ラ・メゾン 小説家と娼婦のレビュー・感想・評価
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変化球のフェミニズム映画として
1988年にフランスで生まれたエマ・ベッケルは、20代前半で小説を2作発表したのち2013年にドイツのベルリンに移住し、2年にわたり娼館で働いた。その体験を綴り、世界16カ国でベストセラーになった3作目の小説「La Maison」を映画化したのが、この「ラ・メゾン 小説家と娼婦」だ。予備知識として、2013年当時フランスで売春は違法で処罰対象だったが、ドイツでは2002年以降売春が合法になったことを頭に入れておくといいだろう。
パリ出身のアニッサ・ボンヌフォン監督は2019年に長編ドキュメンタリー「ワンダーボーイ」を発表。2021年のドキュメンタリー第2作「Nadia」では、2019~2021年にパリ・サンジェルマンの女子サッカーチームに所属したナディア・ナディム選手(アフガニスタンからデンマークに亡命し、市民権を得たのちデンマーク代表としても活躍)を取り上げた。「La Maison」の映画化権は当初男性監督の手にわたったそうだが、権利が流れたのちに原作者本人の希望によりボンヌフォン監督が初の劇映画を手がけることになった。おそらく「Nadia」でのフェミニズムの要素も評価されたと推測される。
そうした成立過程もあり、本作ではセックスワーカーとして働く主人公エマと仕事仲間たち、娼館を訪れる多様な客たち、仕事とプライベートにおける行為の使い分けや感情の持ちようといったトピックを、女性の視点から描いていく。R18+指定であり性的なシーンが頻出するが、エロスを指向するのではなく、エマと相手の客との行為を社会学的な心持ちで観察するような、比較するならギャスパー・ノエ監督の「LOVE 3D」の臨場感とは対極に位置するような客観性が本編の多くを占める。
性産業に携わる女性たちはともすれば蔑視や忌避の対象になりがちだが、彼女らがセックスワーカーを選択する背景には賃金やキャリアにおける男女格差が依然存在することにも改めて気づかされる。また時には心身にダメージを受けるリスクもあるエマや仕事仲間たちの間にある絆も描かれ、変化球のフェミニズム映画として位置づけることも可能だろう。
作中のエマの設定は27歳で、一風変わった“自分探しの冒険”のような趣もあるのだが、演じるアナ・ジラルドが1988年生まれで30代半ばの年相応の風貌なのが難点か。また、エマが出会い系アプリで知り合った相手と初デートの公園でいたす行為は、そんな状況でいきなりそんなことになる?と唖然とした。脚本はボンヌフォン監督と男性のディアステームが共同で担当したが、あの場面には男性のファンタジーが混じったのかも、というのは考えすぎか。
緊急ボタンとか
客がルール違反をした際に咄嗟に押せる緊急ボタンとかは部屋に設置されてないのか、、?
勤務されてる従業員が危険すぎない?
一定数いるでしょルール違反するヤツ
ルール違反した男がなんでまた来店できたの?
「指名入ったわよ」
ていやいや管理者のおばさん、店に入れんなよ、
出禁にしろよ、、
管理が甘すぎる
同僚同士の何気ない会話がすごく良かった。
原作の圧力
自作の為に小説家自身が娼婦として働くという原作の話題性に押し潰されてしまった作品に思えました。幾つもの性愛シーンで目を惹き、最後に結論めいた呟きがあるのですが、「ウダウダ理屈ばかり言って結局何なんだ」と言う昔フランス映画に抱いていた苛立ちが久しぶりに蘇りました。或いは、文学世界ならば立体的であった世界が、映像世界では逆に平板になってしまったと言えばよいでしょうか。
結局は娼婦が天職!
小説家が次回作の取材として娼婦を体験してみる!的な導入なのですが、
結局は娼婦が天職なんじゃないの?
