木村仁 : ウィキペディア(Wikipedia)
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。
消防庁長官(第17代)、自治大学校長、参議院議員(2期)、防災情報機構顧問防災情報機構NPO法人などを歴任。
来歴
熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業一般財団法人創造くまもと。
1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業外務副大臣。地方自治庁入省一般財団法人「創造くまもと」理事長 木村仁さんにインタビュー 熊本人財ネットワーク。大阪府総務部地方課。
1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務。
1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
1984年7月、静岡県副知事。
1986年8月1日、自治省大臣官房審議官(企画兼行政担当)。1986年9月19日、自治大学校長。1987年9月21日、自治省行政局長。1989年6月30日、消防庁長官。1991年10月、自治省退職。11月、全国町村会事務総長。
1994年11月20日、熊本市長選挙に立候補するが落選『毎日新聞』1994年11月21日朝刊1面。。
1995年、野村総合研究所参与。1996年、東海大学法学部法律学科非常勤講師(地方自治法担当)。
1998年、第18回参議院議員通常選挙熊本県選挙区から立候補し、初当選。2001年、第1次小泉内閣で国土交通大臣政務官(国土関係及び北海道開発関係第151回国会 衆議院 国土交通委員会 第11号)就任。
2004年、第20回参議院議員通常選挙熊本県選挙区で再選。2007年8月、第1次安倍改造内閣で外務副大臣。9月、福田康夫内閣で外務副大臣(再任)。
2009年12月23日、政界からの引退を表明する。
2010年3月、自民党両院議員総会長に就任。7月 - 参議院議員の任期満了により退職。財団法人創造くまもとを設立し代表理事を務める「創造くまもと」とは。11月、旭日重光章受章。
2023年11月15日、敗血症のため、神奈川県川崎市の病院で死去した木村仁氏死去 元自民党参院議員 - 時事ドットコム 2023年11月15日。。死没日付をもって従三位に叙された『官報』第1128号10頁 令和5年12月20日。
人物
- 東京大学落語研究会OBで、芸名は「もらい亭全遊」であった恒例の落語会に約500人 ・・・創造くまもと。
政策
- 選択的夫婦別姓制度導入に反対第174回国会 法務委員会 請願 1568号。
政治資金
- 諫早湾干拓事業、川辺川ダムの受注企業から、1995年~2000年の間に296万円の献金を受けているしんぶん赤旗 2003年10月31日(金)。
- 2001年、日本歯科医師連盟から橋本龍太郎元首相にヤミ献金として1億円が小切手で渡され、橋本派会計責任者が起訴された事件(日歯連闇献金事件)に関して、その一億円の使途の一部は、木村ら旧橋本派議員への「もち代」として使われた、と指摘されたしんぶん赤旗 2004年9月19日。
主な著書
- 『都市からの出発』(宮沢弘共著) 読売新聞、1973年
- 『八十年代の行政管理』 第一法規出版、1984年
所属していた団体・議員連盟
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- アメリカンフットボール議員連盟
- 平成研究会
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/05 14:04 UTC (変更履歴)
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