タクシードライバーのレビュー・感想・評価
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生涯通して一番好きな映画です!
高校生の時、友だちと授業を抜けだして京極の2番館で見たのが最初。併映が「青春の殺人者」!!!
もう、何度見たか分からない程大好きな映画です。
男なら一度は通りそうな恥がリアルに描かれる
ベトナム戦争後という時代背景はあまりこの映画の主軸としては関係なく、孤独で不満を抱えた男というのはいつの時代も哀しく滑稽である。
主人公の虚勢や不満や嫉妬、そしてフラストレーションが向かう矛先と行動……実際にあそこまで爆発することは稀だが、男として誰もが通ってきた『わかる』が主人公に詰まっているなぁ……という点がこの映画の特筆すべきリアリティーだと感じた。
孤独がひとを壊す
孤独が絶望感につながり、テロリストを生み出すのか、命の使い道を失い、行き当たりばったりに事件をおこす。映画では人助けとして結末している。ここまでのことでなくても、人は気持ちの持ちようで生きていけるということなのか!いろいろ投げかける映画であった。若きジョディとロバートデニーロがよかった。
ジョディ・フォスターこんな役やってたんだ。
終始、気持ち悪いし怖い男役を見事に演じ切ってるロバート・デ・ニーロさすが。独りよがり感が半端無い。
最後の銃撃シーンにはビビった。
相手が犯罪者で正当防衛が成り立てば、3人も殺しても英雄になるアメリカの銃社会こわっ。
正義の味方⁉️
若きロバート・デニーロ、超イケメン‼️
を観れただけでも必見の価値あり。
タクシードライバー、トラビス。
黄色のタクシー。NY名物。
いろんな人が乗って来る。
大統領候補を乗せた。口ばかり上手い。
あの映画気持ち悪い。
ベッツイーに振られるの当たり前。
妻を殺すと言う変わった客も。
銃を4丁買う。
鍛錬して練習。胸毛気持ち悪い。
コンビニ?NY怖いなぁ。
強盗を撃ってしまった。
感謝の店主味方してくれた。
女の子を買う?
以前タクシーに乗って逃げようとした
アイリスを探してやっと会えた。
こんな仕事していちゃいけない、
逃がしてあげる、と声をかけるトラビス。
アイリス、逃げても‥と。
モヒカン頭で候補を狙うがバレて逃げる。
モヒカン頭だよ❗️
トラビスがわからなくなった。
アイリスを食い潰すギャング共を撃ち殺す。
殺人犯、と思っていたら新聞で英雄❣️になった。🇺🇸の法律わからないけれど💦
ベッツィーが乗って来て、新聞見たわ、と。
だから現実。
今日もおれが助けないといけないのは
いないかと物色するのだった。
良い人を殺してはいない。
悪い人を殺している。アイリスを助けている。日本の法律なら殺人犯。
アメリカの法律なら免れられるのか⁉️
違うだろう。じゃなぜ?
自分の中で解消できない人生の不満が、社会に対する攻撃として表れている
トラビスはベトナム戦争の帰還兵で、心を許せる家族も友人も誰一人いない孤独な男。学歴や知識、技術も無いので良い仕事には就けず、生きるために仕方なく働く毎日。さらに仕事柄、ニューヨークの人々の堕落ぶりが目につきやすいので、余計に負の感情が溜まる。性格も独り善がりなので、女性に対して相手を考えないアプローチをして嫌われる。そのような自分の中で解消できない人生の不満が、社会に対する攻撃として表れている。孤独で闇を抱えた男の描写が面白い映画。
アイリスを助けようと殺人にまで手を染めるところも、独り善がりの極みだと思う。ただ、ラストシーンで通常通り働いている姿を見ると、映画後半からの彼女を助けようとする行動は全て妄想なのかと思った。それでは最後のタクシーでのベッツィーの「新聞を見た」という発言は何だったのか。この辺の解釈は観客の判断に委ねられているのかもしれない。『キング・オブ・コメディ』のマーティン・スコセッシ監督の作品なので、それも有り得ると思った。
格差社会の現在、この映画にはまだまだ商品価値が…
もう何度目の鑑賞が分からない位だが、
けだるい街の雰囲気とそれを浄化したい
主人公の想いを映像と音楽で描いた
見事なタイトルバックが懐かしい
キネマ旬報ベストテン第1位選出
(但し、アカデミー賞は「ロッキー」
「大統領の陰謀」「ネットワーク」「オーメン」に
さらわれ、
作品賞・主演男優賞・助演女優賞・作曲賞の
ノミネートのみで無冠)
の、マーティン・スコセッシ監督作品を
TV放映を機に再鑑賞。
今回の鑑賞で印象的だったのは、
そもそもがこの物語の登場人物については