と思ってしまいました。
おそらく本人はそれを認めたくないので、しのごの妹に言い訳しながら
娼婦の仕事を続けるんですよね。で、小説はいっこうに書かないですし、メモばかりがたまっていく。
最初二週間くらいの予定だったのに、半年やり続け、ひいては2年ですからね。
しかも娼婦の仕事に勉強熱心。深掘りしているな〜と思いました。
R18+な表現ではあるものの、エロティックかと言われるとそうでもないと思いました。
そういうふうに映らないというか、送り手もそうしようと思ってつくっていないと思うんですね。
それにしても娼婦の仕事はこんな感じだ!というのをキレイに見せてもらった感じがします。
面白くなくはないけど、若干いっぽん調子な感じなので、上映時間は短いのに、長く感じてしまいました。
伝えたいことがよくわからない映画だった。
苦しい道をあえて選んでいく主人公の気持ちがさっぱりわからない。
娼婦の人たちはみないい人として描かれていた。
ただ、「一度娼婦という仕事をしたら、元の自分には二度と帰れない」という言葉はなんとなくわかった。
鑑賞動機:下心7割、どういうスタンスで描かれるのかへの興味3割
さて、どうしたもんでしょうかね。十把一絡げにしないところや、いいことも悪いことも定時してるのはいいと思うのだけれど、どこか表層的なところにとどまっているように感じられてもどかしく思った。
タイトルなし
どの国にも同じような職業と人間模様があるのかしらん?
小説家が取材する内容の小説なの?
それがフランスでベストセラー?
「小説家と娼婦」というより、「小説家の娼婦」か、「娼婦の小説家」が邦題ではないだろうか?
いずれにせよ、よくわかりませんでした…。
女優さんとしては体当たりの演技だったんだろうか?
そこに愛はあるんか。
売れたい作家が娼婦になってその体験を小説にした(今作の原作)ものより、文才のある娼婦が自ら小説を書くか、問題意識のある作家が娼婦に取材して客観的に書くかした方が、面白いものができるだろうな。
短期間のつもりが二年間も続けてしまったのは、図らずも自分を必要としてくれる男たちによって存在価値を確認したかったんだろうか。
好きになった女性が娼婦をしている(していたでなくしている)と知っても、イアンのように振る舞うことができるだろうか。
女の子たちそれぞれの背景やそこで働く人たちや客の、哀しみや人間模様などは、伊藤紗里、恒松優里が出てたデリヘル嬢の映画の方がよく描けてたような。
もっと長くてもよかった。
女優さんってすごいな。
自己実現と無力感
鳴かず飛ばずの作家・エマが、取材目的であることを隠して高級娼館へ娼婦の一人として潜入取材を試みる話。
「自分は大丈夫」「戻れる」と言いながら、眉を顰められるような世界や過酷な世界に入っていく人は現実にも沢山いる。その背景には楽観や正常性バイアス、自分は特別だと信じる自意識など、様々なものがあるのだろう。
ストーリーは「そらそうよ」の一言に尽きる、リアリティラインとしてもフィクションラインとしても特に意外性のない物語だった。
この作品は、物語の展開や結末自体は重要ではないのかも知れない。観客一人一人の性別、人生観、性欲との付き合い方、職業観、家庭観などによって異なる刺さり方をする作品のように思える。
自分は、エマが娼館の外の日常の中で孤独や野心を持て余す姿が強く印象に残った。商業作家の売れ筋から遠ざかり乗ったはずの「特別」なレーンから外れていく焦りや、「普通」の暮らしに埋もれることを否定しながらも完全には背を向けることができない心の揺れに蝕まれるエマの姿が沈痛だった。
自分を愛するが故に、愛したい自分がそこにいないことが苦しい。少しでも居心地のいい場所を求め、環境を変え彷徨うエマは、いつか理想と現実のギャップを擦り合わせることができるのだろうか。
タフに生きるプロ達の物語として観るもよし、女性の物語として観るもよし、青年から壮年への岐路の物語として観るもよし、壁を挟んで様々な時間の使い方が繰り広げられる空間を楽しむもよし、様々な見方をさせてくれる個性豊かな俳優陣や制作陣の手腕を讃えたい。
性の価値観を揺さぶられる
学術的にいえば、フィールドワークという手法だし、なんら恥じることもないのかもしれない。
相手を知るために、懐に入る。
うん、それはわかる。
これが、パン職人だったらどうよ。
これが、難民キャンプだったら?
