52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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2021年本屋大賞受賞作品を映像化「生きづらさを抱える人たちの声にならない声」
本日はファーストDAY。仕事帰りの2本目に時間的にちょうどで、本日公開の気になっていた本作品をチョイス。本屋大賞受賞作であること、杉咲花ちゃん主演であること、ビジュアルポスターを見て面白そうだなと思った程度の知識で鑑賞。
観終わって最初に感じたのは、この作品は本で読んだ方がきっともっと何倍も面白く感動したであろうということ。本屋大賞受賞ということだけあって、活字という媒体だからこそ良さが伝わる部分が多い作品のような気がしました。もちろん、まだ本を読んでいないのではっきりとは言い切れませんが、キャスティングも含めて、映像化するのはなかなか難しい作品だったのでは?と思いました。
主人公の杉咲花ちゃんはいいとしても、その他のキャストが少しずつ違う気がしてしまいました。「エゴイスト」で鈴木亮平さんのお相手役を好演していた宮沢氷魚さんにも注目していたのですが、見た目のスタイルの良さが際立ちすぎて、杉咲花ちゃんとのバランスがいまいち…。最近では「フェルマーの料理人」で病気を抱える天才料理人を演じていた志尊淳くん、とても難しい役どころでこの映画の肝でした。個人的には「梨泰院クラス」のトランスジェンダーのヒョニ役を演じたイ・ジュヨンさんのように女優さんをキャスティングした方が身長の低い花ちゃんとのバランスもとれたのでは?なんて思ってしまいました。あくまでも、個人的な勝手な妄想ですので悪しからず…。
作品の内容としては、なかなか重い内容です。生きづらさを抱える人たちの声なき声が少しでも多くの人に届きますように…。
とりあえず、原作を本で読んでみようと思います。
2時間ちょっとに収めるには要素過多だが、啓発効果には期待
52ヘルツで鳴く有名な鯨がいるというのは初めて知ったが、Wikipediaにも項目があって興味深く読んだ。鯨の種類は同定されていないものの、奇形かシロナガスクジラの 雑種だと考えられているらしい。通常シロナガスクジラは10~39ヘルツ、ナガスクジラは20ヘルツで鳴くのだそう。本作は町田そのこの小説の映画化だが、過去にもこの鯨に着想を得た台湾の劇映画「52Hzのラヴソング」(2017)や、実際に鯨を探した米ドキュメンタリー映画「The Loneliest Whale: The Search for 52」(2021)などがあった。
俳優陣は真摯に演じていて誇張したようなところはないし(複数の監修者やコーディネーターらの貢献も大きいだろう)、編集のテンポもいい。暴力シーンはもう少しリアルに演出できたのではと思うが、DVを受けた人が観ることも想定しての配慮かもしれない。
原作小説は未読ながら、おそらく忠実に要素を抽出して実写化したのだろう。ただいかんせん本編135分には収めるには、DV、ネグレクト、ヤングケアラー、性別不合とトランスジェンダーなど、丁寧に扱うべき要素が多すぎる。たとえばNHKあたりが10話程度のドラマでじっくり描けば、個々の問題や課題、周囲がどう接するべきかなどについても、もう少し掘り下げられたのではないか。
それでも、それぞれの困難な状況や偏見・差別に苦しんでいる人たちがいて、声を上げてもなかなか伝わらないということを、本作をきっかけに知って自分で考える人がひとりでも増えるなら、聴こえにくい声が聴こえたことになるだろうか。
