「正解が分からなくても生きるということ」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 sewasiさんの映画レビュー(感想・評価)
正解が分からなくても生きるということ
●5月29日追記
「漫画の結末さえ変わるかもしれない」
YouTube「おまけの夜」の動画見ました。熱い・・・!
「絶対」を表現するための「多様性」という設定があったんだなと再発見しました。
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初めに言っときますが、投稿限界の5000文字ちょうどに近い長文です。
文句ばかり書いてるように見えるかもだけど、とても満足しています。
全国一斉18時半スタートの前章・後章一挙上映。多少はイベントっぽい演出があるかと思ったら、全くなくて。それどころか、普通やってる予告編とかノーモア映画泥棒などもなくて、いきなり場内が暗くなって始まりました。上映時間の長さに配慮したのかな?15分のびると親同伴でも中高生は見れなかったりする時間帯だし。
「侵略者」がやってきた理由が分かりました。侵略者世界の人口を減らすための策略であり、彼らはだまされて移民として新天地・東京にやってきた。物語のメッセージ的にはそれほど重要なことではないんですが、謎のままにしていると「分かりにくい」という印象ばかりがバズってしまうから、これでよかったと思います。
原作で出てくる巨大な「指し示す手」も分かりやすく演出されていて、「侵略者」の世界の、無慈悲ぶりが伝わりました。
「侵略者」の世界も大変なんだろうと思う。作中では「宇宙人」という表現は一度もなかったけど、生命維持に必要な条件が揃わなかった異なる平行世界の地球か、資源が乏しいどこかの惑星に寄生して細々と種族をつないできた印象があります。あの小さな体は進化の結果で、天敵がいない閉じた世界でなるべく少ないエネルギー消費で生きていけるってことなんだと思う。それでも、彼らは限界に達していた。
突き抜ける巨大な光柱の演出は、エヴァンゲリオンそのまんまでした。「ガフの扉」そっくりの場面もあったし。リスペクト演出なんだろうなあ。もしかするとエヴァンゲリオンの第一始祖民族は、当作品の「侵略者」みたいな感じだったのかも。原作者のテイストにはそんな印象はないけど、映画としてはエヴァンゲリオン的な要素を感じました。
渡良瀬の描写多め。ほぼ原作どおりだけど、サジ加減的に、なんとなく共感できる感じになってました。何を考えてるのかよく分からないヤツに見えるかもしれないけど、大人になりきれてないのに先生やってるもんで、そのねじれでああいう感じになってるんですね。今の時代で大人になるってのはとてもハードルが高くて、彼のような人は多い。「先生」と呼ばれているけど、どこにでもいる普通の若者。
門出とおんたんの関係性。これがこの作品の絶妙なところ。普通に感動的な作品にしたいなら「つらい時もいっしょに乗り越えてきた二人」みたいにするんだろうけど、そうじゃなくて。もともとそれほど気が合うわけでもなく、なんとなくいっしょにいるだけ。でも、映画を見た客は、実際はそうではないことを知っている。当事者である門出とおんたんは、自分達の過去に何があったのかを全く覚えていない。奇妙に心をえぐるSF作品です。
大葉くんがブロッコリー先輩の部屋にいた理由は、あの描写だと分からないんじゃないかな?原作読んでたら全然違和感ないんだけど。理由は単純に、ブロッコリー先輩は鍵をかけずに外出しちゃう緩い人なので、留守のタイミングを観察して勝手に住み着いてたってこと。
ラストは原作と全然違う。いろんな意味で、よく考えた上でこうしたんだろうなあって思いました。原作は「イソべやんで始まってイソべやんで終わる」みたいな感じでしたが、それほど藤子不二雄にはフォーカスしてないです。
ラストで変わったのは、一番は、「彼」が帰ってこないこと。なので、原作とは全く違う話になりました。そんなことは映画制作に深く関わった原作者自身がよく分かってることで、理由があってこうしたんだろうと思います。
海岸での「好ーきー!」が弱かった。原作に負けないくらい演出すると思ってた。
でもあとあと思い出すと、あのちゃん独特の、絞り出す感じがむしろよかった。
そういえばヒロシの「運命を変えろ」も、いつ言ったのか印象に残ってない。
あのへんは原作を読むと面白いです。あっちの世界でもヒロシは「俺はいつでもお前の味方だ」みたいなことを朝っぱらから言ってのけて、おんたんは頭にハテナマークを乗っけながら登校するんですよね。時空を超えてテレパシーを送ってたのか?
