ファーザーのレビュー・感想・評価
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認知症、外から見るか中から見るか
ホプキンスの一挙手一投足を見逃さないで一言一句を聞き逃さないでほしい!
知的で見事な密室劇!しかし心象的にはどんどん拡がり深くなり無重力に吊るされます。そして誰もが途方にくれる。
認知症を体験する
●モザイク画の様に時間軸や登場人物がバラバラに出てくるので混乱する。
何が正しくて、何が間違いなのか分からなくなる。
この感覚で生きていたら、気が狂うなと、認知症の怖さを味わえる。
●アンソニー・ホプキンスの演技が凄すぎて号泣する。
猟奇サイコパス殺人鬼が印象深い俳優さんなのに、殺気がない。虚空の彼方を見つめている表情が、認知症の人の表情そのものでゾクっとする。
頬を平手打ちされるシーンでは、「やめて!その人が本気を出したら、あなたは豚の餌になるわよ!」と相手の心配をしてしまう。
●周りを固める俳優陣の演技力が凄まじい。
忘却される娘を演じたオリヴィア・コールマン。
はぁ。とため息を吐いたり、悲しさで震えて嗚咽して泣く姿に共感して号泣した。
気持ちだけで側にいることは難しい。
●とにかく終盤はずっと泣いていた。
未だかつてないほど不安顔をするアンソニー・ホプキンス。
しんどかった
認知や記憶に障害がある人は、
人も、時間も、場所も、記憶も
こんがらがってしまって、
こんな風に感じながら
生きているんだな
ということがよく分かりました。
本作では
不安、怖さ、さみしさ、怒り、悲しみばかり感じられて
あまり救いがなく
観続けるのがしんどい時間もありました。
人間誰しも歳をとるけれど
歳をとることは
嫌なこと、だめなことだけでは
あってはいけない。
歳をとるのが楽しみな
先輩方の人生の閉じ方も
たくさんあるはずです。
自分を見失っていく、という、ある意味ホラー。
今年のアカデミー賞主演男優賞を、うっかり受賞してしまった、アンソニー・ホプキンス。
誰もがチャドウィック・ボーズマンが受賞し、追悼の厳かな気持ちで幕を閉じるであろうと予測していた授賞式、図らずも世界中の観客を唖然とさせてしまった形になった。
鑑賞中も、安定の名演技なんだし、ここはチャドウィックにあげても良かったんじゃ?って、途中まで思っていたけど、残り5分くらいのところで、やっぱりアンソニー・ホプキンスは偉大だ、と、泣きながら思った。
もちろん、ホラーじゃないんだけど、ハラハラするし、何が本当か分からない、自分も他人も信じられない状況、とても怖い。
本当に存在しているのか分からない人が突然現れて、いなくなる。
知ってるはずの人の顔が違う。
シュールなホラー映画みたいな、ゾッとする怖さがあった。
両親のことを考えて怖くなった。
さらに、自分。
私って、誰が面倒見てくれるんだろう?
いずれ旅に出るのに、時計は大切だから、見失っては探し、見つけては見失い、ずっと時計に執着していたのか、と、分かった時、号泣。
人は等しく、旅に出るのを避けられない。
そして、やっぱり母に会いたいんだなー。
介護に従事される方達って、本当に尊い。
認知症目線という斬新、かつ涙目。
今年の アカデミー主演男優賞 受賞した
アンソニーホプキンス 主演
名演技というカテゴリーを完全に超えた。
単なる 認知症 の話ではない。
映画全体が “認知症目線” で進む。
だから記憶と展開が崩壊。
体験した事ありますか?
一歩間違えばタイムリープSFですよ。
誰にも話が伝わらなく
聞いた事と違うんです。
こんな辛さは無い。
私の父も6年前に亡くなり最後は認知症だった。
伝わらない地獄だったんだなと。
父を思い出して泣いたがそれは悲しさではなく辛さの涙。
「さ迷い、失い行く」を体験する
正直、和解と許しの物語か、と勝手に想像していた。
だが期待を裏切るストーリーは、
ヘタなホラーよりも格段に恐ろしく、
ヘタなサスペンスよりも格段にハラハラさせられる。仕上がりだ
おかげで何が事実で何が虚構か。
誰が誰で、いつ、どこなのか。
ときおり見せつけられる現実に、観客は主人公と同じ体験を強いられ、
恐怖と混乱と絶望に陥れられる。
唐突に始まる物語は舞台劇のようで、さほどシーンに切り変わりもなく、
派手さなどもってのほかだ。
だが上記のようなミスリードでたたみかけられると、もう勘弁してください
というほかない。
主人公のような人物像はよく、第三者目線で描かれるが、
これは当事者目線の物語である。
物語として一貫性を欠くにもかかわらず、起承転結が整い
観客を置いてゆくことのないシナリオ構成は圧巻。
もちろん主演、アンソニー・ホプキンズの演技も抜群で、
まだ見たことのなかった世界観があったのか、と唸らされる仕上がりだった。
そしてそこはかとなく切ない。
正しく認知できなくなった時の、人の「尊厳」についても痛いほど考えさせられる。
ラストもあそこで切れるなどと、魂レベルでえぐられた。
老いの不安、悲しみを描いた名作
認知症の父親と、彼の世話をする娘のやり取りを中心に、老いの不安と悲しみ、周囲の困惑と辛さを丁寧な展開で描く。脚本がとても良くできていて、それを演技力の非常に高い俳優さんが演じているので、リアリティーがあり過ぎて、観ている方も双方に感情移入してしまって辛くなってしまいました。
年齢をとって、身体だけでなく記憶力や判断力も衰えてしまい、自分が自分でないように感じられ、周囲からも邪魔にされ、重荷に感じられているのだろう、見捨てられてしまうのじゃないかと不安になって、疑心暗鬼になり、悪い妄想に苛まれる気持ち、とてもよくわかりました。自分の親や自分自身にも、いつかそういう時が訪れるのだろうと思うと、誰にとっても他人事とは思えない映画だと思います。
私の父も認知症だったので、最後の方は娘の私のことも誰なのかわからなくなってしまったけれど、性格的にすごく素直で穏やかで、人を疑うようなことは全くなかったので、幸い映画の娘のような苦労は私にはありませんでした。
4回目の緊急事態宣言が発表された週末の日曜午後に、池袋のシネマロサという昭和レトロ感漂う映画館で観ましたが、映画を観に来ていた観客の多くが、20-30代ぐらいの若者だったことに、少し驚きました。
認知症側の世界
何よりアンソニーホプキンスの演技が素晴らしかった。
認知症の世界がよく描かれており、観ながら自分もそれを体験しているかのようだった。
派手なアクションもなく、単調なシーンも多そうなのに、飽きることなくあっという間に終わった。
観て良かったと思う。
メンタルにきた
予告編やパンフレットのイメージで、認知症を患う父と娘の感動大作かと思って観てしまい、衝撃を受けました。素晴らしい映画体験だったけれどメンタルがやられました。そして、高齢の両親に見せたくないと思ってしまった…。
頑固でお茶目
この数年少しずつ認知障害が出てきていて、5分おきに「お前太ったんじゃないの?」と聞いてきたり(ええ、太りましたとも)、今の自分や家族の年齢を聞いてビックリしたり、自分でも自覚していたようなことを口にしたりと、それでもまあしょうがないかと思える程度で済んでいたからかもしれないが、コロナのせいもあって1年以上会えないままこの春亡くなった父親がいたりすると、また違う感想があるのだろうか。願わくばアンソニーのような恐怖と孤独を感じずに済んでいれば良かったが…無理か。
終盤とうとう自分が誰か分からなくなり、子供にかえって母親を恋しがって泣くアンソニーの姿には、それがアンソニー・ホプキンズであるということも相まって、余計に動揺した。
