コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第41回
2016年11月25日更新
フランス、テレビ界の仁義なき戦い
フランスのテレビ界がいま、揺れている。先月から有料テレビ局カナルプリュス傘下の無料ネットチャンネルi-TELE(今後はCNewsと改名するそう)の社員が、なんと1カ月にわたりストを続け、ついに大臣が介入するまでに発展したのである。
もっとも、今回の原因はフランスにありがちな、雇用条件に対するストではない。秋の番組改編に登用が決まっていた司会者、ジャン=マルク・モランディーニが、夏にウェブ番組の撮影中、若いキャストたちに服を脱ぐことやセクシュアルなポーズを強要したことがスキャンダルとなったにもかかわらず、局のオーナーとの人脈が強くお咎めなしとなったことに対する、社員たちのモラル的な抗議なのである。
彼の番組が初めてオンエアされた日から社員たちがストを決行。1968年以来、テレビ界では最長の31日にわたるストが続いた。だが結果は空しく、結局法的な処置を免れたモランディーニはいまも続投しており、逆に賛同できない社員たちがやめていく、という苦々しい結果となってしまったのである。もっともこのスキャンダルが与えた局へのダメージは著しい。もともとカナルプリュス自体が、映画やカルチャー討論番組など、長年力を入れてきた文化的な分野からスポーツ系にシフトしてきた近年、ファン離れが囁かれていた。そのうえ最近はカタール系のbeIN Sportsなどの参入により、サッカーなど目玉のスポーツ番組の一部の放映権を奪われるという事態が起きている。
ここで問題なのは、フランスの映画界にとってもカナルプリュスは切っても切れない縁にあるということだ。フランスでは、テレビ局は売り上げの一部を映画製作に出資することが法律によって義務づけられているが、そのなかでも、商業的な作品から比較的難解な作品まで、多岐なジャンルにわたって出資し続けてきた局がカナルプリュスだった。それが経営難に陥ってしまったら、フランスの映画界は多大な影響を被るのではないだろうか。
もうひとつ、カナルプリュスを苦しめる要素がある。それはNetflixやAmazon、SundanceTV、OCSといった、ストリーミングサービスだ。とくに現在、世界190以上の国でおよそ8100万人の加入者を抱え2014年9月からフランスにも参入したNetflixの追い上げは激しく、映画界にもアグレッシブに勢力を広げている。たとえば、今年のカンヌ映画祭でカメラドールを受賞したウーダ・ベニャミナの長編デビュー作「Divine(原題)」は、その後の動向が注目されていたが、劇場公開されたフランス以外、全世界の配信権利をNetflixが獲得して話題になった。カンヌのカメラドール作品がストリーミング・サービスに?と考えると意外な気もするが、フランス郊外の街に住む若者の生き方を描いた本作は、初期のマーティン・スコセッシを彷彿させるような作家性と娯楽性が融合したパワフルな作品。それだけに、こうしたメディアを使って世界の視聴者に届けられるということは、契約料は言うに及ばず、作り手にとってメリットの多いことなのだ。
さらに、おそらくはアメリカの熾烈な市場を意識してか、最近流行のテレビシリーズにおいても、Netflixは質の高いオリジナルコンテンツを届けることに力を入れている。たとえば今月放映が始まり、パリの市内などでもさかんにポスターを張り出し宣伝していたのが、イギリスの王室を舞台にした「ザ・クラウン」。脚本家には「クィーン」などで知られるピーター・モーガン、そして初回から第2話の演出を担当したのが、「リトル・ダンサー」などの監督スティーブン・ダルドリーと、第一級のスタッフを排しているあたりも、その意気込みが伺える。
こうした攻勢を前にして、果たしていまのカナルプリュスがこれからどんな経営戦略を展開できるのか。映画界もひっくるめて、これは大きな関心事と言えるだろう。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato