国弘威雄 : ウィキペディア(Wikipedia)
國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日『日本の映画人』、216ページ - 2002年10月21日)は、日本の脚本家。中華民国吉林省長春県(現:中華人民共和国吉林省長春市)生れ。出版している本や、脚本家としての映画などでは「国弘」と表記されているが、本名は「國弘」の表記である。
経歴
中学途中まで満洲で育ち、戦後父の郷里の山口県に引き揚げる。少年時代から映画好きだったことから、脚本家を志すようになる。山口県立柳井高等学校中退後、公務員となるが後に上京、雑誌社・東芝労組書記局などに勤務しながら投稿を続ける。
1957年に日本シナリオ作家協会主催のコンクールで1位となり、同年同協会主宰のシナリオ研修所に入所。修了後橋本忍門下となり、1959年に橋本との共作『空港の魔女』(東映・佐伯清監督)でデビュー。1964年加藤泰監督『幕末残酷物語』で第15回ブルーリボン賞脚本賞を受賞し、脚本家としての地位を確立する。その後東宝・日活・東映との契約を経て、フリーランスとなる。以後は映画・テレビドラマを中心に活動。映画では稲垣浩監督『風林火山』、村山三男監督『樺太1945年夏 氷雪の門 』などの作品があり、テレビドラマでは『子連れ狼』、『必殺シリーズ』など、主に時代劇の分野で知られる。
また、1956年からシナリオ同人誌「おりじなる」を15年に渡って主宰。1997年には自らが中心となり、「葫蘆島を記録する会」を結成『毎日新聞』、1998年5月11日東京朝刊4面 「[ひと]国弘威雄さん=旧満州からの引き揚げ港「葫蘆島」のドキュメンタリーを製作」。終戦後、満州からの日本人引き揚げの拠点となった同島の記録映画『葫蘆島大遣返』の制作・脚本・演出を手がけ、翌1998年に完成させた。
主な作品
劇映画
- 空港の魔女(1959年、佐伯清監督、東映) ※橋本忍との共同脚本
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、松林宗恵監督、東宝) ※橋本忍との共同脚本
- いろはにほへと(1960年、中村登監督、松竹) ※橋本忍との共同脚本
- 紅の海(1961年、谷口千吉監督、東宝)
- 地方記者(1962年、丸山誠治監督、東宝) ※関沢新一との共同脚本
- 夜霧のブルース(1963年、野村孝監督、日活)
- 林檎の花咲く町(1963年、岩内克己監督、東宝)
- 夕陽の丘(1964年、松尾昭典監督、日活) ※山崎巌との共同脚本
- 幕末残酷物語(1964年、加藤泰監督、東映)
- 愛しながらの別れ(1965年、江崎実生監督、日活)
- その口紅が憎い(1965年、長谷和夫監督、松竹) ※橋本忍との共同脚本
- 阿片台地 地獄部隊突撃せよ(1966年、加藤泰監督、松竹) ※加藤泰との共同脚本
- 神火101 殺しの用心棒(1966年、石井輝男監督、松竹)
- 大奥(秘)物語(1967年、中島貞夫監督、東映) ※佐治乾・掛札昌裕・金子武郎との共同脚本
- 続大奥(秘)物語(1967年、中島貞夫監督、東映) ※中島丈博との共同脚本
- 十一人の侍(1967年、工藤栄一監督、東映) ※田坂啓・鈴木則文との共同脚本
- 風林火山(1969年、稲垣浩監督、東宝) ※橋本忍との共同脚本
- 富士山頂(1970年、村野鐵太郎監督、日活)
- 暁の挑戦(1971年、舛田利雄監督、松竹)※橋本忍・池田一雄との共同脚本
- 黒の奔流(1972年、渡辺祐介監督、松竹) ※渡辺祐介との共同脚本
- 樺太1945年夏 氷雪の門(1974年、村山三男監督、東洋映画)
- 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒濤篇(1974年、三隅研次監督、松竹)
- やさぐれ刑事(1976年、渡辺祐介監督、松竹) ※渡辺祐介との共同脚本
- 遥かなる甲子園(1990年、大澤豊監督、東宝)
- 楊貴妃(1992年、陳家林監督、広西映画撮影所) ※中国映画