まさかあの介護師が虐待してる裏設定とかないよね。
過去なのか記憶なのか幻想幻覚なのかそれらがごちゃ混ぜになっているのか判然としないが、それがまた居心地悪く感じさせアンソニーの不安を追体験した気になる。
かなり怖い。ラストおじいちゃん可哀想。
認知症により、パーソナルリアルと現実世界が乖離して崩壊する話。アンソニー・ホプキンスの演技が光り、主人公に感情移入してしまう。二回観てもよいかもしれない。年をとるとああなるのかという、恐怖を味わえる。福祉は大事だな。
老いを疑似体験
亡くなった祖母のことを思い出してつらかった。祖母も晩年は認知症の症状が重くて、家族のことも誰が誰だかわからなくなり、すぐに人に物を盗まれたと疑うようになった。
家族としては見ていてつらかったけど、この映画を観て認知症を患っている人側を疑似体験すると、祖母は祖母でとても寂しくて怖かっただろうなあと。日々わけがわからないことが次々と起きる。きっとものすごく混乱して、ストレスがかかって、誰にも理解してもらえずに孤独で…
だけどこの目線を少しでも体験できたことは、いろいろな立場の人に寄り添うことにつながるんじゃないかな
事実は一つかもしれないけど、少しでもその人の中の「本当」を信じてあげられるように。
何故アンソニー・ホプキンスが名優かが分かる映画
ここで映画のプロットを語ろうとは思わない。
何故ならそれは皆んながやっているだろうからだ。
故に自分はここで何故アンソニー・ホプキンスが名優なのかを語ろうと思う。
アンソニー・ホプキンスの凄さは彼は徹底的に演技を即物的に行おうとしている。
よくアンソニー・ホプキンスと比較されるのはダスティー・ホフマンなのだけど
彼はアンソニー・ホプキンスと真逆を行くスタイル。
それはつまりどう言うことかを言うと
ダスティー・ホフマンは演者として行間を大切にするタイプなのだ。
例えば彼は煙草を吸うシーンがあるとそこに仮に大人になってから30年の重みを出そうとする。
何故彼がそう言う姿になってしまったのかの行間を表そうとする。
ところがアンソニー・ホプキンスには一切それが無い。
役を演じきる事に彼は人一倍熱心なのに彼は行間で何かを語る事は一切しない。
タバコを吸うシーンがあっても彼はそこに何も描かない。
しかし何故か30年以上煙草を吸っていた重みが不思議に出るのである。
だから彼に「羊たちの沈黙」があまりに凄かったからと言って
ダスティー・ホフマンの様な役作りをしようとしたんですか?と聞くと
「そんな事は何もしないさ。私は仕事として役を演じただけであって、自分はレクター教授とは違う人物だ。自分はアンソニ〜ホプキンスだよ。」とそれを言った人物に素っ気なく言うだけなのだ。
下手すると映画の撮影時間もきっちり決まっていて
朝の9時に撮影所に来て何かを演じたら
17時には家に帰るみたい仕事をする人であるのだ。
非常に淡白と言うか仕事に対してあっさりしていて拍子抜けするくらい。
それなのにあの重厚な演技である。
何も行間には書かれていないはずなのに
その人物がどの様な人物かと言う事を誰よりも雄弁に語らせる。
今回の映画はシーンの時間や空間が交錯しまくるので最初一体何が何だかわけが分からなくなるが
その複雑な状況にある1人の老人を見事に演じきる。
性格に波があって非常に剽軽に戯けたかと思うと
次の瞬間突然猜疑心剥き出しになったりして波が激しい。
ドライな演技法なはずなのにこの結果、この演技。
それが実に素晴らしい。
見所はこの映画の最後のシーン。
アンソニーが自分が誰かさえも此処がどこかも分からないんだと子供の様に泣く。
それがまるで小さい子供が母親からはぐれたかのように泣きじゃくる。
そんな彼を抱きしめて服を着替えて公園にお散歩に行きましょうと誘う介護の女性。
彼女も仕事のうちでその様な対応をしているのだろうけど
まるでマリア様の姿をみている様で崇高に美しい。
素晴らしいシーン。
最後は如何にアンソニー・ホプキンスが素晴らしい名優かと言う事のみが残る。
アカデミー賞本命じゃないかと言うのも頷ける作品。
何故アンソニー・ホプキンスが名優なのかが分かる映画
ここで映画のプロットを語ろうとは思わない。
