コラム:どうなってるの?中国映画市場 - 第76回
2025年8月28日更新

北米と肩を並べるほどの産業規模となった中国映画市場。注目作が公開されるたび、驚天動地の興行収入をたたき出していますが、皆さんはその実態をしっかりと把握しているでしょうか? 中国最大のSNS「微博(ウェイボー)」のフォロワー数270万人を有する映画ジャーナリスト・徐昊辰(じょ・こうしん)さんに、同市場の“リアル”、そしてアジア映画関連の話題を語ってもらいます!
大阪アジアン映画祭の“いま”――20回目の節目から異例の“前倒し”開催へ、「大阪アジアンなら“観てみたい”」の期待に応え続けるということ

映画祭には、それぞれの街の空気が映し出されます。大阪アジアン映画祭(OAFF)は、20年という年月のなかで、観客に最も近い場所に立ち続けてきた映画祭です。豪華さや規模の大きさよりも、上映後に交わされる観客同士の会話や、スクリーンの前で自然に生まれる熱狂こそがこの映画祭を形づくってきました。だからこそ毎年「大阪アジアンなら観てみたい」という観客の期待が積み重なり、映画祭の空気を温め続けています。
節目を迎えた第20回、そして万博イヤーに開催された第21回は、その歴史の中でも特別な意味を持つ回となりました。今回のコラムは、暉峻プログラミング・ディレクターの話を引用しつつ、大阪アジアン映画祭の“いま”にフォーカスしたいと思います。
20回目を迎えた2025年の大阪アジアン映画祭は、特別な演出をしたというより“例年通り”を大切にした回でした。しかし、オープニング作品だけは大きな挑戦がありました。近年、スター俳優の出演作を起用してきたエンタメ作品が多かったですが、「それでは映画祭の挑戦性が失われる」と暉峻PDは考え、あえて知名度に頼らない作品を選んだのです。そこで出合ったのが、カザフスタンのファルハット・シャリポフ監督が作り上げたミュージカル映画「愛の兵士」でした。結果として会場は驚きと熱狂に包まれ、「映画祭の使命は新しい世界を伝えること」という理念が強く刻まれました。
応募本数は1000本を超え、国別のバランスも自然に整いました。韓国映画の入選復活、タイ映画の人気爆発、バングラデシュ映画の安定した存在感。そして中国インディペンデントのブラックユーモア作品も紹介され、観客は“いまここにあるアジア”の多様性を体感しました。

特に印象的だったのは、「おばあちゃんと僕の約束」「団地少女」などタイ映画への若い観客からの注目度の高さです。かつて香港や韓国映画が満席を占めていたのを、タイ映画が塗り替えたのは大きな潮流の変化でした。
また、以前に大阪アジアン映画祭へ入選した監督たちが、今回も数多く作品を携えて戻ってきました。第20回という節目を迎えた特別な時期に、映画祭と映画監督たちがさらに良いかたちで結びつきを深めていることを強く感じました。
そして2025年4月、55年ぶりに、万博は大阪に戻りました。そこで異例となりましたが、来年度の第21回大阪アジアン映画祭が、今年の夏休みシーズンの8月末に前倒し開催されることになりました。プログラミング・暉峻PDは「映画祭は毎年同じ時期にすべき」と率直に語りつつも、都市全体の国際交流と連動する意義を認め、短期間での準備に挑んだのです。
その影響は大きく、前回からわずか5カ月半しかなく、通常の新作募集はなかなか大変の中、彼らが導き出した答えが、“旧作への回帰”でした。新作と並行して、アジア映画の記憶を現在の観客に届ける。まさに「映画文化保存×活用」という姿勢が前面に押し出されたのが第21回の特色でした。

(c) 2025 Taiwan Film and Audiovisual Institute. All rights reserved.
その象徴が、オープニングを飾った台湾映画「万博追跡」(1970)です。70年の大阪万博を舞台に、ジュディ・オングさんが主演した娯楽大作。しかしプリントの劣化が激しく、長らく上映不可能とされてきました。
暉峻PDが台湾映画資料館(TFAI)に問い合わせたのは2年前。奇跡的に残っていたプリントをもとにデジタル修復が進み、「大阪で上映するため」という明確な目的で完成しました。つまり今回の上映は、映画祭のためだけに蘇ったのです。
「半世紀前の万博を描いた映画を、再び万博の年に大阪で観る」――その体験は、観客に都市の歴史と映画の時間を重ね合わせる貴重な瞬間となるでしょう。
旧作特集は「万博追跡」にとどまりません。エドワード・ヤンやホウ・シャオシェンといった巨匠だけでなく、台湾語映画や無名監督の佳作まで、5本の修復作が一挙に上映されました。暉峻PDは「五目そばのように幅広く」と表現しますが、その比喩どおり観客は多彩な味を楽しむことができました。

(c) Distribution Workshop (BVI) Ltd.
また、香港ニューウェーブのスタンリー・クワン監督の「フルムーン・イン・ニューヨーク」、ツイ・ハーク監督の「上海ブルース」など、日本では劇場で観る機会の少なかった名作もスクリーンにかけられました。新作不足を逆手にとったプログラムは、結果的に「映画の記憶を未来につなぐ」という映画祭の新しい使命を提示することになったのです。
もちろん新作も充実していました。コンペティションには東アジアを中心とした若手監督の作品が揃い、中国のインディペンデント映画が例年より多く入選しました。共同制作も目立ち、韓国、日本、台湾、フィリピンを跨いだプロジェクトが次々と登場しました。企画マーケットの普及により、新人でも国際的に資金調達できる時代背景が映し出されています。
また、タイのメジャースタジオGDHがアジアを席巻した台湾の話題作「僕と幽霊が家族になった件」をリメイクした「紅い封筒」など、商業映画の実験的展開も注目されました。

「これほど多くの魅力的な作品が大阪アジアン映画祭に応募してくださったのは、まさに映画祭への信頼と愛情の表れだと感じました」と、暉峻PDはこれまで映画祭が積み重ねてきた成果について興味深く語りました。
そして、インディフォーラムでは、今年カンヌ国際映画祭でも受賞された田中未来監督特集、空音央監督の新作短編、つい最近ロカルノ国際映画祭で受賞された「まっすぐな首」も上映される予定です。

ただし、今回の8月開催にはリスクも伴います。来年2026年3月には開催されないため、観客から「映画祭がなくなったのでは」と誤解される危険があるのです。暉峻PDは「終わった後も宣伝を続け、再来年の3月に戻ることを周知しなければならない」と強調しています。映画祭にとって“空白期間”は致命的になりかねず、その認知戦略が今後の課題です。
また、今回、映画祭は明確に“旧作との対話”を打ち出しました。暉峻PDは「旧作でも必ず新しい発見がある」と語り、今後も修復版やリマスター版を定期的に組み込む方針を示しています。さらに修復過程をドキュメンタリー化する構想もあり、映画教育や研究の現場とも連動する展望を持っています。
私はこれまで多くのアジア映画祭を歩いてきましたが、その中でも大阪アジアン映画祭には独自の温度があります。巨大化を目指すのではなく、観客が全作品を体感できる“適度な規模感”が、かえって国際的に注目を集めています。しかしその強みをさらに発展させる余地は大きいと感じます。
今回の「万博追跡」の奇跡的な復活が示したように、大阪アジアンはアジアの記憶を守り、未来に渡す装置になり得ます。私は心から、この映画祭がもっと大きく成長し、アジア映画の現在と歴史を同時に伝える中心的存在へと進化してほしいと願っています。