全員がその不器用性が強調されており、
その結果、それぞれ正義と不義の
境目ギリギリの生き様を
見せていたことだった。
主人公の主人公は勿論、
売春少女や彼女のヒモの男性も、
少し社会状況が変わっていたら
別の生き様があったのではと
思わせるような人物描写だった。
日本でも同じような状況の人物による
同じような事件を多く目にする。
彼らが
もう少し優しい社会に触れていたなら、
売春少女が再生したように、
この作品の登場人物にも別の人生が
あったのではとの想像も。
中でも、この作品の主人公は
現状社会への苛立ちを
暴力で解消しようとした。
しかし、
少し前に観た、同じスコセッシ監督の
「エイジ・オブ・イノセンス」の主人公は、
愛する人への想いを阻害する
現状社会への苛立ちを
解消しないままにその人生を送った。
どちらがより良い選択だったか。
マーティン・スコセッシ監督は、
その両極端の事例を
我々に示したのだろうか。
また、監督は男女二人のこの先の関係を
どう想像させようとしているのだろうかと
改めてラストシーンを注目もしてみた。
しかし、彼女は立ち去る主人公のタクシーに
再度視線を送ることもなく、
さっさと自宅の階段を上がっていった。
事件を切っ掛けにお互いの理解が進んだかに
見えた二人ではあったが、
それを阻害する格差社会が眼前とあることを
監督は示したのだろうか。
そうだとしたら、
格差社会が何かと問題になる現在、
この映画にはまだまだ商品価値が
あるような気もした。
否定と肯定の手のひら返し
久しぶりに鑑賞。
初見当時は内容がよく分からず、モヒカン頭で演説会場を襲おうとする危ない奴の映画ということしか覚えてなかった。だが、歳を重ねたせいか、感想も変わってきた。
この映画は、ある意味「戦争」を描いたものとも言える。
行為を起こす者にとっては、相手の不義を正すという大義のもとに行われる「正義」だが、別の立場から見ると、圧倒的に認められない。しかも、その評価は、ちょっと見方が変わるだけで、肯定にも否定にも手のひら返しのように変わる。
主人公の「少女を救う」という大義は、世界の至る所で代理戦争を戦うアメリカそのものの大義のメタファーであり、戦争によって精神的に傷つき、自分の考える正義を歪に肥大化させた主人公そのものもまた、アメリカ自身のメタファーなのだろう。
主人公に「政治には詳しくない」と語らせつつ、大統領選挙をストーリーに絡ませるあたりも、挑発的だと思った。
銃の持つ重み、弾き飛ばされる指、描かれる血の生臭さがリアル。
繰り返されるテーマ曲のメロディは美しくセンチメンタルで、古臭さを感じないのに、後半につけられている効果音には、50年という時を感じてしまうのはなぜなのかが、自分としてはおもしろかった。
訳わからん・・・
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タクシードライバーになったデニーロ。
別にどん底ってわけじゃないけど、人生が楽しくないようで、
常に孤独を感じ世の中に不満を持って生きてた。
ある日見かけた品のある女性を口説き、仲が良くなるが、
ふとしたことで怒らせてしまい音信不通になる。
次は悪い男に売春させられてる12歳の少女を救おうとする。
でも少女は決してその男を嫌ってはなく、失敗。
そしてついにデニーロは銃を購入し男を殺す。
隠れてた元締めみたいなヤツに撃たれるが、これも殺す。
で意識不明になり、突入して来た警察に捕まった。
2人も殺したら簡単に刑務所から出られないと思うが、
何故かラストシーンはまた運転手に戻ってた。
そして過去にフラれた女性を乗せる。
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うーん・・・よう分からんかったなあ。
人生に満足してへんから、何かを為したかったのだろう。
できれば他人を救って自己満足したかったんやと思う。
他人の役に立つことでしか自分に価値を感じない人はいる。
デニーロはそれだろう。とにかく自己肯定感が低い。
おれも基本的にはそのタイプの人間ではあるが、
だからこそ自分を満たすことに時間と労力を割いてる。
デニーロの自分を満たす行動は、方向性が誤ってると思う。
なーんて生真面目に善悪を語ってもしゃーないけどな。
映画にして面白いのは、いうまでもなくデニーロ型やから。
品のある女性や、その人が支持する政治家が頻繁に出るが、
一体何の意味があったんかよう分からんかったわ。
てか何で釈放されてんの?