原作では自衛隊の池田さんの心の動きが丁寧に描かれていて、原作者のメッセージを強く感じるところでもあったけど、映画ではそういうのはほとんどなかった。大葉君を救う場面は原作では名場面だったけど、映画では手が届かず遠く離れてしまったりして、むしろ逆。もしかしたら、大人が子どもを救うという構図を注意深く避けたのかもしれないけど。
マコトも原作では熱い。結局、記憶を覗く装置は彼が持っていて、自分が生きてきたこの世界に対する愛着が強い。ほとんどの人類が死滅した世界でも、仲間がいる限り、ここで生きていくという決意はぶれない。最終巻だけでもかなり濃いので、もしやるなら三部作じゃないと表現しきれない。
前章も後章もBGMがこまめについていて、どういう気持ちで見ればいいのかがとても分かりやすかったです。いっけん茶化しているような場面でも、音楽があると、本当の気持ちは違うんだろうなあと分かります。個人的にはそこまで說明してほしくないですが・・でも映画を見慣れてる人ばかりじゃないので、これはこれでよし。甘さが気になる人は原作を。
須丸光も新世界の母として祭り上げられる話にはならなかったので、それだったら登場させなくてもよかったように思う。小比類巻も中途半端な人類終了劇に納得がいかず悔しがるだけで、それほど重要人物って感じではなかったです。
ショーンは一度も出てきません。原作で門出のために歌ってくれたのはたぶんショーンで、あれがすごくよかったんですけどね。二人はいつかきっと出会うはずなんですが、誰かが勝手に二次創作で描いてくれるのを期待するしかなさそう。恋愛みたいな話にはならないだろうけど、「あの時の君か!俺だよ!あの頃は楽しかったな!」みたいなのは見たかった。門出の「終わらない夏休み」というモノローグは、自分の中では、そのあたりの時間軸かなとイメージしてました。人類文明が消滅して数年後くらい。もしかすると映画でやるかなと思ってました。ショーンと出会うということは、いっしょに活動しているマコトとふたばとも再開するし、彼らと合流した大葉くんとも出会う。あとはリンとアイが見つかれば全員集合だ。そして「タイムマシン」の開発も進む。それはちょっと見たかった。
ショーンにもミゲルという変な「友達」がいて、原作はそういう小さいネタがたくさんあって。映画を見て気に入った人は、原作も読むと満ち足りた気持ちになれると思います。
だいぶ削ったけど、さすが映画という迫力がすごくて、原作で体感できないものがしっかり体感できて、両方合わせて満足という感じがあります。
ブロッコリー先輩生き残ります。自衛隊は機能していて普通に仕事しているし、本人は東京がどうなっているのか分からず困っているけど普通に生活していて、人類終了感ないです。そこはもう少し面白く描写してほしかった。映画Don't Look Upみたいに笑
そういやDon't Look Upとインターステラーとエヴァンゲリオンと。文明がいったん滅びる前提の作品が増えたなあと思います。猿の惑星とかナウシカとか、ファンタジー寄りな作品は昔からちょくちょくあったけど。
前章の時みたいにエンドロール後に何か出てくるかと思ったけど、何もなかった。
分かりやすく作ることに振り切った印象だけど、肝心なところを說明してないかも。世界が滅びる原因を作ったのが凰蘭ってどういうこと?ってこと。時空をシフトした凰蘭は何も覚えてないから何も変えようがないはずなんだけど、調査員は彼女の強い思いと妹を見守る兄の愛の深さがバタフライエフェクトを起こすことを見抜いていた。だからといって、彼女が滅びの元凶ってのはおかしくて、調査員をいじめた連中のほうが悪いに決まってる。
