ファーザーのレビュー・感想・評価
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観ている方が混乱する様な虚実不明を彷徨う。 これが歳を取ると言うこ...
観ている方が混乱する様な虚実不明を彷徨う。
これが歳を取ると言うことか。
不信感、不安、頑固。そして幼児帰り。
願わくば穏やかな終末を迎えたいと願う。
父の悲しみ
今年のアカデミー賞の主演男優賞発表の時に、そのサプライズは起きた。
『マ・レイニーのブラックボトム』の故チャドウィック・ボウズマンではなく、名前を読み上げられたのは本作のアンソニー・ホプキンス。
自分は作品も見ており、ボウズマンへの追悼も込め、受賞はまず間違いナシと思っていたから、びっくり仰天。
それはアカデミー側も同じで、異例の主演男優賞発表を大トリにして、感動の授賞式で終わろうと狙っていたようだが…、別の人物(しかも授賞式欠席)が受賞しちゃったもんだから、大慌て。まるで打ち切るかのように授賞式中継はフェードアウト…。
ある意味面白かったね、筋書きナシの“醜態”ドラマ。(筋書きナシはホプキンスの受賞に対しての称賛、醜態はアカデミーに対しての…)
以来ずっと気になって仕方ない、どちらが受賞すべきだったか。
やっと本作も見て、MY判定出来る!
英ロンドンで一人暮らしの81歳のアンソニー。認知症を患う。
娘アンは時折訪ねるも、父は介護人を拒否…いや、追い返し、アンを心配させる。
そんな父の認知症はさらに進行し…。
認知症の父と娘の物語。
認知症を題材にした作品は古今東西、腐るほどある。
邦画でも2019年に認知症の父とその家族を描いた『長い散歩』があり、邦画らしいユーモアとハートフルと感動仕立ての作品だったが、本作はまるで違う。
シリアスな父娘ドラマを軸に、サスペンス色やどんでん返しあり、衝撃作。
とにかく癖が強いアンソニー。
それ故介護人は次々嫌気が差し辞め、アンをも困らす。
それでいて、知的と自負。
周囲を翻弄させる様は、もしレクター博士が認知症になったらこんな感じ…?
認知症を扱った作品だと大抵、周囲の視点から描かれる事が多い。
父が私たちの事を忘れていく…。
悲しみ、苦しみ、恐れ。支え、その先にある家族の幸せ…。
が、本作は認知症を患うアンソニーの視点から描かれるのがミソ。
登場した時から見る側をも振り回すアンソニーの言動。それは単に認知症だからなのか、それとも何か別の…?
一人暮らしの筈のアンソニー。なのに、見知らぬ男が自宅に居る事に驚く。しかも、娘の夫を名乗る。何故なら、アンは離婚して5年経つ。
ちょうどその時、買い物に出ていたアンが帰って来る。…が、その娘の顔が別人。時々娘の顔が別人に見える事がある。
(↑これら最後のどんでん返しの伏線)
自分は正気なのに、戸惑い、恐怖…。
アンから恋人が居るパリに引っ越す事を伝えられる。
娘の夫から、ここはあなたの自宅じゃないと告げられる。
ここは私の“フラット(家)”だ!
主な舞台となるアンソニーの自宅アパートにも仕掛けが。
アンソニーにはもう一人娘が。気遣ってくれるが、お節介なアンとは違って、可愛い娘だというルーシー。が、そのルーシーは一切姿が無い。可愛いと思い込んでいるのは自分だけ…? それともまた何か別の事情が…?
アンソニーの認知症が進行していくと共に、現実と幻想の狭間が混濁。そして、時間すら曖昧になっていく。
見る側もアンソニーの視点に。一体、何が正しいのか分からなくなっていく…。
基の戯曲では“アンドレ”。
名前や年齢や誕生日など細かな設定まで、監督がホプキンスに当て書きして変更したという。
ホプキンスがそれに応え、徹底した役作りを…何としていない!
晩年の父を思い出しながら演じたから簡単だったとの事。
嘘でしょ、この演技が!?
