コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第2回
2018年9月26日更新
トロント映画祭で、もっとも心を揺さぶられた映画
2018年のトロント国際映画祭は、ピーター・ファレリー監督(「メリーに首ったけ」などを撮ったファレリー兄弟のお兄さんの方)、ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ共演の「グリーン・ブック」という映画が観客賞(最高賞)を受賞して閉幕しました。この映画については、正直全くノーマークで、上映回数もとても少なかったので受賞は結構驚きでした。
個人的に、初めて参加したトロント映画祭でしたが、期間中は15本ほどの映画を見ることができました。デイミアン・チャゼル監督の「ファースト・マン」やアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA」などが話題で、どちらも素晴らしかったのですが、それよりも私の心を強く揺さぶった1本がありました。
それは、「ビゲスト・リトル・ファーム(The Biggest Little Farm)」というドキュメンタリーです。私は、どの映画祭に行ってもドキュメンタリーをたくさん見ることにしています。なぜなら、驚きと発見がたくさんあるから。「世の中にこんな人物がいたのか!」「世の中にこんな場所があったのか!」と、自分が知らなかったものに出合える確率がかなり高い。
本作もまた「世の中にこんな場所があったのか!」と思わせてくれた1本です。主人公は、ロサンゼルス(LA)に住む夫婦。その夫婦がLA郊外に広大な農場を所有し、ワイルドライフを営む話です。
もう少し詳しく説明しましょう。夫が映像作家(この映画の監督でもある)で、妻は料理研究家。2人は、最近家族に加わった犬の世話に手を焼いています。あまりにワンワン吠えるので、近隣から苦情が来るのです。この犬が原因で何度も引っ越しをしますが、どこに越しても犬が吠えまくるので必ず苦情が来てしまう。
何度目かの引っ越しを経て、この夫婦は一大決心をします。
2人は、LAから1時間ほど郊外にある打ち捨てられた農場を買い取って、そこに引っ越してファーマーになると決めました。実は、妻はかねてから本気でファーマーになろうと考えていました。彼女の料理の仕事にもプラスになるし、郊外の農場ならば、誰も犬の吠え声に文句を言いません。
資金を集めて農場を購入し、2人がそこを発展させていく試行錯誤の日々が、この映画のコアを形成していきます。畑に野菜や果物を植え、ブタや鶏など家畜を連れてきて敷地に放ちます。果たしてこの農場(「アプリコット・レーン・ファーム」と名付けられた)で、2人は生計を立てて行くことができるのでしょうか?
しかし夫婦を待ち受けていたのは、想定外の出来事ばかり。その生活は、畑に水を撒いたり、家畜にエサを与えたりといった、シンプルなスローライフなどでは決してありません。異常繁殖で増えすぎてしまった地ネズミ、植物の葉っぱの裏に大量発生したカタツムリ、深夜に訪れ柵を破って家畜を襲うコヨーテ。生物たちの営みは、人間の想像をはるかに超え、想定外の現実を次々にファームにもたらします。夫婦にとっては、難題に頭をかかえる日々の連続です。
ファームのインスタグラムを引用してみましょう。カタツムリがレモンの木に異常繁殖し、レモンを食い尽くしてしまいます。
しかし、この2人は「駆除」や「薬品散布」を行いません。決してケミカルな解決方法には頼らない。代わりに「天敵」をファームに放つことで、問題を解決していくのです。分かりやすく言えば、ネズミが増えすぎてしまったらネコを連れてくる、そんなやり方です。生物は、できるだけ人間の手では殺さないというポリシー。彼らは、究極のオーガニック・ファームを作ろうとしているのです。
ファームの面積は200エーカー、東京ドーム17個分。そこに「農場」ならぬ「生態系」を構築していく過程を、8年間にわたって記録していったのがこの映画なのです。
このアプリコット・レーン・ファームには、250種類の野菜と800種類の動物が生息しているそうです。
大変な子だくさんの雌ブタ、ラブリーな羊たち、不ぞろいな野菜、美味しそうな果物など、実に印象的な生物がたくさん登場します。そして、この映画で驚かされるのは「どうやって撮ったの?」という映像の数々。「よくぞこの瞬間を!」というミラクルなショットがいくつも出現します。
例えば、小学生の子どもがいる家族が皆で見たら、とても意義深い映画だと思います。いろいろなことを考えさせられるんですよ。生物の営み、大地の営み、いや地球の営みが凝縮されていると言っても過言ではありません。極めてプライベートな映画なのに、広大なユニバースを想起させる。
トロント映画祭の観客賞では、ドキュメンタリー部門の第3席。心揺さぶられたのは、私だけではなかったようです。
ところで、夫婦の引っ越しの原因になった、あの吠えまくる犬はその後ファームでどんな暮らしぶりだったのか? 今は言わないでおきましょう。いつか、日本の映画館でも見られることを楽しみにしています。
筆者紹介
駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。
Twitter:@komainaofumi