アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家 : 映画評論・批評
2024年6月18日更新
2024年6月21日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
アンゼルムがあぶり出すのは、人類の寒々しく辛い歴史のはらわたである
あくまでも日本で公開されたタイミングが、という話だが、昨年の夏から数えれば、ナチスの蛮行を”アート”の形を取ることで問いただそうという映画はこれで三つ目ではないか。一つ目は南米チリでドイツ人教祖(ナチスの信奉者だった)が開いたカルト教団を、おそろしく手の込んだストップモーションで婉曲的に描いた「オオカミの家」。二つ目はユダヤ人を大量虐殺したアウシュビッツ収容所の地獄を、その隣の一軒家で不自由なく暮らす家族を描くことで幻視させた「関心領域」。そして三つ目が「PERFECT DAYS」が全世界で自己キャリア最高の興行収入を稼ぎ出したばかりのヴィム・ヴェンダースによるこのドキュメンタリー「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」である。
アンゼルム・キーファーの名前は知っていたが、アーティストとしての活動を俯瞰したことがなかった自分は、この映画にただ圧倒されるよりなかった。「基地」とでも呼びたくなるような、南フランスの広大なアトリエの内外に、自分の3Dメガネが壊れているんじゃないかと疑うほど、スケール感を失わせる巨大な絵画やオブジェが並ぶ。しかも、たかだか数十年の一人の人間の人生で(彼はまだ現役だが)、こんなにたくさんの作品が生み出せるものだろうかと首を傾げるほど大量なのである。
それぞれの作品の色彩やテクスチャーは決して和やかな気分にはさせてくれない。ナチスの戦争犯罪や、もっと言えば人間の原罪までも問うてくるような「ザ・荒涼」。キーファーが火炎放射器を用いてまであぶり出すのは、人類の寒々しく辛い歴史のはらわたである。このようなものを前にして誰が無傷でいられよう。そしてその傷に塩を擦り込むように、収容所の暗さと冷たさを昇華したユダヤ人詩人パウル・ツェランの言葉がささやかれる。あたかも「ベルリン・天使の詩」で天使の耳にだけ聞こえる、人間たちの心の鬱屈のように。戦後ドイツの記憶を今一度改める、という意味において、ヴェンダースにとってこのドキュメンタリーはあの劇映画の続編である。
冒頭と最後にキーファーが屋外に設置した大きな羽根のオブジェが映し出される。またある作品には「落ちる者すべてに翼がある」とキャプションが付いている。それは単に、兵器としての飛行機やミサイルの羽のことだけを言っているわけではない。お互いを傷つけあえるほどの傲慢さを得た私たち人類には、もう堕ちるよりほかに道はない。
(山下泰司)