役作りは行わず、シナリオの中に全てがあるとシナリオ熟読し、役に成りきるというホプキンス。
しかしそれは、この名優だからこそ出来る“役作り”だと思う。
でなければ無理だろう。『羊たちの沈黙』以上の至高の名演が。
父の事は本当に心配。
でも、自分の幸せも。
父に対し複雑な思いも抱える。
そんな娘の葛藤、苦悩…。
ホプキンスに引けを取らない難役を演じたオリヴィア・コールマンも巧い。
演技が特に絶賛された本作だが、演出や構成も素晴らしい。
先述もしたが、娘の夫を名乗る男と別人顔の娘。
姿を現さないルーシー。さらに、自宅アパートやアンも。
実は見ていて、何となく少しずつ察しは付いたが、それでも真実とどんでん返しが一つになった時の巧みさには唸った。
自らの戯曲を映画化し、本作で映画監督デビューとなったフランスの小説家/劇作家、フロリアン・ゼレール。また舞台の世界から確かな演出力を持った俊英が現れた。
ここからネタバレになるが…
画家だったルーシーは数年前に事故で死亡。
“男”と“女”は老人ホームの人物。
アンソニーが居るのは自宅アパートではなく、老人ホーム。
アンもすでに恋人と共にパリに住んでおり、時々帰ってきて様子を見に来る。
そう、全てはアンソニーの妄想。
認知症の体現の怖さがよく言われているが、私は別のものを感じた。
まるで、木から葉が全てこぼれ落ちていくかのよう。
喪失、悲しみ…。
子供のように泣きじゃくるアンソニーの姿に、言葉も出なかった。
見ながら、ふと思い出した。
私の亡くなった祖父も認知症とまではいかないが、ボケが酷くなった事があった。
まだ若年だった私はそれを気味が悪いと感じ、祖父を敬遠した時期があった。
もし、多少人生経験を積んだ今だったら…?
さて、MY判定。
確かにホプキンスは、寸分違わぬ受賞に相応しい名演であった。
でも、もう二度と受賞する事のない熱演で、これが最初で最後の…である事を思うと、ボウズマンに受賞して欲しかった。
やっぱりどうしてもの本音。
流石アンソニー・ホプキンス
認知症ものは多くは介護側から描かれていることが多いが、これはあくまで本人側から。
だからこちらも困惑する。
え?これサスペンス?なに?!みたいな。
この困惑が本人の困惑なのだろう、と。
最後まで結局どれが真実なのか、分かりにくい。分かるけど………真実かは分からない。
最後にアンソニー・ホプキンスがママ………って泣くんだけどやっぱり最後は母親が恋しくなるのかー、でもほぼ確実に母親は生きていない。そんな現実により悲しくなりました。
本作をどう「小説」で、描くのか?
本作を見る前から、「原作がある」ことは知っていた。
だから、映画を見ながら、
「原作はどうやってるんだ?」と気になった。
なぜなら、主人公(=観客)の「混乱」は、「視覚」からの混乱だから。
娘はだれ?
娘の夫はだれ?
自分の部屋は?
娘と同居してるの?
全て「視覚」だ。
上記が毎回変わり、主人公にも観客にも「真実」が分からない、
というか「真実はどうでも良い」のかもしれない。
この困難な題材をスタイリッシュでテンポよく描いた監督の手腕に称賛を。
ギミックは興味深い。 でもストーリーが面白いとは思えなかったかなぁ。
認知症の老人目線で進む映画。
つまり見ていることが正しい時系列なのか認識なのかわからない、ってのを体験できる映画。
ギミックは興味深い。
でもストーリーが面白いとは思えなかったかなぁ。
主人公が見ている世界が正しくない、ってのが判明してからのゾクゾク感もあまり感じられず
自分には合わなかった。
けどこんなことが自分の周りにも、いや自分自身にも起こりうると知れた、
この鑑賞経験は今後のためになるなと思いました。
これは現実?
認知症の父が見てる世界なのか、現実なのか。
とても複雑ではあるけれど、難しい設定をうまく表現できていたと思う。
ラストはやはり現実とはそういうものだと、納得しながらも悲しかった。
ひとは老いる
アンソニーの脳内の錯綜(アルツハイマー)が説明されずに絵になっているので、サスペンスのようにも見える。つまり、かれのまわりの人たちが結託して、アンソニーを欺そうとしているように(も)見える。
その見え方が、アルツに侵された老人の懐疑心や孤独をあらわしていた。──みごとな構成だった。