これ以上のニューヨークはない
言わずと知れた名作。相当久しぶりに鑑賞したが、やはり素晴らしい映画だった。
若き日のデ・ニーロの演技力、そして年若き娼婦を演じるのはジョディ・フォスターで当時驚きの13歳だそうだ。
物語的にはベトナム戦争を経験し荒廃する都会と青年の焦燥感とやるせなさ。観る側を何とも言えない気持ちにさせる。
そしてスコセッシの撮るフィルム時代のニューヨーク、これ以上の描写は今後絶対にないだろうと思う。
個人的にはアメリカンニューシネマとして文句のつけようがない作品。
2012年11月第三回午前十時の映画祭にて
中々まとまらない。
皮肉なエンディングやジョディ・フォスターの妖しさはわかるけど、デニーロをただのおかしな人と言ってしまうのも違うし、かといって彼に肩入れする気にもなれないし、うまく咀嚼できないけどうま味はする。
さて、どうしたものかわからない。
約50年前の作品
1976年。若き日のロバートデニーロ主演
不眠症のトラビスはなんとか眠る方法を試す
色々試すが、常軌を逸してる。
13歳の売春婦役はジョディフォスター。
大物俳優も最初は新人で苦労があったのだろう
物語のラストはめちゃくちゃで、死んだと思ったら生きててしかも英雄になっていた。果たしてこんな奴を英雄にしてもよかったのか?
オールタイムベスト10で絶対的に今だに上位の作品
小さい頃に正月の深夜にテレビでたまたまやってて見たのですが変わり者の主人公が変な事して最後は少女を助けたくらいの思い出だったのが ある程度歳をとってから鑑賞したらデニーロがカッコ良過ぎて痺れましたね。
この頃って映画の影響でランボーが流行ったからランボーナイフを買うとかバックトゥーザフューチャーを見てアメカジ的な格好を真似するとか作品を見る事による影響って相当ありましてタクシードライバーは今だにタンカースジャケットのトラヴィス 仕様のやつを持っててM-65に空挺のワッペン付けてキングコングカンパニーにワッペン付けてあのバッチ付けて着たりしてますし今だに定期的に鑑賞するくらいイカした映画だと思ってます。
街の裏も知り尽くす、タクシードライバーという職業
はじめての鑑賞
映画ファンから高く評価されてる作品と言うことは知っていた
ロバート・デ・ニーロ演じる主人公はベトナム帰還兵
職業はタクシードライバー
片思いの女性とデートにこぎつけるが
安易な行動で嫌われてしまう
満たされない毎日を過ごす主人公
ある日、売種を強要されている家出少女と出会う
かねてから街の汚い部分の一掃を願う主人公は
行動に移す
(この解釈で会ってるのか?自信がない)
拳銃を手に入れ、体を鍛えた主人公は売春宿を襲撃し
少女を救い出す
その後、少女は親せきに引き取られ
主人公はヒーローとなる
いい映画を見たと思うが、ちゃんと理解できたかは自身が無い
カンヌ受賞作は難しい
BS-TBSを録画して鑑賞
タクシードライバー
【ピロシの映画レビュー①④】
邦題 タクシードライバー
原題 Taxi Driver
⚫︎監督
マーティン・スコセッシ
⚫︎脚本
ポール・シュレイダー
⚫︎出演者
ロバート・デ・ニーロ
シビル・シェパード
ハーヴェイ・カイテル
ジョディ・フォスター
ピーター・ボイル
⚫︎公開
1976年
⚫︎上映時間
114分
⚫︎製作国
アメリカ合衆国
⚫︎ジャンル
ヒューマンドラマ
サスペンス
こんばんは、水野晴郎です。
今週の金曜ロードショーは
こちら
『タクシードライバー』
⚠️⚠️⚠️ネタバレ注意⚠️⚠️⚠️
時は1970年代。
ベトナム戦争の帰還兵であるタクシー運転手が主人公。
あまりにも有名な映画ですね。
終始陰鬱としたタッチで描かれる本作です。
人生っていうのは谷あり山ありですよね。楽しいこともツラいこともあり。
