コラム:芝山幹郎 テレビもあるよ - 第31回

芝山幹郎 テレビもあるよ

映画はスクリーンで見るに限る、という意見は根強い。たしかに正論だ。フィルムの肌合いが、光学処理された映像の肌合いと異なるのはあらがいがたい事実だからだ。

が、だからといってDVDやテレビで放映される映画を毛嫌いするのはまちがっていると思う。「劇場原理主義者」はとかく偏狭になりがちだが、衛星放送の普及は状況を変えた。フィルム・アーカイブの整備されていない日本では、とくにそうだ。劇場での上映が終わったあと、DVDが品切れや未発売のとき、見たかった映画を気前よく電波に乗せてくれるテレビは、われわれの強い味方だ。

というわけで、毎月、テレビで放映される映画をいろいろ選んで紹介していくことにしたい。私も、ずいぶんテレビのお世話になってきた。BSやCSではDVDで見られない傑作や掘り出し物がけっこう放映されている。だから私はあえていいたい。テレビもあるよ、と。

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「黒い罠」

ウェルズ(左)にとっては本作が アメリカでの最後の監督作となった
ウェルズ(左)にとっては本作が アメリカでの最後の監督作となった

ピーター・ボグダノビッチは、オーソン・ウェルズに会ったとき、「黒い罠」を5回見たと告白した。そしてつづけた。「5回見て初めて、筋書がわかりました」

ウェルズは笑った。「そうかもしれないね。プロットがややこしいから」

「あ、そうじゃなくて」とボグダノビッチはあわてて付け加えた。「あなたの演出に眼を奪われていたもので。ここはどうやって撮ったのだろう、どういう段取りをすればこんな映像が撮れるのだろう、と考えているうち、話が頭から飛んでしまって」

有名な逸話だから、ご存じの方も多いのではないか。ボグダノビッチならずとも、似たような体験をした方は少なくないと思う。3分20秒におよぶ冒頭の長回しはもちろん、道路からロビーを抜けてエレベーターに乗り込む場面や、容疑者を狭い部屋で尋問する場面など、眼が思わず吸い寄せられてしまう。

技法の分析だけにかぎらない。悪夢のような映像に眼を取られ、ストーリーがそっちのけになったとしても、べつにおかしくはない。

黒い罠」は眼に焼きつく映画だ。たしかに、「最後のフィルム・ノワール」と呼ばれるだけあって、ストーリーはすんなりとは進まない。しかも、監督を兼ねるオーソン・ウェルズの怪演が凄まじい。服の下にたっぷりと詰め物を入れ、杖をつきながら移動する姿は、「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドと並んで、映画史に残る奇景と呼んでも差し支えないだろう。

それでも筋書に固執する方は、ボグダノビッチに倣って2度3度と見直してみればよい。アメリカ人の腐敗警官(オーソン・ウェルズ)と一本気なメキシコ人捜査官(チャールトン・ヘストン)のつばぜり合いは、なかなか見応えがある。ちなみに、舞台となる国境の町はロス・ロブレスという名前らしい。
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黒い罠

BSプレミアム 12月9日(金) 13:00~14:37

原題:Touch of Evil
監督・脚本:オーソン・ウェルズ
原作:ホイット・マスターソン
出演:チャールトン・ヘストンジャネット・リーオーソン・ウェルズマレーネ・ディートリッヒ
1958年アメリカ映画/1時間37分

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「続・座頭市物語」

勝新VS.城健三朗(=若山富三郎)の 兄弟対決にも注目
勝新VS.城健三朗(=若山富三郎)の 兄弟対決にも注目

水の場面が記憶に残る映画だ。

最初のシーンは渡し舟。やくざに混じってひとりだけ舟に残っていた座頭市(勝新太郎)が、水中へ蹴落とされる直前、眼にも止まらぬ早業で仕込み杖を抜く。そしてそのあとは、潜水泳法の平泳ぎ。取って付けたような水中のキャメラが妙に印象的だ。

少しあとには水辺のしじみ小屋が出てくる。お節(水谷良重)と市が一夜を過ごし、お節が「ああ、自分の身体じゃないみたい」といいながら、顔を洗っていた市に歩み寄る場面。このあと、市は水辺で悪党に取り囲まれる。

後半には、前作「座頭市物語」で、市が平手造酒と釣り糸を垂れていた沼辺が出てくるし、終わりのほうでは、小さな川に飛び込む場面もある。市が兄の与四郎(城健三朗)を抱えて虎口を脱出するのだ。ちょっと強引な脱出の手口だったが。

どれも透明感や広がりは感じさせない水だ。狭かったり、濁っていたり、それなのに、光が当たるときらりと輝く水。なりは泥でも心の澄んだ主人公……などといっては牽強付会にすぎるだろうが、私は、「続・座頭市物語」というと水の場面を思い出してしまうのだ。

もうひとつ印象的なのは、勝新太郎の「残心芝居」だ。人を斬ったあと、あるいはぽつねんと物思いにふけるとき、座頭市はかならずといってよいほど、芝居をひとつ付け足す。シリーズ後半になると、これもいささか鼻につくのだが、第2作のころはまだまだ新鮮だった。ちょっとした間の延ばし方や台詞のはしょり方を見ていると、勝新太郎がこの役柄に舌なめずりをしていたことがよくわかる。話はつぎはぎだし、構図の鋭さも第1作にはおよばないが、「続・座頭市物語」にはそれなりにダークな魅力が漂っている。第1作を楽しんだ方なら、退屈することはないと思う。
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続・座頭市物語

WOWOW 12月4日(日) 04:45~06:00

監督:森一生
原作:子母沢寛
脚本:犬塚稔
出演:勝新太郎、城健三朗、水谷良重、万里昌代柳永二郎
1962年日本映画/1時間13分

筆者紹介

芝山幹郎のコラム

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。