コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第8回
2013年10月8日更新
第8回:マリリン・モンロー 瞳の中の秘密
アメリカ戦後史に燦然と輝くハリウッド女優、マリリン・モンロー。彼女は1926年に生まれ、62年に36歳で亡くなった。たぶん彼女の映画を今観る人はあまりいないだろう。ただ「セックスシンボル」「頭の弱そうな金髪女性」というような「超」のつくステレオタイプのイメージだけが、「七年目の浮気」のスカートがまくりあげられるシーンとともに生き続けている。
本作は、彼女が残した詩やメモ、手紙などの未公開ドキュメントを集めた本「マリリン・モンロー 魂のかけら」(スタンリー・バックサル著、邦訳は青幻舎刊)をもとにして女性監督が撮ったドキュメンタリだ。彼女が遺した断片的な文章を、ユマ・サーマンやエレン・バーステイン、リンジー・ローハンといった現代の著名な女優たちが読み上げるシーンが差しはさまれている。
そしてその文章があまりにも知的で繊細であることに、私は虚を突かれた。
「新しい台詞を与えられる恐怖 覚えられないかもしれない まちがってしまうかもしれない 私はだめだと、人に思われるか 笑われるか、馬鹿にされるか、演技できないと思われるか。女性たちは容赦なく批判する―― みんな無愛想で、冷たい 私にはできないと、演出家に思われるのが心配 まったくなにもできなかった頃を思い出すの それから自分で自分を褒め上げてみる いままでうまくできたことがある よいものもあった 素晴らしい瞬間さえあった、けれど 悪い芝居をずっと引きずって、耐えがたく自らを恃みとするところもない 絶望めいた狂おしさ」
「私はこんなふうに感じているみたい(今朝になってからやっと考えはじめたのだけれど)。私は単純に言って、なにかをしなければならないときに自分をコントロールすることもできないし、その意志もない。あたしは、演技もなにひとつまともにできない。こんなことを言うと、クレージーに聞こえるかもしれないし――ひょっとして思い込みかもしれないけれど――あたしはなにもわからないのよ」(いずれも原作「マリリン・モンロー 魂のかけら」青幻社版より)
つねに思考を絶やさず、でもまっすぐに素直で人を信じやすく、そしてときに無邪気な女性。ベートーベンを聴き、ジェイムス・ジョイスやジャック・ケルアック、アーネスト・ヘミングウェイの小説を読み、サミュエル・ベケットの戯曲を学ぶ。そして仕事へのとても激しい情熱と、成果がうまく出せないことへの焦燥と悩み。絶望と孤独。遺された文章から垣間見えるマリリンの生身の「リアル」は、「頭の弱そうな、でも男好きのするセックスシンボル」とはかけ離れている。
もちろん、女優のブランドイメージなど、しょせんはつくられた偶像でしかない。それが生身の人間とイコールではないということを、私たちはさまざまなメディア情報を経由して学習している。だがマリリン・モンローという偶像は、あまりにもこれまでのイメージが強く大きく、そして生身の姿がほとんど伝えられてこなかった。だからこんな姿が偶像の向こうに隠されていたことを想像もしていなかったのだ。
そしてこの映画がじつに素晴らしいのは、そうした虚像と実像の乖離が単にマリリンひとりに帰する問題なのではなく「演じる」というきびしい仕事を選んだ俳優たちに共通していることをあらためて浮かび上がらせたことだ。
監督のリズ・ガルバスは制作ノートで「マリリンの“やることリスト”を見て、『女優はみんな同じようなリストを作っているわ!』とユマ・サーマンが言ってた」と打ち明けている。彼女たちとマリリンの間には、時代は変わっても深く共通し、つながっているということなのだ。
女優という仕事。表現し、ショービジネスという過酷な舞台で勝負するという仕事。虚像に引きずり回され、生身の自分を理解してくれる人は少ないであろう孤独な仕事。そしてその仕事を遂行し成功していくためには、どんなに表面が「セックスシンボル」のような虚像であろうとも、とても魅力的で頭が良くてすぐれた内面を持っていなければならないという現実。
インターネットが普及し、歌手や俳優などのスターがツイッターやフェイスブックなどのソーシャルネットワークに参加するようになり、「ポップスターの神話」が剥ぎ取られるようになったとも言われている。しかしSNSでスターが生の実像を見せるようになったとしても、観客や聴衆の側が勝手に作りあげる虚像はこれからも生みだされ続け、スターたちの生身の孤独や悩みや喜びが人々に本当に理解されることはおそらくないのだ。
もしマリリン・モンローが生きていた時代にフェイスブックがあったとしたら、彼女はそこに何を書き記しただろうか。
■「マリリン・モンロー 瞳の中の秘密」
新宿ピカデリーほかにて公開中
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao