コラム:ニューヨークEXPRESS - 第4回
2021年7月27日更新
ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
第4回:ラリー・クラーク×ハーモニー・コリン「KIDS」の“真実”とは? ドキュメンタリー監督に秘話を聞く
セックスとドラッグ、アルコールと暴力が日常となったニューヨークのストリートで暮らすティーンエイジャーの生態を、ドキュメンタリー・タッチで描いた異色の青春映画「KIDS(1995)」。同作は、第48回カンヌ国際映画祭にも出品され、今なおカルト的な人気を集めている。初監督を務めたのは、写真家として活動していたラリー・クラーク。脚本は「ミスター・ロンリー」「スプリング・ブレイカーズ」といった刺激的な作品を放ち続けるハーモニー・コリンが担当。当時はまだ無名だったクロエ・セビニー、ロザリオ・ドーソンらを輩出した映画としても有名だ。
今回取り上げるのは「KIDS(1995)」の舞台裏をとらえたドキュメンタリー映画「The Kids (原題)」。監督のエディ・マーティンへの単独インタビューを通じて、これまで語られてこなかった「KIDS(1995)」の“真実”を紹介していこう。
90年代の劇場公開時、マーティン監督は「KIDS(1995)」を鑑賞。作品に対して、大半の観客とは異なる感想を抱いたようだ。
マーティン監督「(『KIDS(1995)』を)最初に鑑賞した際、僕は影響を受けなかったんです。おそらく、映画のことを忘れ去ることもできたと思う。もちろん、あの作品が今でも90年代のカルトクラシック作品として、人々の間で評価されているのは理解しています。でも、ハミルトン ・ハリス(『KIDS(1995)』に出演していたキッズのひとり)を紹介され、彼が当時の撮影について語ってくれるまで、同作について考えたことはありませんでした」
マーティン監督「ハリスは、驚くほと情熱的な語り手です。特にハミルトンの友人だったジャスティン・ピアース、ハロルド・ハンターに関する話には、本当に驚かされました。その話を聞いたのは、今から5年前。『KIDS(1995)』公開から20年が経っていました。僕自身も彼らのように、子どもの頃はスケートボードで遊んでいました。だから、スケートボードで遊ぶ少年たちや、その文化については認識していました」
スケートボードの世界を描いた映画「All This Mayhem(原題)」がきっかけでハリスと知り合い、本作を手掛けることになったマーティン監督。ハリスが育った環境は、家族がドラッグの常習者という劣悪なものだった。そんな悲惨な状況から抜け出すため、彼は家出をすることになった。
マーティン監督「当時のニューヨークの貧困層が、少年少女にとってどれほど厳しい環境だったか。それを誰もが理解していました。当時を振り返りながら撮影するなかで、コカイン、エイズ、貧困がまん延している環境は、かなりのトラウマを受けるようなものだったことを再認識させられたんです。まるで戦地のようでした。(ハリスを含めた)子どもたちは“小さく機能する家族”のもとで生きる術を見つけなければいけなかったんです」
親元を離れたピアース、ハンター、ハリスらストリート・キッズは、「KIDS(1995)」参加以前から、強い絆で結ばれていた。そんな彼らにコリンが接触し、ハリスらの話を聞くように。そこで交わされた会話の内容が「KIDS(1995)」の基になっている。今考えてみれば、コリンは映画を作るため、つまり“彼らを利用(搾取)する”前提で近づいてきたようにも思える。実際「KIDS(1995)」プレミア以降、コリンはストリート・キッズたちと連絡をとることは全くなかった。カンヌ国際映画祭での上映時にも、彼らは招かれていないのだ。
マーティン監督「これはある意味、(『KIDS(1995)』における)機会と搾取の間に生じた複雑な問題です。僕は、彼らの体験を映画を通して提示しただけです。搾取なのか、搾取ではないのか――その判断は、観客に決めてもらいたいと思っています。ハーモニーにも議論の余地があると思います。なぜなら彼自身も、当時は若かったからです」
初めて「KIDS(1995)」を鑑賞した時は、クラーク監督が時間をかけて、ストリート・キッズたちの理解に努めていたと思えたようだ。しかし、実際のところ、クラーク監督はストリート・キッズたちに合わせるため、ダボダボの服を意図的に着用していた。そのため、当時の出演者は「彼のことを信用していなかった」と語っている。それでもストリート・キッズたちはクラーク監督に近づいてきた。高額のドラッグを所持していたからだ。