そういことだから、凰蘭が悪いわけじゃないんだけど、とにかく本人がよく覚えてないんで、うっすら残ってる記憶でもしかしたら自分が悪いのかなと思ってるだけ。
気になることはいろいろあったけど、今の時代を意識して、あえて無難な落とし込みにしたのかなとも思えます。思えば、原作の完結とほぼ同時くらいにウクライナの戦争が始まりました。先進国同士の戦争です。まさか原作者もそんなことが現実になるとは思ってなかったんじゃないかと思います。映画ではアメリカが「これからは私たちが侵略者です」と宣言する場面はないし、大国同士が戦争をする描写もありません。
原作のテーマは「それでも私たちは生きていく」って感じでしたが、それはだいぶ変わっていました。代わって、少し強めのニュアンスになったのが「急にいなくなったりしないでほしい」ということ。
大葉君は約束どおり帰ってきました。
前章の感想になっちゃうけど、2人が殴り合いの喧嘩をする場面で「私なりに考えて出した答えなんだよ!」「そんな答えいらねーよ!もっと悩めよ!一生悩んでろよ!」という言葉が深く突き刺さっている人は、それだけでも、この映画を見た値打ちがあると思います。
ふたばに対して「反省しろ」と静かに叱った場面。もしかするとおんたんは少し思い出したのかもしれない。原作からいろんな場面が省略されたけど、ここは削られなかった。
原作では、死んだ百合子とつとむは再会します。二人は「侵略者」。作品独特の死生観があって、それが救いを感じさせる面もあるんだけど、それを知っている「侵略者」は意外と冷めていて、達観しているわりには精神的に安定しているわけではない。「無駄だとは思うがね」と言われつつ、決断するおんたん。死んだはずのキホも、ヒロシも、他の平行世界では普通に生きている。
原作はそんな感じで難しいのですが、映画では割り切って振り落とした感じです。難しいけど、頭がよくないと分からないという難しさじゃないと思います。この映画は原作のよさをしっかりと補完しているので、興味を持った人は原作も読んでほしい。原作者さんは映画作りにもしっかりと関わって、自分の頭で考えてやりきったと思います。
あと、よく言われるみたいだけどインターステラーですね。五次元の場面が印象がかぶるのだと思うけど、違うのは、本人はほぼ覚えてないということ。タイムリープという枠で考えたら、もう数え切れないほど同類の作品が増えたけど、本人が全然覚えてないというのはほとんどないんじゃないかと思います。あるのかな?覚えてないからこそ、こんな奇跡がどうして起きるのかというのが、この作品の「妙」だと思います。それも含めてインターステラーなのかな。インターステラーも「愛」がキーワードでした。そうか、似てるな・・
真実を知ってるのは大葉くんとマコトだけ。隠してるわけじゃないけど。
原作のエピソードをかなり削られたけど、不思議と満足感があります。帰り道に思い出す場面が多い。
ちなみに自分は点数をつけるのがあまり好きではなくて、感想を書く場合は満点一択です。見てよかったのは間違いないです。特に自分は原作を何十回も読んでいるので、「お客様」としてではなく共感する者として、イメージの中でいろいろ補完しながら楽しむことができました。感想は言いたいけど気難しい評論をしたいわけでもなくて、他人のレビューに振り回されずに自分なりに楽しめる人が多いといいな。
小比類巻みたいにネットの情報に踊らされたらダメ。ネットの情報が真実だとしても。人によって印象が変わる作品なので、自分がその「刺さる人」だったら見るべきです!