本作の主人公も良かれと思ってやったことが一本調子かつ対女性に不慣れなこともあり?空振り三振(⇦そんなことは往々にしてある!)。
そして自暴自棄になり、殻に閉じこもり、自我を爆発させる• • •。
一貫して鬱屈としたストーリー展開。
しかしながら『天使』もいるのでありました。捨てる神あれば拾う神あり。
これもまた本作のキモなのでしょう。
特にエンディングまでの30分が見どころですねー。
ハッピーエンドなのか、バットエンドなのか、そんな陳腐な表現は必要のないくらいの演技、プロット、そして映像美。
劇中相棒のタクシーがまたカックイーーィ。少し燻んだイエローカラーの車体、今ではもう見られないメーターのアナログさなど令和の時代になおさら郷愁を誘いますね〜。
是非、ご覧下さい💁🏻♀️
映画って本当に素晴らしいものですね!
水野晴郎でした❤️
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善良な一般市民と(善良であるべき)政治家。悪を退治するのはどちらか。
主人公トラヴィスは、夜の生活を営み、危険な場所でもどこでも行く深夜営業のタクシードライバー。そうした底辺の生活を送る人間がもつ、世の中を綺麗にして欲しいという要望に対して、政治家は首をかしげ、難しいとだけ言う。政治家は演説ではきれいごとを言い、その支持母体の人間であるべツィの方も底辺の人間である主人公のことを理解してはくれない。トラヴィスは反感を覚え、この腐敗に満ちた世界をべツィもろとも破壊したい欲求に駆られ、銃をも手にするようになる。しかし、べツィへの暴力も、政治家の暗殺も失敗に終わる。
他方で、トラヴィスは自らの手で、本当の悪、世界を汚す存在へと立ち向かい、「浄化」を実践するのである。(そのきっかけとなったのは、たまたま夜のコンビニで「黒い」人間を撃ち殺したシーンにある。コンビニの店長はトラヴィスに礼を言い、市民は暴力を望んでいることが明らかとなる。)トラヴィスは売春宿の男たちを撃ち殺し、英雄になる。暴力は、正義を行使する手段でもあったのだ。アイリスの両親も、英雄トラヴィスへ感謝の言葉を寄せる。
ところどころ色んなものへ陶酔する危うさを持ち、女性であれ何であれ美しいものを付け回すオタク気質の主人公ではあったが、彼を英雄的行為へと駆り立てたものは何だったのか。最後のシーンでは、生活は以前と変わり無いものの、主人公の眼には充実感と自信とが溢れている。べツィも、現実社会の負の側面に夢砕かれたのだろうか、序盤と終盤とでは表情ががらりと変わり、終盤では哀愁漂わせる非力な女性へと変化している。
トラヴィスの二度目の恋のチャンスはうまく行くのだろうか。
閉塞感の漂う世界観に息が詰まる部分が多いけれども、一般的なアメリカン・ニューシネマや戦後フランス(というか、ニューシネマのモチーフはほとんど戦後フランスにある!)の作品とは少し趣向を変えており、おぼろげながらも未来へと前進しようとしている。人々はどこへ向かおうとしているのか、「ゆくへもしらぬ」(『新古今集』)未来だが、梶はしっかりと握っているようだ。
(2019/11/03)
無差別殺人者の心理状況。
冒頭、デ・ニーロ氏の演じるトラヴィスの声が、ホアキン・フェニックス氏の声に聞こえた。
『ジョーカー』は未見なので比べようもないが、『ザ・マスター』の時のフェニックス氏の声を思い出してしまう。
他のレビューを拝見すると、この映画と『ジョーカー』がとても近しいらしい。
年代からして、フェニックス氏が、この映画のデ・ニーロ氏の発声・言い方を真似したのか、根本的に同じものをお持ちなのか。『ザ・マスター』でのフェニックス氏の役も帰還兵。そこが共通項なのか?