なお冒頭で触れた52ヘルツの鯨に関する情報だが、他の鯨たちの鳴き声よりも高い周波数だとは書かれているものの、鯨の可聴域を超えているとの記述はない。人間だって声として出せる周波数の帯域より聴きとれる帯域のほうがはるかに広いわけだし、52ヘルツの鯨の声だって他の鯨たちに聴こえている可能性はある。単にほかと違うから孤独だとは限らない。人間だってきっとそうだ。
タイトルも含め着眼点がしっかりとしていて、時系列を丁寧に構成し、演技と演出が光る名作。
まず、タイトルの「52ヘルツのクジラ」とは、52ヘルツという「高い周波数」で鳴くため、その声を他のクジラには聞き取れず、「世界で1頭だけの孤独なクジラ」を意味しています。
まさに、その境遇にある人間にフォーカスし、丁寧に人間模様を描き出していく作品です。
さすがは原作が2021年の本屋大賞を受賞しただけのことはあります。
主演は杉咲花。杉咲花主演といえば、似た作品に昨年にスマッシュヒットをした「市子」があります。
「市子」を見た時には、何か因果関係がぼんやりとしていて、正直なところ私は入り込めずにいましたが、本作では、様々な状況を丁寧に追っているため入り込みやすかったです。
いずれにしても、杉咲花は不幸な境遇の人物が不思議とよく似合っています。
また、志尊淳も本作の役柄は非常にマッチしていました。
「世界で1頭だけの孤独なクジラ」は、人間社会では少なからずいます。
そして、運よく「声なき声」を聞こえる人に奇跡的に出会えるかどうかで「世界で1頭だけの孤独なクジラ」の生涯が決まる面があるのです。
単なるハッピーエンドな物語ではない複雑な関係性を見事に描き出すことに成功しています。
強いて言うと、叩いたりするシーンがどれも「あれ? これはリハーサルの映像?」と思うほど迫力等に欠けていて、ちょっと冷めてしまう点はありました。
とは言え、そこは些細なことに思えるくらいに良く出来た作品でした。
愛はその方向が相手に向いていないと愛とは言えない
『八日目の蝉』の成島出監督の映画ということで興味を持ち鑑賞。
今作は『愛』をテーマにしていると思う。『愛』というのは『相手の幸せを願う気持ち』のことだ。特に恩人の安吾は、貴瑚を彼女のヒステリックな母親から守ったり、父親の介護から彼女を解放するために奔走したりと、彼女の幸せを本気で願い、行動に移していた。自分のことではなく、相手のことをこれだけ考え動ける人間はそうはいない。だから、安吾の貴瑚に対する愛は本物だ。
それに対して恋人の新名は、貴瑚の幸せを願っているように見えて、実は自分のことしか考えていない。とにかく高級な食事、住まいを一方的に与えればそれが愛だと考えている。この時点で嫌な予感がしていた。この男の安吾と会ったときに見せた攻撃性や束縛の強さから、その本性が既に垣間見えていた。安吾の予想した通り、新名は貴瑚を不幸にした。新名に起こった事件が無くとも、貴瑚を不幸に陥れただろう。なぜなら、新名が幸せにしたいのは貴瑚ではなく、本当は自分だけだからだ。彼の攻撃性や束縛の強さは、自分だけを見ていてほしいという気持ちの表れで、結局自分のことしか考えていない。つまり、愛というのは、その方向が相手に向いていないと愛とは言えないんじゃないだろうか。
今作は、母親、虐待されている少年、恩人、親友、恋人といった様々な登場人物と貴瑚との関係を通じて、『愛』というテーマがよく描けていた。
いい映画
なのだろうなと感じる。
少なくとも世間的には。
タイトルからして洒落ているし、アカデミー賞とか獲っちゃうんじゃ?
