コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第139回
2025年1月30日更新
クローネンバーグ特集が活況のシネマテーク・フランセーズ、ベルトルッチ「ラストタンゴ・イン・パリ」は上映中止に…フランス映画界の性暴力問題が再燃
パリの映画愛好家たちにとっての殿堂、ラ・シネマテーク・フランセーズでデビッド・クローネンバーグ監督特集が開催され、連日人気を集めている。オープニングには4月にフランスで一般公開される新作「The Shrouds(原題)」が披露され、クローネンバーグ監督が登壇。さらに「イースタン・プロミス」の上映後には、ビゴ・モーテンセンのトークも開催され、客席で立ち会っていたクローネンバーグ監督が途中から飛び入り参加しての対談となった。ふたりはこれまで「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(2005)、「イースタン・プロミス」(2007)、「危険なメソッド」(2011)、「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」(2022)と、4度タッグを組んでいる仲で、以前カンヌで話題を撒いたときと同様に、今回も、当然のように挨拶がわりのキスをふたりで交わしていた。
モーテンセンは、「『ヒストリー・オブ・バイオレンス』の脚本を読んだとき、興味は惹かれたけれど、かなり暴力シーンが多いのが気になった。それで監督と話し合いを始めた。はっきりと返事をしないまま、打ち合わせが進行していき、ある時点でついにデビッドから、『つまり君は引き受けるということだね?』と確認されたのを覚えている(笑)」と振り返り、「デビッドの映画では一般的にバイオレンスがよく話題にされるけれど、実際にそれが映し出されている頻度は、他の監督に比べて特別多いというものではないと思う。おそらく、冷たく客観的な描写がそういう印象を与えるのかもしれない」と分析した。また『イースタン・プロミス』の話題を呼んだハマムでの全裸格闘シーンについて尋ねられると、あっさり「ハマムで突然襲われるんだから、タオルが落ちて全裸になるのは自然だと思った」と答えた。
一方、クローネンバーグ監督は「危険なメソッド」について秘話を披露し、「モーテンセンが演じた精神科医フロイトは、本来クリストフ・ワルツが演じることになっていた。彼から、オーストリア人として自分にとってフロイトを演じることはとても重要なのだという、熱烈な手紙をもらったから。でもそのあとで彼はもっとギャラの高い「恋人たちのパレード」(2011)を選んで、こっちを辞退した(笑)。公式な理由は自信がないというようなものだったけれど。それでビゴに泣きついた」と語った。モーテンセンがそれを受けて、「僕はギャラが安くて、いつでも空いているから(笑)」と返し、場内の笑いを誘った。
こうしてイベントは満員御礼のなか、和気藹々と進んだのだが、じつはシネマテークは現在、運営面で大きな批判にさらされている。きっかけは昨年12月に開催されたマーロン・ブランドのレトロスペクティブだった。ブランドの生誕100周年を記念したイベントで、「20本の傑作」を集めた特集上映のなかに、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)が含まれていたのだ。本作は公開当時から、ベルトルッチがブランドをそそのかし、相手役のマリア・シュナイダーには何も知らせないまま、カメラの前で実際にアナルセックス(つまり性的暴行)をさせたことが知られていたが、#MeTooムーブメントが進むなかで、多くの批判を浴びるようになっていた。
シネマテークのスタッフのなかにはこれを配慮し、上映するなら議論の場を設けた方がいいのではないか、という案が出たものの、ディレクターのフレデリック・ボノーは取り合わず、結果フェミニストや性暴力と闘う団体から激しい糾弾にあい、「安全のため」上映中止に追いこまれるという事態になった。これを機に内部のパワハラ、モラハラの噂もメディアに取り沙汰されるとともに、過去にロマン・ポランスキー(2017年のレトロスペクティブも大きな反対運動があった)やブノワ・ジャコーといったキャンセル・カルチャー系の監督たちを取り上げてきた履歴が問題視されているのである。
折しも昨年6月、フランスの国立機関である映画映像センター(CNC)で会長を務めるドミニク・ブトナが性的暴行容疑で有罪判決を受け、辞任したばかり。また12月には、アデル・エネルが#MeTooで訴えたクリストフ・ルッジア監督の裁判も始まった。そんななか、映画、映像、興行関係の現場の実態を探るために、目下国会の特別審問会に多くの関係者(監督、俳優、プロデューサー、テレビの役員、シネマテークの幹部など)が次々に呼ばれている。
長年「芸術至上主義」を唱え、監督や演出家が圧倒的にリスペクトされてきた伝統のあるフランスだが、その結果がこんな形に繋がるとは、という落胆を禁じ得ない。今回の出来事は、「芸術」を建前にキャンセル・カルチャーの対象となる作品を取り上げることができる時代は終わったという象徴だろう。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato