「正解が分からなくても生きるということ」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 sewasiさんの映画レビュー(感想・評価)
正解が分からなくても生きるということ
長文。文句ばかり書いているように見えるかもしれないけど、とても満足している。
全国一斉18時半スタートの前章・後章一挙上映。多少はイベントっぽい演出があるかと思ったら、まったくなくて。それどころか、通常の予告編や「ノーモア映画泥棒」さえもなく、場内が暗くなってすぐ開始。上映時間の長さに配慮したのかもしれない。15分でも延びると、中高生が親同伴でも観られない時間帯になる。
「侵略者」がやってきた理由が明らかになった。彼らは、移民として新天地・東京に誘導されたが、それは「彼らの世界」の人口を減らすための策略だった。彼らの世界は、おそらく巨大な人工のコロニー。何らかの理由で「故郷」を失った。
原作で登場する巨大な「指し示す手」もわかりやすく演出されていて、「侵略者」の世界の無慈悲さがよく伝わってきた。
「侵略者」の世界も相当な厳しさがあるのだろう。作中で「宇宙人」という表現は一度も使われなかったが、異なる平行世界の地球や、資源が乏しい惑星に寄生しながら細々と種族を繋いできた印象がある。あの小さな体は進化の結果であり、天敵がいない閉じた世界で、最小限のエネルギー消費で生き延びるためのものだ。それでも、彼らの世界は限界に達していた。
突き抜ける巨大な光柱の演出は、まるでエヴァンゲリオンだった。「ガフの扉」にそっくりな場面もあった。もしかすると、エヴァンゲリオンの第一始祖民族は、この作品の「侵略者」のような存在だったのかもしれない。原作の描写にはそういった印象はないが、映画としてはエヴァンゲリオン的な要素があった。
渡良瀬の描写は多めで、ほぼ原作通りだが、何となく共感できるような演出がされていた。何を考えているのか分からない人物に見えるかもしれないが、大人になりきれていないまま先生をやっていることで、そのねじれがあのようなキャラクターになっているのだろう。今の時代、大人になるということはハードルが高く、彼のような人は多い。「先生」と呼ばれているが、実際はどこにでもいる普通の若者だ。
門出とおんたんの関係性が、この作品の絶妙な部分だ。普通に感動的な作品にするなら「つらい時もいっしょに乗り越えてきた二人」という設定にするだろうが、そうではない。もともとそれほど気が合うわけでもなく、なんとなく一緒にいるだけ。しかし、映画を見た観客は、実際にはそうではないことを知っている。門出とおんたんは、自分たちの過去に何があったのか全く覚えていないが、その奇妙さが心をえぐるSF作品だ。
大葉くんがブロッコリー先輩の部屋にいた理由は、あの描写だけでは分からないかもしれない。原作を読んでいれば違和感はないが、理由は単純で、ブロッコリー先輩が鍵をかけずに外出してしまう緩い性格だったので、その留守のタイミングを見計らって勝手に住み着いていただけだ。
ラストは原作と全然違う。いろいろな意味で、よく考えた上でこうしたのだろう。原作は「イソべやんで始まりイソべやんで終わる」ような感じだったが、映画ではそれほど藤子不二雄にはフォーカスしていない。
ラストで大きく変わったのは、「彼」が帰ってこないこと。そのため、原作とは全く違う話になった。原作者自身が映画制作に深く関わっており、納得の上でこうしているはずだ。
海岸での「好ーきー!」のシーンは、原作に比べて弱かった。もっと強い演出をするかと思ったが、あのちゃんの独特な、絞り出すような感じがむしろよかった。
ヒロシの「運命を変えろ」というセリフも、いつ言ったのか印象に残っていない。あの辺りは原作を読むと面白い部分だ。あっちの世界でもヒロシは「俺はいつでもお前の味方だ」と朝っぱらから言ってのけて、おんたんは頭にハテナマークを乗せながら登校する。時空を超えてテレパシーを送っていたのか?
原作では自衛隊の池田さんの心の動きが丁寧に描かれていて、原作者のメッセージを強く感じる部分でもあったが、映画ではほとんど描かれなかった。大葉君を救うシーンも、原作では名場面だったが、映画では手が届かなかった。もしかしたら「大人が子どもを救う」という構図を避けたのかもしれない。若者だけを主役とした映画になった。
マコトも原作では熱いキャラクターだ。結局、記憶を覗く装置は彼が持っていて、この世界に対する愛着が強い。ほとんどの人類が死滅した世界でも、仲間がいる限りここで生きていくという決意はぶれない。最終巻だけでも非常に濃密で、もし映画にするなら三部作でないと表現しきれないだろう。
前章も後章もBGMが細やかに使われていて、観客がどういう気持ちで見ればいいのかが分かりやすかった。いかにも茶化しているように見える場面でも、音楽が入ることで本当の気持ちは違うんだろうなと分かる。個人的にはそこまで説明してほしくはなかったが、映画を見慣れていない観客のためにはこれで良かったのかもしれない。甘さが気になる人は原作を読むといい。
須丸光が新世界の母として祭り上げられる話にはならなかったので、それなら登場させなくても良かったのではないかと思う。小比類巻も中途半端な人類終了劇に納得がいかず悔しがるだけで、特に重要人物という感じではなかった。原作では彼は恐ろしい男になる。
ショーンは一度も登場しなかった。原作で門出のために歌ってくれたのはたぶんショーンで、それがすごく良かった。二人はいつかきっと出会うはずだが、誰かが二次創作で描いてくれるのを期待するしかなさそうだ。恋愛みたいな話にはならないだろうけど、「あの時の君か!俺だよ!あの頃は楽しかったな!」というようなシーンは見たかった。門出の「終わらない夏休み」というモノローグが、私の中ではそのあたりの時間軸だった。人類文明が消滅して数年後くらい。もしかすると映画でやるかと思っていたが、ショーンと出会うということは、マコトやふたばとも再会するし、彼らと合流した大葉くんとも出会う。あとはリンとアイが見つかれば全員集合だ。そして「タイムマシン」の開発も進む。それを見たかった。
ショーンにもミゲルという変な「友達」がいて、原作にはこういう小ネタがたくさんある。映画を見て気に入った人は、原作を読むとより満ち足りるだろう。
だいぶ削られたけど、さすが映画という迫力があり、原作で体感できないものがしっかりと体感できて、両方合わせて満足という感じがある。
ブロッコリー先輩は生き残る。自衛隊は機能していて、彼自身は東京がどうなっているのか分からずに困っているが、普通に生活していて、人類終了感はない。そこはもう少し面白く描写してほしかった。映画『Don't Look Up』みたいに。
そういえば、Don't Look Upとインターステラー、エヴァンゲリオン。文明がいったん滅びる前提の作品が増えたなと思う。猿の惑星やナウシカは、いったん滅びた後の話で、諦めることへの向き合いといった話はない。
前章の時のようにエンドロール後に何かあるかと思ったが、何もなかった。
全体的に、分かりやすく作ることに振り切った印象だが、肝心なところを説明していないかもしれない。世界が滅びる原因を作ったのが凰蘭というのはどういうことなのか。時空をシフトした凰蘭は何も覚えていないので、何も変えようがないはずだが、調査員は彼女の強い思いと妹を見守る兄の愛がバタフライエフェクトを起こすことを見抜いていた。しかし、彼女が滅びの元凶というのはおかしくて、調査員をいじめた連中のほうが悪いに決まっている。
だから、凰蘭が悪いわけではなく、本人がよく覚えていないために、うっすら残っている記憶でもしかしたら自分が悪いのかと思っているだけなのだ。
気になる点はいろいろあるが、今の時代を意識して、あえて無難な落とし込みにしたのかもしれない。思えば、原作の完結とほぼ同時期にウクライナで戦争が始まった。先進国同士の戦争だ。原作者もまさかそんなことが現実になるとは思っていなかっただろう。映画ではアメリカが「これからは私たちが侵略者だ」と宣言する場面もなければ、大国同士の戦争を描く場面もない。
原作のテーマは「それでも私たちは生きていく」という感じだったが、映画では少しニュアンスが変わって、若い層に向けたのだろうか、「急にいなくなったりしないでほしい」というメッセージが強調されていた。
大葉君は約束どおり帰ってきた。
前章の感想になってしまうが、二人が殴り合いの喧嘩をする場面での「私なりに考えて出した答えなんだよ!」「そんな答えいらねーよ!もっと悩めよ!一生悩んでろよ!」という言葉が深く突き刺さった人にとっては、それだけでもこの映画を観る価値があると思う。
ふたばに対して「反省しろ」と静かに叱った場面。もしかするとおんたんは少し思い出したのかもしれない。原作から多くの場面が省略されたが、ここは削られなかった。
原作では、死んだ百合子とつとむが再会する。二人は「侵略者」で、作品独特の死生観があり、それが救いを感じさせる面もあるが、それを知っている「侵略者」は意外と冷めていて、達観しているわりには精神的に安定しているわけではない。「無駄だとは思うがね」と言われつつも、決断するおんたん。死んだはずのキホも、ヒロシも、他の平行世界では普通に生きている。
原作はそんな感じで難解だが、映画ではその難解さを割り切って削ぎ落とした感じだ。難しいが、頭がよくないと分からないという難しさではない。この映画は原作の良さをしっかりと補完しているので、興味を持った人にはぜひ原作も読んでほしい。原作者は映画作りにもしっかりと関わって、自分の頭で考えてやりきったと思う。
そして、よく言われるようにインターステラーとも似ている。五次元の場面が印象に重なるのだろうが、違うのは、本人がほとんど覚えていないということだ。タイムリープという枠で考えると、同類の作品は数え切れないほど増えたが、本人が全然覚えていないというのは珍しい。覚えていないからこそ、こんな奇跡がどうして起きるのかという点が、この作品の「妙」だと思う。それも含めて、インターステラーなのかもしれない。インターステラーも「愛」がキーワードだった。そうか、似ているな…
真実を知っているのは大葉くんとマコトだけ。隠しているわけではないが。
原作のエピソードはかなり削られたが、不思議と満足感がある。帰り道に思い出す場面が多い。
ちなみに自分は点数をつけるのが好きではなくて、感想を書くなら満点一択。観てよかったのは間違いない。特に自分は原作を何十回も読んでいるので、「お客様」としてではなく、共感する者として、イメージの中でいろいろ補完しながら楽しむことができた。感想は言いたいが、気難しい評論をしたいわけではなく、他人のレビューに振り回されずに自分なりに楽しめる人が多いといいなと思う。
小比類巻みたいにネットの情報に踊らされてはダメ。ネットの情報が真実だとしても。人によって印象が変わる作品なので、自分がその「刺さる人」なら、見るべき作品だ。