でも、私にはそれほど響かなかったな。
特に、子供の虐待の方の下り。
大きな流れとしては悪くないのだが、
ヒロインにしても保護した子供にしても、
さらにはヒロインの親友にしても???という引っかかりが多すぎる。
もっと社会的常識に沿った行動が前提でないと違和感が先に立つ。
また、感情的にもヒロインやその親友の心情は不可解な点が多い。
特に親友は(演技のクオリティとも相まって)そう感じる。
一方でTの方はちょっと心にしみた。
こういう問題は声高に主張する活動家が悪目立ちして全く好感を持てないが、
こういう人たちをこそ救済すべきと改めて感じた。
志尊淳の落ち着いた演技も見事で印象的だった。
但し、結末は唐突の観を免れなかったけれど。
次は誰かの聞こなえない心の叫びを聞く番になる
昔からよく言葉があります。子供は親を選べない。虐待やネグレクトは今も根強く存在しています。ヤングケアラーの方々のメディアでの特集も多くなり、とても辛い気持ちになることもあります。本人が助けを求めなければ周りは気付けない時があるし、気付いても残念ながら見て見ぬふりをしてしまう人が多いような気がします。
誰かを助けたいと思う時、周りはどういう選択肢をすれば正解なのかが分からないから下手に行動できないし、動いた結果それが悪い方向に転ぶこともある。
それでも助けてくれる誰かが目の前に現れたら、それが救いになるかもしれない。
誰かに手を差し伸べられると、自分が見えていなかった世界が広がって希望が見える。
そして有難みを感じる。
しかし時間が経つにつれて自分が独り立ちできたように錯覚してしまい、大切な誰かを無意識のうちに傷つけてしまう。
本当に自分を見守ってくれている人がもう一度差し伸べてくれた手を払い除けてしまうんですよね。
この作品には様々な人間の生きづらさが詰め込まれています。
セクシャリティについても。
私はこの作品における登場人物の痛みに共感しました。
幼い頃登場人物のいっちゃん(別名:52)と同じような経験があり今でも記憶に残っています。しかし幸い私の場合助けてくれる人がいました。
セクシャルマイノリティについても、自分がそうであることで苦しみ家族の理解を得られなかった人間なので感慨深いものがありました。
理解を得るとか得られないとかじゃなく、好きなように生きるしかないと自分の道を決められるようになったのがいい大人になってしまってからだったことが唯一後悔している事です。
案外わがままなもので理解されなくていいと言うくせに、どこかで理解されることを願っているんですよね。
そして同等に他人を理解することの難しさを考えさせられます。
とにかくあんちゃんには生きていてほしかった。
杉咲花さんのお芝居にはいつも胸を打たれます。素晴らしい女優さんです。
目と手の映画だ
ある理由から役名で記述することをご勘弁いただき俳優名で記述させてもらう。杉咲花は幼少期から虐待を受けて育ち高校卒業後は父親の介護のみしていた。精神的にも肉体的にも生きる気力をなくしたとき志尊淳と小野花梨に救われ新しい生活に踏み出していく。冒頭のシークエンスで特に目立つのは志尊淳の杉咲花に対する異常なほどの優しさだ。
杉咲花は海の見える大分県の祖母の家にいる。防波堤で髪がぼうぼうに伸びて薄汚い少年を見つけ、その子の背中に虐待の痕跡を見る。杉咲花はこの少年を保護する。まるで過去の自分を見ているみたいで放ってはおけないみたいに。東京を突然離れた杉咲花を心配し東京から小野花梨がやってくる。二人がこの子をなんとかしようと協力する。小野花梨は杉咲花に東京を突然抜け出たわけを問いただし杉咲花の三年間の回想が始まる。志尊淳、宮沢氷魚との関係性が明らかになり、今にいたることを知る。
原作があるものの、脚本は見児童虐待、ヤングケアラー、トランスジェンダー、ドメスティックバイオレンスという現代の社会問題をすくいとっているためストリーは劇的になる。加えて見る者の感情を揺さぶる言葉の力、回想をうまく取り入れた見事なスト―リー展開によって物語の強度を高めていた。