何故ならそれは皆んながやっているだろうからだ。
故に自分はここで何故アンソニー・ホプキンスが名優なのかを語ろうと思う。
アンソニー・ホプキンスの凄さは彼は徹底的に演技を即物的に行おうとしている。
よくアンソニー・ホプキンスと比較されるのはダスティー・ホフマンなのだけど
彼はアンソニー・ホプキンスと真逆を行くスタイル。
それはつまりどう言うことかを言うと
ダスティー・ホフマンは演者として行間を大切にするタイプなのだ。
例えば彼は煙草を吸うシーンがあるとそこに仮に大人になってから30年の重みを出そうとする。
何故彼がそう言う姿になってしまったのかの行間を表そうとする。
ところがアンソニー・ホプキンスには一切それが無い。
役を演じきる事に彼は人一倍熱心なのに彼は行間で何かを語る事は一切しない。
タバコを吸うシーンがあっても彼はそこに何も描かない。
しかし何故か30年以上煙草を吸っていた重みが不思議に出るのである。
だから彼に「羊たちの沈黙」があまりに凄かったからと言って
ダスティー・ホフマンの様な役作りをしようとしたんですか?と聞くと
「私は役を演じただけであって、自分はレクター教授とは違う人物だ。自分はアンソニ〜ホプキンスだよ。」とそれを言った人物に素っ気なく言うだけなのだ。
下手すると映画の撮影時間もきっちり決まっていて
朝の9時に撮影所に来て何かを演じたら
17時には家に帰るみたい仕事をする人であるのだ。
非常に淡白と言うか仕事に対してあっさりしていて拍子抜けするくらい。
それなのにあの重厚な演技である。
何も行間には書かれていないはずなのに
その人物がどの様な人物かと言う事を誰よりも雄弁に語らせる。
今回の映画はシーンの時間や空間が交錯しまくるので最初一体何が何だかわけが分からなくなるが
その複雑な状況にある1人の老人を見事に演じきる。
性格に波があって非常に剽軽に戯けたかと思うと
次の瞬間突然猜疑心剥き出しになったりして波が激しい。
ドライな演技法なはずなのにこの結果、この演技。
それが実に素晴らしい。
見所はこの映画の最後のシーン。
アンソニー・ホプキンスが自分が誰かさえも
此処がどこかも分からないんだと子供の様に泣く。
それがまるで小さい子供が母親からはぐれたかのように泣きじゃくる。
そんな彼を抱きしめて服を着替えて公園にお散歩に行きましょうと誘う介護の女性。
彼女も仕事のうちでその様な対応をしているのだろうけど
まるでマリア様の姿をみている様で崇高に美しい。
素晴らしいシーン。
最後は如何にアンソニー・ホプキンスが素晴らしい名優かと言う事のみが残る。
アカデミー賞本命じゃないかと言うのも頷ける作品。
名優ホプキンス
ホプキンスの一人芝居を観ていたかのようでした。
重く、散漫とした印象になりそうな話を彼の演技が説得力のあるものにしています。
脚本が素晴らしい。
認知症の人の頭の中はこんなふうになっているのか、と体感させてくれます。
斬新な演出?
いわゆる痴呆症の人の演技は、たくさん観ている気がするけど、痴呆症の人の一人称の視点は、なかなかないのでは?
最後まで、どうなってるんだろう?と理解できませんでしたが、痴呆症の人は、常にこんな感じなんだろうね…。変な意味で、よく理解できました。そういう意味で、よく出来た映画だと思いました。もう一度観ると、さらに評価があがるかも?
恐ろしい映画だった。
そんじょそこらのホラー映画なんか目じゃない。認知症を患う81歳の男の話しである。そして視点は患者。頭の中に過去と現実が蜘蛛の糸にからめとられてしまう。その混沌は足掻くほどに心身を疲弊させていく。おまけに死神からの招待状は届かない。既に老人ホームに入ってしまっている状況からの彼の独白のようだ。認知症は患者にとっては醜い現実から逃れることを可能にする病ではない。人間の意識は実に恐ろしいと痛感してしまった。しかし救われたのはラストシーンに映し出された木々の葉っぱやそこにそよぐ風だ。人も自然のなかのひとつなのだと…だから、どうと言うことはない。辛くなったら木々の騒めきを心耳で聞いてみることにしよう。
全328件中、141~160件目を表示