娼館だから?
心と身体を使うことに、変わりがないのに、こと性が絡むと偏見になるのはなぜだろう。
自分は偏見で、観ているのか?
そして、暴力で相手を思い通りにしようとするのは、男の側でしょ。
だから、女性の視点で語りたいのではないのか。
男の視点では、見えない女たちの声を伝えられないから?
それにしても、過酷だ。
好きこそものの上手なれ
主役エマ役のアナ·ジラルドの割れアゴが気になってしまった。フランソワ·シヴィルとの「パリのどこかで、あなたと」ではあまり気にならなかったけど、アップが多かったせいか。
妹役とはだいぶ歳が離れている感じでした。姉の心配をする妹は木竜麻生みたいな雰囲気でした。
リア充なのにさらに刺激と経験を求めるエマ。そりゃ上達早いでしょうよ。
心臓が悪いのに通って来るオジサンの悲哀。
ラ·メゾン。なかなかの優良店。
ロッシ·デ·パルマを楽しみに観にいきました。さすが。用心棒級の風格でした(笑)
娼婦と売春婦を区切るもの
結論から言ったらいろいろ良かったですよ。
もうおっぱいとかちんことかでソワソワする歳でもないですし、近年ボリューミーなミートゥー口調で「とにかく男という生き物は野蛮で愚劣!」みたいな話ばっか突きつけられるのも正直しんどい。
そんな世の中において本作は殊更なメッセージを投げかけるような感じでなく、娼婦というお仕事に対しての距離感がちょうどよくいいかげんなのが見やすかったです。
“娼婦という女性像”に対して、
主人公はとりあえず、小説のネタにはなるくらいの刺激的な何かがあるだろうと目論んで踏み入るわけですが、別にそこに壮絶な性奴隷たちの地獄があったわけでもないし、慈愛をもって男たちを癒やす天使や観音様がいたわけでもない。ただ工場のライン作業のように肉の棒から白い液体を取り出すお仕事があって、普通に同僚や先輩がいて、楽な客もいれば嫌な客もいる。主人公が至ったのはそういう、意外と普通な日常なんですね。
“日常”ですから、メモは増えても刺激的で売れそうな本の原稿なんてなかなか書けないわけです。娼婦なんていってもそんな日常に生きる女たちですよってことですよね。
上から目線でかわいそがったり、下から目線で美化したりしないのがよかったです。
最後に嫌なことがあって、「やっぱり結局こういうのは男からの目線で見るのがいいのよね」なんて結論に着地したのは椅子からズッコケそうな気持ちになりましたけども、
それくらいの浅薄な認識の距離感が、むしろ“娼婦という女性像”というものに対して大上段から結論づけないという穏やかさのようでいいんじゃないかなと思いました。
考えてみたら確かにそうですよ。“娼婦”というのは男にとっても女にとっても、イメージの産物であって、イメージの売買。そのイメージを損なうと、それは娼婦ではなくて売春婦の話になってしまう。それはこの“小説家”の書きたいものではなかったっていうことなんでしょうね。
主人公の変態さがだんだん理解できてくる。そこにフランスぽさも感じる...