「The Kids (原題)」では、互いへの信頼関係のもと、映画撮影が行われていたわけではなかったことが暴露されている。クラーク監督が、ストリート・キッズたちを利用しているように見える点について、マーティン監督はどう感じたのだろう。
マーティン監督「僕にはわからない。(幼児虐待のスキャンダルを受けた後の)ウッディ・アレンの過去作のようなものだと思う。この芸術品の値段はいくらなのか? 高すぎないのか? 芸術は破壊と一致するのか? 僕には、それらはよくわからない。そんな質問が、今作を鑑賞した際に提起され、これらの質問や事柄に光を当てることは良いことだと思っています。そうすれば前進して、お互いの意見を聞くことでバランスを図ることもできると思う。ただ、1990年代は信じられないほど“搾取されていた時代”だったと思う。ハーベイ&ボブ・ワインスタインが活躍していた時代だったからね」
「KIDS(1995)」出演後、セビニー、ドーソンは俳優としての地位を確立していく。しかし、彼女たちはピアースやハンターらと一緒に暮らしたり、ともに遊んでいたわけではなく、あくまで“外部の女優”として雇われた。彼らと遊んでいたのは、実在したストリートの少女、ヘイディ・ヤングとプリシラ。彼女たちは、なぜ主要キャストとして扱われなかったのだろうか。
マーティン監督「ヘイディやプリシラは、ピアースたちのグループのなかでも中心メンバーでした。でも、脚本の内容が、彼女たちの真実とは異なったので、不快に感じたようです。クラーク監督が描いた架空の物語を気に食わなかった。さらに彼女たちにとって苦痛だったのは、映画で扱われた内容が、市場に出され、さも本物であるかのようにとらえられたことでした」と語るマーティン監督。このことが原因となり、セビニー、ドーソンといったストリート・キッズとは関係のない俳優が雇われることになったようだ。
ピアースは「KIDS(1995)」公開後、ハリウッドで俳優としてのキャリアをスタートさせた。数本のハリウッド映画に出演し、99年には結婚もしたのだが、2000年に自殺。彼がニューヨークに残って俳優活動をしていたら、状況は変わっていのだろうか。
マーティン監督「僕はそう思います。ニューヨークでの友人は、彼が複雑な人物であることを理解していました。ピアース自身がサポートが必要だと感じた時は、それを提供できたはず。親、そしてニューヨークの友人たちと離れたことで、生活は困難になっていったと思います。それまでのネットワークを断ち切ってしまったわけですから」
ピアースは、父親のことを聞かされずに亡くなっている。母メアリーも、父の存在を息子には教えずにこの世を去っているのだが……実は、メアリーは亡くなる直前、周囲に「ピアースの父親が誰なのか」を告白していた。父の名前は、マイケル・ヘイズ。ヘイズは、メアリーからピアースの存在を知らされていなかったそうだ。なぜメアリーは、ヘイズに息子の存在を教えなかったのだろう。
マーティン監督「マイケルが語っているように、おそらく何かしらの理由があったのでしょう。でも、その理由を我々が知ることはできませんでした」
現在、2人の娘を育てながら、立派に暮らしているヘイズ。劇中では、かつての恋人(メアリー)、存在を知らされていなかった息子(ピアース)の死を知ることに。あまりにも悲劇的な話だ。
マーティン監督「これこそが、この映画のテーマ。つまり、悪循環を断つということです。貧困、家庭内暴力、薬物、家族の秘密――人々を壊滅的な状況に陥らせる悪循環を絶つことの重要性を語っています」
「The Kids (原題)」を通じて、観客に何を感じ取ってほしいのだろうか。
マーティン監督「それは、ラリー・クラーク、ハーモニー・コリンが手掛けた映画よりも、はるかに大きなこと。訓戒として受け取ってほしいんです。悲劇や喪失を通して繋がることができれば、ハミルトン・ハリスのように悪循環を絶ち、きちんと機能した“自分の家族”を作りあげることができる。そのことは、人々に信じられないほどの力を与えることができる。彼は、さまざまな困難乗り越えて、今、成功したんです」
なお「The Kids (原題)」のプロデューサー、ジェシカ・フォーサイスは、ハンターがドラッグによる心臓発作で06年に亡くなったことを受け、07年に「Harold Hunter Foundation」を立ち上げた人物。恵まれない環境で育ったニューヨークのスケートボーダーたちの支援を行っている。
筆者紹介
細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。
Website:https://ameblo.jp/nobuhosoki/