コラム:芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第10回

2015年6月9日更新

芝山幹郎 娯楽映画 ロスト&ファウンド

ああ面白かった、だけでもかまわないが、話の筋やスターの華やかさだけで映画を見た気になってしまうのは寂しい。よほど出来の悪い作り手は別にして、映画作家は、先人が残した豊かな遺産やさまざまなたくらみを、作品のなかにしっかり練り込もうとしている。

それを見逃すのは、本当にもったいない。よくできた娯楽映画は、知恵と工夫がぎっしり詰まった鉱脈だ。その鉱脈は、地表に露出している部分だけでなく、深い場所に眠る地底の王国ともつながっている。さあ、その王国を探しにいこうではないか。映画はもっともっと楽しめるはずだ。

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第10回:「マッドマックス 怒りのデス・ロード」とジャンル映画の極限


 大胆な映画だ。勇敢な映画だ。不敵な映画だ。そして、とても優しい映画だ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード」(以下、大半を「マッドマックス」と表記する)が頭のなかで舞いつづけている。映像が瞼に焼きつき、音響が耳もとで鳴り響いている。しかもそれが心地よい。端的にいうと、私は元気づけられた。

つまり、これは身体に効く映画だ。本能になにかを訴えかける映画だ。最初に試写を見たとき、私は体調が悪かった。体重が減り、ヘモグロビンの数値が低下し、嫌な予感もしていた。いよいよ来たかな、と私は思った。

ただ、足もとが崩れる感じはなかった。ずるずると右肩下がりに衰えていく感じでもなかった。要するに一進一退、もしくは一進二退。いますぐに滅びるわけではないだろうが、滅びに対してそろそろ心構えをしなければならない時期なのかもしれない。

こんな時期がやってくると、生老病死という言葉もリアルに響きはじめる。ずっと若いころは、生の一寸先に死が口を開けているものとばかり思い込んでいた。事故死であれ病死であれ、死は突然やってくるものという先入観が強かった、といいかえてもよい。

だが歳をとると、生と死の間にはけっこう大きなグレイゾーンがあることに気づかされる。このゾーンに入り込んでくるのが、老や病といった観念だ。しかも、微妙なグラデーションを伴う。淡い灰色から濃い灰色に至る無段階的な変化。動きも一方通行ではなく、かなりアトランダムに行ったり来たりを繰り返す。加えてペースが一定しない。灰色がゆっくり濃くなるかと思うと、ある日突然、黒に近づくこともある。先が読めない。

というわけで、安定した体調を保持するのはけっこうむずかしい。意志だけでは流れを食い止めることはできないし、予防にも限度がある。キーボードをうっかり長押ししていると、コンピューターの画面がとんでもない場所に移動することがあるのと同じで、糖質制限などの食餌療法もときおりオーバードライブを起こす。「病は気から」などと言い放つ頑丈な人はどこにでもいるが、弱気の基本は弱った身体だ。生命力や動物電気が落ちれば、気力を保つのはむずかしい。そんなとき、バランスは簡単に崩れる。もろいものだ。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

話が遠まわりしたが、いいたかったのは「マッドマックス」が弱った身体にくさびを打ち込んでくれる映画だった、ということだ。私の場合、体調が急に回復したわけではなかったが、回復の踏み石となる気力を蘇らせてもらった。そうか。こう休んで、こう眠って、こう食べて、こう動けばよいのか、という納得。単純なことかもしれないが、これが見えると見えないとでは、グレイゾーンのなかでの自由度に大きな差が出る。

サバイバル本能が異様に強い

ではなぜ、「マッドマックス」は私を元気づけてくれたのか。

すぐに思いつく理由は、マックス(トム・ハーディ)をはじめ、登場人物のサバイバル本能が異様なほど強いことだ。

彼らは、核戦争のあとに一度滅亡したこの地上で生きている。水や資源は枯渇し、人類の遺伝子は損なわれ、文明や愛情は皆無といってよいほど見当たらなくなってしまった。マックス自身、「火と血の世界で生きる」とつぶやきつつ、命を救ってやれなかった愛娘の亡霊にとり憑かれている。つまり彼は、生からも死からも逃げている。にもかかわらず、危機に見舞われると彼は反射的に戦う。相手を倒し、なんとしてでも生き延びようとする。野獣の本能に近い。ただし、映画の冒頭からマックスは〈砦(シタデル)〉の兵士たちに捕獲され、首筋に烙印を捺されて檻につながれてしまう。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

砦の独裁者はイモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン。79年の「マッドマックス」では悪党の首領トーカッターを演じていた)という男だ。ジョーは水を支配し、住民を奴隷化している。砦の住民は、権力者と兵士(ウォー・ボーイズ)と奴隷に大別される。奴隷のなかには、ブリーダー(子産み女)と呼ばれる若い性奴隷もふくまれている。

そんな娘たち5人を、ジョーの後宮から逃がそうとするのが、女戦士のフュリオサ(シャーリーズ・セロン)だ。幼いころ、緑したたる土地からさらわれて戦士にされ、血塗られた日々を重ねてきた彼女には贖罪の気持が強い。フュリオサは長身で長脚だ。髪はバズカット(五分刈り)で、上腕二頭筋の発達した左腕の半分は義手。眼の周りや額にはグリースが黒々と塗られている。戦闘能力はきわめて高い。サバイバルの本能も、マックスに劣らぬほど強い。いや、実をいうとこの映画の主人公はフュリオサだ。マックスはむしろ、彼女を支える寡黙な騎士の役割を担う。

5人の娘たちを乗せて逃げるフュリオサのトレーラー(ウォー・リグと呼ばれる18輪の巨大なタンクローリー)には、もちろん追っ手がかかる。先頭に立つのは、ジョーを乗せたギガ・ホース(59年型のキャデラック・クーペ・デビルを上下に2台重ねた改造車だ)。ブラッド・バッグ(人間輸血袋)にされたマックスは、別の車のフロントグリルに縛りつけられ、車内の兵士に絶え間なく血液を送り込んでいる。チューブでつながっている兵士はナックス(ニコラス・ホルト。ニュークスという表記は誤り)という若者だ。ナックスは、洗脳されたテロリストさながら、死後の栄光を信じている。戦いに昂揚して「なんと素晴らしい日だ(ワッタ・ラブリー・デイ)!」と声をあげ、麻酔効果のありそうな銀色のスプレーを口の周りに吹き付けて「俺を見てくれ(ウィットネス・ミー)!」と絶叫する。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

軍団の構成員はカラフルだ。肥満体の人食い男爵(ジョン・ハワード)は「デューン/砂の惑星」(84)のハルコネン男爵(ケネス・マクミラン)を思わせる。ジョーの息子のリクタス・エレクタス(ネイサン・ジョーンズ)は途方もない怪力の持ち主だし、火炎放射器付きのギターをかき鳴らすドゥーフ・ウォリアー(アイオータ)の姿は一度見たら忘れられない。

一方、追われる娘たちの顔ぶれも面白い。最初のうちは「邪魔な飾り」ではないかと思ったが、時を追うに従って変貌していく姿が頼もしい。トースト・ザ・ノウイングに扮するゾーイ・クラビッツレニー・クラビッツの娘だし、ケイパブルを演じるライリー・キーオは、エルビス・プレスリーの孫娘だ。

>>次のページ:クルーの仕事に眼を見張る

筆者紹介

芝山幹郎のコラム

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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