浅井良二 : ウィキペディア(Wikipedia)

浅井 良二(あさい りょうじ、1935年4月28日 - 2018年10月9日)は、日本の芸能マネージャー・芸能事務所経営者。浅井企画の創業者であり、代表取締役社長を務めた。本名は、二瓶 満(にへい みつる)。福島県出身。

コント55号の初代マネージャーであり、関根勤らを見出した。

来歴

俳優志望で、松竹ニューフェイスとして芸能界入りした昭和40年男(クレタパブリッシング)2020年8月号増刊「生きざまに憧れた昭和の男たち#4 萩本欽一の永遠の相棒 坂上二郎」(38頁)が、その後は芸能マネージャーとなる。中川プロダクションで三木のり平八波むと志のマネージャーを務めたのちお笑いプロダクション 学校&オーディション情報 浅井企画(『THE OWARAI 〜西条昇の爆笑大全〜』)、1968年9月に浅井企画を設立。中川プロダクション時代に一緒だった坂上二郎萩本欽一と共に迎え入れ、コント55号としてマネジメントを手掛ける。代表取締役社長を務める一方、数々のお笑いタレントなどを輩出させた。

2018年10月9日、悪性リンパ腫による多臓器不全で死去、83歳没。

人物

「1か月前に誕生日プレゼントを届ける」「全員が集合しきっていない状態で集合写真を撮るため、みんな目が半開きの写真」などのエピソードがあるほど、せっかちな性格や、私服が派手だったことでも知られ月刊ラジオパラダイス 1988年1月号 p.8 - 11「浅井アート傑作選」、それは自分の事務所の所属タレントの小堺一機関根勤によるラジオ番組『コサキン』シリーズ(TBSラジオ)でよくネタにされたこともあったコサキンのひとみと悦子(シンコーミュージック、1992年2月刊)p.88 など。また、コサキンの番組とそのリスナーからは『ぺんてるちゃん』とも呼ばれコサキンのひとみと悦子 p.38「浅井企画の横顔」より。、他に『一人リオのカーニバル』『五反田のフェラーリ』(せっかちだから)などと呼ばれるなど親しまれていたコサキンのひとみと悦子 p.156 より。。1987年12月23日には、当時の『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』の企画で、TBSホールにて浅井をテーマにしたアート、芸術作品を展示した展覧会『アート浅井展』が開かれたほどだった。

小堺一機は、自分がようやく売れて来たある時に楽屋に浅井が来て「調子に乗って独立したらぶっ潰すからね!」と言われたと話している(小堺はこれを「社長なりの激励の言葉だと思う」としている)。

没後の2018年11月26日、グランドプリンスホテル高輪にて開かれた「お別れの会」故浅井良二氏のお別れの会 元浅井企画社長 2018年11月20日 日本経済新聞には萩本欽一、関根勤、小堺一機、モンキッキー(現:おさる)、キャイ〜ン、ずん、イワイガワ、関根麻里ら浅井企画所属タレントのほか、笑福亭鶴瓶中山秀征、爆笑問題、香取慎吾など多くの芸能人や関係者約600人が参列欽ちゃん感謝 浅井良二社長お別れ会で『わがままな欽ちゃんを本当にありがとうございました」 2018年11月26日 スポーツ報知。皆で浅井との愉快な思い出話を披露し合い、生前浅井が好んだハワイとゴルフをテーマにした祭壇を前に記念写真を撮影するなど、賑やかな別れとなった萩本欽一、浅井社長の病状知らされず 関根勤「親しすぎるから…」 2018年11月26日 オリコンニュース萩本欽一、コサキン、キャイ〜ンら浅井企画・浅井良二氏お別れ会で笑い話たっぷり 2018年11月26日 お笑いナタリーコント55号育ての親浅井良二前社長へ爆笑お別れ会 2018年11月27日 日刊スポーツ爆笑問題・太田光、亡くなった浅井良二社長との思い出を語る 2018年11月29日 エンタMEGA。

映画

※参考…

出演番組

  • ぎんざNOW!(TBSテレビ) - 「しろうとコメディアン道場」にて審査員を担当。初代チャンピオンの関根勤や小堺一機を見出した。

演じた俳優

  • 渡辺正行 - 『ゴールデンボーイズ 1960笑売人ブルース』(1993年8月24日、日本テレビ系)

注釈

出典

関連項目

  • コサキン
  • 福島県出身の人物一覧

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