(わたしは日本映画をdisりながら外国映画をほめる牽強付会なレビュワーだが)日本映画がこの主題=老いと介護で、映画をつくるならば、お涙にするんじゃなかろうか。と感じながら見ていた。
日本映画界が誇るお涙頂戴作風の雄、中野監督の「長いお別れ」が、この映画の設定に近似している。因みにこの小説及び映画にたいして個人的になみなみならぬ嫌悪をかんじるのは、四半世紀愛読しているチャンドラーとおなじタイトルだから。ふざけんなよ。(と思います。)(個人の見解です。)
それはともかく、日本は高齢者比率が世界一。したがって「老い・介護」はこの惑星で日本がもっともその窮境を負っていると言って過言はありません。日本人にとって、現実的で身近で、まさしくわたし/あなたが直面している「老い・介護」の話がなぜお涙頂戴になるのか、わたしには解りません。
だからこそ、お涙におとしていない映画The Fatherを見てがつんときた。アンソニーの見る非現実や、家族のお荷物になっていく境遇に共感ができた。ラストで幼児化してママ、ママと泣きくずれるアンソニーを見て恐怖を感じた。
わたしたちにんげんが、おとなにならなきゃいけないのは、最後の恐怖(=ひとりでしぬこと)を耐えるためではないでしょうか。わたしは、アンソニーのラストの泣き顔を見たとき、猛烈に、しぬときはひとりだと感じました。
しぬのは怖くない?孤独も寂しくない?いやいや、そんなことは言ってません。アンソニーはもはや、他人はおろかじぶんが誰かも、どこにいるのかも解らなくなっているわけです。そういう状態のにんげんにしぬのは怖くないとか、孤独が寂しくないとか、は有り得ません。病床に臥せったままの状態のにんげんでも、それは同じです。わたしたちは、健康な状態のまま、ある日・ある時間を堺に突如しぬわけじゃない。現代の医療においては、どんな悲惨な状態であろうとも、長い長い恍惚の期間をすごして、ゆっくり死んでいくのです。
だめなら死んじまえばいい。という考え方があると思います。生きていかれなきゃ死ぬだけ。とか言う人がいます。だけどそう言ったり考えたりする人も、走っていて、ある日・ある時間を堺に突如しねるわけじゃない。死んじまえばいいんだ──と潔く聞こえるコトバをはきながら、不摂生をかさね、太く短く生きたひとが、ながく他人様の世話になるアルツハイマーや寝たきり状態をへて、ゆっくり死んでいくわけです。それが「老い・介護」の問題です。
で、われわれはアンの立場でもあり、将来のアンソニーでもある。だからどっちについても意見がありますが、親の介護に直面している輩が「おまえになにがわかる」風の逆切れコメント&マウントしてくるのをヤフコメでよく見ますので、介護については言いますまい。(わたしも親の介護をしていますがこの国には何百万とそんな人がいるので親の介護をしていることでマウントとってくるやつってまちがいなくあほだと思います。「親の壮絶介護」ってのは、ネタが尽きた芸人か、懐かしの有名人が生存報告にやるエンタメニュースのことです。)
ただし、じぶんの老後については、だれかの世話にならないように、ぽっくりいけるように、あるいは待遇のいいホームに入れるように、(それらが適うかどうかは解りませんが、)いまの人生をおくることはできると思いました。(=しっかり稼ぐとか、身体をきたえるとか、健康を維持するとか、他人を扶けてあげるとか、そういうレベルにおいて)じぶんのためでもありますが、とうぜん、家族や周りにんげんの為でもあります、
もうひとつ感じたのは広く清潔なフラット(居住空間)。狭い家屋でないことでかなり気が紛れた。主題に反して撮影も超アーティスティック。そしてオペラ。このすさまじく重い主題が、うつくしいフラットと音楽によって、おとなの事情もしくはそのリメイクでも見ているような気分で見ることができた。ラスト、カメラが窓からさわやかな新緑をとらえた。この後味で「老い・介護」を描いたことに驚嘆した。
認知症の老人の主観
認知症の老人の話は色々あったけど老人の主観の物語だったのが面白い。
認知症の症状の物忘れや思い込みからくる時間軸のずれや混沌した精神状態をうまく視覚化していて、下手なホラーより怖い‥
今年のアカデミー賞とったアンソニーホプキンス圧倒的で納得だった
伏線の回収かと思いきやそのまま認知症の記憶へ。 ついていこうと思っ...
