多くの方がレビューされることでしょうが、敢えて強く言わせて頂きます。とにかく劇伴が不快です。ただただ不快なだけです。不快だからこそ正解、なんてことでは決してありません。それ以上の魅力的な意味なんて、ただのこじつけでしょう(暴力的な衝動性とか?無理無理)。セリフとの音量差も酷くリモコン片手に音量操作に大忙しです。疲れてしまって、もうセリフが聞こえなくてもいいやとさえ思ってしまったほどです。観る者にこんな思いをさせることに意味や価値があろうものなら、家庭から映画は消えてしまうでしょう。映画の価値を下げる最低な表現だと思います。
この点だけで、気持ちとしては-怒りに近い感情でもって-本作への評価は1点も付けたくないほどです。
そういう音楽を含めて本作の演出は、大胆に作られています。衝撃的でラディカルで型破り的な印象を狙ったものなのでしょう。暴力、狂気、支配、愛憎、執着、感情や情動、その根底にある生命力といったものの表出を、「芸術は爆発だ」宜しく思い切って強気に出しているのでしょうが、赤い椿の花、樹木、造形芸術など果たしてこういうアート的な演出が適切なのでしょうか。というより必要なのでしょうか。少なくとも私は、これら音楽を含めたアート的演出が全て省かれていたとしても、この物語を理解できたでしょうし、寧ろもっと没入できたように感じます。
他者(原作者)が作り上げた世界に(自分なりの新たな発想という意味での)アート思考で挑むことにはリスクがあるでしょうし、何よりこの物語の性質にミスマッチな気がしてなりません。これでは形無しです。もう少しロジカルにまとめていただいた方が良かったと個人的には思います。
ついでに悪いと思う部分をもう一つ。
美花(篠浦未喜)のファム・ファタールとしての魅力が足りません。それは演じる長谷川京子さんに因るところもあるでしょうが、もっと根本的にシナリオとして美花を描き切れていないように思います。
さて、随分と扱き下ろしてしまいましたが(だからやはり高評価にはいたりませんが。)、それでも本作は見応えのある作品だとも思います。
先にも書きましたが、首を傾げる演出を抜きにして、ちゃんと物語を咀嚼できる内容ですし、(美花についてを除いて言えば)脚本が優れているのではないでしょうか。端的であり説明的にならずに、セリフ構成なんかも素晴らしいと思います。
役者さんの演技も概ね見応えがあり、とりわけ輔を演じられた永山瑛太さん(当時は瑛太)は危なっかしく不安定で儚くて最高です。
何かに縋らねば、何かのせいにしなければ、生きていかれず、しかし、その何かに生かされていることそのものが苦しみだったりもする。そういうことがあると私は思うのです。暗闇の中で一筋の光を頼りにもがいている。本当は光る方へ飛び出せたらもっと楽になれることがわかっているのに、闇の中にいるからこそ光は綺麗で、ときにまぶしくて、恐ろしくて。「光」は「救い」だけれど、同時に「闇」こそが「救い」でもあるような。