、ちらりと映る役者がすぐ後で絡んでくる演出の連発などで乗り切れず、前田敦子もキザな男も急に自分語り。はっきり言ってこの男は普通いいヤツにしておいたほうが前田敦子のドラマが活かせたのではと。
で、第二幕。幼児期に性被害にあってしまったレイコの悲劇を背景に描く第一幕と第三幕の間に、ごく普通の父娘のドラマが挟まった。ここは明るい結末で良かった。けど太鼓がどうのというのは浅かったな。
映像は美しかったが評価はムムム。「中島 八丈島 堂島」の三島が舞台だったが、中心にハッピーエンドを挟む縞模様になっていたという。
撮る必然性があった監督にとって大切な作品
「幼な子われらに生まれ」の三島有紀子監督作。
三島監督とは昨年11月に観たドキュメンタリー「東京組曲2020」の舞台挨拶の際にお会いしサインをいただいた(緊張してまともに話せなかった😰)ミーハーなファンです。
今作は心に傷を抱える3人の物語。
🌾第一章 北海道・洞爺湖の中島
世間から隔絶したこの地で一人暮らすマキ(カルーセル麻紀さん)。彼女は性暴力を受けて亡くなった次女れいこを思い続けてきた。正月に訪れる長女の家族。長女が「おとうさん」と呼ぶマキはいつ女性になったのだろう。長女の人生を思った。
🌾第二章 伊豆諸島の八丈島
妻を交通事故で亡くした誠(哀川翔さん)。5年ぶりに帰省した娘の妊娠に動揺しながらも受け入れてゆく。
🌾第三章 大阪・堂島
元恋人の葬儀のために帰省したれいこ(前田敦子さん)。レンタル彼氏に声をかけられ一晩を過ごすことに。彼女は幼いときに受けた性暴力により深刻なトラウマを抱えていた。
🌾そしてマキとれいこの最終章へ
三島監督自身が幼少期に受けた性暴力が基になっているとのこと。それを思うと胸が熱くなる。
そう、撮る必然性があった。
感動した人は読まないでください。
まったく心に響きませんでした。
なんか、独りよがりな気がしました。
一回うまくできたから、過去のことを乗り越えられたということ?
うーん・・・。
あと、(いろいろな思いがあったにせよ)誰かが端正に育てたであろうキンギョソウをちぎる主人公に違和感しかありませんでした。
芝居は技術の巧拙以上にその存在なんだとカルーセル麻紀が教える。 脇...
芝居は技術の巧拙以上にその存在なんだとカルーセル麻紀が教える。
脇役に回ったりイケてない女を演じさせたら今や若い俳優でナンバーワンの前田敦子。 モノクロームで映える。
人間は皆んな罪人なんだよ‼︎と励まされて涙が溢れた。
三話とも珍しいアングルから手持ちで映し出す工夫が新鮮だ。
これは迷作?
予告編からは想定しづらい独特な世界観の3つのストーリーを組み合わせた作品といえばよいのでしょうか?
私的には全くハマりませんでした。おそらく作品の内容を理解したうえで行間を読んで映像を味わうタイプの作品だったようです。絶えず睡魔との戦いでした😢
共感できた所はありませんが。風景映像に⭐️2
13
一人の女性の魂を救うために
実に面白い構成の作品である。三島監督だからということはないのだろうが洞爺湖の中島、八丈島、大阪の堂島を舞台とした三篇から成る。堂島には海はなく少し離れた南港から話は始まっている。水辺への拘りは鎮魂のイメージによるものか。
三篇は完全に独立しておりお互いの直接的な関連性はない。ただ第一話と第三話は性犯罪の被害者である「れいこ」という女性が登場するところが共通する。(2人のれいこは全くの別人である)
第二話の八丈島篇には「れいこ」はおらず性犯罪もない。ただ三篇の中では最もとっつきやすく哀川翔の役者としての色気が炸裂する魅力的なフィルムである。思うに第二話は、第一話と第三話が直接的に隣り合うのを避けるためいわば緩衝帯として置かれたのではないか。
まず、第一話の洞爺湖篇はどうにも救いのない話である。暗い室内を影絵のように登場人物が動き密やかに会話を交わす。段々とこの家族(父と娘)は47年前にもう一人の娘れいこを性犯罪によって喪ったことが分かってくる。父=マキは、性加害者を厭うあまり男性性を放棄した。ただ父性は維持したようなのでこの家族にとっては混乱と社会的孤立感を強いられた日々だったのだろう。長女の態度からもそのことがよく分かる。(片岡礼子、好演)
なにせ47年である。死者はもう戻らない。マキの苦しみはもはや救われることはない。
第三話堂島篇でのれいこ(前田敦子)は洞爺湖のれいこと異なり生者である。ただ性犯罪の直接被害者であり深く傷ついている。影絵のように動き(モノクロ)無表情にボソボソ会話する流れで話は進行するが「レンタル彼氏」のトトが現れお節介を焼くことによって状況は変わる。正直、あの程度の儀式で傷ついた心が癒えるのかは疑問なのだが、画面がカラーになり笑顔をみせるれいこ(前田敦子)の魂は救済されたのかもしれない。このシーンの前に洞爺湖で恐らくは憤死するマキの姿が描かれている。遠く離れたこの2人の魂がシンクロしいわば身代わりとしてれいこが救われたことを暗示している。だから彼女が最後に歌うのはタイトル通り救われた「歓びを刻んで」いる姿であるということになる。
そんな都合のよい話はあるかということかもしれない。確かにこれは映画的な虚構ではある。でもせめてひとりのれいこを救うための段取りの映画であったと理解すれば納得はできる。
余韻が抜けない
試写にて鑑賞。
余韻をずっと引きずってしまう内臓にくる映画でした。
何か決定的な出来事が起きてしまった時に
その後の人生がどう変わるのか
どう影響が出るのか
どう向き合ってどう咀嚼するのか
いくつかの「足掻き方」の形を映画を通じて直接触れたような感覚になり
やっつけられてしまいました。
希望の糧
三島映画に見られる長回しが今回も秀逸。
また、視、聴はもちろんのこと、嗅、味、触の五感が研ぎ澄まされる。
1分1秒たりとも心がざわつかない瞬間はない。美しい湖、雪、海、山にさえ圧を感じる。
それはこの映画の中に生きる人達の悶えが投影されているからだ。
自然に対して泣いても叫んでも反応はない。だが吐き出すことで自らが微かでも昇華出来るのなら、もし他の誰かに届くのなら、それは明日を生きる糧となる。
美しい映像と力強さと
試写会にて。
肩が凝るほど静かで重い、でもとても美しい映画でした。
みんな心に傷を負いながらも必死に生きてる力強さが伝わってきました。
カルーセル麻紀さん、前田敦子さんの演技が素晴らしかった。
前田敦子さんが最後のシーンで食べてたのは何だろう?
色と音
第一章は白い雪とその雪を踏む音を
第二章は青い海と和太鼓の音を
第三章はモノクロの中の血と炎とピンクの花、そして響く彼女の歌を
自分の目と耳で感じて、心に刻んできてください。
カルーセル麻紀さんの心の叫びに痺れました。
音と映像でとっても魅せてくる綺麗な映画
試写会当選@池袋シネリーブル🌟
Filmarksさんありがとう😊💕
映画という人工の物でありながら非人工的な『自然音』をフルに五感を使って楽しむ映画。雪をブリブリ踏む音とか、フェリーの汽笛とか、遠くで聞こえる人の話し声に耳を澄ませてみたり。全体が静かだからこそそれができる。『静か過ぎる映画選手権』があったら自分の中で一二を争うポジションにある静けさ。(ちなみに対抗馬はタナダユキ監督の『ロマンスドール』)あまりに静か過ぎてお腹空いてぐぅぐぅお腹鳴っちゃわないか心配になったし、隣の女子の食べたものを消化する消化器系の音までバッチリ聞こえてましたww
上映後には三島監督登壇のティーチインの時間が設けられ、あちらこちらで手が上がり直接監督に聞きたいことを聞く時間。映画素人のあたしには難し過ぎてナンノコッチャな質問が多かったけど、自分が観ていて感じたことをハッキリと監督も言ってたのがちょっと嬉しかった。
ある人には悲壮感漂う出来事について語ってるその同じ場所で、他の人にとってはただの日常だったりする。そのマッチというかミスマッチというか、それが面白い。
最後まで解消されなかった疑問。
マキちゃんの次女のれいこさんと前田あっちゃん演じるれいこさんはなんで同じ名前だったのか……。世の中にはそんな目に遭ってる人がたくさんいるってことを伝えたかった??私にはよーわからんです。
カルーセル麻紀さん、81歳とな!
美しいし、素敵だし、自然だし💜
あんな風に歳をとっていく女性になりたいなー😊
誰しもが持つつらい現実と立ち向かうための勇気の作品
オリジナル作品であれ、原作ものであれ、三島有紀子監督作品の舞台は、それが当人たちにとって、他に代えがたい生活空間となっている。
『しあわせのパン』(12)の宿、『繕い断つ人』(15)の作業場、『ビブリア古書堂の事件手帖』(18)の古書店など、どれもがそうした場所だ。
『幼な子われらに生まれ』(17)や『Red』(20)の家庭も、それに準じる空間と言えるかもしれない。だから懸命に守ろうとする。
だからそこは、洗練を極めた、多くの場合すばらしく趣味のいい、そこに住む者の人間性も浮き彫りにするような空間で、三島監督はその空間の造形に、全力を注いでいるように感じることがある。
そこは彼らが死守すべき「聖域」とも言える場所で、ある種の「繭」のようにも感じられる。そしてそのような場所を必要とする人たちは、必ず心の奥に深い闇をたたえていて、繭の中に閉ざされたその外壁に、小さな(ときに大きな)亀裂が入って、そこから闇がこぼれおちるとき、三島作品のドラマが発動する。
それが全面展開したのが、コロナ禍で室内での生活を余儀なくされた人々の日常を見つめたドキュメンタリー『東京組曲2020』(23)だった。その意味でこの作品は、三島監督の狙いが凝縮された感があって、その室内空間からあふれんとする住人たちの情念を見つめる監督の、あたたかくも冷徹なまなざしが、恐ろしいほどだった。
けれど、そうした映画内空間、いや映画製作そのものこそ、三島監督にとっての「繭」だったのかもしれない。
新作『一月の声に歓びを刻め』(24)を見て、そう思わずにいられなかった。前作『東京組曲2020』が、その繭の外壁に入った”ひび”ならば、今作はその”ひび”からこぼれ落ちた、映画監督 三島有紀子の闇ではないかと。
登場人物ひとりひとりの、目には見えないはずの心の奥を凝視し、見ている者を釘付けせずにはおかない、三島作品のすべては、今作を構成するためのパーツだったのかとさえ思ったほどだ。
『一月の声に歓びを刻め』は自主資金で製作されたという。それも監督自身の体験した性暴力事件を直視することで生まれたとのことだ。それだけに、とてもデリケートな作品ともいえる。が、そこを強調しすぎると、どうしても作品外の事情に引っ張られてしまう。ただしそのことは、作品理解に欠かせぬ立脚点でもあるだろう。
それだけに今作は、人の神経すなわち五感に、直接作用するかのように触れてくる。風や水、すべての生活音や、足音に至るまで聴覚を刺激し、画面に映るものは、視覚はもちろん、嗅覚、触覚、味覚すべてに働きかけてくる。
3話からなる今作の第1章は、カルーセル麻紀の主演による。ここで登場する室内や調理されるおせち料理は、これも最高度に洗練されていて、どこか『しあわせのパン』の宿や料理に通じるものがある(実際どちらも伊丹十三『タンポポ』に参加したフードスタイリスト 石森いずみが関わっている)。けれどそこからどっとあふれ出す過去の闇。
その闇を可能な限りポジティブなものに転換すべく、生命のエネルギーがほとばしる第二章。ここでは哀川翔が愛娘との関係性で、複雑な心情を描く。
そして前田敦子主演による第三章は、作品中もっとも赤裸々に、成長してなお残る性被害の傷口を押し広げる。
第三章の前田敦子だけは、自分だけの“繭“を作りそびれており、それだけに生身のまま、無防備に、丸腰で世界と向き合ってきた、そんな姿を描き出している。
全話いずれも、監督と俳優陣がまともにぶつかり合って、心の奥底を引きずり出したような、フィクションでありながらノンフィクションのような手触りを持っている。
映画は精神分析の道具でもなければ、まして治療の役には立たないと思う。けれど生きている限りはどうしても向き合わねばならない現実への抵抗力、一種のワクチンとしては機能すると信じている。
『一月の声に歓びを刻め』は、人の心のもっとも痛々しい内面を描きながら、ちっとも見る者にストレスや後ろめたさを感じさせず、物語の力で“現実”を見つめる勇気を与えてくれる。
ベートーヴェンが9つめの交響曲で刻んだような、まさに「歓びの歌」とも言える作品だった。
全81件中、61~80件目を表示