しかし映画としての力は、役者達の「目」と「手」につきる。茫然とした目、慟哭する目、それを優しく見守る目、楽しく笑う目、嫉妬にかられた冷徹な目、不信をいだく目、どうしようもなく諦観した目。手を差し伸べ優しく握る手、慟哭する人にまさに寄り添うように身体をさする手、ふっと触れる手、女を殴る手。役者達の「目」と「手」に意志と力がこもっている。
役者達の「目」と「手」の演技とその「目」と「手」をクローズアップで描出し続けた成島出監督の演出力の凄みが、原作を離れ映画として自立し、優しさと思いやりのある眼差しとつつみこむ手のあたたかみこそが、52ヘルツの音しか出せない孤独な人を救えるという説得力ある映画を作りあげていた。そして問うている。「あなたの大切な人の声は聞こえていますか」と。
杉咲花の目力と志尊淳の悲哀
役者に作品が寄ってくる。
そんな映画だった。
壮絶て悲惨の人生を生きるヒロインを、杉咲花が、何かに憑依されたように演じる
救いと絶望と再生の物語。
個人的には、志尊淳が、こんなに悲哀あるキャラクターを演じきれる役者さんだと、今まで気づいていなかった。
凄く好きな役者さんになった
誰に感情移入するかで、見方は変わるだろうけど、私は志尊淳の役が気になり、苦しい最後だった。
花ちゃんは、この先の役もずっと見るとだろう女優さん
社会派
この作品は、広がってほしい
聞こえない声を聞いてくれる誰か
予告を見て見たかった映画を飛行機で鑑賞
辛くて悲しくて苦しいけど、キナコ(杉咲花)が前を向いているからなのか、希望を感じ、涙は流れない。この映画に出てくる三人が直面するキツすぎる現実に実際に直面している人々が多くいるのだろうけど、声が聞こえないのではなく、聞いても無視している。何かしなくてはと思う。
黄粉と餡の安吾(志尊淳)の叫びが、まさにクジラで、心に響いてくる。志尊淳は顔が好きだったのだが、演技も良い。宮沢氷魚は、こういう役ハマるなー。杉咲花は、もはや貫禄。
その声は届いていますか
陶器職人と在日ブラジル青年の絆を描いた「ファミリア」成島出の「52ヘルツのクジラたち」を観る。この社会で不条理に痛めつけられ否定されている人たちは声を発すればそこから抜け出せる、ただし、その声を聞こうとする人たちがいればだ。あなたにはその声が聞こえていますかとこの映画は問いかける。
「たち」と言われて2・3人だと少し物足りない感がある
メンヘラの素質がある女が主人公。
ただし素質があるだけでメンヘラではない。
かわいそうな男の子を助けようとするところから、過去のかわいそうな自身の経験を振り返る話。
良い点
・最後は作品がきれいに収まる
悪い点
・場面転換により時系列が分かりにくい。また、話として繋がってはいるのだが焦点が散漫である。
その他点
・法廷で遊ぶ準備は整っている
個人的には頂けない作品でした‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
個人的にはこの映画は2点の問題があって、正直頂けない作品だと思われました。
1点目の問題は、傷つけられた善意の人(主人公・三島貴瑚(杉咲花さん)、岡田安吾(志尊淳さん)、少年(愛)(桑名桃李さん))と、傷つける悪意の人( 三島由紀・貴瑚の母(真飛聖さん)、新名主税(宮沢氷魚さん)、品城琴美・少年(愛)の母(西野七瀬さん)など)が、明確にきっぱりと分かれている点です。
個人的にはこのように、善意の人と悪意の人がほぼ0or100できっぱりと分かれるだろうか?そのような人間理解の浅いステレオタイプの人間の描き方は決して映画表現でやってはいけないのではないかと強く思われました。
2点目の問題は、この映画は幼児虐待や家庭内介護や性同一性障害の人や問題を扱っていますが、それぞれが個々に持たされてしまった持っている傷は、当事者の人達は本当の深い意味では理解されないと思っているのではないか、そのことがきちんと描かれていないのではないかとの疑念でした。
当事者の傷はそれぞれ違っているので、安易に自身を理解したつもりになってもらっては困る/安易に相手を理解できると思ってはならない(それぞれの相手に丁寧な距離感で接する必要がある)、と感じていました。