ドキュメンタリー映画
- 葫蘆島大遣返(1998年) ※制作・脚本・演出
テレビドラマ
- すりかえ(1961年、TBS) ※芸術祭賞奨励賞・テレビ部門受賞
- われら青春 (1962年、フジテレビ)
- 汚れた海(1963年、日本テレビ)
- 宮本武蔵 (1965年 - 1966年、日本テレビ)
- 剣 (1967年 - 1968年、日本テレビ)
- お庭番 (1968年、日本テレビ)
- 右門捕物帳 (1970年、日本テレビ)
- 遠山の金さん捕物帳 (1971年 - 1972年、NET)
- 愛と死の砂漠 (1971年、関西テレビ)
- 影の車 (1971年、フジテレビ)
- 特別機動捜査隊 (1971年、NET)
- 大岡越前・第二部 (1971年、TBS)
- 荒野の素浪人・第一シリーズ (1972年、NET)
- 必殺シリーズ(朝日放送)
- 必殺仕掛人 (1972年 - 1973年)
- 必殺仕置人 (1973年)
- 助け人走る (1973年 - 1974年)
- 暗闇仕留人 (1974年)
- 必殺必中仕事屋稼業 (1975年)
- 必殺仕置屋稼業 (1975年 - 1976年)
- 必殺仕業人 (1976年)
- 必殺商売人 第14話、第20話(1978年)
- 必殺からくり人・富嶽百景殺し旅 (1978年)
- 必殺仕事人 (1979年 - 1981年)
- 子連れ狼(1973年 - 1976年、日本テレビ)
- 非情のライセンス (1973年 - 1980年、NET・テレビ朝日)
- 妻の秘密 (1976年、日本テレビ)
- ちちんぷいぷい (1977年、日本テレビ)
- 江戸の鷹 御用部屋犯科帖 (1978年、テレビ朝日)
- 悪の紋章(1979年、フジテレビ)
- 白昼の死角 (1979年、毎日放送)
- 七人の刑事・第3シーズン (1979年、TBS)
- 87分署シリーズ・裸の街 (1980年、フジテレビ)
- 服部半蔵 影の軍団 (1980年、フジテレビ)
- 江戸の用心棒 (1981年、フジテレビ)
- 時代劇スペシャル(1981年 - 1984年、フジテレビ)
- 愛妻武士道(1981年)
- 怪談牡丹燈籠(1982年)
- お庭番秘聞(1983年)
- 影狩り(1983年)
- 子連れ狼(1984年)
- 松平右近事件帳(1982年、日本テレビ)
- 海にかける虹〜山本五十六と日本海軍 第三部・第六部(1983年、テレビ東京)
- 松本清張事件にせまる・焼跡のクリスマス 戦後を駆けぬけた男 (1984年、テレビ朝日)
- 三匹が斬る! (1987年 - 1995年、テレビ朝日)
- 名奉行 遠山の金さん (1987 - 1995年、テレビ朝日) (1993年 - 1995年、テレビ朝日)
- 火曜サスペンス劇場 (日本テレビ)
- 「回遊海路~北九州病院長バラバラ殺人事件」(1984年) - 中村光至の小説『捜査―北九州病院長バラバラ殺人事件』が原作『毎日新聞』1984年3月12日東京夕刊第3版5頁「54年の事件を題材にTVサスペンス」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)3月号387頁。
- 下弦の月(1990年) ※ギャラクシー賞奨励賞・テレビ部門受賞
- 九門法律相談所(1)離婚(1993年)
- 新任判事補 (1994年 - 1996年) 他、単発作品を執筆
- 木曜ゴールデンドラマ (読売テレビ)
- 湖の夕映え (1986年 - 1988年) 他
- 土曜ワイド劇場 (テレビ朝日)
- 京都殺人案内(1)花の棺 (1979年) 他
- ザ・サスペンス (TBS)
- 馬を売る女(1982年) 他
著書
- 「シナリオの設計」(映人社、1981年)
- 「私のシナリオ体験」(映人社、1997年)
出典
参考文献
- 佐藤忠男編『日本の映画人 日本映画の創造者たち』(日外アソシエーツ、2007年)
外部リンク
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