コラム:大高宏雄の映画カルテ 興行の表と裏 - 第5回
2013年3月26日更新
単純に言えば、日本人の琴線に触れそうなそのような作品が、偶然的に相次いで公開されたということだろう。ただ、そう言ってしまっては身も蓋もないから、言葉を変える。偶然も何も、よく指摘されていた人々の洋画離れといった現象は、かなり曖昧だったこともまた、今回の“流れ”から、少なからず立証されたのだと言える。洋画は見放されていない。
先の代表的な作品では、「007 スカイフォール」が、アクション映画ファンのより広範囲な客層の広がり。「レ・ミゼラブル」が、20代から30代の女性。「テッド」が、10代から20代の女性と、観客層の掘り起こしが、はっきりとあった。
かつて、年に2、3本あった洋画の強力シリーズものはともかくとして、いわゆる“単発”作品で、こうした観客の掘り起しがあったことは、最近では非常に稀なことであった。確かに、偶然につながったのではあるが、その偶然もまた一つの“流れ”のうちにあることは間違いないのである。
この掘り起しが、これから何を示唆していくのか。それは、今の段階ではよくわからない。ただ一つ言えるのは、パターン化された作品(先のシリーズ娯楽大作)だけではない洋画の面白さや楽しさを存分に味わった多くの若い世代が、確実に増えただろうことは強く指摘したい。この層が、一過性で離れてしまうのか。今後に、つながるのか。その見極め、というより、どのようにつなげていくのかといった具体的な方策のありようが、今後重要になってこよう。
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前回、「興行のシビアな結果よりも、作品宣伝の各々の場において、どのような取り組みがなされるのか」と書いた。その私の期待に応えたのが、「007 スカイフォール」や「レ・ミゼラブル」「テッド」で、宣伝に意欲、熱意が強く見えた。宣伝とは工夫である。それがあればこその成果であろう。期待しがいがあった。
ただ、本当に難しいこともある。とくに米メジャー系配給会社の場合、本社主導の宣伝方針に“依拠”せざるをえないことが、数多くあるのである。日本市場の動向を知ってか知らずにか、本社の宣伝方針を、日本の支社にごり押しでくる。日本サイドが、日本市場のありようをいくら説明しても、わかってくれないことがよくあるというのだ。
地道に、日本市場の“特殊性”を伝えていくなかで、その現状をいかに理解してもらうか。誰がリーダーシップをとって、その役割を果たしていくか。何人かの洋画メジャー系配給会社の関係者と話をするなかで、そのことの重要性を、ますます痛感する昨今である。踏ん張りを見せている、あるいは見せようとしているまっとうな洋画配給の営業、宣伝担当者は、少なからずこの業界にはいる。そのような人たちの仕事への熱い意識の芽が、摘み取られないことを祈る。