そのような私のような人間理解の人が見ると、この映画の饒舌に語る登場人物たちに、個人的には最後には【うるさいよ】とすら感じる場面も少なくなかったです。
この、善悪をきっぱり分けて人間を描いてしまう問題と、善意の心があれば饒舌に相手の傷にも踏み込めるのだという(私的感じた)傲慢さは、個人的には人間理解の一面的な(一部)新人監督にありがちな日本映画の問題と感じてはいます。
しかし、良く調べもせずにこの映画を見て監督がベテランの成島出監督だということを後から知り、個人的には大きなショックを受けました。
成島監督はこんな浅はかな人間理解の映画をあなたは撮ってはいけない、と僭越ながら強く思われました。
もちろん主人公・三島貴瑚を演じた杉咲花さんをはじめとする俳優陣の演技力に疑問を差し挟む余地はないと思われます。
この俳優陣でこの題材でこのような作品に仕上がってしまったのは、個人的には残念に思われてなりません。
とても良かった
原作が本屋大賞をとっていたため原作を読んでからの視聴となった。結論から言うととても良かった。女優の演技はとても良かったし、原作を読んでいた者からしてもそこまでの違和感なく物語に集中できた。元が小説なのもあり、これは無理あるだろと感じるところもあったが、それを気にしてはほとんどの映画を楽しむことはできないと思う。物語の内容が少し重いため、同じような環境にいたことがある人には少しきついのかもしれない。作品として見るならとても面白いものだ。見たことない人は是非1度は見て欲しい。
手持ちカメラ撮影と寄せアップ長回しが多過ぎる
介護、ヤングケアラー、育児放棄、児童虐待、DV、性同一性障害・・・、現代社会が抱える社会問題をふんだんに盛り込んで突き付けてきて、ここまで深刻に提起されてくると、私は率直に言って顰蹙してしまいます。
人と人との間の葛藤や、それを癒す絆がストーリーの主軸ゆえに、専ら二人から数人での会話ややり取りによって物語が進行します。ただ特に二人のシーンは密室が多く、ほぼ全シーンが手持ちカメラによる微妙な揺らぎでの寄せアップの切り返しが多用され、また揺らぎながらのトラッキングの長回しが繰り返されますので、観ている方は船酔いするような感覚になって落ち着かず、非常に疲れます。
杉咲花扮する主人公の貴湖を含め、その素性や生い立ちは分からせないままに、彼女の周りの人物、特にキーとなる志尊淳扮するアンさんの不可思議さを漂わせるというサスペンス性を仄めかして、観客を惹き付けていきます。
カメラの目線は終始、貴湖の一人称で進むので、観客には彼女以外の周囲の人物は常に謎めいて見えます。謎を深めるために時制を行き来して描き、現在に至る主人公の謎を明かしていくのですが、少しずつ明らかになるその生き様、そして彼女が幸運にもつながった人々の優しさと、一方で各々が抱える苦悩、人が生きていくということの重さ、辛さ、厳しさが強く印象に残ります。
映画をリードしていく杉咲花の演技力は今作でも秀逸で、全くの他人事ながらつい感情移入してしましました。
現代人の、実は孤独な心象。そこでは他人には聞こえない心の内の声の叫びが繰り返されながら、その声を聞き取り、自分事として受け留めてくれる人に巡り合えるかどうか、確率の低い偶然でしょうが、それが人にとって何よりの幸福であり、人は一人では決して生きていけないのであって、将に人たる所以である、と作者は言いたいのかと思えます。
但し、登場人物たちが抱える諸々の現代的な問題は、幸か不幸か私にとっては実感は持てず、私は、本作は、災厄と悲哀に襲われ続ける不幸な女の生き様を描き、最後に己と似た境遇の少年を救うことにより、人生の脱皮を図り新たな歩みに進もうという希望の道すじを示した作品かと思えます。
ただ残念ながら、前述のように私にとっては映像に癖があり過ぎること、そして何より映画は観終えた後に何らかの満足感、充実感、幸福感を得られるものであって欲しいのですが、本作はあまりに深刻で重々しくて、個人的にあまり高評価は出来ません。
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