鈴木三重子 : ウィキペディア(Wikipedia)
鈴木 三重子(すずき みえこ、1931年11月24日 - 1987年3月12日)は福島県出身の歌手である。本名:菊地 ミヘ子。
経歴
父は民謡歌手の鈴木正夫(三女)。1954年、「相馬盆唄」でテイチクよりレコードデビュー。1956年(昭和31年)、「愛ちゃんはお嫁に」の大ヒットで「愛ちゃん」ブームを引き起こす。「愛ちゃんはお嫁に」は発売当時18万枚松山悦三『才女時代 マス・コミに生きる女性たち』朋文社、1957年(昭和32年)、154頁。、1968年(昭和33年)時点では70万枚売れた堀内敬三『音楽明治百年史』音楽之友社、1968年、345頁。。この曲は結婚式用ソングとして広く親しまれ、「愛ちゃん」は鈴木三重子自身の愛称にもなった。
1958年(昭和33年)には、藤山愛一郎や山野愛子と共に愛ちゃんの会を結成する。その後は巡業などを中心に活動を行う。後にポリドールレコードへ移籍し、数枚シングルを発売している。
1980年(昭和55年)、病(静脈瘤の手術)のため歌手活動を引退。
1987年(昭和62年)3月12日、肝硬変のため都内の病院で死去。。同3月15日、東京都渋谷区の代々木八幡葬祭場で葬儀・告別式が営まれた。
ペギー葉山がカバーしたことで一躍著名となった「南国土佐を後にして」を1955年(昭和30年)にレコードに吹き込んでいる。
現在、実弟が二代目鈴木正夫(1937年11月8日‐2019年6月19日)として活躍。
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
1956年(昭和31年)/第7回 | 愛ちゃんはお嫁に | 若原一郎 | ||||
1957年(昭和32年)/第8回 | 坊や船頭さん | 青木光一 | ||||
* 第7回と第8回の両方とも、ラジオ中継による音声が現存する。 | * 第8回は歌唱中の写真も現存する『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年)。 |
代表曲
- 相馬盆唄(デビュー曲)
- 南国土佐を後にして
- 浮草小唄
- ほろ酔ユンタ
- むすめ巡礼
- 愛ちゃんの子守唄
- 愛ちゃんはお嫁に
- 兄さは東京で嫁もろた
- 潮来恋唄
- 小島の灯台娘
- 背戸の踊り子
- 籠の鳥エレジー
出演映画
- 南蛮寺の佝楼男(1957年) - 座員・三重子役
- 喜劇 団体列車(1967年) - 三重子役
関連項目
- そう言えば あの時このうた
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/02 14:58 UTC (変更履歴)
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