刹那的な生き方。
それでも、恋をしてみようとしたり、人助けをしようとしてみたり。
言っていること・やっていることはちぐはぐで、鑑賞している私からはすべてが空回りしているようにしか見えないが、トラヴィスなりには己の正義を貫いているつもりなのだろう。
このまま、トラヴィスの鬱屈した生活と、アイリスとの出会いが交差して話が進んでいくのかと思ったら、途中から物語の舵が大きく切り替わる。
たんなる承認欲求ではない。
受け入れてもらいたい。一目置かれたい。One of themからの脱却。
鏡の前のトラヴィスがかわいらしくも、悲しい。
新しく手に入れたアイテムを身に着けて喜んでいるだけじゃない。
「俺になんか用か?(思い出し引用)」素通りされる人間ではなく、”用がある”≒そこにいる意味がある人間として扱われること。その状態への渇望。
大統領候補襲撃。
大きなことをして、ベッツィを振り向かせたい。ベッツィの大切にしているものをぶち壊して、自分とベッツィ達を線引きした事務所の奴らに復讐したい。「応援している」といったのに、自分を大切にしなかった候補への逆恨み。
「街にあふれるゴミを水洗トイレのように押し流してきれいにしたい(思い出し引用)」という思いはあるものの、大統領候補を殺したところでその思いが叶うわけもなく。建設的な方法を考えや方法を学ぶでもなく、以前の自分が持っている方法の延長しか思いつかない。
そして、売春宿襲撃。
トラヴィスなりには、アイリスを助けたつもりなのだろう。
だが、アイリス自身はそれを望んでいたのか?アイリスにとっては正義の押しつけにもなりかねない。
売春宿を一つ潰したとして、アイリスがまた家出してくる可能性もあり、買春する者が存在する以上、解決したわけではない。
そして、後日談。
トラヴィスは罪には問われないのか?新聞に掲載されているトラヴィスの写真は身分証?事件当時の髪型と違う…。
マスコミや両親、ベッツィはトラヴィスを認めているようだが?
運転手仲間は、特に英雄視もしていないが。だが、以前よりトラヴィスが彼らの輪に入っているように見えたのは、トラヴィスが自信を得て輪の中に入っていったからか、仲間がトラヴィスに一目をおくようになったからか?そして、この時の髪型は…。
混乱する。
殺人罪に関する法が、USAと日本で違うのか。でも、強盗を撃った時は警察に捕まらないように逃げたのに…。
いろいろなレビュー・解説を読むと、トラヴィスの妄想・夢落ちという説もあるとのこと。どこからどこまでが、妄想?鑑賞者によって変わるのだろう。
当時のUSAを支配していた空気感。
帰還兵たちの思い。トラヴィスはどういう経緯でベトナム戦争に駆り出されたのか?共産圏を倒すという大儀ある戦争として始まったにも関わらずの、「実は」という虚が暴かれていく戦争。
1970年代のNY。夜にうごめく者たち。USAの正義を掲げて、命の危険にさらされて戦ったにもかかわらず、帰国してみての国内の様子。自分は何を守ろうとして命を危険にさらしてきたのか。「街にあふれるゴミを水洗トイレのように押し流してきれいにしたい(思い出し引用)」という気持ちはわからなくはない。そんな中で、One of themに埋もれて行ってしまう焦燥感…。
ある論評では、保守回帰の時代風潮を反映しながらも、変質していく時代を見つめているという。
それらを見事に切り取った映画との評を読む。
映画が公開される前の1972年に起こったウォレス大統領選候補襲撃事件。
この映画に影響された犯人が起こしたレーガン大統領暗殺未遂事件。
映画公開当時はトラヴィスがPTSDでという説明で片付けられただろうが、
いま、日本でも、USAでも、無差別殺人事件が頻発している。
ヒリヒリ来るような、この孤独感、無価値観。
何かになることを期待され、何かになれると夢を与えられつつも、現実的には一億総カオナシ。
ベトナム戦争を経験したUSA。
日本は?
そのことを考えると、トラヴィスを英雄のように扱ったラストに賛同できない。
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