コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第1回
2013年3月5日更新
第1回:「シュガーマン 奇跡に愛された男」
ドキュメンタリ映画を観て、これほど魂が揺さぶられる経験をしたのは初めてだ。
最初にこの映画の情報を知ったとき、すでに鑑賞された海外在住の方からツイッターで「予告編以外の予備知識は仕入れないで観た方がいいですよ」とうかがった。しっかりそのアドバイスを守り、予備知識がまったくないまま本篇を観た。そして激しく感動したのだった。
ストーリーはこうだ。1970年にアメリカでデビューしたデトロイト出身のミュージシャン・ロドリゲス。ボブ・ディランに比べられるほどの高い音楽性と歌詞でレーベルは大きく期待していたが、しかし2枚出したアルバムはまったく売れず、彼は契約解除されて姿を消してしまう。しかしそのアルバムは、南アフリカでアパルトヘイト抵抗運動をしていた若者たちの心に刺さり、50万枚以上の驚異的な大ヒットを記録していた。しかし本人は一度も南アフリカを訪れることもなく、「ステージ上で頭を撃ち自殺した」「獄中で薬物中毒で死んだ」といった噂だけが流れていた……。
そこから先の展開は、このレビューでもいっさい書けない。私はこの映画を結末まで観た人たちと夜明けまで語り合いたいと思うけれど、観ていない人には「もうこれ以上予備知識を得ないで、さっさと映画館に行ってくれ!」ということしか言えない。早く映画館に!
でもひとつだけ言っておこうと思う。
それは、この映画の隠れたテーマは「承認されないことの切なさからどう逃れるのか」だということだ。私たちはいつも「人から認められたい」「自分の能力を知って欲しい」というような承認欲求の虜(とりこ)になっている。インターネットが普及して誰でも自分の意見を発信できるようになり、そういう欲求はますます高まっているように思える。
「シュガーマン」の物語はここでは語れないから、別の映画を補助線にしよう。2009年に「フィッシュストーリー」という日本映画があった。伊坂幸太郎原作、中村義洋監督。描かれるのは、実はセックスピストルズよりも早く1975年にデビューしていたという設定の日本のパンクバンド。でも当時のリスナーにはまったく受け入れられず、アルバムを3枚出して契約解除されてしまう。
最後のレコーディングで、ボーカル役の高良健吾が突然歌うのをやめ、独白を始める。「なあ。誰か聴いてんのかよ。いまこのレコード聴いてるやつ教えてくれよ。届いてんのかよ。これすっげえいい曲なのに。誰にも届かないのかよ。嘘だろ。この曲は誰に届くんだよ。届けよ、誰かに。頼むから」
でも結局、曲はだれにも届かない。バンドは解散し、歴史の彼方に消えて行った。彼らがその後どんな人生を歩んだのかは映画ではまったく描かれない。売れなくて解散したバンド、という過去に無数に繰り返されてきた物語がまたもひとつ小さく繰り返されただけだったのだ。
でも彼らは自分たちではまったく知らなかったけれど、どこかで小さなできごとを引き起こし、それが歴史の中で少しずつ繋がっていって、最後は大きな物語へとつながっていく。「フィッシュストーリー」はそういう奇跡を描いている。
私たちの承認欲求は、いまこの現在ではなかなか満たされない。それはつらいことなんだけれども、でも自分が生きて何かの行いをしているということは、どこかで誰かに影響を与え、誰かの人生を小さく変えているのかもしれない。それに気づかなくたっていいじゃん。そう思うようにしようよ。
そう考えれば、私たちはこの空虚な人生を少しでも意味のあるものとして受けとめられるかもしれない。
私は「シュガーマン」から、そういう素敵なメッセージを受け取ることができたのだった。
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao