「ラストタンゴ・イン・パリ」の裏側にあった女優の悲劇、映画界の権力勾配と搾取描く「タンゴの後で」監督に聞く
2025年9月5日 20:00

大胆な性描写と心理描写で“芸術か?わいせつか?”と物議をかもした1972年のベルナルド・ベルトルッチ監督作「ラストタンゴ・イン・パリ」。その舞台裏の出来事と女優マリア・シュナイダーの葛藤と怒りを描き、映画界の権力勾配や搾取といった問題に切り込んだ映画「タンゴの後で」が公開された。
監督は、ベルトルッチの「ドリーマーズ」でインターンとして働いた経験を持つジェシカ・パルーで、マリアのいとこであるジャーナリストのバネッサ・シュナイダーの著作「あなたの名はマリア・シュナイダー:『悲劇の女優』の素顔」をもとに映画化。パルー監督が映画.comのインタビューに応じた。

19歳のマリア・シュナイダーは気鋭の若手監督ベルナルド・ベルトルッチと出会い、「ラストタンゴ・イン・パリ」への出演でまたたく間にトップスターに上りつめる。しかし48歳のマーロン・ブランドとの過激な性描写シーンの撮影は彼女に強烈なトラウマを与え、その後の人生に大きな影を落とすことになる。「あのこと」のアナマリア・バルトロメイが主人公マリア、マット・ディロンがマーロン・ブランド役を演じる。
私はもともと物語を書くのが好きで、家族の中にたまたま映画関係者がいたことから、小さい時から撮影現場に行くことがあり、その風景に目を奪われていた子どもでした。そして19歳で、それはマリア・シュナイダーが女優としてベルトルッチと出会った年齢と同じですが、ベルトルッチの「ドリーマーズ」にインターンとして参加しました。俳優やスタッフに食事を運んだりといったような仕事が主で、撮影の中心にいたわけではありませんが、そこでベルトルッチ作品がどういうものかや、「ラストタンゴ・イン・パリ」のエピソードを知り、言われている現実とはちょっと異なるな、そんな違和感を覚えました。
私自身、現場のデビューが早かったのですが、当時もまだ男性中心の撮影現場でした。撮影のファースト助監督になったのも23歳でしたので、職場は年長の男性ばかりでした。その時に、現場で不適切なことがあっても誰も何も言わない、秘密にされることがある、ということを助監督の立場から見ていました。その経験があったことから、マリアの手記を読んで非常に動揺したのです。50年前、既にマリアは声を上げていたのに、だれも耳を傾けなかった……その事実に衝撃を受けました。
ちょうど私が映画を作ろうと企画していた頃、2020年3月のセザール賞授賞式で、当時セリーヌ・シアマの公私のパートナーだったアデル・エネルという女優が、ロマン・ポランスキーの監督賞受賞時に「恥を知れ」と叫んで席を立ちました。しかし当時は、頭がおかしいのでは? 世間はそういう目で彼女を見ていたのです。アデル・エネルも性加害の問題をトラウマとして引きずっていたのです。これはやはり社会的な問題だと思いますし、私自身、この映画の資金集めの際も、「シナリオは良いけれど、この問題はちょっと……」と、及び腰になってお金を出してもらえませんでした。それは、多くの人々がこの問題を表立って扱うことを恐れていたのではないかと思います。

説明をしなければいけない義務はなく、シナリオ自体は問題ありませんでした。ただ、アートディレクションの方で、「ラストタンゴ・イン・パリ」とまるきり同じ雰囲気のセットを作ることは剽窃にあたりますので、色味をずらしたりと工夫しました。しかし、そういった拘束があったからこそ、クリエイティブな力を発揮できたと思います。
ベルトルッチの家族に対しては、カンヌ映画祭でのプレミア上映の前にプライベート試写を行いました。もちろん、親族の方々はこの作品を好きにはならないでしょう。でも「とても良い作品だ」そういったコメントをいただきました。もちろん、複雑なお気持ちだったとは思いますが、上映中止を求められたりはしませんでした。

キャスティングとしては、最初にマリアを誰が演じるかということが難航しました。アナマリア・バルトロメイに決まった時点で、マーロン・ブランド役を探しました。我々は俳優リストを作っていて、第一候補がマットでした。主演ではなく、助演として受けてくれる俳優でなければならなかったですし、ハリウッド映画を代表する俳優であり、彼自身デビューが未成年の頃のスカウトがきっかけということもあり、今回の作品にはうってつけだろうと、シナリオと私の初監督長編映画のスクリーナーを送りました。そして、マット本人から電話がかかってきて、直接会って、このプロジェクトに参加できることが嬉しい、シナリオが気に入ったと言ってくれました。
3時間くらい話をして、マーロン・ブランドがマリアに対してやったことに対してつらさを感じると同時に、自分自身もキャリアを振り返ると被害者になり得る立場もあった、そういう認識ができたと言っていました。私がこの映画で提示したい視点を肯定的に擁護したい、映画業界にはこういった暴力性が潜んでいることにも同意してくださったのです。その後、人物像についてはオンラインでディスカッションを重ねました。マーロン・ブランドそっくりになるのではなく、視点や存在感を近づけるような役作りになったと思います。

非常に複雑なテーマだと思います。私自身は過去に既に評価された作品を二度と見られなくなるような措置を取るというやり方は支持しません。
フランスの映画業界は#Metoo運動の初動が遅かったので、世界的な運動のピークが過ぎ、あまり話題にされなくなってしまい、本当に効果があったのか? そんな疑問も感じます。先日「ラストタンゴ・イン・パリ」がシネマテーク・フランセーズで上映が決まったときに、世間から反対があり、それをメディアが大々的に取り扱いました。シネマテーク・フランセーズ側のスタッフにも上映反対の立場をとる人もいたようで、結局上映は取り下げられました。名作と謳われている「ラストタンゴ・イン・パリ」でも上映中止ということがあるのです 。ただ、「ラストタンゴ・イン・パリ」は古い映画ですし、リバイバル上映するのであれば、このような状況が撮影現場であったと、観客と一緒にディスカッションする機会があったり、例えば私のこの「タンゴの後で」と同時上映なども良いかと思います。映画を封印してしまうことには賛成しません。きちんと説明する必要があると思いますし、ケースバイケースで考えるべきだと思います。
ベルトルッチは真実を捉えようとしたと言っていますが、私自身それはやってはいけないことだと思いますし、ベルトルッチほど聡明な人だったらブレーキをかけられたはずです。自身の創作的快楽のようなものを優先してしまったのではないでしょうか。マリアの死後、ベルトルッチ自身がインタビューでこのエピソードについて「自分は後悔していない」「また同じ機会があったとしたら、再び同じことをするだろう」と言っているのです。これは驚くべき発言です。彼の視点とマリアの視点、それから証言者の視点は全て一致しているのです。それでも、未だにこの話題はタブーにされ、2025年の今でも、「傑作だから(仕方がない)」という言い方をする人もいます。私は多くの取材を重ね、芸術と権力についてこの映画で正面から取り上げられたと思っています。
関連ニュース



【パリ発コラム】クローネンバーグ特集が活況のシネマテーク・フランセーズ、ベルトルッチ「ラストタンゴ・イン・パリ」は上映中止に…フランス映画界の性暴力問題が再燃
2025年2月2日 14:00