伏線の回収かと思いきやそのまま認知症の記憶へ。
ついていこうと思ったがついていけず。
みなさんアンソニーホプキンスに触れているので触れず。
実はこの映画。
実はアンソニーは痴呆でなくて、周りの人間が悪だったら、と言う展開であって欲しかったが、最後まで病気だろう展開が続く。
娘に首を絞められて死んだあとの夢という設定はどうだろう。
鑑賞者の翻弄がまさに製作者の意図するところ。
その翻弄こそが患者の主観であると伝えたいのだと受け取りました
さまざま媒体から自分から欲せずとも介護という現実の厳しさ、認知症の絶望を知った気分になっていました。そうこの映画も含めてです。私は介護の問題にことさらに興味があってこの映画を鑑賞したわけではありません。しかしこの映画は最もその現実に肉薄してそれをこちらに伝えてきたと感じます。重く、厳しく、とても当事者ではない自分が語れる問題ではありません。そうこの安っぽい逃げの感想を読んでお分かりの通り、この映画を鑑賞した後に至っても私のこの問題への理解はあくまで頭での理解であり、真なる心からの「理解」ではありません。例えば私が個人的に当事者意識のあるアルコール依存症問題とは全く別次元にある理解です。
しかしそれでもこの映画は胸を打ちました。不幸な映画を観た時は、ただ幸せを祈ることしか出来ませんがこの映画においては幸せというものがどういう状態か分からず、苦しく混乱しました。フィクションですら迷い苦悩します。ましてや現実においては…。祖母の葬儀での親父の涙をほんの少しだけ理解できたような気がします。
伝えるべき主題はもちろん凄いものですが、映画としてのレベルが非常に高くとても面白かったです。ここまで素晴らしい映画だからこそ難しい問題を多くの人に届けられていることに深い感銘を受けました。素晴らしかったです。
バーチャル体験できちゃう
なんだかわからん幕引きだった2021年のアカデミー賞授賞式。作品賞のあとに主演男優賞が発表されるという異例の順番変更があったにも関わらず、当の受賞者アンソニー・ホプキンスは不在のためコメントもなくあっさり番組終了。とにかくナンダコレだったと記憶してる。
その後思ったほど話題にも上らなかったけど、気付いたら上映してる!ならば観に行ってみよう!!(と思って観に行ったのに感想を投稿するの下書き保存したまま今の今まで忘れてた💦)
「さすがです……」の一言。
上手いとか下手とかなんかそーゆー感じぢゃない。どっかの家で起きてることをのぞき見した感じ。そして認知症の人には世界がどー見えているのかを(想像も含まれるんだろうけど)教えてくれる作品。
予定外にお勉強できた「タメになる」作品でした✨✨✨
顔や名前を忘れていくってこういう事なのかも……
毎日、知らない人と知らない場所にいるなんて、気持ちが落ち着かないのも当たり前。でも、端からは錯乱と受け取られる。認知症がこの映画の様な視点で表現すると、ホラー映画に見えてくる。
日常の音楽と建築のなかの悲劇
この映画をただボケ老人の悲哀として読み取るだけでは面白くない。そうか描かれているのは我々の日常的な日々の悲劇、それを「音楽と建築」により表現している。
ビゼーの「真珠採り」にはじまり、マリア・カラスが歌う、ベリーニのノルマの「清き女神」、たぶん監督が聴かせたいメインはイタリアのエイナウディの「My Journey」かもしれない。しかし、ボクはそのバラエティに興味深々、まだ解けない監督のメッセージはその組み合わせにあるようだ。
ドラマは認知症のアンソニーを演じるアカデミー賞のアンソニー・ホプキンスの独演劇。彼はロンドンの自身の高級フラットと娘であるアン夫婦のフラット、そして、痛ましい老人ホームの小さな個室に取り残される。どの部屋も決して惨めではなく、エスタブリッシュされニートなのだが、気がついてみるとそこはたった一人の迷宮空間。
そして最後のシーンはアンが一人歩くパリの広場の頭部が欠落したイゴールの彫像「月の光」。その彫像はアンソニーの象徴だ。
彼のニートなフラットの窓の外の広場の子供の自由が彼と空間、その迷宮を一層強調する。
彼の迷宮空間は認知症にあるのだろうか。
いや、この映画を建築批判とするならば、テーマは認知症ではない。
「去年マリエンバート」と全く同じ、現代社会の建築的迷宮にあるのだ。
ファーザー
認知症をテーマにした作品。
認知症をテーマにした作品はいろいろあるが、この作品は認知症が進んでく本人目線で描かれているのでリアリティがすごいあった。
誰しもが起きるであろう認知症と、経験するであろう親の介護。
認知症、本人は真面目にやってる行動が他人からしたら異端。特に初めの頃なんかは家族も本人も認知症を患ってる事わからないでしょう。
友達の名前忘れることはあっても家族の名前を忘れる事はない。
家族に「あんた、誰?」って真顔で聞かれた時に耐えられるか?受け入れられるか?
私は多分厳しいかなぁ…
誰しもが、経験するであろうとてもリアリティのある番組でした。
※批評には個人の価値観が含まれています。ご了承ください。
んー何か淡白で中途半端感が
昔からホラーやサスペンスでお化けだと思ったら自分がそうだった怪事件が多発したら自分が犯人だったみたいな物はあったが大抵そう言った作品には最後におさらい的な解説があったと これどこまでが現実でどこが架空なのか不明確でアンソニーの様な一流人が出演作品にしては短編ですっきりしない結末
(原題) The Father
名優アンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じ、「羊たちの沈黙」以来2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した作品。
アンソニー・ホプキンスの圧倒的名演技。
単なる認知症の話ではなかったし、映画全体が認知症目線で進むけど記憶と展開が崩壊して辛かった。
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