コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第91回

2021年2月15日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第91回:けったいな町医者

医師長尾和宏さんをひたすら追いかけ、その日々の姿を描いている。

長尾さんは、どのような医師なのか。在宅医療の専門家として知られ、たくさんの著書もある。とくに在宅による終末期医療へのとりくみで知られていて、多くの病院が過剰な延命治療をおこない、たくさんの薬剤を終末期の患者に投与していることに異議をとなえている。在宅でおだやかに枯れて亡くなっていく平穏死を迎えよう、と提唱している。

在宅医療の専門家として終末期医療に取り組む長尾和宏医師に密着したドキュメンタリー
在宅医療の専門家として終末期医療に取り組む長尾和宏医師に密着したドキュメンタリー

といっても病院での医療そのものを否定されているのではないことは、注意しておきたい。長尾さんは、がん放置療法などの「医療否定本」をつよく批判し、独自の「がんもどき理論」で抗がん剤やさらにはワクチンなども否定している近藤誠氏を批判。『長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか? 』という書名の本も出されている。

長尾さんが取り組んでいる終末期の在宅医療は、国が推進している医療政策でもある。人口の多い団塊の世代が後期高齢者にはいりつつあり、これから多死時代がやってくる。死に場所として病院がすべてを受け入れるのは不可能になろうとしており、そこに在宅医療が注目されている背景がある。

さて、そういう事前知識を踏まえたうえで本作を観る。

タイトルに「けったいな」という関西弁の形容動詞が使われているのは、兵庫県の愛すべき下町・尼崎市に長尾さんの病院があるからだ。本作で描かれる長尾さんと患者とのやりとりには、関西っぽいやわらかいユーモラスな雰囲気がいつも漂っている。それだけでも穏やかな気持ちになれるからなんとなく微笑ましく画面に見入ってしまうが、実のところ長尾さんの仕事ぶりは冷静にかんがえるとものすごい。

24時間365日体制の激務で携帯電話は手放せない
24時間365日体制の激務で携帯電話は手放せない

在宅で診ている患者の容態はいつ急変するかわからないから、24時間365日携帯電話が手元から離せない。文春オンラインの「在宅死のカリスマがあえて問う『今までマスコミは美談ばかり伝えてきた』」というインタビュー記事で長尾さんは、こう語っている。

「患者さんの側からすると、携帯がすぐつながるというのは安心感があるけど、医師からしてみたら、寝ているのに電話がリンリン鳴ったら、それはつらいですよ。僕もプライベートの旅行にもずっと行ってません。学会や国際会議で海外に行っても、昼夜問わず携帯にかかってきます。この前も、ユネスコの会議で行ったキプロスでも電話が鳴った。何事かと思ったら、尼崎の警察から。患者さんが亡くなって、検視が入ってしまったんです…」

黎明期から在宅医療をやってる医師たちには、がんやうつ病などで体を壊す人も多いのだという。長尾さんはこうも語っている。「私もいつ死ぬかと思いながらやってます。1人の患者さんを24時間365日診るために医師が何人必要かを計算したら、4人要るんです。それを1人でやるとなると、4倍働く必要があります」

「痛くない死に方」主演の柄本佑(左)が本作でナレーションを担当/「痛くない死に方」では長尾氏をモデルにした医師を奥田瑛二が演じている(右)
「痛くない死に方」主演の柄本佑(左)が本作でナレーションを担当/「痛くない死に方」では長尾氏をモデルにした医師を奥田瑛二が演じている(右)

本作は、同じ時期に公開中のドラマ版の映画「痛くない死に方」と姉妹作品的な位置づけになっている。「痛くない死に方」は、柄本佑演じる若い医師が在宅医療に悩みながら取り組む物語で、長尾さんをモデルにした先輩医師を奥田瑛二が演じている。高橋伴明監督のこの作品で助監督を務めたのが、本作の監督毛利安孝。そして柄本佑は、本作のナレーションも務めている。

痛くない死に方」では、主人公が看取る老いた患者たちはいずれも豪邸のような立派な家に住んでいて、在宅医療のことをあまり知らないままドラマ版のほうを先に鑑賞したわたしには微妙な違和感があった。「在宅で死にたいなんて、結局は金持ちのおじいさんの道楽なんじゃないだろうか。わたしは病院でしっかり看護されながらのほうが気楽だなあ」と思ったのだ。

しかし続いて本作を観ると、より理解が深まり、違和感は消えた。そもそも長尾さんが訪問する先のお年寄りたちは、全然お金持ちの家ではない。部屋が散らかってるひとり暮らしのおばあさん、近所で豆腐屋さんを長年やってたおじいさん、そういうふつうの庶民がつぎつぎ登場してくる。そして長尾さんはどんな患者にも分け隔てなく、ユーモアと親身さで対処し、からだをさすり、抱きしめる。

患者に分け隔てなく接する長尾氏
患者に分け隔てなく接する長尾氏

24時間365日体制で激務をこなしながら、それでもこんなにラブリーに患者さんに対応できるなんて、まったく信じられない。映像を追いかけているうちに、だんだんと長尾さんが菩薩かなにかのように見えてくるのだ。

本作では、人が死ぬ瞬間や遺体がリアルに描かれている。さまざまな死がある。誤った在宅医療のために苦しみながら死んだ人もいれば、終活してあらゆるものをきれいに片づけ、枯れ木のように静かに死んでいった人もいる。それらのさまざまな死の描写の中でも、最も胸を打つのは、エンドロールのあとに唐突に始まる病床のシーンだ。死んでゆく豆腐屋のおじいさんと、それを看取る長尾さんのやりとりが描かれる。このシーンを観るためだけにも、本作は鑑賞の価値がじゅうぶんにある作品だと思う。

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■「けったいな町医者

画像5

2020年/日本
監督:毛利安孝
2021年2月13日から、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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