コラム:第三の革命 立体3D映画の時代 - 第5回
2010年3月5日更新
一昨年春に連載し、好評を博した映像クリエーター/映画ジャーナリストの大口孝之氏によるコラム「第三の革命 立体3D映画の時代」が復活。昨年暮れの「アバター」公開により、最初のピークを迎えた感のある第3次立体映画ブームの「その後」について執筆していただきます。連載再開第1回は、3D映画とストップモーション・アニメーションの関係を論じます。
第5回:3D映画とストップモーション・アニメーションのディープな関係
待ちに待った「コララインとボタンの魔女 3D」が公開中である。この映画の魅力は、3D映画であることはもちろんだが、何よりもストップモーション・アニメーション(コマ撮り)で全編が作られていることにある。それはおそらくアニメーションに興味のない人でも、驚嘆の声を上げるに違いない。セットや衣装など、全てが緻密に作りこまれており、キャラクターの仕草はため息が出るほど生き生きとしている。ただ気になったのは、プレスシートや劇場プログラムに書かれていた「3Dで撮られた初めてのストップモーションアニメ」という文言である。これはまったく正しくない。3Dとストップモーション・アニメーションには、浅からぬ縁があるのだ。
■世界初の3Dストップモーション映画は?
最初に3Dで撮られたストップモーション作品は、1939年に開催されたニューヨーク世界博覧会・クライスラー自動車館の展示映像「In Tune with Tomorrow」である。大衆車プリムスの組み立て工程を描いた15分間の作品で、デトロイトの工場内に3つのステージを作り、36日間かけてアニメートされた。全て実際の自動車部品が、踊りながら組みあがっていくというもので、重いエンジンやトランスミッションなどもピアノ線で吊るして、丁寧に撮影されている。
この作品の最大の特徴は、世界初のパッシブ・ステレオ(偏光方式)【図1】だったことで、偏光フィルターを開発したポラロイド社が、その普及のためにプロデュースと技術協力を行った。監督は米国の立体映画のパイオニアであるジョン・ノーリングが務め、彼のルークス&ノーリング・スタジオが製作を担当している。
■知られざる天才チャーリー・ボワーズ
アニメーターについては不明だが、チャーリー・ボワーズが手がけていたという説が有力だ。金属を喰う鳥のタマゴから本物の自動車が誕生するという、ボワーズの「It's a Bird」(1930)という作品が「In Tune with Tomorrow」によく似ていることから、この説は非常に信憑性が高いと思われる。ボワーズは、スラップスティック・コメディの俳優と監督も兼任していたが、チャップリンやキートンに比べて圧倒的に知名度が低い。それはあまりにもブッ飛んだ内容に、当時の観客が付いていけなかったからだろう。アニメーションについても同様で、技術はとてつもなく優秀なのだが、大衆はシュール過ぎる展開を理解できなかったと想像できる。なにしろ今見ても十分衝撃的なのだ。
■テクニカラーでリメイク
「In Tune with Tomorrow」の残念だった点は、色彩が正確に表現可能なパッシブ・ステレオで制作されていながら、白黒作品だったことである。そこで同じ作品をカラーでリメイクすることになり、1940年の第2期に公開された。題名は「New Dimensions」【図2】と改められている(ちなみに1953年にも「Motor Rhythm」と改題されて一般劇場で再公開された)。
「あの壮絶なアニメート作業を、また繰り返さなければならない」と途方に暮れたスタッフの顔が目に浮かぶ。しかも3色法テクニカラーであるから、RGBのフィルターを取り替えながら3回ずつ露光しなければいけないため、撮影の苦労も大変なものになった。
■スタンダード石油館でも3D人形アニメが
同じニューヨーク世界博のスタンダード石油館でもパッシブ・ステレオのストップモーション作品「Pete-Roleum and His Cousins」が上映された。これは、石油が燃料だけでなく、様々な製品の原料に使われているということを、油滴の形をしたキャラクターに表現させた、16分間のテクニカラー人形アニメである。ルークス&ノーリング・スタジオ、ポラロイド社、テクニカラー社の共同製作で、プロデュース・脚本・監督は「暗殺者のメロディ」(1972)で有名なジョセフ・ロージーが務めた。こちらにはアニメーターとして、ちゃんとボワーズの名前がクレジットされている。