主人公の変態さがだんだん理解できてくる。そこにフランスぽさも感じる。客が年配者が多くて違和感を覚えたのですが、そういうものなのかな。
公園のシーンがもったいなさすぎた。あれがなければなあ。映画のリアリティーを削りすぎて冷めてしまった。
まさかの映像
ちょっと仕事帰りで別の映画見る予定でしたが、前説の動画見て、なんだ?これは、ドイツベルリン撮影で、ここまで撮るか?思いで、高級娼館の自ら体験を小説とは考え着かないドラマ日本とは違うやり方でしてるんでしようが、どこまで撮すて感じでしたが、30年ぐらい前かな、フランスのモンマルトルの下の何番街かは忘れましたが、呼び込みまぁ~画像と同じ娼館何軒か有って顔隠して素通りしながら見て来ました。何軒有るか分かりませんが、あの頃を思い出しました。
アナ・ジラルドの美貌と名演が👍
作家エマ・ベッケルが高級娼館に娼婦として潜入したときの体験をもとに書いたベストセラー小説「La Maison」を映画化したとのこと。
フランスからベルリンに移り住んだ書けない作家エマ。小説のネタを得ようと娼館「ラ・メゾン」に娼婦として潜入。
2週間のはずが、2年もの歳月が流れた。
娼婦たちと深く繋がった。
包容力を増した。
ただし職業としてはリスクが大きい。危険な客がいるのが致命的だと思う。セキュリティを確保する方法を提案したくなる。
「パリのどこかで、あなたと」のアナ・ジラルドの美貌と名演により説得力のある作品になった。後味も決して悪くない。
フランス版中村うさぎの映画かな
2024年一発目は、昨年末に公開になっていた「ラ・メゾン 小説家と娼婦」を観に行きました。
本作は、主人公である女性作家のエマが娼婦について書こうと思いたち、フランスから移住したドイツ・ベルリンの娼館に身を置き、娼婦として働くというお話でした。娼館におけるセックスシーンも全く隠すことはないもので、当然のR18+指定でしたが、一番驚くのは、原作の小説はエマ・ベッケルという実在の女性作家が、実際に娼館に2年間潜入して体験したことを小説化した作品であるということ。流石は「エマニエル夫人」を生み出したフランスと思ったものの、よくよく考えると、かつて日本の女性作家である中村うさぎも、「叶恭子」という源氏名でデリヘルで働き、その体験を「私という病」において発表していました。エマ・ベッケルと中村うさぎのそれぞれの動機は異なるものの、女性作家が娼婦として働いた経験を文章にするという点では共通しており、何となく互いに惹かれ合うことがある日仏両国の文化の一面に、通底するものがあるのかしらと思ったところです。
肝心の本作の内容ですが、公式サイトなどには、「女性の自由とセクシャリティの解放を扇動する今年最も挑発的な一作」なんていう扇動的な謳い文句が書いてありましたが、そこまで扇動的だったようには思えませんでした。勿論普段では伺い知れない娼婦たちの本音や、そこで働く事情が描かれており、「なるほど」と首肯することはある訳ですが、そのことと「女性の自由とセクシャリティの解放」とは、ちょっと別の話ではないかなと思ったところです。
ただ、ドイツでは日本と違って売春そのものは合法のようで(日本でもいわゆる「風俗」全般は違法ではないけど)、だからこそなのか、娼婦たちも「セックスワーカー」としての地位を法的に認めている点で、日本の事情とは大きく異なるようです。日本の場合、1958年に施行された売春防止法により、表向きに売春は禁止されました。これにより、伝統ある吉原遊郭なども解体され、女性は”解放”された「はず」でした。ところが実際には、組織的な売春行為が日本の至る所で行われているのは周知の事実。
一方ドイツでは、日本とは逆に、元々法的に禁止されていた売春が、2002年に一定の条件下で解禁されたというのだから、これは驚くべきところ。ただこの辺りの経緯を調べて行くと、娼婦の労働環境や衛生環境などを向上させることが条件とされることや、彼女たちを搾取することは当然に禁止されているなど、「売春」というものの善悪の判断以前に、現に存在している娼婦という職業人の立場を保護しようという行政サイドの取り組みの結果としての合法化であり、建前では禁止しているものの、実際は見て見ぬふりをしている日本の行政のあり方とは、随分と違うんだなと思ったところです。だから日本が悪くて、ドイツが素晴らしいと一概に言える訳ではありませんが、ホストに嵌った女性が風呂に沈んでまで貢いでしまうと言った社会問題が起きている日本の現状を見ると、日本の現状を100%肯定する訳には行かないものと思ったところです。
かなり本作の内容と離れて脱線してしまいましたが、主人公にして原作者であるエマは、間違いなく自分の意思で娼婦をしており、そうした自分に疑問を持ちつつも誇りを持って仕事をしていたようにも見受けられ、そういう意味では看板通り「女性の自由」を描いた作品だっとは言えるかと思います。
そんな訳で、本作の評価は★3とします。
美食家と料理人(ポトフ)にタイトルが似てるから見た 読んだはずの解...
美食家と料理人(ポトフ)にタイトルが似てるから見た
読んだはずの解説ほとんど覚えてないまま見たけど、
何がって言われても上手く言えないけど、
結構良かった
主人公、顎が割れててしかも地味目だけど、
でも綺麗だった
娼婦は女優でもある
良客しか来ない店すぎる!海外の作品なのもあって客のオジたちもかっこよく見えるから最後まで気分悪くならずに観られる。日本の映画だったら“リアル”な俳優を起用していると思うのでこれが海外の作品で良かった。
あらすじ
小説家が新作執筆のために実際に娼婦として働いてみよう!という話
3○、青○、レ○セ、S○…などの描写あり
娼婦としてのメリット、デメリットどちらの描写もある。主人公の勤務先が“高級”娼館なのを差し引いてもあまり過激な描写(=客)はないので実際に働いてる人からしたらどう思うんだろう?とは思う。娼婦という職業に興味がある人向けの作品。
「それで、結局どうなんだ?」みたいな終わり方でもあるのでモヤる。
様々なお客さんとA○みたいな作品を観る、という経験はなかなかできないので愉快な体験はできた。プレイ中のシーンも多いけど内容はちゃんと映画してる。
すべてが中途半端。なにが言いたいかは1ミリも理解できず。
サイトを見ると「女性の自由とセクシャリティの解放を扇動する」とか「秘められた世界に生きる女たちのリアリティ」とか宣伝惹句が並んでいる。でも色んな外見の女たちと、色んな性癖をもつ客の男達(女性客も一人だけ出てくるけど)の描き方がいずれも中途半端で人物像の奥行きがない。特に女たちは類型的であり2年間も取材してこれじゃあなあと思う。
そもそも主役のエマの立ち位置がはっきりしない。原作者は取材当時は本作主役のアナ・ジラルドよりずっと若かったらしい。あまり成算もなく取り敢えず現場に飛び込んだというところなのだろうけど、繰り返して言うが2年も取材していればそれなりの仮説なり持論とかが形成されるでしょ。それがまったくない。これじゃあアサヒ芸能や週刊実話の風俗突撃レポートと変わんないよ。
多分原作自体が駄目なんだと思うが。
そうそう宣伝ではラ・メゾンを「高級娼館」と紹介している。このせいか映画の観客は爺さんばかりだった(私も爺さんだが)「O嬢の物語」とか渡辺淳一の「シャトウルージュ」とかの世界を期待したんでしょうが舞台はベルリンだからね。そんな雅なものじゃあありません。もっと即物的な公娼売春所だよ。変なファンタズムを持って観ると多分がっかりする。エロを期待して観にいくひとにはお勧めしません。
なんだか理解できなかったなぁ
一年の計は元旦にあり、そして映画鑑賞からスタートするのがワタシのルーティン。
選んだ作品がこちらでした。
予告編を見た限りでは終盤で主人公が著述に取り掛かるのだろうと思っていたのだけれど、一向にその気配は見えずじまい。
妹が説得めいたセリフを主人公に向けるが、それが至極真っ当な感覚に思えた(それでも娼婦を辞めさせるには至らないし)くらいで、それ以外は全編を通して理解できる部分が見つけられなかった。
一緒に観たパートナーも「意味わからん」とスクリーンから去るタイミングで呟いていたから同じ感覚だったのだろうなぁ。
まずもって、ドイツの娼館っていうものが社会的にどういう立ち位置でどんなルールで成り立っているのかがわかっていないけれど、体を売って生業としている点では日本と違いはないのでしょうから、そうするとそこに身を置く人たちはそれぞれに境遇の差はあってもそこにいる理由を自己肯定するのだろうから、自ら体験してそれを小説にしようとしても自己肯定の理屈になってしまい、読む人の共感は得られにくいのじゃないのだろうか。
小説にするのなら妹が言っていたように、そこにいる人たちへ取材して客観的な作品にしないといけないのでしょうね。
ワタシにとっては期待外れの作品となってしまいましたが、デ・パルマ姐さんのインパクトだけは超強烈でした!
さあ、今年もワクワク・ドキドキの作品に沢山めぐり逢いたいな!
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